カレーライスの魔力
いよいよ、最後である。二徹が作った『もったり給食カレー』の試食である。
「それでは、まずは食べてみようではないか……」
「それにしても、食べる前から食欲をそそる、なんとも言えない香り……」
「この貪りたくなる衝動はなんなのじゃ……」
バルボア公爵、ウィリアム上級大将、ラルフォード提督が同時にスプーンでカレーをすくう。茶色のソースと白いご飯が口に飛び込む。同時に走る衝撃。
「ぐおおおおおおっ!」
「なんじゃ、これは~っ!」
「ぐぼあああああっ!」
3人の老人は気を失いそうになった。
カレーライスの衝撃。
カレーライスの魔力。
それが3人を虜にする。
3人の脳裏に、自分が軍人になった当時の懐かしい映像が流れる。
国を守ると誓ったあの日。
危険な戦場を駆け回った日々。
手柄を立てて、勲章をもらった日。
(ねっとりと甘いようで辛いような不思議な味)
(何度もすくって食べたくなる衝動)
(食べたあとの満足感。パワーが漲る)
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」×3。
「ウェステリア王国、万歳!」
「ウェステリア王国、万歳!」
「ウェステリア王国、万歳!」
3人の老人は思わず立ち上がり、そして敬礼をした。
その視線の先は二徹である。
そんな姿を見て観客たちは驚きで沈黙するが、それは二徹のカレーを試食したから、理解できるとみんなが思った。やがて3人は恍惚な表情を浮かべ、そして力が抜けたように椅子へストンと腰を落とした。あまりの美味しさに声が出ない。
「……一応聞くが、この料理コンペは作り方も重要な採点要素だ。君は何やら茶色の塊を入れていたが、あれはなんだ?」
1分ほど、そんな状態が続き、ようやくバルボア公爵はそう二徹に聞いた。レイジのスープの素と同様に、戦場飯としてのこの料理の最も重要なことであろう。
「これはカレールウといいます」
「カレールウだと?」
「はい。自分が作りましたが、香辛料の『カリ』があれば、このような固形で作れます」
二徹はそう言ってカレールウの欠片を3人の老将に見せる。
「これなら持ち運びも便利だし、何より、野菜と肉のスープにこれを入れれば、この給食カレーは誰にでもできます。レシピは公開しますので、どうぞ、軍隊で戦場飯レシピに加えてください」
「うむ。素晴らしい。こんな戦場飯は大歓迎だ。ウェステリア陸軍が全面的に採用する」
ウィリアム上級大将がそう断言する。負けじとラルフォード提督も叫ぶ。
「ウェステリア海軍も採用じゃ!」
「この料理がいいのは、具材で特色が出せるということ。鳥肉を使う、魚介類を使う、山菜を使う。それぞれで違ったものになる。まさに戦場飯としての可能性を秘めた、素晴らしい料理だと私は思う」
バルボア公爵はそうコメントした。もう採点しなくても分かるだろう。
【近衛隊第1小隊】もったり給食カレー(別名:ニコちゃんカレー)
バルボア公爵
材料 25
調理のしやすさ 25
美味しさ 25
質 25
計100点
ウィリアム上級大将
材料 25
調理のしやすさ 25
美味しさ 25
質 25
計100点
ラルフォード提督
材料 25
調理のしやすさ 25
美味しさ 25
質 25
計100点
観客ポイント……???
「おおおおお!」
「満点だ!」
「ということは引き分けか?」
「いやいや、まだ観客のポイントが入ってないぞ!」
二徹の『もったり給食カレー』の評価はレイジと同じく300点。こうなると、観客のポイントで決まるのかとみんな考えた。だが、そうではなかった。
「このカレーライスなるものを食べると、先ほどのレイジくんの料理は物足りなくなる。つまり、食べたあとの満足感。ピコッタよりも、コムンの方が戦場で働く兵士には合っているとわしは思う」
「スープパスタは確かに美味しい。だが、戦場で食べるには上品過ぎる……。ガツンとした力強さがカレーライスに一歩及ばない」
「魔力じゃ。カレーライスには人を虜にする魔力がある。戦闘でも人の力を超える何かを持った者が勝利をつかむものじゃ。そういう魅力のあるものに戦士は惹かれるものじゃ」
バルボア公爵とウィリアム上級大将、そしてラルフォード提督は、王宮料理アカデミーのポイントのうち、質の点数をマイナス1とした。つまり、レイジのポイントは99点×3。合計297点。
そして、二徹が満点の300点である。
「そ、そんな、馬鹿な。俺の負けだと!」
レイジの衝撃はそれだけではなかった。伏せられていた観客ポイントが公開されたのだ。
【王宮料理アカデミー】
観客ポイント 50
【近衛隊第1小隊】
観客ポイント 380
「あ、圧倒的じゃないか。こんなことってあるのか!」
フラフラと二徹のところへ進むレイジ。勝利目前からいきなり落とし穴に落ちた気持ちなのであろう。その姿はいわゆる放心状態。哀れな子羊が市場へ連れて行かれるように、トボトボと二徹たちのところへ歩みを進める。
「二徹、それを食べさせてもらおうか……」
メイからカレーライスの皿を受け取るレイジ。それをスプーンで一口。
「う、うめええええっ!」
女神様が天から光に包まれて降臨してくる。
レイジの目の前には、光に照らされた13段の階段。
その頂上には敬愛する女神様が鎮座する。
その傍らには、目の覚めるような美少女天使ちゃん。
「俺の負けだ!」
レイジはリーゼルの前に立つ。
「妹ちゃん、俺を殴ってくれ」
「え、嫌だよ~。お兄様、この人怖い」
レイジの行動にビビリ気味のリーゼル。無理もないだろう。普通に気持ち悪い。リーゼルはそっと二徹の背中に隠れる。だが、諦めないレイジ。
「これは俺への戒めなのだ。どうか殴ってください。殴ってもらわないと俺はこの先、成長できない。妹ちゃん、どうかお願いします!」
レイジが迫る。もし、右手を差し出すと誰かが『ちょっと、待った~』と声をかけてきそうだが、レイジは右頬を突き出しているから、異様な感じだ。
「リーゼ、ちょっとだけだから、頬を叩いてやりなさい」
仕方なしに二徹はそうリーゼルに促した。その方が話が早い。それに後ろではニコールがストレッチを始めている。愛しい嫁を待たせるわけにはいかない。
「お、お兄様がそう仰るのなら……。分かりました、えい!」
ぺしっと音がする。
(し・あ・わ・せ~)というレイジの表情。そして、体を真っ直ぐに戻した次の瞬間、にっこりと微笑む美の女神さま。すなわちニコールがいつの間にかレイジの前に立っている。
(キ、キター!)
レイジは飛んだ。屋根まで飛んだ。
その顔は幸せに満ちている。吹き出す鼻血が美しい。
4回転ルッツで、空高く舞い上がったレイジはやがて、地面にゆっくりと横たわる。
ニコールの10連撃ビンタはまさに芸術。
見ていた観客は思わず息を飲み、そして誰ともしれず拍手。それはさざ波のように広がり、最後は割れんばかりの拍手喝采。中にはアンコールを叫ぶ者もいたが、それはレイジの体のことを考えるとまずいだろう。
「ううう……め、女神さま~。感謝いたします……」
笑ったまま気を失うレイジ。
「おいおい、やっぱり損した気分になるのはどういうことかな」
鼻血と口から血を流しても、快楽で顔が緩んでいるレイジの幸せな顔を見ると、ちょっと嫉妬心が沸き起こる二徹。しかし、レイジと同じ目に遭うのはやっぱり勘弁だ。
*
「二徹くん、やはり君は素晴らしい料理人だ」
このコンペの優勝が決まった時、ポンと王宮料理アカデミーのエバンス総料理長が二徹の肩を叩いた。
二徹は申し訳なさそうに答えた。実際、カレーライスじゃなかったら負けていたかもしれない。
「いや、全てカレーライスの力です。これには魔力があるんですよ」
「うむ。確かにこの料理には、人間の本能に響く何かがある。是非、このレシピと作り方を王宮料理アカデミーに教えに来てくれないか。それに今日、披露された他の部隊の戦場飯。君だったら、いろいろと改善できるのではないかな?」
「そうですね。いろいろとアイデアが浮かびますよ」
「前も頼んだが、毎日でなくてもいい。時間があるときに王宮料理アカデミーへ足を運んでもらえないだろうか?」
エバンス総料理長にそう懇願されると、二徹としては行かざるを得なだろう。さすがに2度目のお誘いを断るのは失礼であるとも思う。これでウェステリア軍の兵士が喜ぶなら、国民の一人として協力するのが筋だ。特に携帯と保存が楽なカレールウの作り方は、直に教えないと戦場飯としての実用化にはならないだろう。
「それにしても、我が息子だが、君には2連敗ということになる。だが、これをよい機会にして成長してくれるだろう。君には二重に感謝だ。まあ、変な性癖に目覚めるのは困るが」
エバンスは幸せそうな顔で気を失っている、不肖の息子に目をやった。
(お父さん、早く、引き戻してやらないと危ない領域に行きつつありますよ、あなたの息子さん)
このままじゃ、二徹に敗れるごとに、ニコールを崇拝して忠犬に成り下がってしまうだろう。哀れな(幸せな)青年に神のご加護を……である。




