妹がやって来た
「二徹様、奥様、大変です。今朝、このような手紙が届いておりました」
珍しく家令のジョセフが慌てている。蝋で封印されたピンク色の封筒は可愛らしく、ベテランの家令が取り乱すような雰囲気は全くないが、それを見た瞬間に、二徹もニコールも凍りついた。その封筒の持ち主には心当たりがあったからだ。
「リーゼルからか……」
手紙の差出人は『リーゼル・パーシー』。大陸の国ギーズ公国の貴族の家の養女になった二徹の妹の名前である。二徹は封を破って、手紙の中を確かめる。
「リーゼはなんて言っているのだ?」
ニコールに珍しく少々の怯えがあるのは、この離れ離れで暮らしている義妹に対して、苦手意識を通り越した畏怖感があるからだ。
「こちらに遊びに来るらしいよ……なになに……シャンプールの港を16日に出発するので迎えに来て欲しい。客船オーベルン……ジョセフ、オーベルンが到着するのは……」
「本日でございます。あと1時間もしないうちかと……お迎えのお支度をしております」
「ぐあああああっ……リーゼが来る! やってくる~っ」
ニコールが頭を抱えて地面を転がる。まるで駄々っ子が嫌なことをしないと拒否する態度である。昼は威厳のあるニコールにしては、とても珍しい姿である。
「ニコちゃん、大丈夫。リーゼルもあれから2年も経っているんだ。きっと素敵なレディになって、ニコちゃんと僕のことを認めてくれるよ」
そう言って二徹はニコールを安心させようとその細い腰に手を回して、そっと抱き寄せた。リーゼルと前に会ったのは2年前。彼女は大陸のギーズ公国に暮らしているので滅多に会えないのだ。でも、二徹とニコール夫婦にとってはそれはある意味幸いかもしれない。もし、近くに暮らしていたら大変なことになっていただろう。
そう……リーゼル・パーシー。この二徹の妹は、超がつくくらいのブラザーコンプレックスなのだ。兄大好きで、それに近づく女は絶対に許さない『鉄壁の小姑』なのである。
2年前はまだ二徹とニコールは結婚をしていなかったが、二徹の恋人がニコールと知って、この妹の嫉妬の炎は主にニコールへ炸裂したのであった。それはもう陰険ないじめで散々な目にあったニコール。それが原因で、ニコールは少々、リーゼルアレルギーになっているのである。
それでなくても、幼馴染のニコールと二徹の小さい頃から、この妹は絡んできていた。年が離れているので、まだ赤ちゃんの時はよかったが、なんと4歳の頃からニコールをライバル視して、いろいろと邪魔をしてきた過去があるのだ。
「とにかく、リーゼルを迎えに行こう」
「そ、そうだな。遅れたらどんなことになるか……」
「ニコちゃん、心配しないで。僕はいつも君の味方だよ」
「わ、わかった……私も二徹の妹と仲良くなれるようにしたい。努力するよ」
そうは言ったが小さい頃からの兄大好きぶりは、病的とも言えるくらいであったから、豪胆なニコールも心が落ち着かない。
*
馬車で港へ向かうと、客船オーベルンがちょうど入港してくるところであった。危なかった。もし、リーゼルを待たせることがあれば、すべてニコールのせいにするに違いない。ギリギリに手紙を送ってきたところをみると、それを狙ってのことかもしれない。
「お、お兄様! ルウイお兄様~」
二徹が出迎えると白い日傘を差したドレス姿の女の子が手を振った。赤褐色の縮れ毛、赤く燃えるような瞳。まるでお人形さんみたいな美少女である。まだ成長中の14歳。見た目にはもっと幼く見える。だが、そんな整った顔も二徹の横にニコールを見つけると、天使の顔から悪魔の顔になった。
「ルウイお兄様、お久しぶりでございます。お兄様に会えなくてリーゼは寂しかったです」
「よく来たね、リーゼル」
屈託もなく二徹の懐に飛び込むリーゼル。それを優しく抱きしめる二徹。このくらいの年の妹が兄にここまでスキンシップを求めるのは特異であるのだが、それを感じさせない自然な行為。まるで離れ離れになった恋人のようである。
リーゼルはそっと目を開けた。その視線は二徹の後ろにいるニコール。ちろっと舌を出してニコールを挑発する。そして二徹の胸にすりすりと頬を擦りつける。まるで自分の匂いを付けて、他の動物に縄張りを主張するかのように。
(こ、こいつ、私に当てつけるために……)
だが、ニコールは大人である。小さなレディの宣戦布告を笑顔で切り返す。それを見て瞳の中に対抗心の炎を大きくするリーゼル。
御者のラオが手際よくリーゼルの持ってきた荷物を馬車へと運ぶ。リーゼルは召使の中年の女性を伴っており、長旅の末にここへやってきた。彼女が暮らすギーズ公国から、ここまでは一週間はかかるのだ。戦争は収まったとはいえ、まだ政情が安定しない中での旅は危険を伴う。
「リーゼル、どうしたんだい、急に……」
「急にって……お兄様。まるで、リーゼが来てはいけないような言葉ですわ」
そう言ってニコールの方に冷たい視線を送るリーゼル。二徹には天使の微笑みだから、その切り替えには舌を巻く。
「そ、そんなことはないよ。ただ、ギーズ公国はフランドル王国の隣国。まだ、地方には戦争の影響があるだろう。リーゼルのような貴族の姫君が来るのは危険だからね」
「ああ~ん。さすがルウイお兄様ですわ。リーゼのことを心配してくださりますのね。お兄様大好きです。愛しています。お兄様、大大大、大好き!」
理由あって離れ離れになった兄妹である。特に妹のリーゼルは、ギーズ公国の貴族の養女として今は暮らしている。パーシー子爵家は、子供がいなく9歳の時のリーゼルを引き取って、跡取り娘として大切に育ててくれたのだ。
「ゴ、ゴホン……そろそろ、屋敷に戻らないか。積もる話はあるだろうが、準備もできたようだし……」
ニコールがそう気を利かせる。そうしないといつまでも二徹から離れないだろう。
「あら、ニコールさん。まだいらしたの?」
わざとらしい言葉を放つリーゼル。こめかみをピクピクさせるニコール。でも、お互いには笑顔である。これから起こるであろう嫁と小姑との冷たい戦争にため息をつきたくなる二徹。だが、それは乗り越えなくてはならない壁なのだ。
「リーゼル、屋敷へ行こう。積もる話はあるだろう。それと僕はもうルウイじゃないよ。二徹・オーガスト」
「そうでしたわね。二徹お兄様。その件について、妹として意見しに参りましたの。詳しい話は後ほど」
ベタベタと二徹と触れ合うリーゼル。嵐の予感である。




