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異世界嫁ごはん ~最強の専業主夫に転職しました~  作者: 九重七六八
第6話 嫁ごはん レシピ6 タイのお造りとアツアツご飯
42/254

判定

12/23 大幅に改稿しました。

 そこへ定食屋のドアが開いた。入ってきたのは、厳しい表情の中年の男だ。身なりからして、かなり身分の高い者と思われた。

 驚いた声を上げたのはレイジ。先ほどのクレームを放った勢いがどんどんと失われていくのが分かる。


「ち、父上……」

「レイジ、お前はこんなところで何をしているのだ?」


 中年の男はそう言うと店の中を見回した。そして観客の一部に目を留めると、黙って軽く会釈をする。それはごく自然に行われたので、誰も不思議には思わなかった。


「父上、この男が魚を切っただけの生で食するのを刺身と称し、それが料理だと言うので、俺が料理勝負してやったのです。ただ切るだけの簡単なものですが、プロとアマの差がつくのはそういうとこなんで。ところが、こいつら味が分からないから、正確な判定が下せないのです」


「ほほう。それが刺身という料理か」


 レイジが父上と呼ぶこの男。王室料理アカデミー総料理長、エバンズ・ブルーノ、その人であった。とある人物からの使者によって呼ばれ、急ぎこの小さな定食屋にやってきたのだ。


「どれ、わしにも味見をさせていただこうか」

「どうぞ」


 二徹は王宮料理アカデミーの総理長というこの男について、店に入ってきた時から、只者ではないと感じていた。


 王宮料理アカデミーについては、ある程度の一般知識はもっていたが、総料理長という肩書きをもつその人物には、その道のプロフェッショナルのオーラがあるのだ。その威圧は自分のかつての父、伊達岩徹だてがんてつに匹敵するものがあった。


 二徹はそんな男に、自分の作ったタイの刺身を差し出す。エバンスはそれをフォークで突き刺し、わさびをちょんと載せると醤油に付けた。


 そしてゆっくりと口にすべり込ませる。そしてゆっくりと噛む。目が自然と閉じられる。それを3回。二徹が用意した刺身を味わう。


「……うう……旨い。なんということだ……。生がこんなに旨いとは……。無論、我々にも魚を生で食べる料理のレシピはある。だが、これはそれとは違う料理方法だ。なるほど、切り方や技法だけでこうも味が変わるのか」


 一つは普通に平切りにしたもの。もう一つは皮にお湯をかけた後に細かく鹿の子に切れ目を入れたものである。


 ここで二徹は氷温庫に入れていた刺身を取り出す。もう一つはレイジとの勝負の前に仕込んだものだ。見た目は変わらないがほのかに別の香りがする。


「これはレイジが魚を調達に行くときに調理したものです。2時間前のものですが、味は抜群ですよ。これは勝負とは関係ないですが」


 事前に仕込みをしておくと、不公平なので勝負が終わってから刺身という料理の技法の奥深さを説明するために用意しておいたものである。


「なるほど……これは昆布ズズで包んだのか?」


 エバンスはその皿を見た途端にそう答えた。優れた嗅覚である。


「はい。2時間前に仕込みをしておきました。刺身に軽く塩を振って昆布で包んで置いたのです。コブ締めといいます」


「旨い……身に十分染み込んだ昆布の味とタイ(ドリム)の味が合わさって、深いものになっている。これは美味い」


 エバンスの恍惚な表情は、次に自分の息子の刺身を食べて豹変する。表情が一瞬で曇った。そして、冷酷に言い放った。


「ダメだ。見てくれだけ真似してもどうにもならん」


「な……そんな馬鹿な。こっちの魚の方が新しいんだぞ! 鮮度だけでもこっちが上」

「お前も食べてみろ。鮮度とは、新しいからいいとは言えんのだ」


「くっ! 馬鹿なことがあるわけ……」


 そう言ってレイジは二徹の刺身をひと切れ食べる。そして慌てて、自分の作った方を食べる。


 結果は出た。


 これに対して文句をつけることはできない、圧倒的な差をレイジも認めざるを得ない。だが、頭が混乱して素直になれないレイジ。二徹に不満をぶつける。


「う、うそだ! 俺が素人に負けるなんてありえない!」

「残念だけど、君のやり方では全く僕には勝てないよ」


「なぜだ、理由がわからない。こんな単純な料理でここまで差がつくはずがない」


 まだレイジは納得がいかないようだ。それはここにいる観客も同じである。特に吟遊詩人の青年は興味深そうに、二徹に尋ねた。


「どうだろう。ニテツくん。よくわかるように説明をしてくれないか? でないと、ここにいる者たちは疑問で寝られなくなる」


「いいでしょう」


 二徹は順にここまでの差がなぜついたのかを説明していく。


「まずは魚の鮮度。そちらのタイ(ドリム)は海で釣ったばかり。少なくとも2時間前は生きていたもの。こっちはその時から死んでいた魚。でも、鮮度はこっちの方が上だったようですね」


「なぜだ! そんなことはありえない」


 レイジにとっては魚の新鮮さという大前提が崩れたのだ。


 虚しく響く叫び。


「これを見てよ」


 二徹は箱に氷詰めにしていた自分のタイとバケツに入ったレイジのタイとを比べた。それは柔らかく、しなっている。普通は死後硬直して固くなっているはずだ。


「これは血抜きしてあるんだよ」

「そんなのこちらも同じだ。釣り人から買って俺がその場で血抜きをした」


「こちらは活き締めと言って、生きているうちに血抜きをしたんだよ。レイジの方もそうだけど、きっと釣り人から買った時には弱っていたか、死んでいたんじゃない?」


「そ、それは……」


 図星のようだ。血抜きはしたが釣った直後ではなかったらしい。バケツに入って死んでいたか、かなり弱ったタイと獲った直後に締めたタイ。鮮度の違いは明らかだ。


 どうやら、まだ見習いのレイジ。魚の血抜きをしないといけないという知識はあったのだが、その時間の重要性には理解が及んでいなかったようだ。


 ただ、釣り人から買ったタイはかなりいい形をしており、レイジの目利きがダメだったというわけではない。


「釣った直後に血を抜いた魚は、かなり時間が経っても生きていた時と同じ新鮮さなんだよ。それが遅れれば鮮度の差は大きいのです」


「ニテツ、それはちょっと私にも分からない。確かに鮮度の差は分かったが、この味の差はそれだけではないような気がする」


 ニコールは二徹のタイとバケツに入ったレイジのタイを見比べる。どちらも氷に埋められており、見た目にはどちらが新鮮かは分からない。


「刺身だと生だからそういう差は大きいんだよ。火を通して濃厚なソースに絡める料理ならともかく、こういうシンプルな料理にするとその差は決定的」


「それだけじゃないようだ。作り方も一緒のようで違う」


 これは二徹の作業とレイジの作業を見比べていた吟遊詩人の青年の発言。


 二徹はゆっくりと丁寧に引くように切る。その包丁の切れ味は鋭く、身に触れた途端に薄く剥がれていくように切れる。


レイジは派手に押し切っていた。二徹は丁寧に包丁の扱い方を説明する。


「押し切ると細胞の断面が押しつぶされてしまうんです。そうするとそこから肉の旨みが流れ出すのです」

「なるほど。だから、レイジさんのは水っぽかったんだ」


 ぽんと握った右手を左の手にひらで受けたメイ。犬耳がピクっと動き納得したと返事をした。


「君のまな板は布で拭いて乾かしていたね。それに5回切るたびに包丁を拭っていたようだが……」


 吟遊詩人の青年が観察していた時に、疑問に思ったことを口にする。


「刺身に余分な水分は禁物なんです。身はよく布で水分を拭き取っておきます。何度も切ると油で包丁の切れ味が鈍るんです。だから、その油を取り除くのです。そして、氷水につけるのは余分な油や生臭さを落とすため。これは時間との勝負。長く漬けると魚の旨みが水に溶け出してしまいます」


 腕組みをして二徹の説明を聞いていたエバンス総料理長。この国の一番の料理人であるのに、実に謙虚である。常に貪欲に食について学ぼうという意識が伝わる。


「なるほど……。単純なようで奥が深い。魚を生で食べることにも驚いたが、そんな技術がいるとは」

「刺身は魚を旨く食べようという技術が集約された料理なんです。あと、釣ってすぐに食べるよりも、少し時間を置いたほうが、魚の肉はずっと美味しくなります。これは肉と同じですが」


「そうだ。その通りだ。それに確かにこの料理には、相当な包丁技術がいる。しかし、二徹くんといったな。君はどうしてこんな料理法を知っているのだ?」


 そうエバンス総料理長は尋ねた。二徹はどう見ても20代の若者。料理人としては、経験が足りず、技術の習得も十分ではないはずだ。


 だが、生まれ変わるまえの二徹は、8歳の頃から料理修行をしていた。


 こっちの世界に生まれ変わって、記憶が徐々に戻ってきたのが同じく8歳。合わせれば20年以上の料理経験がないとは言えない。


 もちろん、二徹自身は今の自分が優れた料理人であるとは思っていない。まだまだ修行が必要だと感じている。


「ア、アイデアですよ。僕のオリジナルです」


 そう言ってごまかす二徹。今回の件は転生前の知識を使っているから、この答えは大嘘であるが、ここで自分の前世は……なんて話しても信じてはくれないだろう。


「東方の島国では、同じように魚を生で食べると聞いたことがあるが、それは野蛮な民族の奇怪な風習と思っていた。だが、このように食べれば立派な料理文化の中のひと皿といえよう」


 エバンスはそう言うと、この勝負で完敗した不肖の息子を見る。息子に料理の才能がないわけではない。

 今の勝負も初めて見る刺身という料理法を見抜いて、それなりに作ることができた。だが、残念ながら包丁技術も洞察力も知識もまだなかった。


「レイジ、この勝負。完全にお前の負けだ」

「……どうやら、そのようです……。残念ながら認めるしかない。俺も男だ。完敗だ」


 父親に敗北宣言をされて、レイジは敗北を受け入れた。二徹に潔く頭を下げる。


 最初は嫌な奴だと思ったが、意外に素直で男らしいやつだと二徹は見直した。


 そして、敗北を認めたレイジは、カツカツと靴音を鳴らし、背筋を伸ばしてニコールの前に立った。


「さあ、お嬢さん、約束だ。俺を殴ってくれ」


(おいおい、バカ正直にニコちゃんの約束を守らなくても……)


 二徹はレイジのことを心配した。この軽薄そうな若者が憎めなくなったのだ。妻のニコールに色目を使ったことは、正直、ちょっとムカついたが、今はそれは許すことにした。素直に負けを認めた態度を見て、愛妻からこの男が殴られることに同情したのだ。


 しかし、男の二徹は許してやろうと思ったが、女のニコールにはそんな思いは一片もない。


「いい覚悟だ!」


 ニコールはそう言って両手の指をポキポキ鳴らした。レイジは、ニコールの一見すると、可憐で華奢な体型に、ひ弱で打撃も弱い一般的な女性と間違った判断をしたようだ。だが、それは明らかに間違いであった。


 バチーン!


 甲高い音が店の天井に鳴り響いた。よろけて右へバランスを崩すレイジ。だが、そのバランスは2発目の衝撃で今度は左へ進路を変える。


 バチバチバチバチバチ……。


 右へ左へレイジが乱れ飛ぶ。そして、最後の音が天井を突き破るくらい響いた。


 鼻血を振りまきながらスローモーションのように体が回転しながら吹っ飛ぶレイジ。ニコールの手首のスナップを効かせた平手うちは、普通の人なら一瞬で気を失わせる強烈な一撃なのだ。


「ふう……。やっとすっきりした。言い忘れたが、私の平手打ちは10回連続でワンセットだ」


 レイジを打った右手を軽く振り、唖然としている観客、口を開けて固まっているエバンス総料理長を尻目にそう言い放ったニコール。壮絶な光景だが、吹き飛んだレイジの顔はなぜかにやけている。


「し・あ・わ・せ……だ……」


 椅子とテーブルをひっくり返し、地面に倒れたレイジはそうつぶやいて気を失った。平手打ちで大の大人を戦闘不能にするニコール。まさに『狂乱淑女』のあだ名どおりである。


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― 新着の感想 ―
レイジの新たな扉を開いたのか、元々そういう癖があったのかw
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