ありのままに
「二徹、二徹!」
夕方に嫁のニコールが慌ただしく屋敷に戻ってきた。仕事から帰るにはまだ早い時間だ。食事の支度をしていた二徹は、メイに仕込みの続きを頼むとニコールが呼んでいる玄関口に急いだ。階段を降りると、軍服姿のニコールとその後ろにドレスを着た女の子が立っている。
格好からして貴族の令嬢だろう。細いニコールの体からはみ出る体。この令嬢はふくよかな体つきである。何故か、右手に小さな袋を持っている。パンパンに膨らんでいるから何か入っているようだ。
「ニコちゃん、おかえり。そちらの方は?」
ニコールが女の子のお客を連れ帰るのは珍しい。というか、これまで、客を連れて来たことがない。伯爵令嬢らしく、友人は貴族のお嬢さんが多いのだが、後ろからついてくる令嬢の顔は、二徹が初めて見る顔だ。
「二徹は知らなかったな。こちらは、私の遠い親戚のアン。アン・フォスター」
「アン・フォスターです」
そう言うとぽっちゃり目の女の子がスカートを少し持ち上げた。アンはオーガスト家一族のフォスター子爵の娘。年齢はこれでも18歳という。身長は150センチちょっとだが、体重は60キロは超えているだろうというぜい肉が体を覆っている。この屋敷まで馬車で来たにも関わらず、なぜか「はあ、はあ」と息が上がっている。
「どうぞ、まずはお茶でも……」
嫁がお客を連れてきたなら、それを丁重にもてなすのが専業主夫の務めである。二徹はすぐに応接間に通した。
「メイ、お茶の準備して」
「はい、二徹様」
くるくると動いてティーカップを用意するメイ。二徹はとっておきの茶葉を出す。まずはお湯を沸騰させる。そのお湯をポットとカップに注いだ。それを洗い流すことで温めるのだ。こうすることで、お茶の味が引き立つのだ。そしてティーポットに茶葉を入れて、お湯を顔の位置から下に向かって注ぐ。
お湯の温度と勢いに乾燥した茶葉が開いて香りが解放された。ここから3分ほど蒸らす。そして、カップに注ぐ。最後の一滴まで絞ったそれは琥珀色の宝石のようだ。
「どうぞ」
お茶と一緒に昼間に二徹が焼いたクッキーを皿に並べて出す。お茶を一口飲んで、目を閉じて味に浸るニコール。アンもお茶に口をつける。そして、自然にクッキーに手が伸びる。驚いたことに両手で2枚取ると交互に食べ始めた。令嬢にしては行儀が悪いが、食べる姿は幸せそうである。
「アンは母方の親戚なんだ」
ニコールがそうアンのことを紹介する。クッキーを食べていたアンが、二徹に軽く頭を下げる。口元にクッキーのカスがこびりついている。
「は、初めましてでズラ」
「ズラ?」
アンにはウェステリア東方の訛りがある。太っていなければ、結構、可愛い顔をしていると思うのだが、ふっくらどころか、二重あごと二の腕のタプタプ肉が容姿を台無しにしている。太っていても可愛らしくて魅力的な人もいるが、アンの場合はアンバランスな感じがいただけない。不健康な太り方なのだ。二徹もアンに挨拶をする。
「二徹・オーガストです。初めまして」
「二徹さんのことは、ニコール姉さまから聞いているヅラ。素敵な旦那様ズラ」
アンは王国の東部地方。バービーシャー地方の下級貴族である。10年以上も前に都の作法を学ぶためにオーガスト家に半年ほど滞在したことがあるそうで、その時にニコールに可愛がってもらったという。ニコールも妹みたいに接してきた娘だそうだ。挨拶が終わったので、ニコールが本題を切り出す。
「アンは1ヶ月後にお見合いがあるというのだ」
「ふ~ん。それはおめでとうというべきかな?」
二徹がそういったのは、アンの表情に嬉しさが感じられなかったからだ。お見合いとやらに乗り気じゃないのだろうと単純に思ったのだが、その予想は裏切られることになる。
「ううう……」
アンがハンカチを取り出して急に泣き出した。言っちゃ悪いが太っているので、子豚がピーピー泣いているような可愛さはあるよなと二徹は思った。
「実はそのお見合いというのが集団お見合いで、アンはそこで意中の男に見初められたいのだ。だが、このとおり、彼女はちょっと太めだ」
ニコールは気を使って『ちょっと……』なんてかばったが、どう見ても太っている。それも健康に悪い太り方だ。
「まあ、太めだね……。でも、大丈夫だよ。太った女の子が好きな男だっているさ。その意中の男がそうだといいけど」
「ういういうい……」
ニコールが目で二徹を咎める。二徹の言葉に傷ついたのか、鳴き声が激しくなる。ニコールが目で二徹を責める。責められても二徹も困る。そして愛しの妻はとんでもないことを夫に要求した。
「二徹、お願いだ。アンを1ヶ月後までに痩せさせてくれ」
「え、ええええっ!」
「二徹ならできるだろう。レシピのアイデアでアンを痩せさせる方法があるとか」
いくら二徹に絶大なる信頼をしているとはいえ、むちゃぶりだ。
「あの、ニコちゃん。そんな都合のいい方法なんて知らないよ。1年かけてゆっくり痩せていく食事を考えることはできるけど、1ヶ月で痩せるのは無理だ」
これは本当である。例えば、1ヶ月、飲まず食わずで、耐えればある程度は痩せる。そもそも、ダイエットの基本は正しい食生活なのである。食事の見直しが一番である。だが、急なダイエットは必ず失敗する。
そういうダイエットは脂肪も落ちるが筋肉も落ちるのだ。そして、落ちた筋肉によって代謝が悪くなり、そこへ余分な脂肪が付く。いわゆるリバウンドという奴だ。それを防ぐためには、適度な運動をしつつ、食事の改善が最も効果的なのだが、それには時間がかかるのだ。1ヶ月で痩せるなんて無理な話だ。
そしてニコールのお願いはこれだけにとどまらない。
「それだけではない。アリンガム家の公開お見合いには、花嫁としての素養を試される数々のテストがあるらしい。ダイエットのついでに、アンの花嫁修業もお願いする」
「え? 僕が?」
「そうだ」
ニコールは至極当然のようにそう答える。花嫁修業で行うのは、掃除、洗濯、ご飯作りだ。どう考えても専業主夫である二徹の仕事である。ちなみにニコールはこの3つは壊滅的にダメである。人に教えられるレベルではない。
「お願いしますズラ。あたし、どうしてもオルトンさんと結婚したいヅラ」
「オルトンって、あのアリンガム家の?」
男の名前は二徹が知っているくらい都では有名である。彼は都で手広く毛皮の商いをしているアリンガム家の御曹司である。アリンガム家は貴族ではないが、この都で7代続く老舗の毛皮問屋なのである。結構なお金持ちで、このオーガスト准伯爵家よりも裕福な暮らしをしている。
この御曹司のオルトンという男は、家督を継ぐための修行で地方周りをしていた時に、アンの屋敷に滞在したという。その時のアンはまだ15歳で、20歳を過ぎたオルトンとは、形式的な会話しかできなかったのだが、アンは結婚するなら、この人だと心に突き刺さってしまったらしい。
「その時に一目見て、その男に惚れてしまったということ?」
「そうヅラ……。オルトンさんはいい男ヅラ。おヒゲも立派で男らしいズラ」
「はあ……。僕が言うのもなんだけど、もう少しよく考えてもいいんじゃないか? 初恋=結婚じゃないし、どういう人かも分からないんだろう?」
「そんなことないズラ。オルトンさんは優しいズラ」
アンは夢中でオルトンのことを話す。オルトンは国中の毛皮の生産地を訪ねて勉強をしていた。アンのところにも1週間ほど滞在したのだが、そこで優しくされたらしい。
「その当時もあたしはちょっと太っていたズラ。それで男の子たちにからかわれていたズラ。そうしたら、オルトンさんはあたしにこういってくれたズラ」
*
「女の子はふくよかの方が可愛いよ。君のありのままの姿が一番さ」
*
(おい、オルトン、適当なこと言うなよ!)
オルトンという男の発言で、ありのままに食べた結果がこれである。当時はちょっとぽっちゃり程度だったのに、今は完全に太って子豚状態なのだ。さすがにアンもまずいと感じたのだろう。オルトンが公開お見合いをすると聞いて、応募しようと思ったものの、参加する女性がみんなスタイルのよい美人ばかりだと聞いて痩せようと決心したらしい。
「話を聞いたけど、なんだか残念臭がするんだよね……」
二徹はアンに聞こえないように、ニコールにそっと小声で感想をもらす。
「二徹、そんなこと言わないで、私の可愛い妹の力になってくれ。初恋=結婚だっていいじゃないか。それって、私と二徹……」
急に顔が真っ赤になるニコール。恥ずかしくなってしまったらしい。妹同然に接してきたアンの前で、ついニコちゃんモードが出そうになったが、慌ててキリリとした顔に戻った。
「とにかく、二徹に任せる。お前なら私の期待に応えてくれるはずだ」
ちなみに二徹とニコールは幼い頃に出会って、そのままゴールインした。初恋=結婚なのだ。アンのことを応援したい気持ちは分かる。二徹たちも結婚に至るまで、様々な壁をいろんな人の助力があってこそ乗り越えられたのだ。それに愛しい妻の願いだ。できる限りのことはしようと二徹は思った。
「分かったよ、ニコちゃん。なんとか考えてみるよ」
「二徹、ありがとう」
「ありがとうございますズラ」
ペコリと二徹に頭を下げるアン。こうしてアンは1ヶ月後の公開お見合いの日までオーガスト家の屋敷に滞在し、ダイエット&花嫁修業をすることになった。