zの付く鍛冶工房
ゼペットじいさんの鍛冶工房は、オーガスト家の屋敷から馬車で30分ほど離れた都の南エリアにある。こぢんまりとした工房で、建物の入口には『Z』と刻まれた年季の入った木製の看板が出ている。大規模に行っていない小さな店だが、ゼペットの神業のような技術に魅せられた客がたくさんやってくる。しかしゼペットじいさんは、鍬、鋤などの農器具、剣や槍などの武器作りまでするのだが、気に入った客しか注文を受けないという頑固な面もあった。
「こんにちは。ゼペットさん、いますか?」
「おおう。待っておったぞ、二徹。今日はえらい可愛い連れと一緒じゃな」
ゼペットじいさんは丸めがねをクイッと上げて、二徹の後ろのニコールとメイを見る。ゼペットじいさんは小柄で頭の天頂部が見事に禿げ上がっている。周りに残った髪は見事に白髪だ。額に刻まれたシワがかなりの年齢を感じさせる。さらに特徴的なのは赤い大きな鼻。鍛冶の仕事で毎日、炎であぶられたからではないだろうが、一度見たら忘れられないくらいに赤い鼻だ。
「こちらが妻のニコール。小さい方が僕の助手のメイです。ニコール、メイ、この人が鍛冶屋のゼペットさん」
二徹は二人を紹介した。ゼペットは目を細めて二人を見た。
「おお……二徹、これが噂の美人の嫁さんか」
「初めまして。二徹の妻のニコールです」
「ほほう……奥さんは確か、近衛隊の士官さんじゃったな」
「はい」
今のニコールの格好はワンピース調の私服姿。体のラインが出てどう見ても若くて美しい貴婦人にしか見えないが、職業は近衛小隊を率いる隊長なのである。
「二徹に教えてもらって、作ってみたのじゃが、軍人さんの目から見てどうじゃ」
そう言うとゼペットじいさんはひと振りの武器を見せた。それは『刀』。二徹に教えてもらい、試行錯誤で作った『日本刀』であった。
「これは? サーベルとは違うようだが」
興味津々にニコールはその武器を受け取る。ウェステリア王国の士官は腰にサーベルを装備している。サーベルは騎乗する士官の主要装備なのだ。ウェステリア王国のサーベルは、直刀タイプで柄には複雑な飾りが付いており、先端が槍状になっている。これは斬るよりも突いて攻撃するためだ。それに比べると明らかに異質の武器。今、ニコールが手にしているものである。日本刀は鋼を打って伸ばして作る。何度も何度も打って強くし、鍛える。そうやって鍛えられた日本刀のその切れ味は西洋刀であるサーベルをはるかに凌駕する。
「ウェステリア軍のサーベルとは攻撃力が違うわい。もちろん、この刀の方が上じゃ」
「なんだと、我が軍の武器を馬鹿にするのか!」
「おやおや、二徹、君の奥さんは物騒なものを持っておるのう」
よく見れば、ニコールは私服姿なのに、腰のベルトに愛用のサーベルを携帯している。いつも肌身離さず持っているから、私服姿でも違和感がなくて二徹も気づかなかった。
「そんな変な剣と比べられるのは我慢がならない」
「では、比べてみるかの」
ゼペットじいさんはそう言って、腰をトントンと叩いて歩き始めた。裏庭へと案内する。そこには藁束が2つ、地面に打ち込んだ杭にくくりつけられている。太さは人間の胴回りほどだ。
「奥さんは自前のサーベル。二徹はこの日本刀を使って切るがいい」
「ゼペットさん、僕がやるんですか?」
「このわしがやるよりいいだろう。それにこれは……」
「ああ、ゼペットさん、そこまでにして」
二徹は慌てて、指を立てて口に当てた。内緒にしてくれという合図である。それを見てゼペットは茶目っ気たっぷりに親指を立てて、片目を閉じた。二徹と秘密の約束ごとがあるのだ。幸い、勝負と言われて興奮気味のニコールは気づいていない。
「武器の性能を比べるつもりだろうが、残念ながら私と夫では剣の腕が違いすぎる。比べることはできないぞ」
剣の性能比べに際して、ニコールはゼペットに忠告する。あくまでも剣のスペックで勝負するべきだが、それは操る人間の腕前で随分と変わってしまうことも多い。軍支給の指揮官用サーベルが圧勝と思っているニコールは、純粋に剣の性能だけで決めることは難しいと意見した。仮に日本刀の方が性能がよいとしても、腕だけでカバーできるとニコールは思っているようである。
「わしが予想するに、この場合は圧倒的な武器の差で奥さんは負けると思うぞ」
「な……」
絶句するニコール。いくらなんでも二徹には負けないと思っているのだが、それをゼペットは簡単にニコールの負けだと言うのである。少し腹立たしい気持ちがニコールの心の中に響いた。
「ニコちゃん、余興だよ。やってみよう」
この工房にやってきた当初の目標は二徹の包丁のメンテナンスと、メイへの包丁のプレゼント。話がそれてしまって、剣の性能を確かめることになってしまったが、日本刀については、ニコールにも知ってもらいたいと二徹は思っていたから、この勝負は受けて立とうと思ったのだ。しかし、見本と見せると言っても、ニコールは職業軍人。二徹は一般人だ。敢えて言うなら専業主夫。幼少の頃に多少は剣術を学んだことはあるとはいえ、いつも訓練しているニコールに勝てるはずがない。だが、その腕の差をもってしても勝負は二徹の勝ちだとゼペットは言うのだ。
「では、参る!」
ニコールは愛用のサーベルを抜くと藁束をなぎ払った。だが、藁束は厚く容易には切れない。剣の勢いを吸収し、スピードを鈍らせるのだ。元々、突く攻撃に特化していることもあり、切れ味がよいとはいえないのだ。それでもニコールの剣技はすさまじかった。その技の前に、人に似せられた藁束は上半身と下半身を切り離された。
「では、次は僕だね」
正直、素人が日本刀を振るのは危険だ。だが、二徹は生まれ変わる前に少々、趣味で居合をやっていたことがある。料理を作る時の精神を養うために、武術を習うのも家の教育方針の一環だったからだ。だが、かじった程度で技はニコールのにはかなわない。せいぜい、怪我をしないように刀を振る程度だ。
シュパッツ……。
軽快な空気を切り裂く音と共に藁束が真っ二つになる。
「すごい、二徹様。奥様と同じように……」
メイの目も丸くなる光景。正直、二徹がここまでやるとは想像していなかったようで、妻のニコールも唖然としている。そして、フラフラと近づいて藁束を見る。
「そんな……信じられん。二徹の剣技で私と同じように……いや、これは……」
切り口を見たニコールの声のトーンは明らかに2段階は落ちた。
「私の斬った面は凸凹している。なのに、二徹の斬った方は真っ直ぐになっている」
「剣の技は奥さんの方が上だ。だが、結果は旦那の方が上じゃったの。これはつまり……」
「その剣の性能と言うことか」
「ゼペットじいさん。僕の腕も褒めてよ」
「すごい、これは素晴らしい武器だ」
声のトーンが落ちて明らかに凹んでいたニコールのテンションが急に上がった。日本刀に可能性を見出したのだ。
「日本刀だよ」
「日本刀……欲しい」
二徹は刀を鞘に収める。そして、それをニコールに差し出した。実は来週の誕生日プレゼントに二徹がずいぶん前から、ゼペットじいさんにお願いして作ってもらっていたのだ。あまりにも欲しそうな愛妻の表情に、ついフライングをしてしまった。
「これは僕から素敵な奥さんに贈り物だよ」
「う……うそ!」
「嘘じゃないよ。実はニコちゃんの誕生日プレゼントにするつもりだったけど、今、ここでプレゼントするよ」
「いいのか!」
目を輝かせるニコール。危険な武器を抱き抱えて感動する美人妻というのは絵になる。
「それにこの前、ニコちゃんは大手柄を立てたでしょ。報奨金も出たし、もうすぐ昇進もするんでしょ。僕からのプレゼントさ」
「う、うれしい……」
二徹から渡された刀を抱きしめて、少し涙目のニコール。二、三歩、近寄って二徹の胸に額をくっつける。それを優しく抱きしめる二徹。
「おいおい、イチャつくのは家でやってくれ」
ゼペットじいさんはもうお腹いっぱいという表情をした。先程からおとなしくしているメイも随分前からお腹いっぱいの様子である。それにしても、夫から日本刀もらって感動する奥さんもそうそういないが、ニコールはそういった意味では変わった奥さんだ。
「そうそう、そっちの小さなお嬢さんにもプレゼントがあるぞ」
そう言うとゼペットじいさんは木の箱を取り出した。蓋を開けると二徹と同じような包丁のセットが入っている。これも二徹が前からメイのために注文していたものなのだ。
「こ、こんな立派なものをボクに!」
「ああ。ゼペットさんの入魂の代物だよ。今日から、これで特訓をするぞ」
「はい! 二徹様」
こちらもちょっと涙ぐむ。犬耳が少し垂れ下がる。この小さな小間使いの少女は、人からプレゼントをもらったことがなかった。好きな料理に欠かせない包丁セットをもらったことがとても嬉しいのだ。
「ゼペットさん、僕の包丁のメンテナンスもお願いしますよ」
「ああ。すぐに取り掛かろう。昼までにはできる」
ゼペットじいさんはそう言うと、二徹から包丁を受け取った。前から頼んであったこともあって、すぐに取り掛かってくれるらしい。




