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異世界嫁ごはん ~最強の専業主夫に転職しました~  作者: 九重七六八
第9話 嫁ごはん レシピ9 鮎の魚醤たれ、ぶっかけレモン汁唐揚げ
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君の名は……クラーラ

 鮎魚醤を瓶に入れてもらい、二徹たちは、当初の目的のジュラールの醤油製造所へと向かった。寄り道で遅れてしまったが、時間を決めていたわけでもないので、特に問題はなかった。


 30分ほどで二徹たちが到着すると、ジュラールが出迎えてくれた。相変わらず上腕二頭筋がよく発達した肉体美を晒すランニング姿である。ただ、いつもと変わっているのは、その後ろにひっそりと銀髪のワンレングス姿の女の子が立っていること。


 すらりとした体躯は儚げな印象を見るものに抱かせた。二徹は月に2,3回はジュラールのところへ顔を出すが、この女の子を見るのは初めてである。


「やあ、二徹、今日はやけに遅かったな」

「ああ、ちょっと途中で面白いものを見つけてね」

「そうか、どうせお前のことだ。珍しい食材かなんかだろうな」

「まあ、そういうとこかな」


 正直なところ、鮎魚醤をどう使うかは思案のしどころである。肉料理への隠し味に使いたいところであるが、まだ二徹はそれを使うメニューを考えついていない。ジュラールは、二徹の後ろにいる小さな犬族の女の子に話題を移した。


「そっちのちっこいのが噂のメイちゃんか?」


 メイを見るのは初めてになるジュラールはそう挨拶をした。メイは二徹の後ろから一歩横に出て、主人の友人にぺこりと頭を下げる。


「メイです。初めてお目にかかります、ジュラール様」

「うん。二徹の奴から、君はとても優秀な助手だと聞かされているよ。今日は作りたての醤油を見せてやるよ」


「はい……」

「で、ジュラール……。君の隣のお嬢さんは?」


 ここまで黙って微笑んでいる女性を紹介しろと二徹は目で合図する。歳は見た感じ、18,9歳くらい。まだ幼い感じはするが、不思議と気品を感じる美しい少女だ。ストレートの長い銀髪のワンレングススタイルが清楚な感じを醸し出す。もしかしたら、ジュラールの婚約者かなとも思ったがそうではなかった。


「彼女の名はクラーラ……。実はそれ以外は分かっていない」

「分かっていない?」


 どういうことだと二徹は声のトーンを落とす。どうやら、メイやクラーラ本人には聞かれたくないことのようだと二徹は察した。


「クラーラ、お茶の準備をしてくれ」

「ワ、ワカッタ……。クラーラ、オ茶ノジュンビスル……」


 まるでロボットのように答えるクラーラ。微笑んでいる表情とは、随分とギャップのある話し方である。二徹はメイにクラーラを手伝うように指示する。クラーラとメイがお茶の準備で離れると、ジュラールは説明をしだした。


* 


 ジュラールがクラーラと出会ったのは、3日前のこと。場所は港にある酒場。その夜は知り合いの船長が外国から帰国したので、ジュラールは港の行きつけの酒場でお祝いの宴会をしていた。その宴も酒に強い船乗りたちを相手にして、かなり酔ったジュラールは店の外に出た。


 店は海に面しており、月夜に照らされた水面が見える。たくさんの船が停泊しているのが見えた。


パシャッ……。水の音が聞こえた。酔っているから音がどこから来るのか正確につかめないジュラールはキョロキョロと視線を動かした。


「ううう……」

「な、なんだ?」


 ジュラールは足元を見た。波止場から階段が海面まで続いている。その下の部分に木箱が波に漂っている。月明かりを頼りに目を凝らすと、その木箱にしがみついた人間を見つけた。


「お、おい……大丈夫か?」


 ジュラールはそう言いながら膝をついて呼びかけた。木箱は海に浮かび、そこにしがみついているのは長い銀髪の少女。粗末な灰色のワンピースを着ており、それが海の中で広がって、ゆらゆらと揺れている。


「気を失っているのか?」


 ジュラールは酔いがすっと冷めていくのが分かった。慌てて階段を降りる。一番下まで行くと手が届いた。海の水に濡れながらも少女を引き寄せる。そして抱きかかえる。


「おい、大丈夫か?」


 ジュラールは少女の頬を軽く叩いた。


「ウッ……ウウ……」


 どうやら生きているようだ。だが、冷たい海の水に長時間浮かんでいたためか、意識は朦朧としており、衰弱が激しかった。そしてジュラールが気になったこと。少女の両手にはロープに縛られた跡が赤く残っていたのだ。最初は誤って海に落ちたのかと思ったが、これは何かの事件に巻き込まれたことが想像できた。


(衛兵警備隊を呼ぶか……)


 衛兵警備隊は町の治安を守る組織だ。こういう場合は、警備隊の警備兵に通報するのが正しい行動であろう。だが、少女は全身がずぶ濡れ。そして体は冷えている。警備隊の出張所へ運んでもすぐに対応してもらえない。ましてや少女だ。警備兵の好奇の目にさらされるのは可愛そうだ。


 ジュラールは自分の馬車を呼んだ。自分の上着を羽織らせ、屋敷へと運ぶことにしたのだ。衛兵警備隊に連絡するのは、意識が回復してからでよいだろうと判断したのだ。


 翌日、医者を呼んで少女の容態を見てもらった。ジュラールのかかり付けの医者は、診察を終えてこうジュラールに告げた。


「軽い栄養失調と疲労。冷たい海水に長い時間使っていたせいだろう。怪我はしていないようだ」

「そうですか。それはよかった……」

「しかし、これは問題だ」


 そう言うと医者は少女の着ている寝巻きの袖をめくった。両手首に赤い痣がある。これは両足首にもあった。


「こ、これは……」

「考えたくはないが……この娘はどこかに監禁されていたと思うしかないだろう」

「監禁?」


 都ではこんな噂が流れていた。美しい少女が誘拐され、船に乗せられて遠くの大国に奴隷として売られているという噂だ。それによれば、大国のハーレムに無理やり入れられているというのだ。


 しかし、実際に誘拐された町娘がいるというわけでもなかったから、単なる噂話であろうとジュラールは思っていたが、目の前で眠っている少女を見るとその噂が現実のものであるように思えてくる。


「ウ、ウウウ……」


 少女の意識が戻ったようだ。意識を取り戻せば問題ない。彼女に直接聞けば済むことだ。どうして海に漂流していたのか、手足のロープの痕はなんなのかを。


「気がついたか?」

「ココハ……ドコ?」

「ここは俺の屋敷だ。俺の名はジュラール・バルドー。酒造所を経営している。昨晩、君を海の中から助けたんだ」


「助ケタ……ワタシヲ?」


 まだ記憶が戻っていないのか、少女はぼんやりと天井を見つめた。何か変だとジュラールは思った。


「君の名は?」

「クラーラ……ワタシノ名前は、クラーラ……」

「家はどこ?」

「……ワカラナイ」

「なぜ、海の中にいたの?」

「……ワカラナイ」


 少女は自分の名前だけは覚えていた。だが、それ以上は記憶が抜けている。自分がどこに住んでいて、何をしていたか。どうして海に漂流していたのか。ロープで縛られていた理由。監禁した人間の存在。全てが記憶になかったのだ。


「うむ……。きっと監禁された恐怖と海に落ちて死にかけたというストレスが記憶障害を引き起こしたのであろう。今は体を休めて体力の回復に努めた方がいい。記憶は何かをきっかけにして戻ることがある」


 医者がそう言うので、今日までジュラールは様子を見てきたのだ。クラーラはやがて元気になり、歩けるようになったが記憶は相変わらず戻っていない。これは事件の可能性が高いので、衛兵警備隊への通報を考えたが、記憶が戻ってからにしようかと迷っていたのだ。


「う~ん……。これは僕たちでは手に負えないと思う。やはり、衛兵警備隊に届けたほうがいいよ。何か事件に巻き込まれた可能性が高いと思う。衛兵警備隊には知り合いがいるから、相談してみようか?」

「それはありがたいことだが、実は俺はちょっと心配している。そうすることが彼女にとってよいことか、悪いことか判断に迷うのだ」


「どう見ても事件に巻き込まれたように思うけど……」


 二徹はジュラールの言っていることが最初は理解できなかったが、よく考えると彼女自身が被害者でないという可能性もある。衛兵警備隊に知らせることで、彼女が不利益を被る可能性も0ではない。それは彼女に好意を寄せているからこそ、危惧することなのであろう。


(おいおい、ジュラールの奴、あの女の子に気があるのか?)


 女性に惚れっぽいジュラールが、そこまで冷静に考えていること自体が珍しいなと二徹は思った。


「俺は衛兵警備隊に通報するのは、彼女が記憶を取り戻してからでも遅くないと思うんだ」

「でも、記憶なんてすぐ戻るかな」

「彼女が記憶を取り戻す方法に心当たりがあるんだ」

「心当たり?」


 そう言うとジュラールは、二徹にその心当たりについて耳打ちをした。

(そんなことで本当に記憶が戻るのか?)


 リーゼルはとある貴族の屋敷に来ている。兄には昔の友人の家に遊びに行くと言ってある。一応、本当に友人の家を訪れたが、訪問時間は1時間程度。ラオさんの馬車は屋敷に返し、辻馬車を拾ってここまで来たのだ。


 ここに来ることは兄の二徹には内緒である。リーゼルがこの国に戻ってきたのは、愛しの兄に会いたいことが第1ではあったが、やはり目標はサヴォイ家の再興。そのために根回しを進めてきた。今日はその計画を本格的にする第一歩なのである。


「さあ、お兄様。リーゼは頑張ります。きっと、侯爵様は力になってくれるはず。お兄様に伯爵の地位を取り戻してもらい、また一緒に暮らすことがきっとできる……」

 

 リーゼルは背筋をピンと伸ばした。ここからが勝負時である。


「ごめんくださいませ。今日、侯爵様にお会いする約束をしています、リーゼル・パーシーです」


 リーゼルは毅然とした声で、2人の門番に自分が来たことを告げた。あらかじめ、アポイントメントが取ってあるので、門番を務める2人の兵士はリーゼルにほほ笑みかけて通行を許してくれた。門の中には執事が案内役として待機している。


(リーゼル様……)


 リーゼルが門の中に入っていくのを見つめる初老の男がいる。黒いタキシードを着たその男。オーガスト家の忠実なる家令。ジョセフである。


 彼は二徹に命じられてずっとリーゼルの行動を監視していたのであった。ジョセフはポケットから小さなカギ爪の付いた紐を取り出す。門番の隙をついて、それを軽く振り回すと、塀に向けて投げた。


 カギ爪が引っかかると、ロープを引いて老人とは思えないスピードで壁を上り、そして塀の中へと消えていったのであった。



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