愛妻弁当(1)
翌朝。
朝早くからニコールはゴソゴソと何かをしていた。リーゼルの監視があるので、朝食を作りながらもアドバイスができない二徹。
リーゼルはメイと仲良く皿を並べて、朝食の準備をしている。貴族のお嬢さんにありがちな気位の高さもなく、使用人のメイにも優しい態度である。どうやら、リーゼルはメイが両親もいなく苦労したという過去を聞いて、自分と同じ境遇に心を打たれたらしい。自分がメイのお姉さんになると言って、昨日から仲睦まじくしている。
これだけを見るとリーゼルは素敵な女の子である。可愛い容姿に則した優しい性格。そんな妹をもった二徹は幸せだと思うのであるが、それはメイが二徹にとっては、料理をする時の助手であるからだ。
リーゼルは瞬時に自分の敵か味方かを見分ける。その基準はその対象が、二徹への恋心を抱くかどうかである。
そんな中、あろうことか、二徹に恋して結婚までしたニコールは、リーゼルにとっては不倶戴天の敵なのだ。それでもリーゼルは場をわきまえている。表面では二徹の顔を立てて、直接攻撃は行わない。彼女は徐々に堀を埋めて、精神的ダメージを与えるのが得意なのだ。
直接攻撃が得意なニコールにとっては、もっとも苦手な相手と言える。今日も、ダイニングに入ってくるや否や、リーゼルはニコールにこんなことを尋ねた。
「ニコールさん、リーゼのお土産の品、お気に召しました?」
(いやらしい下着を着けるような人じゃないことは、わかっていますわよ。今日も朝から赤面するといいわ……)
「ああ。高価なものをありがとう」
(あんなもの着けられるか!)
心の中は正反対の言葉を叫び合う二人。顔はニコニコしているが、心の中では朝からドッグファイト状態の二人である。
「ということは、昨晩はあのエグい下着を付けてお兄様を待っていらっしゃったのですね。さすがは、色仕掛けでお兄様をたぶらかしただけのことはありますわ」
(リーゼが持ってきたんだろうが!)
ピクピクとこめかみが動くニコール。それでも大人のニコールは、顔色を変えない。いつもよりも30%増しの笑顔でそれに答える。
「それは残念だな。あんなもの着けなくても、二徹は私にメロメロなのだ」
「あ~ら、メロメロですって。朝からおノロけですか。仲がいいですこと。でも、昨日は誘っていたのに残念ながら、お兄様はリーゼのところでしたわね。ご愁傷様でした」
(それはリーゼが、「お兄様、リーゼ、怖くて寝られない。昔を思い出してしまいましたの」とかなんとか言って、二徹の添い寝を要求したからだろうが!)
昨日は昔を思い出して泣きじゃくる(たぶん、嘘泣き)リーゼの手を一晩中、握っていたので、二徹がニコールの部屋に来たのは朝方であった。
そんな嫁と小姑のバトルを見ながら、二徹は朝からどっと疲れが出てきた。やがて朝食が終わり、リーゼルと二徹が出かける時間である。
「二徹、リーゼ。これが私が作ったお弁当だ」
そう言って、ニコールは朝から頑張って作ったランチの入った紙袋を二徹に手渡す。
驚く二徹。朝からゴソゴソやっていた成果がこの紙袋だ。その片付けに追われているメイの様子を見ると、ものすごいコース料理を思わせるが、目の前の紙袋は小さい。メイにこっそりと聞いてみたが、一体なんなのかは不明なのだ。それでもある意味、ものすごく感動した二徹。ニコールの手作り弁当は初めて食べるかもしれない。
「マジで作ったの、ニコちゃん?」
「あ、あたりまえだ。私だってやればできるんだ。私をなんだと思っているんだ」
「いや、そうだけど。ニコちゃんの手料理なんて初めてだよ」
「そんなことはない。何回か振舞っているはずだが……」
確かに子供の頃に何回か食べたことはある。料理と称するのはどうかという産物。でも、今回は「近衛隊仕込みの戦場飯」と称するランチである。期待したいが、せめてリーゼルが納得するものであってほしいと思う二徹であった。
本当にニコールが作ったと聞いて、リーゼルも残念そうな顔をしている。料理ができなくてうなだれているニコールの姿を見たかっただけに、そつなく作ったことに落胆しているようだ。
だが、紙袋である。中に何が入っているかは謎である。もちろん、それが爆弾でないことは確かだと思いたい。
「ありがとうニコちゃん」
「ああ。お墓参り、気をつけて行ってこい」
そうニコールに送り出されて、二徹とリーゼルの兄妹はサヴォイ家代々の墓がある都から馬車で2時間ほど離れた小さな町の教会へと出発したのであった。
*
サヴォイ家は前国王時代、法の番人と言われた司法大臣を務めていた。国王は老齢で、政治は摂政のコンラッド公爵がしていたから、必然的にその片腕として政治に関わってきた。王位を巡る内乱時は、現在の国王派を国家反逆罪の罪で、次々と逮捕したのも二徹の父親であったのだ。
首都ファルスの郊外、ダービッシュの町は田舎だが、古くからサヴォイ家の領地であった。よって代々のサヴォイ家の墓がここの教会にあった。
「お兄様、今は亡きお父様やお母様に報告しましょう。そして、いつかはサヴォイ家を再興させましょう。リーゼとお兄様が力を合わせればきっとできますよ」
「リーゼ。昨日も言ったけど、僕はそういう気はないんだよ」
サヴォイ家は国王派の粛清をしていたこともあって、国王派貴族からは、かなり恨まれていた。サヴォイ家の復興については、反対する貴族は多くいるであろう。二徹は名前を変えることで、その恨みから逃れていたが、再興するとなると様々なことで、今の幸せな時間を損なう可能性が高い。
「お兄様、亡くなったお父様やお母様の前で、そのような腑抜けなことを言うのですか。お兄様はサヴォイ家の後継として、やるべきことをする。お家再興は義務ですわ!」
「義務か……」
「リーゼはお兄様の妹として、それをお助けすることが義務なのです」
「……リーゼ。そんなこと考えず、僕たちが幸せに暮らせればそれでいいじゃないか?」
「もうお兄様ったら!」
お墓参りをダシにして、二徹を説得しようというリーゼルの企みであったが、全く、その気にならない兄にイライラし始めていた。
「リーゼ、お腹がすいたから、機嫌が悪くなった? そろそろ、お昼にしょう」
ダービッシュ教会は、かつてサヴォイ家が多額の寄進をして作られた教会である。滅びたとは言え、司祭一同、後継者である二徹とリーゼルには、敬意をもって接してくれる。司祭の言葉に甘えて、教会内の食堂で、二徹とリーゼルはベンチでお弁当を食べることにした。ニコール手作りの『近衛隊仕込みの戦場飯』なるものである。
(まさかと思うけど……本当に軍の携帯食料じゃないだろうなあ)
これは二徹がちょっと恐れていることだ。ウェステリア王国軍は、遠征するにあたって、各自3日分の食料を携帯する。いわゆるレーションである。カンパンに干し肉、干しぶどう、ナッツ類というのが定番である。
袋を恐る恐る開ける二徹。リーゼルも興味津々に覗き込む。
「さて、ニコールさんはどんなお弁当を用意してくださったのかしら?」
「そりゃ、ニコちゃんのことだから、ものすごく美味しいに決まっているさ」
「そうだといいのですけど……」
袋の中には紙でできた箱が入っていた。ウェステリア軍のレーションパックである。だが、蓋を開けると中身は全く違っていた。入っていたのは、半分に切られたゆで卵が2個。そしてブルーベリーが入った小さな箱。そして小さなパンケーキである。思わず、固まる二徹。
「……」
「ほーほほほ。あの女、これが戦場飯ですって。まあ、ある意味、戦場飯のように無粋でがさつですけど。これは期待はずれもいいところですわ」
「……」
「なに、ゆで卵。それって料理? ブルベルなんて買ってきて箱に入れただけでしょ。ブレドケーキは手作りみたいだけど。これだけじゃねえ……」
馬鹿にするリーゼ。だが、二徹は違う。ぶあっと涙が出た。涙が次から次へと溢れてくる。感動の涙である。それを見て唖然とするリーゼル。
「お、お兄様、どうしたのですか!」
「か、感動だ。やっぱり、ニコちゃんは最高のお嫁さんだよ」
「お兄様……変です。壊れちゃったのですか?」
リーゼはそっと二徹の額に手を当てる。熱でもあるのかと疑っているのだ。
「違うよ。あのニコちゃんがちゃんと僕たちのことを考えて、このランチを作ってくれたんだ。これはありがたいを通り越して、もはや神、降臨だよ」
「ど、どこがですか。ゆで卵って、そんなの料理じゃないわ。神降臨どころか、ダメ嫁の典型的、残念弁当ですわ!」
「そうだろうか? これを見てご覧」
二徹は2つに切られたゆで卵の切り口を指差した。
「はあ?」
リーゼルはそれを見るが、特段に変わったところは見つけられない。この兄がどこまでダメ嫁にたぶらかされているのか、ため息しか出ないリーゼル。
「お兄様。目を覚ましてください」
「分からないのか、じゃあ、実際に作ってみよう。ニコちゃんの偉大さが分かるよ」
仕方がないという表情で、二徹は司祭に生卵と鍋を借りる。今からゆで卵を作ろうというのだ。
「リーゼルはゆで卵の作り方を知っているかい?」
「お兄様。リーゼを深窓のお姫様とか思って馬鹿にしているのでしょう。残念でした。パーシー家では、ちゃんと料理も教わっていますわ」
そう言ってリーゼルは水に卵をそっと入れて茹でる。ゆで卵はこれで15分茹でる。常温の卵でやることくらいで、特にコツはいらない。馬鹿でもできる料理である。
だが、その様子をニヤニヤして見ている二徹。
やがて15分経って、リーゼルは卵を取り出して殻をむく。しかし、上手にむけない。殻に白身がくっついて表面がボロボロになってしまう。
「あん……うまくいきませんわ。これは卵が古いからですわ」
「いや、そうじゃないよ。むき方にコツがあるんだよ」
そう言うと二徹は鍋の中にあるゆで卵を鍋ごと揺らした。卵同士がぶつかってひびが入る。そうして殻をむく。ヒビを入れることでお湯が殻と卵の間に入り込み、ツルンと殻が取れるのである。
「ふん。全部が上手にむけているということは、ニコールさんがこれをやったからとお兄様は言うのですね。この程度のコツなんて大したことはありませんわ」
「いや、それだけじゃないよ。ニコちゃんの工夫」
そう言うと二徹は包丁でゆで卵を半分に切る。そして、ニコールが作ったゆで卵と比べる。
「違うでしょ?」
「ニコールさんのは黄身が真ん中にある……リーゼのは偏っている!」
「でしょ?」
「どうしてなの?」
「ニコちゃんはね……ニコちゃんはね……。茹でている途中にコロコロと卵を転がしたんだよ。だから黄身が真ん中に。そうした方が切った時に美しいでしょ?」
「まあ、そうですけど……」
「さらに、リーゼ。ゆで卵を包丁で二つにしてごらん」
二徹に言われて、包丁で切るリーゼル。このくらい、大した技術ではない。だが、慎重に切ったのに、ニコールのゆで卵の切り口よりも汚い。
「ど、どうしてなの?」
「これはね。ニコちゃんがこうやって切ったからだよ」
二徹は木綿の糸を取り出すと、それを輪にして卵にかぶせる。そして、左右均等にそれを引く。切り口が美しいゆで卵の半身となる。
「ニコちゃんは、すごい!」
「……」
ぶわっとまたもや感動の涙を流す二徹。
リーゼルは死んだような目になる。兄の病的なまでの嫁への愛に倒れそうであった。




