閑話 ラオさんの福引き
G.W.スペシャルw いつも読んでくださる皆様に閑話をお届けします。
前にリクエストのあったオーガスト家使用人ラオさんのお話。(誰?はなしw)
ラオ・カーペンター、59歳。3歳年下の妻、ナミと共にオーガスト准伯爵家に仕える庭師兼御者である。ラオは犬族で灰色の大きな犬耳をトレードマークとなっている麦わら帽子の専用に空けられた穴からニョキッと出し、いつも寡黙に働いている。
その働きぶりは主人であるニコール准伯爵にも評価されており、ラオ自身もやりがいのある仕事につけたと満足していた。
妻のナミも犬族で彼女とは40年前に仕えていた貴族の屋敷で知り合い、結婚をして2男1女に恵まれている。現在、子供たちはみんな独立し、それぞれが幸せな家庭を築いていた。しかし、ここまでの道のりは平穏だったわけではない。
このオーガスト准伯爵家に仕える前は、いくつかの貴族の家を転々としたこともある。それはラオやナミのせいではなく、貴族側の都合であったが、その都度、正直で働き者のこの犬族の夫婦は、親切な人の紹介で慣れた貴族の屋敷勤めという職を得ることができた。
今回も政変で仕えていた伯爵家が没落し、職を失ったが新しく令嬢が結婚することになり、有能な使用人を探しているのでどうかという話を聞いてこのオーガスト准伯爵家に仕えることになった。
「あなた、最後の最後でいいご主人に仕えることができたわね」
この家に来て、そう妻のナミがラオに言ったことだ。貴族の家に仕えるのは楽な仕事ではない。前の家では夫人が気まぐれで感情的になることが多く、妻のナミは理不尽なことでよく叱責された。
「そうだな……。奥様も二徹様もお優しい」
オーガスト准伯爵家は変わっている。奥方であるニコールが軍隊で働き、夫である二徹が専業主夫として家を切り盛りしているのだ。使用人の管理や対外的な交渉事は家令のジョセフが取り仕切るが、二徹は食事作りの一切を行い、自分たち使用人の賄いご飯まで作るのだ。こういうことは聞いたことがない。
最近、二徹が連れてきたメイという犬猫ハーフの少女も感心するくらいよく働く。ちょうど、自分たちの孫世代なので、メイがくるくるとよく働く姿を夫婦ふたりで目を細めて見ている。
メイはニコール付きのメイド兼二徹の料理助手をしており、ナミやジョセフの教えを確実にものにして主人夫婦に気に入られていた。しかも、まだ12歳のメイは午前中は学校に行き、午後からメイドと助手の仕事をしているスーパー少女なのだ。勉強熱心でいつも感心している。
そんなラオには密かな願いがある。それは結婚40年を記念して、妻のナミと一緒に旅行に行きたいという願いだ。行き先は大陸にあるギーズ公国にあるメサイアの大滝。これは高さ100ノラン(約50メートル)、幅は2.4ギラン(約1.2キロメートル)にも及ぶ大瀑布。一度は見に行ってみたい観光名所である。
だが、そこまでの旅費は安くはない。まずは船賃。一番安い2等船室でも、2人で金貨10ディトラムはする。そこから馬車で片道1週間はかかる。滞在費だけも一人金貨20ディトラムは必要だろう。少なくとも旅にかかるお金は、一人あたり50ディトラムは用意したい。
ラオとナミの年収は合わせて金貨350ディトラム。これは一般的な水準よりもはるかに恵まれた収入であったが、生活費を抜くとそれほど余裕があるわけでもなく、また、実家への仕送りや老後の蓄えを考えると、とても妻とそんな大金のかかる旅行ができるような経済状態ではなかった。
(だが、見たい。死ぬまでに妻と見てみたい……)
ラオは50年前の子供時代。街角で見た紙芝居のおじさんの話を思い出す。ギーズ公国にあるという大滝にちなんだ物語だ。迫力のある絵が印象的で、子ども心に見てみたいと思ったのだ。
(それに忘れているかもしれんが……)
ラオは妻の寝顔を見る。ラオが初めて勤めた貴族の屋敷。そこにいた何人かのメイドのうちでも一番可愛かったナミ。ラオはそんなナミにいつか、メサイアの大滝を見に連れていくから、俺と結婚してくれとプロポーズした。長年の苦労でもう忘れかけていたが、今の安定した生活でそのことを思い出したのだ。
密かに50ディトラムは貯金したラオであったが、残りの50ディトラムを貯めるにはまだ時間がかかりそうであった。早くしないと自分たちの足腰の衰えから、何週間もかかる長旅は厳しくなるかもしれない。
(となると、やはりあの福引にかけるしかない……)
ラオが注目したのは、首都ファルスの商工組合が企画している福引。商工会の加盟店で対象商品を買うと付いてくる福引補助券10枚で引けるくじだ。今度、行われる春の祭り『ローズ・フェスタ』の記念福引きで1等商品が、メサイア大滝へのペア旅行券なのだ。
ラオは毎日、午後から二徹と一緒に市場へ食材を買いに行く。いつも市場の入口で馬車を停めて待機するのだ。その間は暇なので、近くの立ち飲みカフェで時間を潰す。そのカフェの対象商品が『メルクコピ』。だ。
かなり甘く仕上げられたこれを毎日飲んだ。比例して体重は増えたが、めげずに飲んだ。それで獲得した福引補助券は30枚。3回挑戦できる枚数だ。メルクコピ1杯は銅貨で5ディトラム。福引補助券は銅貨50ディトラムに付き1枚だから、このメルクコピの回数券を10枚買うことで1枚の補助券がもらえる。ここまで実に300杯も飲んだ。タプタプの腹と共に獲得した30枚の福引補助券は、とても貴重な夢への切符である。
「だが、これを安易に使ってはならない……」
福引券の1等商品だから、1本しかない。全部で5000個の玉の中から、金色の玉は1個だけなのである。確率は5千分の1。狭き門である。だが、偶然にも当たりが出ず、分母が減れば確率は上がる。
3000回引いて出なければ、2000分の1になるし、4000回引いても出なければ、1000分の1になる。そうラオの作戦は、ひたすら出ないことを祈り、最終日に確率が上がったところで引くという作戦なのである。これが有効なのかどうかは分からないが、これで行くと愚直なラオは心に決めた。
ラオは毎日、福引の抽選会場を覗いた。毎日、当たりが出るが1等は出ない。出ないようにといつも願っているラオの気持ちが伝わっているのか、5本ある2等や10本ある3等は次々出るが、1等は出ない。
そして福引き抽選の最終日になった。この日、ラオは休みをもらって、福引の抽選会場に行った。残りは300。1等と2等が1本。4等が5本残っている。ラオにとっては作戦通りだ。だが、まだ300である。ラオの持つ福引補助券は30枚。引けるのは3回のみ。
一人の客が挑戦する。回数は10回。福引はくるくると回すドラム式のもので、1回転すると穴から小さな玉が1個ころりと飛び出す。白色なら残念賞。タオルかマッチ、小さな石鹸がもらえる。黄色なら5等。これは町の特定のレストランでのペア食事券。ピンクなら4等。小麦粉1ヶ月分がもらえる。赤なら3等。肉30ゾレム(約30kg)と引き換えられる券。銀色なら2等。なんと荷馬車が馬付きでもらえる。これは豪華な商品だ。
だが、ラオが欲しいのは1等【メサイアの滝】へご招待である。
「うお~っ。ついてねえ……」
10回引いた客は、すべて残念賞。がっかりと石鹸を10個持って帰った。これで確率は290分の1になる。意を決した客が次々と引く。3人目の客が4等を引いた。カランカランとなる鐘に盛り上がる。
お昼までに残りは100となった。ここまでに4等が4本出ているが、2等と1等は出ていない。ラオはじっと待った。まだ追い風ではないという老練な判断だ。ちょうど、お昼になったとき、ツギハギだらけのエプロンをつけた猫族の少女が抽選に来た。まだ10歳くらいの少女だ。震える手で10枚の福引補助券を愛おしそうに差し出した。
ゆっくりと回す。あかぎれの手が痛々しい。ポトンと落ちたのが銀色の玉。荷馬車と馬が当たる2等である。銀色の玉を凝視した少女は、その3秒後に歓喜の声を上げた。
「お母さん、当たった! これで商売ができるよ!」
涙を流して喜ぶ少女。病気の母親と二人暮らしの少女は、毎日、市場でアルバイトをして暮らしていたが、この日から荷馬車の運搬の仕事ができるようになり、生活が安定することになったのは後日の話である。
(おお……やはり、この世界には神様がいる)
ラオも嬉しくなった。これまで真面目に働いてきたラオ。毎週、欠かさず教会に通ったラオ。きっと、自分にも神様の恩恵があるはずだと思う。
それから抽選がさらに行われ、ついに夕方となった。締切時間まであと20分。残りは85回。ここまでに1等は出ていない。福引補助券の配布数と、10枚に満たない数を考えるともう引きに来る人間は数少ないであろう。
「そろそろか……」
ラオは決断した。85分の3。ここまでよく粘った。神様の恩恵でここまで確率を上げてくださったと感謝した。あとは自分の力である。
「わしが引きます!」
前に進み出たラオだったが、不意に後ろから突き飛ばされた。恰幅のよい中年の猫族の男である。隣には同じく猫族の女の肩を抱き抱えている。
「おい、じじい……俺が先だ」
「そんな、わしが先だったのでは……」
「ふん。その券の枚数からせいぜい3回程度だろが……。ちんけな奴は後だ」
「回数なんか関係ありませんよ」
ラオは抵抗したが、いかにも羽振りが良さそうな男は、恰幅のよい腹のズボンにはさんだ長財布から、福引補助券の束を取り出した。
「俺は50回引けるだけあるんだ。じじい、朝から1等狙いでここに張っていたようだが、俺様が引くぜ」
「そ、そんな……」
どうやら、この猫族の男も朝からチャンスを狙っていたようだ。50回も引けるのに情けないと思うのはラオだけではないが、態度だけは強気である。
「ミーナちゃん……待ってろよ。俺がメサイアの滝の旅行を当ててやるから」
「あら、あたしじゃなくて奥さん連れていくんじゃないの?」
「あんなババアより、ミーナちゃんと行くに決まってるじゃないか。毎日、指名して注ぎ込んだんだ。当てたら、アフターデートで旅行だろが」
「まあ、シンさんったら、いやらしいのね」
どうやら、男は飲み屋の女性と旅行にいくつもりだ。自腹で行けばいいのに、飲み屋に金を使いすぎたのと奥さんにバレるのが怖くて福引きに挑戦するようだ。とても残念な男だが、持っている福引券は50枚。残り85回中50回である。
「さあ、引くぞ! 出てこい、1等!」
がらん、がらんと回す。ぽとんぽとんと落ちる玉。
(白、白、白、白……)
「白、白、白、白~。まじかよ~」
出てくるのは白ばかり。そして最後の50回目。
白い玉が虚しく転がった。50回とも白。残念賞である。
決まった瞬間にミーナちゃんは、男の腕を振り払った。靴音を響かせてさっさと店に向かう。あとは灰になった男が一人。
「これで残りは35。神様、感謝します」
ラオは前へ進み出た。残り時間は10分である。もうラオのほかに引く客はなさそうだ。
福引補助券を30枚係員に渡す。引けるのは3回。そして、ドラムのハンドルに手をかけた。
ガラン……。ポト……白。
ガラン……。ポト……白。
(最後の1回。うおおおおお~)
ガラン……。ポト……白。
あとは覚えていない。どうやって帰ったのかも分からない。
*
その夜、ラオは二徹に呼ばれた、妻のナミと一緒に部屋に入ると、二徹とニコール夫妻が待っていた。
「ラオさん、ナミさん、いつもお仕事ありがとうございます」
そう二徹があらたまってそうお礼の言葉を述べた。するとニコールが目録を差し出した。
「結婚40周年おめでとう。これは私たちからのささやかなプレゼントだ」
「え、これは……」
「メサイアの滝見学ツアーですよ。実は先ほど、余った福引券があってメイに引いてもらったら偶然当ったのです」
ラオとナミが今年で結婚40周年ということは、二徹もニコールも承知していた。以前から、ラオがメサイアの滝を見たいという夢を聞いていた二徹は、旅行をプレゼントしようと考えていた。今日の夕方、偶然、商店街の福引の1等がメサイアの滝の旅行だと知って、ポケットを探ったら、福引補助券が10枚出てきた。ここ最近の買い物でもらった券だ。
*
「メイ、これで引いてみてよ。1回しかないけど」
ポケットでクシャクシャになった補助券を10枚重ねて渡す二徹。メイはそれを受け取った。
「ボクでいいのですか?」
「ああ。なんとなく、君が引くと何か起こるような気がするんだ」
メイは腕まくりをして、キリキリと抽選機をにらんで前へ進み出る。夕方で人々は帰り路を急ぐ中、この少女はドラムのハンドルに手をかけた。
*
抽選時間終了の1分前。メイが1回だけ回したドラム。落ちたのは金の玉であった。
「ああ……二徹様、ニコール様、そしてメイちゃん、ありがとうございます」
地獄から天国に登ったのごとく、視界が輝く世界へと変わったラオ。メイからお祝いの花束を渡されて喜ぶ、妻のナミを見た。この妻と40年一緒に暮らしてきた。苦労もかけて、時には喧嘩もしたがここまで仲良くやってきた。
(夢にまで見た、メサイアの大滝をナミと見ることができるなんて……俺は幸せだ)
ラオとナミ。オーガスト家の忠実な使用人は、主人夫妻の温かさに感謝し、1週間後、仲良く旅立った。
1ヶ月間の夫婦の旅だ。




