日本酒とレンコンの煮物と愛妻
イーサンを手助けした二徹は、お礼にとレンコンをたくさんもらった。今日の夕食は当然ながら、レンコンを使った料理になる。レンコンを使ったとびっきりのレシピで、妻を満足させようと二徹は張り切っていた。いつものように助手はメイだ。
「二徹様、今日の夕食はレンコン料理ですか?」
「ああ。試食では洋風だったけど、今日は和風の煮物にするんだ」
「ヨーフウ? ワフウ? なんですか」
メイが尋ねるのも仕方がない。それは日本人からこの異世界に生まれ変わった二徹しか知らない知識だ。このウェステリア王国の料理は洋風がスタンダード。和食というものは存在しない。アレンビー船長が航海する東の果てにある島国には、そういったものがあるらしいとの話であるが、それが和食と同じ物なのかは二徹には分からない。
「今日の試食で出した料理だよ。基本的に、アレンビー船長にもらった調味料を使うんだ」
「あ、あの壺に入っていた調味料ですか?」
アレンビー船長からもらった調味料。『醤油』『味噌』『日本酒』『鰹節』である。この異世界でも『醤油』『味噌』『日本酒』作りに挑戦しているのだが、まだ完成はしていない。今までで、成功したのは『焼酎』とそこから作った『味醂』。時間がかかることもあって、『醤油』『味噌』『日本酒』についてはまだ完成していない。『鰹節』については、作り方も難しく、また、作れそうな人材もいないので挑戦すらしていなかった。そういった意味では、アレンビー船長が東方の島国から運んできたものには大変な価値があるのだ。
「今から作るのは手羽元とレンコンのスイじょうゆ煮だよ」
「スイじょうゆ煮?」
「スイと醤油でレンコンを煮るのさ。材料さえあれば全部入れて、コトコト煮るだけでできる料理だよ」
「で、ボクは何をすればいいの?」
「まずは手羽元をよく水で洗って」
二徹はメイに指示して、手羽元を水でさっと洗ってもらう。ここで血などを取り除く。洗うことで生臭さを取り除くのだ。メイは小さな手で手羽元をなでるように洗う。水が白く濁っていく。これをすると鶏肉の独特の臭みが取れるのだ。特に血合いの部分を丁寧に取ると、味がグッと引き締まる。
「驚きました。貴族様は手羽元なんか食べないと思っていました」
「そうだね。これは庶民の食材だからね」
手羽元は主に焼いて提供される。香ばしくて美味しいのだがひどく食べ難い。一般人なら手づかみでかぶりとかぶりつき、骨にくっついている肉を歯でこそぎ落として食べる。この骨にくっついたところがたまらなく美味しいのだが、貴族はそういう下品な食べ方をしない。フォークとナイフで食べるには難しいし、労力がいる。よって、手羽元や手羽先は貴族の食卓には上がらないのだ。
「ニコちゃんには上品に食べてもらいたいからね。料理の仕方でそこは解決するんだよ」
二徹はイーサンからもらった採れたてのレンコンを取り出す。包丁で手早く皮をむき、半分に切って2ク・ノランの幅に切った。その間にメイは水で洗った手羽元を布巾で水気を取る。
「煮汁を作るよ。水に酒、醤油にタウを入れる。そしてたっぷりのスイ」
二徹はどぼどぼと酢を手羽元にふりかけた。レンコンと手羽元が調味料の中に沈んでいく。たっぷりの酢で煮ると肉が軟らかくなり、骨離れがよくなるのだ。それこそ、肉がごそっと骨から外れていく。また、肉や骨からエキスが溶け出し、味に深みを出すことができるのだ。
「あとは30分ほど煮込むだけだよ」
「こんなに簡単なんですか?」
「沸騰するまでは強火。あとは弱火でじっくりと煮る。アクはこまめに取ると味にえぐみが出なくなる」
「黒光りして、美味しそうですね。東方からもらったという醤油という調味料あっての料理ですね」
「ニコちゃんが気に入ってくれるといいんだけどね」
*
「ただいま……。なんだか酸っぱい匂いがする」
軍服を脱ぎ、部屋着に着替えたニコールは、ダイニングルームに入ったとたんに鼻をヒクヒクさせた。一日の仕事を終えて疲れきった表情から好奇心に満ちた表情へと変わる。
「ニコちゃん、お帰り。今日は珍しい食材と調味料が入ったんで変わったものを作ったよ」
いつもの通りの時間の帰宅だ。この時間に調理のタイミングを合わせてきた二徹にとっては、うれしいことだ。二徹は鍋の蓋を取る。湯気とともに鶏肉と酢と醤油の良い香りが広がる。木杓子で深皿にそれを盛る。
「どうぞ、奥さん。今日は手羽元とレンコンのスイじょうゆ煮です」
「スイじょうゆ煮? 見たところ、スイで煮ただけのようだが、色が黒いのが不思議だ」
ニコールはナイフとフォークでまずはレンコンを切る。軟らかく煮たおかげでナイフを使わずともレンコンは軽く切れる。
「これ穴の空いた変わった食材だな……。これがレンコンというのか?」
ニコールの形のよい口の中に入るレンコン。それはもっちり、ほこほこの食感をニコールに感じさせる。しかも噛めば噛むほど、酢の鮮烈さと醤油の深みのある味が口いっぱいに広がってくる。しかもほのかに甘く、何とも言えない旨みを感じる。
「なに……これ……今まで食べたことのない味だ……もちもちの食感によく染みた味」
「ニコちゃん、お肉もどうぞ。たぶん、フォークでつつけば身は外れるよ」
「手羽元は食べにくいだろ……あれ?」
ニコールが皿の中で肉をフォークでつついた。それだけで、肉が骨から外れていく。
「な、なんという軟らかさ。こんなの見たことがない……それにこれにも味がたっぷり染みている」
骨から外れた肉をフォークで突き刺す。ごっそりと外れた身を口へ運ぶ。そしてひと噛み。じゅわっと肉のスープと酢じょうゆが混ざり合い、旨みのカプセルが口の中で次々と爆ぜていく。
「ううううう……う~ん。美味しいですうううっ……」
思わずほっぺたを両手で押さえてしまうニコール。そこへ二徹が湯呑をトンと置いた。中には不思議な液体が入っている。
「この料理によく合うお酒だよ」
「お、お酒?」
「これを飲んで、この料理を食べるともうたまらなくなるよ」
「た、たまらなく……そんなわけ……ん……ごきゅ……」
操られているかのようにニコールはそれを一口飲んだ。オレンジの鮮烈な香りが口に広がり、酢としょうゆに支配された口腔がフレッシュな果汁で洗い流される。そのあと、香りのどっしりしたアルコールがギュッとニコールの頭に刺激を与える。
「日本酒をベースにしたカクテルだよ」
「ふああああああっ……二徹……私を殺す気か……今、脳天がふわっとなって、体がピクピクと痙攣してしまう……美味しいよ!」
「そう言って貰えて嬉しいよ。今日はいろいろあったけど、ニコちゃんの美味しそうに食べる姿を見られると、僕はなんだか幸せに感じるよ」
コキュコキュとカクテルを一気に飲み干すニコール。頬が酔いで桜色に染まる。
「二徹は本当に料理の天才だ。王宮の総料理長でもこんな料理は思いつかない……」
(そりゃそうだろうなあ……)
二徹には生まれ変わる前の記憶がある。日本で培った料理の知識は若干チートだが、材料が揃わないこの異世界で創意工夫している。
「ねえ……二徹」
「なんだい? ニコちゃん」
「先日の事件で王宮の料理人が多数亡くなって欠員ができたんだ。今、王宮ではその補充人員を募集しているそうだ」
酒に酔って、甘えてくるのかと二徹は思ったが、どうやら仕事の話らしい。先日というのはニコールが王女を護衛して、敵の裏をかき、襲撃を失敗させて何人かのテロリストを捕まえた事件だ。ニコールはその総指揮をとって見事に王女を守り通した。だが、奪い取られた調理馬車に乗っていた料理人たちが殺害されてしまったのだった。その時にできた欠員の募集らしい。ニコールの少し視線の定まらない目を見て、二徹は彼女が言おうとしていることが分かった。そこでこう答える。
「僕がそれに応募しろってこと?」
「べ、別にそういうわけではない……。ただ、私は二徹の才能は場所が変われば、もっと伸びるし、王宮ならその料理の才能を生かすことができると思っただけで……」
「ん~嬉しいけど、僕は興味ないなあ……。ましてや、宮廷料理人は国王陛下の食事を作る仕事。元反体制派貴族の息子だと反対する人もいるんじゃない?」
前半が二徹の本音。後半は嫁への気遣い。何か正当な理由を付けてやれば、ニコールも表向きは断りやすいだろうという配慮である。恐らく、ニコールの上官あたりが二徹のことを聞きつけて、ニコールを通じて打診したに違いないと思ったのだ。心底、反体制貴族とかの問題は、二徹は全く気にしていない。
「そうだろうか……」
「それにニコちゃん。僕が王宮の調理場に入ったら、毎日、ニコちゃんに料理が作れなくなってしまうよ。それでもいいの?」
ニコールは黙って視線をテーブルへと落とした。酔いが回ってきたようだ。レンコンをフォークで突き刺し、それを口に放り込んでコップのカクテルの残りを舐めるように飲む。そして小さな声できっぱりと否定した。
「……嫌、絶対に嫌だ」
「どうしたの、ニコちゃん?」
「二徹は私だけに料理を作るの!」
今は料理とお酒に酔ってしまった可愛いバージョンのニコールだ。そして、恥ずかしいことを口走ったと自覚して、指でテーブルクロスをイジイジしている。二徹はそんな可愛い嫁に微笑む。
「はいはい。僕は料理をニコちゃんのためだけに作るよ」
「も、もう……そんなこと言っちゃダメ。ま、また……好きになっちゃうじゃない……」
きゅううううっと最後は消え入りそうな声になるニコール。さすがに恥ずかしくなったのか、慌てて話題を変え始めた。
「二徹は王宮に来ちゃダメだ。二徹はかっこいいから、他の貴族のお嬢様たちが狙うから」
「狙うって、肉食獣じゃないんだし」
「あ~、二徹、分かってない! 女はみんな狼なんだ!」
(そりゃ、男だろ。かなり酔った?)
ニコールに出したのはコップに3分の1の日本酒。この程度のアルコールでニコールが酔うはずがないのだが、慣れないお酒と恥ずかしいことを意図せず告白してしまった自分に酔ってしまったようだ。
「はい。じゃあ、ニコちゃん、ご飯も食べたし、顔を洗って寝ようね」
「あ~ん。ダメ、ダメ、私だけ、寝るの反則。二徹も寝る!」
駄々をこねるニコール。もう甘えん坊モードだ。
「僕は片付けがあるから、後でね」
「そんなの明日、ナミかメイにやってもらえばいい。オーガスト家の当主が命令しているんだ。私と今から一緒に寝る、これは隊長からの命令だ」
「はいはい。隊長からの命令じゃ仕方ない。じゃあ、一緒に寝るからベッドへ行こう」
「ん~。行こう、行こう!」
ニコールはそう威勢良く片手を挙げたが、だいぶお疲れのようだ。やがて徐々に力が抜けていき、まぶたがゆっくりと閉じられる。
(ニコちゃん、今日はよほど疲れていたみたいだね……)
二徹はテーブルの上のベルを鳴らした。その音を聞いたメイがそっと扉から顔を出す。
「どうしました、二徹様」
「メイ、寝室の準備は出来ている?」
「はい、二徹様。準備は整っています」
「よし、それじゃ、ニコちゃん」
「う、う~ん。二徹~っ。一緒に……寝なきゃダメ……」
まだ寝落ちしていない愛妻。目を閉じたまま、睡魔と闘っているようだ。
「はい、はい。それじゃ、ベッドへ運ぶよ」
ひょいとニコールをお姫様だっこする二徹。ニコールの頭が傾き、二徹の胸にコツンと当たった。その瞬間に目を閉じたまま、ニッコリと微笑むニコール。幸せな夢の時間に突入したらしい。メイがランプを持って先導し、妻を寝室まで運んだ二徹。いつもの可愛い妻の姿が見られて今日も幸せだと感じる。
「いい夢見てね。ニコちゃん……」
そっと額にキスをする。
「うう~ん。これ美味しい。もう最高だ……。に・て・つ……任務完了……だ……」
可愛い寝言をつぶやくニコールにそっと毛布をかけた。専業主夫としては、まだこの後に後片付けなどの仕事がある。調理器具を洗い、包丁を研ぐ。幸せなニコールの隣で寝るのはもう少し時間が経ってからだ。
「奥様はいつもは凛としているのに、夕食を食べると雰囲気が変わるんですね」
廊下で二徹を待っていたメイ。この屋敷に雇われてメイも二徹とニコールの夫婦のことがだんだん分かってきた。二徹は懐が深く、妻のニコールの全てを包み込んでしまう包容力がある。ニコールは有能な軍人で、いつもきちんとしている。だが、本当の彼女は違うらしい。
「ニコちゃんの中には、2人のニコちゃんがいるんだよ。1人は国のため、オーガスト家のために働くニコちゃん。崇高で気高く、誇り高き武人。もう一人は甘えん坊で不器用な女の子。僕はどちらも好きだね」
「……二徹様、ボクにも二徹様みたいな旦那様が現れるかな?」
ポツリとそんなことをつぶやいてしまったメイ。まだ、結婚なんて随分先の話だが、二徹とニコールの関係を見て自分もこうありたいと思ったようだ。
「ああ、メイ。自分をしっかりと磨いて誇りをもって生きていれば、きっと君のことを愛してくれる男が現れるさ。それまでは僕の下で修行しなさい。今日は遅いからもう休んでいいよ。ご苦労様」
「はい、二徹様」
夕食に食べたほっこりとしたレンコンのように、ほっこりとした気分でニコールも二徹もメイも眠ることができた。これもレンコンのもつ力なのであろう。
PVも落ち着いて来たようですし、作品のクオリティを上げるために、明日から土日投稿、平日は隔日投稿にする予定です。毎日、楽しみにしている方、申し訳ありません。




