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異世界嫁ごはん ~最強の専業主夫に転職しました~  作者: 九重七六八
第6話 嫁ごはん レシピ6 タイのお造りとアツアツご飯
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酒蒸しと白馬の王子様

「奴にはいい薬だ。これで料理に精進するだろう」


 息子が女性に平手打ちをされても動じないエバンス。息子をいつも厳しく育てているのであろう。それにも関わらず、レイジの若干、軽薄で驕る性格はいただけないが。


「ところで、二徹くん」

「なんでしょうか」


 二徹は王宮の総料理長が何を言うか想像ができた。彼がここへ来たのは偶然ではないと思ったからだ。


「どうだろう、二徹くん。王宮料理アカデミーに入らないか。君なら私が推薦しよう。君の発想力と技術が欲しい」

「……」


「アカデミーには、様々な腕をもつ料理人がたくさんいる。君の力も欲しいが、君自身も学ぶことは多いと思う。どうだろう?」


 二徹は少し考えた。確かに今の自分の力は発展途上だ。料理人としてはまだ修業中。もっと料理のことを学びたいとも思う。


 だが、レイジを殴り飛ばし、周りの客から賞賛されている妻のニコールの姿を見たら、答えは一つであった。


「すみません。せっかくのお誘いですが、僕は妻に料理を作るのが生きがいなんです。王宮に行けば、妻にごはんが作れなくなってしまいます」


「う……国王陛下の食事を作るよりも、妻が優先か?」

「はい」


 エバンスはやれやれという表情をした。二徹の妻、ニコールは相当な美人でその判断もやむを得ないと感じたようだ。


「だが、わしは諦めないぞ。また、状況が変わったら声をかけさせてくれ。おい、レイジを運べ」


 そう言って残念そうにエバンスは、気絶した息子のレイジは従者に運ばせた。そして、店の中に集まった人々に向かって丁寧にお辞儀をして出ていった。


(それにしても、刺身を作っただけで大変な騒ぎになってしまった……)


 二徹はそう思い返した。刺身への反応はこの世界の住人にとっては、刺激的であったようだ。それだけ、和食がこの異世界では異質だということがわかる。


「王宮の料理人になるチャンスだったのに、なぜ受けなかったんだ? 可愛い嫁さんに夕食を作ってやれないだけという理由だけじゃないだろう?」


 エバンスが去った後、二徹に話しかけてきたのは吟遊詩人の青年。王宮料理アカデミーは庶民から見れば憧れの職業。この国の料理人が目指す最高峰の職場である。

 普通に考えて、こんなチャンスを妻のために無駄にするなんて信じられないのだろう。


「君のアイデアと技術なら、きっと国一番の料理人になれると思う」


「ありがとうございます。確かにわがままが許されるなら、短時間だけでも覗いてみたい気はしますが、

それではアカデミーの方々に失礼ですし、やはり妻が全力で働けるようにサポートしてあげたいのです。特に食生活は大事ですから」


 二徹の答えに吟遊詩人の青年は笑みを浮かべた。二徹の思いを知って納得したようだ。


「君は本当に嫁さん思いなんだな。まあ、彼女は美しいけれど、レイジをぶっ飛ばしたあの武力の持ち主だ。一緒に暮らすのは怖くないのか?」


「はははっ。そうでもないですよ。ニコちゃんはあれでも僕の前では、とても可愛くなりますから」

「そうなのか? とてもそうだとは思えないが……」

「妻なんてそんなもんですよ。吟遊詩人さん」


 ここで吟遊詩人の青年は名前を名乗っていなかったことを思い出したようだ。すっと右手を二徹に差し出した。


「おっと、名前を教えていなかったな。私はカイン。この都を起点にウェステリア王国各地を回っている吟遊詩人だ」


「そうですか。国中を旅しているなら、また今度、地方料理のお話を聞かせてください」


 カインと名乗る吟遊詩人はにっこりと微笑んだ。


「また近々、会えると思う。話はその時に……。美しい嫁さんによろしく」


 そう言うとカインは店を出て行った。二徹はカインが去った扉を見つめる。何だか違和感があったのだ。

 それを察知したメイが犬耳をピクンとさせてトコトコと二徹のそばに寄ってきた。


「二徹様。どうなされたのですか?」

「あの吟遊詩人……ちょっと気になるんだ」

「気になるって? あの人は街でよく見かける人ですけどね。ボクは市場に買い出しに行かされた時に、あの人をちょくちょく見ました」


「最近って、どれくらいから?」

「う~ん。半年前くらいです……」

「なるほどね」


(国内各地を旅している吟遊詩人の割には、日焼けしていなかった。それに綺麗な手。なんとなく違和感があるよな……)


 漠然とそう感じた二徹であったが、頭はもう今日の夕食の献立について切り替わった。活き締めにしたタイ(ドリム)がまだ1匹余っていたのだ。


(うむ。夜だとさすがに鮮度が問題になるから蒸しものにしよう……)


 二徹たちはまだ興奮冷めやらぬ対決会場を後にした。



 日が沈み、オーガスト家の屋敷にも夕食の時間がやってきた。休日は使用人も基本的に休みなので、夜は完全に二徹とニコール、夫婦二人きりである。


「ニコちゃん、夕食はタイ(ドリム)の酒蒸しだよ」

「なんだそれは?」


 刺身対決の後に、屋敷に帰った二徹は、休む間もなく夕食作りの仕込みに取り掛かった。作るのは「タイの酒蒸し」。


 昆布と日本酒がタイの旨みを引き出すシンプルながらも絶品の日本料理だ。タイを一匹まるごと使う料理ではあるが、作り方は簡単だ。


 まず、昆布を日本酒に浸す。3時間ほど浸すととてもいい出汁ができる。そして、うろこ、内臓、血合いを丁寧に取り除いたタイにお湯をかける。これは臭みを取るため。酒蒸しは繊細な料理であるから、エラの中までブラシを使って丁寧に洗う。


 きれいに洗ったタイに針で穴を開ける。ピンと張った皮がプツプツと音を立てる。これは塩を染み込ませるための工夫だ。


 あとは全体に塩を振る。薄味になるようにするのがコツだが、エラや腹の中にもきちんと塩を振っておく。全体になじませることが重要だ。


 そして昆布を敷いた皿に日本酒を注ぎ、タイを浸す。ネギやキノコも香り付けのために散らす。タイまるごと1匹なら、30~40分ほど蒸せば完成だ。水滴が落ちないように耐水性の紙を上に置いておくと水っぽくならない。


 二徹はニコールに焼酎を水と果汁で割ったカクテルの入ったコップを手渡す。そして自分も右手で同じものを持った。オーガスト家定番の食前酒である。


「はい、ニコちゃん、乾杯」


 カチンとガラスが当たる音。料理の匂いと澄み切った音がオーガスト家のダイニングに静かに染みていく。大好きなカクテルを一口飲むとグッドタイミングでタイが蒸しあがる。ニコールは二徹が持ってきた酒のつまみである本日のメイン料理に注目する。


「うむ。なかなか美味しそうだな……」


 ニコールは皿から漂ういい匂いにもう鼻がヒクヒクしている。屋敷に帰ってから、日本刀を使いこなせるように二徹から木刀の素振りの練習を教わって、先程まで練習していたので、もうお腹がペコペコみたいである。


「どうぞ、熱々のうちに召し上がれ」

「こ、こうか? お、おお……」


 ニコールが恐る恐る、蓋を取るとタイとキノコ、ネギの香りがギュッと閉じ込められたものが解放される。これは酒の肴に最高である。


 思わずゴクリと唾を飲み込むニコール。もう一度、カクテルを一口飲んで、その魅惑の料理に手を付ける。


「う、うま、うま……い……」


 タイ(ドリム)の身はホロリと崩れ、それでいて白い肉厚の身は、口の中でキノコ(ピルツ)ネギ(イエル)の香りと共にタイ本来の香りと味を保っている。


 口に入れるとジュワッと旨みが広がり、体中に染み渡っていく。そこへ口当たりの良い果汁カクテルをきゅっと飲んで、口の中をリセットする。これの繰り返しである。


「ニコちゃん、刺身とは違った感じでタイ(ドリム)を食べてもらったけど、どう味は?」

「とても美味しい。昼間の刺身もうまかったが、こうやって香りと味を閉じ込めて蒸すというのもいい」

キノコ(ピルツ)ねぎ(イエル)の香りをうまく結びつけているのが、この日本酒(ハポンしゅ)だよ。これがタイの味を吸ってめちゃくちゃ美味しいんだよ」


 二徹の言葉にニコールは思わず喉を鳴らす。ほんのりと薄茶に染まった液体は、もう魅惑の匂いでニコールを誘っている。


「このカクテルも恐ろしく美味しいけど、あくまでも食前酒。やはり、本格的なものを飲みたい」

「じゃあ、これを飲もうね」


 そう言うと二徹はタイに使っていた日本酒を器にちょろちょろと注ぎ、それをさらに湯煎をして温める。アレンビー船長からもらった東方の貴重な酒がパワーアップする。


 米から作る日本酒は、温かい料理、特に日本料理には死ぬほどよく合う。特別に作らせた小さなおちょこにお銚子からちょろちょろと注ぐ。


「う、う、うま~い! 最高~っ! もう死ぬ~」


 先程からニコールの杯のスピードが上がっている。杯が空になる度に二徹は注ぐが、すぐに飲んでしまう。タイの酒蒸しの身を食べては、舐めるようにこのタイエキス入りの日本酒を味わっている。もうニコールは日本酒の大ファンになってしまったようだ。


「二徹はこんな美味しい料理を作れるんだ。私は二徹が王宮料理アカデミーに行きたいというのだったら、賛成するぞ」


お酒を味わいながら、急にそんなことを言うニコール。どうやら、ほろ酔い加減でいつもより口が軽くなっているようだ。


「ふ~ん。確かに、僕もたまには行ってみたいという気持ちはあるけどね」

「王宮料理アカデミーなんて、誰もが行けるところじゃない……」

「ふ~ん」


 二徹はそう言ってニコールを見つめる。彼女の真意を図っているような目だ。その目にニコールは思わず目をそらす。


 自分の真の気持ちが二徹にバレてしまうことを恐れているかのようだ。


「わ、私のことなら大丈夫だぞ。二徹がいなくても料理を作って食べることはできる」


 ニコールはそう言ったが、二徹はニコールの家庭生活での力量を正確に量っている。ニコールが作る料理というのは、単純明快な料理とは言えない食べ物を指す。


 決して食べられないことはないが、積極的に食べたいという類ではない。


「ニコちゃんが賛成してくれるなら、そのうち、考えてもいいかなってくらいだよ。まだ、食の世界は学ぶことが多いからね」


 正直なところレイジはともかく、エバンスの方はこのウェステリア王国の料理世界の頂点に輝く男だ。

 一度、その料理を味わってみたいと二徹は思っていたし、王宮料理アカデミーがどういうところかも知りたいという好奇心はもっていた。


「でもね……今は、ニコちゃんのためにおいしい料理を作る方が楽しいかな。君を支えるって僕は決めたからね。専業主夫メインで頑張りたいと思う」


「わ、私のためだと……ば、ばか言うな…」


 急にボンっと顔が赤くなるニコール。ニコールは酒に強いから、日本酒で赤くなったわけではないようだ。二徹の自分に対する思いに、ついモジモジし始めたニコール。


 二徹はそんなニコールに意地悪なことを聞いてみた。今なら、彼女の本音が聞けそうだと判断したのだ。


「ねえ、ニコちゃん。今日はレイジの奴が僕に勝負を挑んできた時、ニコちゃん、よく我慢したよね。いつもなら、瞬間にぶん殴るのだけど」


「ば、馬鹿言うな……。私はそんなに乱暴じゃない」


 そんなことを言ったが、ニコールは言い寄ってきたレイジに負けた罰として、往復ビンタ10セットをかましたから説得力はない。


 でも、そんなニコールの考えを二徹はある程度見抜いていた。今日のニコールは意図的に自制していた。これは間違いない。だから、二徹はその真意に迫る。


「あの時のニコちゃんは、僕が100%勝つって信じていたよね」

「当たり前だ。妻が夫を信じなくてどうするのだ。それに料理でニテツに敵う奴はいない」

「ありがとう、ニコちゃん。でも、本当の理由は違うよね」


 ちょっとニヤリと笑みを浮かべる二徹。愛する妻のことは全てお見通しなのだ。徐々に心理的に追い詰められるニコール。


 二徹と美味しい料理、お酒の前に徐々に鎧を脱がされてしまう小動物と化す。


「ほ、本当の理由だと……」

「僕が100%勝つって信じていたから、ニコちゃんはやってみたいと思ったんだよね」

「ど、どうして、それが分かるのだ?」

「分かるよ。いつもニコちゃんを見ているから」


 ニコールはそっと俯いた。二徹には素直にならないといけないようだと改めて思っているようだ。観念したように下を向いて、奉書焼きの紙をフォークで突っついた。


「私も一応、女だ……」

「うん。可愛い僕の奥さんだね」


「だから……私だって、たまにはお姫様をやってみたいと思った。それだけだ」


 そう言ってぷいと背中を向けたニコール。


 つまり、ニコールはピンチを救ってくれるのを待つお姫様役を今日はやってみたかったようだ。仕事場では白馬の王子役をやることが多いニコール。


 どんなに強くて勇敢でも、ニコールはやっぱり女の子なのだ。


 自分を助けるために戦ってくれるはくばのおうじを見るのは、妻冥利に尽きるということだろう。


 もう顔が真っ赤になり、耳たぶまで赤いニコール。妻の本音を聞いて、ニヤニヤとしてしまう二徹。


「はい、それじゃ、僕のお姫様……。こっちを向いてどうぞ」


 二徹は箸でタイの身をつまんだ。そして、ニコールの口元に持っていく。


「はい、僕のお姫様、あ~ん」

「ば、馬鹿にするな! そんな恥ずかしいことできるか……」

「そうかな……身がプリプリで美味しいよ」


 最初はそっぽを向いたニコールであったが、タイの酒蒸しの香りに飲み込まれる。振り返って、パクッとたまらず口を開けて食べたニコール。


 あまりの美味しさに表情が崩れる。もう、美味しさに体がとろけるようである。


「はい、完食、お疲れ様」

「美味しかった」

「それじゃ」


 二徹はニコールをひょいと持ち上げた。お姫様抱っこである。両手を口に当てるニコール。驚いて声も出ない。


「僕のお姫様。安全な場所までお連れします」

「も、もう……好き」


 誰かがこの光景を見たら、きっとこう思うだろう。


「勝手にやってろ!」


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