豆腐作り
ダイエットと言ってもいきなり絶食とか、激しい運動をするということはしない。それでは一時的に成功しても、絶対に続かず、リバウンドしてしまうからだ。
まずは規則正しい生活を身に付けることから始める。まず起床は朝の5時。専業主夫の朝は早いのだ。アンも二徹と同じ時間に起きる。身支度をするとまずは朝の運動である。6時に起きてきたニコールと一緒に30分程、軽く乗馬。そのあと、木刀による素振り。ニコールは1000回の素振りを行うが、アンは100回程度。それでも、太ったアンにはかなりハードな運動となる。それでもダイエットの最初ということもあって、アンは頑張った。
朝の運動が終わると2人は二徹が作った朝食を食べる。アンはよほど変わった朝食が食べられるのではないかと期待していたようだが、二徹が出したのはブレドを軽くトーストしたものとサラダと目玉焼き、カットされたフルーツというありふれたメニューであった。
運動をしてお腹がすいていたアンであったが、出てきたメニューを見て拍子抜けたようであった。これは、一般的なウェステリア王国の朝食スタイルであったからだ。
「朝食は大事と聞いたズラが、これではあまり変わらないズラ」
二徹はにんまりと微笑んだ。
「最初から変わったものを出しても続かないからね。まずは普段食べているメニューで工夫することにしたんだ。その方がアンも続けやすいと思うからね」
「そうズラか? 普段と同じものを食べて体重は減るとは思えないズラ」
二徹の答えに少々納得がいかないアンであったが、この朝食は、見た目は普通でも実はカロリーオフの工夫を凝らしたメニューであった。
まずはサラダには酢と醤油、レモンを絞って作った二徹特製のポン酢がかけてある。ノンオイルの和風ドレッシングである。トーストしたパンには柑橘系の果物から作った二徹手作りのマーマレードが塗ってある。もちろん、砂糖は控えめの仕様。
目玉焼きはフライパンで堅焼きをした卵に、途中で水を差して蓋をし、蒸し焼きにしたものを出す。両面焼きが主流のこの世界では珍しい焼き方である。これには醤油と唐辛子の粉がふりかけてある。
「はぐはぐ…」
「うん。相変わらず、二徹の朝ごはんは美味しい」
「どういたしまして、ニコちゃん」
珍しいものではないが、運動をしてきた2人には十分満足できるものである。アンの食べる分は一般女性の食べる量の2割減くらいには抑えてあるが、盛りつけを工夫しているので、減っているようには見えない。これによって、アンの食事への満足度も下がることはない。見た目も大事なのだ。
朝食を終えるとニコールは勤め先の近衛隊本部へ出かける。メイは最近通い始めた学校へ。二徹とアンは朝食の片付けを行い、終わると二徹は、メイドのナミに頼んで、屋敷の掃除の仕方をアンに教えさせた。今日は初日でもあるので、ラオ、ナミ夫婦にたっぷりと家事労働を教えてもらうことにした。
*
「二徹様、今日は何をお作りになるのですか?」
学校から帰ってきたメイがいつものように二徹の助手に付く。メイは午前中に学校へ通い、文字や計算などの基礎的なことを学んでいる。そして昼からはオーガスト家のメイドの仕事で、主に二徹の手伝いをするのだ。
「メイ、今日は豆腐を作る」
「トーフですか?」
この世界には当然ながら豆腐はない。豆腐は低カロリーでタンパク質を補える食材だ。今日の夕食からは、これを中心にアンのダイエットメニューを作ろうと二徹は計画していた。
「これを見てよ」
二徹は大きな鍋の蓋を取った。昨日の夜に仕込んでいたものだ。メイが興味深そうに覗き込む。中にあったものは珍しいものではない。ごくありふれた食材である。
「まずは昨日から水に漬けておいたビンズだよ」
「うあ、水を吸ってパンパンに膨らんでますね」
「ビンズの重さの3倍の水に漬けると水を吸って、大きさが3倍になるからね」
そう言って二徹は水を吸収した大豆を1つ摘みとる。それを爪で割る。中にピンと筋が一本入っている。それをメイに確認させる。大豆の吸水具合の見極めは豆腐作りの最初のポイントである。
「こういう状態になればオッケーだよ。ビンズをザルにあげて十分に水を切るんだ」
メイに水切りをさせておいて、二徹は秘密兵器を運び出す。それはハンドルがついた大きな鍋みたいなもの。これは鍛冶屋のゼペットじいさんと一緒に開発したハンドミキサー。鍋に食材を入れてハンドルでぐるぐる回すと、中で刃物が回転し、食材を粉砕するのだ。
出来はミキサーと同じになるが、手動だけに少々疲れるのが難点だ。山から汲んできたミネラル豊富な地下水を加えて、丁寧に粉砕していく。ここで役に立つのは二徹の特殊能力。そう時間を操作する力。ハンドル1回転のスピードを数十倍に上げる。高速回転するハンドミキサーが瞬く間に大豆を白い液体へと変貌させた。
「ビンズの汁ができましたね。なんだか、綺麗です」
確かに大豆から抽出された液体はクリーム色で美しい。独特な匂いを鼻で感じる。
「これを生呉というんだ。これを鍋に移す」
この生呉を鍋に入れたまま、一度沸騰させる二徹。そして火から下ろすと今度は火を弱めてゆっくりと温める。そして布を広げる。
「二徹様、これをどうするんですか?」
「ボールの上にセットするんだ。できたら、お玉杓子で生呉をすくってこすんだ。熱いからやけどしないように」
二徹の指示でメイは鍋から熱々の生呉をすくって移す。全部移し終わると、二徹は布を包んで絞る。液体が飛び散り、ボールに溢れるように落ちていく。少し冷めたので、両手でぎゅうぎゅうと搾り取る。
「きれいに分かれましたね」
「液体の方が豆乳。固体の方がおからというんだ。おからはこれだけでも食べられるから、大事に取っておくけど、豆腐づくりに必要なのはこちらの豆乳の方だよ」
そう言って二徹は豆乳を鍋に再度移してゆっくりと温める。この時の温度管理が大事なのだ。沸騰させたり、温度が低いとうまく固まらなかったり、固くなったりするからだ。豆乳もおからもこの世界にはないから、そのまま使っている。
「そして、この状態の豆乳に苦汁を投入する」
「苦汁ってなんです? ボクは初めて聞きます」
「海水から作る物質だよ。海水を茹でて蒸発させて塩を取る過程で出た液体さ。これをいれるとあら不思議……」
二徹がにがりを投入し、ゆっくりとかき混ぜると徐々に豆腐が固まっていく。それを玉杓子で今度は木で作った枠に入れる。いっぱいになったところで蓋をして、上から重しを載せるのだ。水分が抜ければ豆腐の完成である。
「二徹様、すごい手間のかかる料理ですね」
「豆腐は畑の肉と言われるビンズから作られるんだ。栄養豊富だけどカロリーは低い。ダイエットにはもってこいの料理ができるんだよ。よし、次はこんにゃくを作ろう」
「こんにゃくってなんですか?」
「ああ、間違えた。ネパドだっけ」
この世界では、こんにゃくのことを『ネパド』という。丸くちぎってスープに入れたり、焼いてソースに絡ませたりして食べる。田舎で食べられるマイナー食材である。毒のあるこんにゃく芋から、食べられるものを作った昔の人の食に対する創意工夫には、目を見張るものがある。
「ネパドは知っています。だけど、ボクは作るの嫌です。それ、すりおろすととても手が痒くなりますよ」
こんにゃく芋からこんにゃくを作る過程ですりおろすところがあるのだが、これを素手でやると芋から出る毒成分で手が痒くなるのだ。メイは一度、あの宿屋でこの芋の下ごしらえをさせられた時に体験したことがあったので、とても嫌な顔をした。
「メイ、いい方法を教えてあげるよ。まずは皮をきれいにむいてしまう。皮をきれいにむくと白いネパドになる」
「そうなんですか? ネパドは黒いものだと思ってました」
「そしてすりおろす前に茹でてしまうんだ」
「茹でるんですか?」
「そうさ。茹でると痒くなくなるんだよ。これを例のミキサーで粉々にする」
大豆をくだいた時に使った手動ハンドミキサーにかけるとドロドロになる。これにアルカリを加えると凝固してこんにゃくになる。アルカリは貝殻を焼いてきめ細かい粉状にしたものを使う。いわゆる貝殻焼成カルシウムである。
「さて、これで完成だけど、このままじゃあまり美味しくないから、ちょいと工夫をするよ」
二徹の工夫は簡単であるが、メイも思わず感心してしまうようなものであった。
「二徹様、これは思いつきそうで思いつかないですよ」
「そうだろう。低カロリーだし、食後に出てきたらうれしいだろうね」
あともう一つ、隠し玉があるが、それは1ヶ月ダイエットの後半の切り札にしようと二徹は考えていた。ダイエットは長くて苦しい戦い(バトルロード)である。この豆腐とこんにゃくはアンの食生活改善の切り札にする。
そして、規則正しい生活。適度な運動。そして家事労働。この組み合わせで徐々に痩せさせる。これは無理なく習慣化できるダイエットである。
名付けて『専業主夫が作る和食ダイエット』。1ヶ月後が楽しみである。




