舞踏会の余興
バルボア公爵家の舞踏会。招待状がオーガスト准伯爵家に届いた。
ニコールには既に二徹という生涯のパートナーがいるから、若い男女の出会いの場である舞踏会には行くことはあまりない。
ただ、このバルボア公爵家の舞踏会は別だ。バルボア公爵が陸軍元帥であり、ニコールにとってははるか上の上官になるからだ。
よって招待されれば参加しなければならない。また、今は二徹の妹リーゼルが滞在している。リーゼルのウェステリア王国社交界のデビューも兼ねて参加することになった。
「ニコちゃんがパーティードレスを着るって?」
家令のジョセフからその話を聞いた時に、二徹は少し驚いた。ニコールは若い頃はドレスを着ることもあったが、軍人になってからパーティドレスはあまり着なくなり、二徹と一緒に暮らし始めてからは、全く着ていない。だから、嫁の華やかなドレス姿は久しぶりなのだ。
(嬉しいなあ……久々にニコちゃんのドレス姿が見られる)
もちろん、どんな姿をしていても、二徹はニコールを見られれば満足である。だが、滅多に見られない姿はレアだから貴重なのだ。
「お兄様、どうです?」
先に着替えて出てきたのはリーゼル。14歳の女の子らしい淡い桜色を基調としたドレス。リボンが可愛らしくリーゼルにはぴったりである。今日はリーゼルの社交界デビューでもあるから、髪型から気合が入っている。
「うん。すごく可愛いよ。今日はリーゼルが舞踏会の話題をさらってしまいそうだね」
「嫌ですわ、お兄様。どんな殿方が現れようと、リーゼはお兄様以上の人はいないと思います。今日はお兄様、リーゼをエスコートしてくださいね」
「はい、務めさせていただきますよ。お嬢様」
ちょっとおどけてみせる二徹。それよりも、嫁のニコールの姿に意識が行っている。
(どんな姿かな……うう……楽しみだ……超楽しみだ)
「コ、コホン……。お兄様には申し訳ないけれど、イケメンのニコールさんのことです。ドレス姿はちょっとキツイのではないでしょうか。リーゼのように華奢でないとドレスは似合いませんわ」
兄の気のそぞろな様子にちょっと釘をさす妹。部屋ではメイとナミにコルセットを締め上げられて、時折、猫が絞め殺されるような奇怪なニコールの叫び声が聞こえてくる。
「二徹様、ニコール様の準備が整いました」
「うう……待たせたな……」
優雅な白い鳥の羽根を使った扇を手にした貴婦人が出てきた。薄い緑色のドレスはまるで春の若草。初々しい若妻の魅力が、怒涛のごとく二徹に向かって襲いかかる。リーゼは華奢でないとダメだと言ったが、ニコールはスタイルはいい。背が高いし、胸の発育も大人だから妖艶な色気までまとっている。衣装でこれだけ豹変するのも元から持っているスペックがすごいのであろう。
「ニ、ニコちゃん……これはヤバイです……」
「へ、変だろうか?」
「へ、変どころか、僕はニコちゃんの魅力に気を失いそうだよ」
「バ……バカ者……それは……褒めすぎだろ……」
まさに美の女神。あまりの美しさにリーゼルも言葉が出ない。リーゼルが発展途上の美少女なら、ニコールは完成形。もはや、神の領域だと二徹は心の中で叫ぶ。こんな美しい嫁を他の男どもに晒すのは惜しいが、これも嫁の職務の一部。舞踏会には行かないといけない。
両手に花状態でバルボア公爵家に向かった二徹。これで事件が起きないわけがないだろう。
*
今宵のバルボア公爵家の舞踏会は佐官以上の軍人か、貴族の士官が招待されている。総勢500名を超える盛大なパーティである。屋敷内にある大広間はダンス会場であり、オーケストラの生演奏で次々とダンスが披露されている。
会場は将来有望な軍人と結婚したい貴族の令嬢と、出会いを求める若い軍人。さらには日頃の仕事の疲れを癒そうと来た高級軍人の社交の場である。会場には王宮料理アカデミーから料理人が派遣され、至高の料理が振舞われていた。立食形式の料理で、参加者は各種の酒を味わいながら、料理をつまんでいる。
そんな中、やってきた二徹とニコールとリーゼル。会場の注目の的である。リーゼルには、若い貴族のダンスの申し込みが殺到する。さらに超絶美しいニコールには衆人の目が集中する。
「おや、あの貴婦人、見かけない方ですわね」
「外国のプリンセスという話よ」
「誰の情報です?」
「すげえ、美人見ちゃったよ……」
「俺、ダンスの申し込みに行こうかな?」
会場のご婦人方はニコールの美しさに外国から来たお姫様でないかと噂し、男どもはダンスの申し込みに行こうかと思案する。だが、あまりの神々しさに勇気が湧いてこない。さらには貴族の令嬢はその傍らに立っている二徹のことを噂する。
「あの人、かっこいいわ」
「あまり見かけない方よね……」
「ああ、あの方にダンスを申し込んでもらいたいですわ」
二徹もニコールも社交界では無名だから、知り合い以外には正体がバレていない。それでも、ニコールの仕事関係者は、ニコールを見て思わず固まってしまった。あのオズボーン中尉も子爵の身分で呼ばれていたが、一目ニコールを見て口に含んだ葡萄酒を吹き出してしまったほどの驚愕であった。
そんな話題を振りまいている二徹とニコール夫妻。もちろん、ダンスのお誘いは体よく断る。今日はあくまでもリーゼルの保護者役なのだ。悪い虫がつかないように、二徹も監視を怠らない。
「おい、久しぶりだな」
二徹はそうシェフ姿のスタッフに声をかけられた。誰かと思えば、以前、刺身対決をした王宮料理アカデミーの見習いシェフ、レイジ・ブルーノである。
「き、君は確かレイジ……だっけ?」
「覚えてないのか!」
二徹は思い出した。無謀な刺身対決を挑んできて、ニコールにデートの申し込みをするという恐ろしいことを敢行した男。そしてニコールの10連発往復ビンタに散った男だ。新たな世界を見たようだが、今もニコールの方を見ている姿は忠犬のようだ。
「相変わらず、お前の嫁様は美しい……もう一度、あのビンタを……じゃなかった。ちょっと聞きたいのだが、あの美少女もお前の関係者か?」
レイジの視線の先は初々しいリーゼルにある。この男、この前はニコールにちょっかいを出し、次はリーゼルに手を出そうと言うことかと二徹はちょっと不愉快になった。だが、そうではなかった。単純にリーゼルの美しさを愛でているだけのようであった。それなら兄として特に気分を害すことはない。
「なんだ、お前の妹ちゃんか…。どうしてお前だけ美少女に囲まれているのだ。うらやましい奴め」
なんだか馴れ馴れしいレイジ。いつの間にか友達になったような口調である。仕方ないので二徹は話を合わせる。
「ま、まあな」
「どうだ、二徹。今日の料理は?」
「ああ。今日は王宮料理アカデミーが出張してきているのか?」
「親父が腕をふるっているんだ」
(なるほど……)
レイジの父親、エバンスはこのウェステリア王国で最高の料理人に数えられる男である。そのエバンスが指揮を取って、今日の舞踏会の料理が提供されている。立食形式であるから、軽食が多いが、それでも冬瓜とウズラ肉のスープ(ウイウリとクエルスープ)は絶品だし、鴨肉のローストは手の込んだソースが素晴らしい。まさにプロの料理人の仕事である。
「それで君は仕事をせずに、令嬢たちをナンパしているのかい?」
「失敬な。これでも仕事中だ。というより、お前にこの前の再戦を申込みたい」
「はあ?」
突拍子もないことをレイジが言い出した。だが、これは余興に組み込まれていたようだ。急に音楽が鳴り止み、今晩のホストであるバルボア公爵が挨拶のために出てきたのだ。そして、バルボア公爵は挨拶の最後にとんでもない提案をしたのだ。
「さて、今宵のお客様はウェステリア王国軍の軍人も大変多く来てもらっております。そこで今日は、余興としてある提案をしたいと思っております」
バルボア公爵は陸軍元帥。戦場経験もある軍人である。戦場で鍛えられた野太い声が、貴族らしくはないが、それが野暮ったくなく、この場の雰囲気を壊していない。低音の魅力がある。
「戦場においては食事が重要な要素であることは、諸君も承知のとおり。戦闘中は携帯レーションで済ますこともあるが、残念ながらあれはマズイ……」
ははは…と各所で笑いが起こる。レーションを食べた軍人だけが笑えることだ。
「それで余裕があれば、炊事班が作る戦場飯を食べることになるが、これも補給状態がよくてもあまり美味しいものではない。そこでだ……」
バルボア公爵はこんな提案をした。
「この夜の余興として、戦場飯コンペを行いたい。材料その他は既に用意してある」
お広間のドアが開け放たれると中庭に野外炊飯の準備がしてある。テーブルには食材多数。もちろん、戦場飯を想定しているので保存が利く食材ばかりである。
「今から1時間以内で調理をしてもらう。作るのは50人分。戦場飯の条件である、調理のしやすさ、材料の調達のしやすさを勘案する。そして、ここにいる全員の投票で決めるものとする」
「おおおお……」
「面白い……」
500人もの参加者は大いに期待する。余興としては大変面白い。戦場飯というのがちょっと変わった趣向であり、ここにいる参加者は軍人が多いということもあって、これは実用的な競争でもあるのだ。
「参加者はここにいる参加者の部隊ごとに5名以内のチームで行うこと。1時間以内なら食材の追加は可とする。まずは出場が決まっているのは、王宮料理アカデミー」
「おおお!」
観客がどよめく。いきなり大本命である。但し、出場するのは王宮料理アカデミーの見習い部門。これは見習いの修行も兼ねているのだ。5人チームはレイジをリーダーとしている。
「よし、我が第2砲兵連隊が参加するぞ!」
「それではウェステリア海軍も出る!」
「第3竜騎兵連隊も出るぞ!」
次々と名乗りを上げる。それぞれの部隊ならではの戦場飯があるのであろう。これはますます楽しみになった。
「で、二徹、お前は出ないのか。俺はお前と戦いたい」
レイジが二徹にそう聞く。そう言われても二徹は軍人ではない。このコンペに出る資格があるのか疑問だ。そんなことを考えていると、ポンと二徹の肩を叩くものがいる。振り返るとレイジの父、エバンス・ブルーノ、王宮料理アカデミー総料理長である。
「どうだね。私も君の力をまた見たい。前回は君の土俵であったが、今回は違う。レイジも君と再戦したがっているのだが……」
「エバンス総料理長……」
「面白いじゃないか、二徹」
そう話に割って入ったのはニコール。こういう競争には心が躍るのだろう。部隊対決となったら、自分の近衛隊も参加したいと思うのが嫁の性分だ。
「ニコちゃん……近衛隊は戦場飯なんてレシピないでしょ?」
少なくてもニコール小隊は遠征に出たことがない。よって独自の戦場飯レシピはないはずだ。
「そんなの二徹が考えればいい。期待しているぞ。もちろん、私も手伝う」
「ニコールさんは手伝わない方がいいと思います。お兄様の足を引っ張るだけですから」
リーゼルも乱入する。もう収拾がつかない。
「近衛連隊第1小隊も参加する!」
そんな中でのニコールの宣言である。
「二徹、この勝負で俺が勝ったら、嫁さんと妹ちゃんとダンスをさせてもらっていいか?」
レイジがこんなことを二徹に言ってきた。ニコールとリーゼルの目の前である。そして、負けたらビンタをしてくれてもいいと言う。
(おいおい、レイジ。その条件、どちらにしてもお前が得じゃないのか!)
なんだか自ら負けフラグを立てたようなレイジ。やる気まんまんで中庭へと進んだ。




