鮎の炭火焼
「二徹様、あれは何ですか?」
馬車の窓から外の景色を見ていたメイはそう不思議そうに尋ねた。外の風を受けて、雉色の耳がそよぐ。二徹が見ると川の中に幾本もの木を組んだものが見える。川の流れに沿って、徐々に傾斜を強め、川の水がだんだんとなくなる人工の水路である。
醤油造りを一緒にしているジュラールの工場の貯蔵庫へ見に行く途中である。ちなみに醤油の生産は軌道に乗っていて、あとは熟成させるだけ。熟成途中のものをまた少しわけてもらう予定である。
「あれは『やな』だよ」
「『やな』ですか?」
「魚のつかみ取りをする施設だよ。川の中を泳ぐ魚があそこへ誘導されると、やがて水がなくなって泳げなくなるって仕組みだよ。メイ、近くで見てみる?」
「見てみたいです」
メイはこれまで町から外に出た経験があまりない。こういったやり方で魚を捕まえているのを見るのは初めてなのであろう。二徹もこの世界では初めて見る。生まれ変わる前の記憶で知っているだけだ。
メイに詳しく見せてやろうと思った二徹はラオに声をかけて馬車を止めてもらった。川のそばへ近づくと、細い木と麻紐で丁寧に作られた『やな』を見ることができた。そこに打ち上げられた魚を掴んでいる少年に声をかける。
「ねえ、ボク?」
「なんだい、お兄さん」
「君が捕まえている魚、なんていう名前なの?」
二徹はそう少年が両手で掴んでいる魚について尋ねた。ウェステリアの一般的な川でとれる魚はツラウトと呼ばれるものがほとんどだ。ツラウトはニジマスのような魚で、白身の肉が美味しく、よくスチームされて町の食卓に上る魚である。だが、少年が掴んでいる魚はそれではない。
ちなみに少年は猫族のようだ。茶色ベースのトラ柄の猫耳を帽子から突き出している。二徹の後ろにいるメイが気になるようで視線を時折、メイの方へ動かしている。
「ナヌを知らないんだね。それは無理もないよ。ナヌはこの川にしか生息していないからね」
「ナヌ?」
二徹は少年から魚を見せてもらい、思わず唸った。どう見ても『鮎』である。体長は30ク・ノラン~40ク・ノラン(15センチ~20センチ)くらい。全身が灰緑色。胸鰭の後ろに大きな黄色の楕円形模様がある。
鮎は日本で愛される川魚である。香りがよく、身も美味しいので昔から食べられてきた魚である。鮎の醍醐味は香りのよさ。かぐわしいその匂いは、初夏の風のようであり、日本人の心を揺さぶる四季を感じさせる味なのである。
さらにその鮎を釣るためには、鮎の特性を踏まえた特殊な釣り方をする。いわゆる友釣りというやつだ。鮎は川底の石に生えるコケを鋭い歯でこそぎ取って食べる。餌の多い石を縄張りとして鮎は他の鮎から守っている。縄張りに侵入した鮎を体当たりで追い払う性質があるのだ。友釣りはこの習性を使った釣りの方法。
オトリ鮎に引っ掛け針を付けた仕掛けを川へ落とし込み、囮の鮎に攻撃を仕掛けた鮎を針で引っかけるのだ。釣りの技術としては高度なもので、多くの釣り人がはまって初夏の川へ繰り出す。有名な川は釣り人が風物詩のように風景に溶け込んでいる。
「確かに珍しい魚だね。この川で取れるのかい?」
二徹はそう猫族の少年に聞いてみる。川で普通に採れる魚であれば、都の魚市場でこれまでに見かけたはずである。
「ナヌはね。この川のこの付近でしか採れないよ。父ちゃんが養殖に成功してこの川に放したんだから……」
少年の話によると、少年の父親は外国でこの魚の美味しさに取り憑かれ、苦労して生きたまま、ウェステリア王国へ持ち込んだという。そして繁殖に成功。ナヌは川の石に生えるコケを食べることで、なんとも言えない香りを身に付けていく。そこで稚魚になったら、川へ放流して大きくするのだという。この川の一帯は少年の父親が漁業権を持っており、独占的に獲ることができるのだ。
「ナヌは市場には卸さないのかい?」
「まだ売れるほどたくさん獲れないからね。今は注文してくれるところだけに届けてるんだよ。でも、少しなら分けてあげられるよ。何匹か売ってあげるよ」
二徹たちが興味をもったことに気を良くした少年は、鮎を売ってくれるという。1匹で銅貨10ディトラム(約500円)。結構高いが、鮎ならそれくらいの価値はある。
「うん。4匹もらうよ」
二徹はそう言って、少年に銀貨2枚を支払う。少年が取った鮎から選別して4匹を選んだ。
「二徹様、これどうするのですか? 屋敷に運ぶまでに鮮度が落ちてしまうと思うのですけど」
「うん。せっかくだからここで食べてしまおう。メイ、火を起こして」
川魚は採ってからすぐに炭火で焼く。これが一番美味しく食べる方法だ。熱々の焼きたてはとてつもなくうまいのだ。それが鮎なら香りも楽しめる。
メイに炭火の用意をさせているうちに、二徹は木の枝をナイフで削り出して木の串を4本作った。そして鮎の下ごしらえをする。いつも持ち歩いている包丁を取り出すと、まずは鱗を取る。鮎だと取らないこともあるが、取ると仕上がりがいい。
「二徹様、内臓は出さないんですか?」
「うん。この魚は内臓の香りもいいから、そのままにするんだ。但し、砂袋だけは出しておいた方がいいから、こうやって串で取り出す」
二徹はそう言って鮎のへそから数ミリ包丁を入れると、そこから串で砂袋を出した。そして串打ちである。
「メイ、魚の串打ちにはコツがあるんだ。真似してごらん」
二徹は鮎の口に串を入れる。それを右のエラから少し出して、再び刺す。脊椎を縫うように串を通す。腹の中央から出すと今度は尾びれ手前まで縫うように打つ。出来上がった時には魚が泳いでいるかのような躍動感にあふれる形となる。
「よいしょ、よいしょ……」
メイが挑戦するが、いくら器用なメイでもすぐにはできない。二徹に手伝ってもらって、残り3匹の串挿しを行う。
「これは難しいです」
「そうだね。たくさんやらないと上手くはならないよ。でも、やり方は覚えたよね」
「はい、二徹様」
あとは塩振りである。少年に頼むと塩を家から持ってきてくれた。天然の岩塩を細かく砕いたものだ。これをまんべんなく振る。これは簡単なようでひどく難しい技法である。
二徹の手から岩塩が細かく振られ、全体に広がっていく様子を興味深そうに見ているメイ。この技はそれなりの経験がいるのだ。
「すごいですね。ボクがやるとソルが濃かったり、薄かったりしてしまうと思います」
「そうだね。この魚は香りがいいから、ソルは感じるか感じないかの絶妙さが要求されるんだよ」
よく化粧塩といって、尾びれや胸びれにたっぷりと塩を付けるが、今の場合はやめておいたほうがいいだろう。炭火でまるごと食べるので、それだと塩辛くなってしまうからだ。
「さて、これで下こしらえは完成。メイ、炭火の様子はどうだい?」
「いい感じだと思います」
掘った穴に炭が入れてある。白くなっていい感じである。二徹はその周りに串を立てて突き刺した。魚の炭火焼は強火の遠火である。魚は殿様に焼かせよという格言があるが、それは頻繁にひっくり返さないのがコツという意味だ。殿様のように悠然と構えてじっくりと焼く。表面が焼けたら裏返すが、それは1回だけで十分なのだ。頻繁にひっくり返すと魚の場合、身が崩れてしまうのだ。
ちなみに餅は乞食に焼かせろというが、これは頻繁に引っくり返す必要があるので、殿様の対義語で乞食が使われる。おっとりした人とガツガツした人の例えであろう。
やがて鮎が焼きあがる。もう焼いている香ばしさと鮎がもつ香りの二重奏で口の中につばがどんどんと溢れてくる。煙の匂いまでもが美味しそうである。
「さあ、食べよう。メイ、ラオさん、君も食べていいよ」
そう二徹は鮎を採っていた少年にも勧める。少年もあれよあれよと出来上がった炭火焼に見とれていたので、この申し出を断るはずがない。
「では、一斉に……あんぐっ……」
「はむ……」
口に広がる香ばしさ。それは炭火の魔力。鮎から出た脂が炭火に落ち、それが煙となって身を燻す。美味しさという文字が体中を駆け巡る。
うまうまうまうまうま……。
「ぐあああああっ……」
「うまああああっ……」
そして、鮎がもつ香りのよさ。炭火で焼くことでそれはさらに活性化される。そしてほのかな岩塩の味。味の二重奏どころか、三重奏、四重奏の衝撃が次々と襲いかかる。
「それはなんだ?」
いつの間にか魚とりの少年の後ろに男が立っている。聞けば少年の父親。匂いにつられてやってきたらしい。少年の食べているものを一口食べて、目を丸くした。そして、大声で叫ぶ。
「なんじゃ、これは~っ!」
噛めば噛むほど味がにじみ出る。熱々の身をほろほろしながら食べるのも格別。何よりも頭から内臓まで食べられる。
「腹まで食べられるとは思わなかった……」
少年と一緒になって1匹の鮎を食べ尽くした男はそうため息をついた。もっと食べたいという気持ちがそこには溢れている。
「申し遅れました。私はこの子の父親です。」
「初めまして、二徹・オーガストです」
二徹はそう自己紹介をした。この鮎の養殖に成功した男の名前はエイブラム。この川で魚を採って長年暮らしている漁師である。ちなみに男の子の名前はボブ。メイと同じ12歳だということだ。
「ナヌの食べ方は、蒸し焼きかバーベキューしか思いつきませんでしたが、このような方法で食べられるとは……」
「これは素材がいいですから、ソルを少し振るだけで十分です」
「そうですね。実際に食べてみると、こういう食べ方が一番美味しいかもしれない」
「ここでお客さんに手づかみしてもらって、すぐにこうやって炭火焼をして食べてもらうと、観光としては魅力ですよ」
そう二徹はアドバイスした。もしそういう商売をすれば、都から客がやってきそうだ。魚を捕まえることもやってみると楽しい。
「それはいいアイデアだ。儲かれば、このナヌの養殖も安定してできます。ありがとうございます。二徹さん」
「どういたしまして……」
感謝の言葉を述べるエイブラム。魚を食べて帰ろうとする二徹を呼び止めた。
「実は二徹さん。あなたを見込んでちょっと見てもらいたいものが……」
どうやら、鮎を使った調味料を見て欲しいらしい。調味料と聞いて興味をそそられた二徹は、エイブラムの家に行くことにした。そして見せられたものを見て驚いた。
「これは……!」




