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異世界嫁ごはん ~最強の専業主夫に転職しました~  作者: 九重七六八
第7話 嫁ごはん レシピ7 湯豆腐とこんにゃくスイーツ
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湯豆腐とトイレ掃除

「さあ、できたぞ。今日の夕食だよ」

 

 土鍋の蓋を開けると湯気がモワッと出た。土鍋は業者に作らせた特注品なのだが、今日の夕食のメニューにはぴったりの器だ。


「これは何ズラ?」

「白い四角いものが浮いているぞ」


 アンとニコールが興味津々で土鍋の中を覗いている。そこには大きくカットされた干したコンブ(ズズ)が敷かれている。そして、その中に白いもの。二徹がメイと一緒に作った手作り豆腐である。


「今日のメイン料理は湯豆腐だよ」

「ユドーフ?」

「変わった名前ズラ」


 そりゃそうだろう。この異世界に豆腐というものはない。湯豆腐などという料理もおそらくないであろう。


「豆腐はゆっくりと温めて、芯まで熱が通ればバッチリ。グラグラと煮てしまうと食感も悪くなるし、豆腐の旨みがなくなるからね。タイミングに気をつけてね」


 そう二徹は二人に食べ方を教える。湯豆腐は単純な料理だが、ちょっとしたコツを知っていると何倍も美味しく食べられるのだ。豆腐がグラッと揺れたら、もうひと呼吸おいて二度目のグラッと揺れる瞬間に引き上げる。これがもっとも美味いタイミングだと二徹は思っている。そのタイミングを二人に教える。


「タイミングを計って、この金網で豆腐をすくって小皿に入れる。そして、お好みの薬味を載せて僕の特製の醤油ダレをつけると美味しいよ」


 金網は棒のついた小さなもの。切った豆腐をすくい取るのに適した大きさだ。網だからお湯がきれて豆腐だけを小皿に移せる。つけだれは2種類ある。


 まず一つ目は、二徹が作った甘みのある土佐醤油を薄めたもの。土佐醤油とは醤油とみりん、鰹節、酒で作る甘みのある醤油。刺身や冷奴によく合う甘味のある醤油だ。湯豆腐の淡白な味には少し濃すぎるので、水で割って薄めてある。材料はアレンビー船長からもらったもので作ることができた。


 2つ目は醤油と(スイ)レモン(モレン)で作ったポン酢。薬味は刻んだネギ(イエル)大根(シロアシ)おろし、生姜(ジンザー)をすりおろしたもの。湯豆腐に乗せて食べるとこれが格別である。

 

 ニコールとアンは、タイミングを計って熱々の豆腐をすくう。お湯で熱せられて味が膨らんだ豆腐をタレに投入。まずは土佐醤油からだ。それをレンゲですくって口に入れる。二人共、初めて体験する味覚に思わず(ぷるるっ)と体が反応する。熱さと軟らかい食感の心地よさ。そして、適度な甘味が口いっぱいに広がる。


「ハフハフ……これは……旨い」

「口の中で溶けていくズラ……熱いけど……これはたまらないズラ」


 夢中で食べるニコールとアン。どんどんとなくなる豆腐。さらに二徹は野菜も勧める。鍋には豆腐の他にも野菜も入っている。それを箸で取って勧める。入っているのは、きのこ(ピルツ)春菊(ガーラン)である。いずれも湯豆腐には定番の食材である。


「このガーラン(春菊)の香りがいい。体がきれいになるようだ。ガーランは、炒め物しか食べたことがないが、こうやって食べると美味い野菜だな」

「ニコちゃん、それをこのポン酢に付けてみて」

「ポン酢? なんだそれは?」

「醤油とスイ()モレン(レモン)の実を絞った調味料だよ」


 醤油に対して若干減らした酢を混ぜ、そこへみりんとレモンの絞り汁を加えればポン酢になる。鮮烈な爽快感と醤油のコクがたまらない調味料だ。


「うあああっ、これは初めての体験だ」

「お、美味しいズラ」


「野菜はポン酢で食べるといいよ。湯豆腐も醤油だれに飽きたら、このポン酢に付けると味が変わって食が進むよ。ああ、今の場合、進んじゃうと困るけど……」


「こ、これは途中でやめられなくなる……二徹、私を殺す気か!」


 濃厚な甘味、さっぱり感、濃厚な甘味、さっぱり感。次々更新される味のリレーにもうニコールとアンは快感に酔いしれる。


 もちろん、いくら低カロリーといえども、食べ過ぎはダイエットにならない。豆腐も適量にしておかないとダメだ。豆腐1丁でご飯一杯分のカロリーがあるのだ。


 二人が野菜を食べ終わったところで、二徹は二人にデザートを出す。それを見て、アンはゴクリとつばを飲み込んだ。そして目を閉じて右の手のひらを突き出した。


「二徹さん、デザートは遠慮するズラ。それを食べたら今日の努力が無駄になるズラ」


 アンにとっては今日はダイエット1日目だ。誘惑に対しては強固な意志がある。二徹はそんなアンに微笑んで、小さな器に入ったものを差し出す。それは白いこんにゃく玉に黒蜜ときなこがかかったものであった。


「大丈夫。これはネパド(こんにゃく)スイーツだから、カロリーは抑え目。これくらいなら大丈夫。アン。ダイエットは気持ちだよ。でも、無理しては反動がでる。楽しんで少しずつ生活改善していくのが、ダイエットには一番効果があると思うよ」


「はむ……うううう……うまい、甘い」


 たまらず、ニコールがこんにゃく玉を一つ口に入れて、ほっぺたを抑えている。クニュクニュした食感にほのかに甘い黒蜜。砂糖控えめの上品な甘みのきな粉がまぶしてある。

それを見て、アンも一つを食べた。


「ああ、美味しいズラ。甘さは控えめズラ」

ネパド(こんにゃく)はカロリーがないからね。黒ホニグ(くろみつ)ビンズ粉(きな粉)はカロリー抑え目。これはダイエットにいいスイーツだよ。それに。これはレパートリーが色々と考えられるんだ」


 こんにゃくをナタデココ代わりにして、ココナッツミルクの中に入れたり、フルーツポンチの中に寒天の替わりに入れたりすることはよくする。


「なんか、豆腐にしろ、ネパド(こんにゃく)にしろ、クニュクニュ、もちもちした食感のものはあまり食べたことがない。二徹、他にもあるのか? お前は昔から不思議な知識をたくさんもっている」


「そうだね。くにゅくにゅしたものなら、まだあるよ。例えば、生麩とか……。あ、そうだ。アン、明日の朝は生麩を使った朝食を教えてあげるよ。そうだね。和朝食をこの1ヶ月で作れるようになろう」


「生麩? 和朝食ズラ?」


 この和朝食。最近のオーガスト家では、週に2回登場する。これはニコールが気に入っているからなのだが、材料に限りがあるので毎日は出せないのだ。


「二徹の作る和朝食ワチョウショクはとても美味しいんだ。白いふっくらとしたご飯。味わいのある味噌汁。ふっくらだし巻き玉子に魚の切り身を焼いたもの。それにおひたし。あっ!」


 ニコールは思い出したようだ。和朝食メニューの中でひとつだけ彼女の苦手なものがあった。


「どうしたの? ニコちゃん」

「私はどんな危険な戦場でも部下の先頭に立って突撃する勇気はある! どんな大男が相手でも、恐れず立ち向かい倒すこともできる」


「ニコちゃん、急にどうしたの?」


 二徹はニコールの言いたいことが分かったが、話題についていけないアンやメイは、ニコールの態度に唖然としている。


「だけど、あれだけは無理だ!」


 『納豆』


「納豆は怖い!」


 二徹が作った料理はなんでも食べるニコールだが、『納豆』だけはダメであった。誰でも生理的に受け付けないものはある。


「まあ、納豆は嫌いな人もいるからね。ニコちゃんの口に合わないのは仕方ないけど」


 でも、二徹は密かに愛する妻にいつか『納豆』を食べさせようと思っていた。そのままでは無理だが、工夫をすればおいしく食べることのできるレシピはたくさんある。


「話はそれてしまったけど、アン。明日からダイエットと花嫁修業がんばろう」

「改めてよろしくお願いしますズラ」


 湯豆腐とこんにゃくデザートを食した翌日。アンは二徹に言われて、質素なドレスにエプロン、頭にはタオルを姉さんかぶりにしてやって来た。左手にはバケツと雑巾。右手にはブラシを持っている。貴族の令嬢というより、掃除婦のお姉さんといった風体だ。


「二徹さん、準備ができたズラ。この格好だとどこかの掃除をするズラ?」


 アンの顔には疲れが見える。午前中いっぱいは運動。低カロリーの昼ご飯。少し休んでから、この家事ダイエットなのである。太って運動不足のアンの体には負担が大きくキツい。


 だが、食事療法と運動はセットである。脂肪が燃えたぶん、筋肉に変えないとリバウンドに耐えられる体にならないのだ。男の場合はお腹の脂肪には細かい毛細血管があるので、絶食だけでもどんどん痩せる。


 だが、女性は違う。お腹の脂肪に毛細血管が少ないので、一旦太ると痩せにくいのだ。貯金に例えるなら、男が出入りの大きい普通貯金。女性は定期貯金。太りにくいが徐々に溜まっていき、貯まると使えないので減らないのだ。


「それじゃ、今日から台所のシンク磨き。鍋やフライパン、かまどの掃除をメイと一緒にやってもらうけど、まずは、アンだけの特別の場所の掃除をやってもらうよ」


 そう言って二徹は屋敷を出て、10分ほど馬車で移動した場所にある公園へアンを案内した。そこにあるものを見てアンの顔が引きつった。まさか、自分がそんなことをするとは思ってもみなかったようだ。


「こ、ここをわたしが掃除するズラ?」

「そうだよ。トイレ。この公衆トイレをこの1ヶ月間、アンに掃除してもらうよ。公園の管理者には許可をとってある」


「ト、トイレの掃除なんか、やったことないズラ」


 アンはこれでも貴族出身の令嬢である。格式は高くはないとはいえ、貴族は貴族だ。掃除や洗濯なんて使用人がやるものだと思っている。屋敷の台所や部屋ならともかく、公に人々が使う公衆トイレの掃除なんか考えたこともないだろう。


「アンは大きな商家のお嫁さんになりたいんだろう?」

「そうズラ……それとこのトイレ掃除は関係するズラか?」

「ここをきれいにする。それだけでこの1ヶ月、学ぶことが多いと思うよ」


 そう言って、二徹はトイレ掃除の重要性を説いた。これは二徹の経験から得た話だ。二徹は8歳の頃から老舗料亭を営む実家で料理修行をしてきたが、10歳の時から1年間、店のトイレ掃除が二徹の重要な仕事であった。便器から床までをピカピカにするのだ。こうすることで、真のおもてなしの意味を知ることができるのだ。


 その後、武者修行で世界各地を回った時も、トイレが綺麗な店は料理もサービスも一流であった。これはお金がかかっているとか、高級とかの違いではない。トイレまで気を配れる人間は、料理にも気を配れる。繊細な味のバランスを感じ取れる人間になれるのだ。


「アンは、町一番の毛皮問屋のご主人の元へ嫁ぎたいのでしょ。だったら、このトイレ掃除は絶対に役立つ。ダイエットにもなるし、一石二鳥だよ」


 そうは言ったが、曲がりなりにも貴族のお嬢様だ。トイレ掃除なんてやったことも見たこともないだろう。それに公園の公衆トイレは使い方が悪いせいで、かなり汚れている。腰が引けているアンに二徹は自ら、トイレ掃除のやり方を教える。


 一通り、掃き掃除をした後に、便器を磨く。二徹は雑巾を水で濡らして固く絞った。それで便器をギュギュッと磨く。腰をいれて腕全体で擦り取るようにふくのだ。凄く汚れたところは重曹を使ってブラシで落とす。あとは根性、ひたすら根性で磨く。これでトイレもピカピカ。そして二の腕の振袖肉も鍛えられる。


「わ、分かったズラ。やってみるズラ」


 アンは雑巾を絞るとキュッキュと便器を磨き始めた。アンには貴族令嬢特有の気位の高さがない。嫁ごうとしている先は大きな商会である。大金持ちの奥さんになるとはいえ、そういう家では、汗水たらして働く嫁がいいに決まっている。アンのこういう人間性は非常に有利なのだ。


 そしてアンは1ヶ月間、この公衆トイレの掃除を続けた。そして、そこから数々のことを学んだ。トイレは汚れていると人々の使い方がますます悪くなり、とても汚くなること。いつも掃除してきれいにしていると、不思議と汚れてこないこと。アンが掃除するようになってこの公衆トイレがいつもきれいだと町の噂になるようになった。そして、アンの二の腕も鍛えられた。



「奥様、もうすぐご友人の屋敷に到着します。このような場所のお手洗いを使うのはいかがかと……」


 御者が止めるのも聞かず、馬車から降りてきたのはつばの広い帽子とベールで顔を覆った上流階級の婦人。年齢は50近いのだが、とてもそのようには見えない。スタイルもよく気品に満ちた物腰がエレガントな女性である。


「従業員に聞いたのよ。ここのお手洗いがとてもきれいだと。掃除をしている人間がとても優秀なのでしょう。もし、名前が分かれば我が家のメイドに雇いたいのです」


 貴婦人はトイレの中を覗く。とても大勢の人間が使う場所には見えない。とてもきれいに保たれ、手を洗う場所には一輪の花が小さな花瓶に生けられていた。


(なるほど……。ここの掃除をした人間はちょっとした気配りができる人間のようね)


 そして婦人は花瓶には小さなカードが添えられていたのに気づいた。


『きれいに使ってくれてありがとうズラ。アン・フォスター』


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