長靴を履いた二徹
前回、少し書き直しました。
「長靴を履いた猫という話があるんだ」
馬車で沼への移動中、二徹はメイとイーサンに『長靴を履いた猫』の話をした。3兄弟が遺産わけをし、長男が粉挽き小屋、次男がロバをもらい、一番末っ子は猫しかもらえなかったという話だ。どことなく、イーサンの状況に似ている。一見、役に立ちそうもないものをもらうという点に置いてだが。
「二徹様、その話だと猫をもらった三男は領主様になってお姫様と結婚するのですよね。今の状況だと二徹様が長靴を履いた猫ということですか?」
「まあ、予想が当たっていたらそうなるけどね。ただ、僕はヒントは出すけど、これはイーサン自身で解決する問題だとは思うけどね。そうじゃないとアンヌさんのお父さんの出した条件はクリアできないよ」
「僕が自分で解決ですか?」
「そうだよ。あ、あれが遺産の沼か?」
馬車の窓から沼が見えた。イーサンが受け継いだ沼は、村から随分離れた谷間にあった。水は綺麗であったから、腰までありそうな深さの底まで見えた。黒い土なので足を踏み入れると濁ってしまうだろう。表面には何か植物が生えていたようで、最近の寒さで枯れてしまったようだ。
「なるほどね。僕の予想は当たったよ」
二徹は自分の予想が当たってよかったと胸をなでおろした。あそこまで条件を付けさせて、何もできなかったらやはり恥ずかしい。
「予想って何ですか? 僕には何が何だか……」
「君のお父さんはこの沼で何か栽培していたのではないか?」
「栽培? 沼で?」
「ああ、そうだよ。間違いなくそうだと思う」
二徹がそう思ったのは、沼が放置されていたのではなく、丁寧に整備されていると感じたからだ。
「そんな、沼で栽培できる作物なんてないですよ。確かにオヤジが時折、人を使ってここで数年前から何か作業していたようですが、ここは家からかなり離れていますし、オヤジは僕たちに何も話してくれませんでした。兄たちも知りません。家の主要な農作物は畑で作っていましたし」
どうやら、イーサンの父親はこの沼で行っていたことを誰にも伝えていなかったようだ。恐らく、父親は末っ子のイーサンに、この沼で農作物を育てる新しい事業を受け継がせたいと思っていたのだろう。それなら、イーサンに作業を手伝わせればよいと思うのだが、遺産分けでゴタゴタすることを避けたのか、秘密裏に栽培実験をしていたようだ。今回、不幸にも父親は、このことをイーサンに伝える間もなく急死してしまったが、この成功を確かめてからイーサンに仕事を受け継がせるつもりだったに違いないと二徹は思っていた。
「何か枯れてしまったようだが、暖かい季節にここは大きな葉の植物があったんじゃないか?」
「確かにちょっと前までは、大きな丸い葉とピンク色の花が咲いていたのを見たことがありますよ。あれはオヤジが植えたんだと思いますけど、枯れてしまってはお金にはならないです」
「なるほど。お父さんはここである作物を試験栽培していたようだね。しかも、見た感じ、それは成功したようだ」
「試験栽培? 成功?」
わけがわからないという表情のイーサン。無理もなかろう。レンコンはこの世界では珍しい食材だ。少なくとも市場で見たことはない。イーサンの父親がどうやって、レンコンの栽培方法を知り、この沼に植え付けたのかは分からない。だが、
「イーサン、この沼の水を抜こう」
「え、そんな無理ですよ。水を抜くなんて、大変な工事になりますよ」
「そんなことはないよ。たぶん、君のお父さんなら沼に細工をしているはず」
二徹はイーサンとメイを連れてぐるりと沼の周囲を注意深く歩く。すると水の引き込み口を見つけた。川から水を流せるようにしているのだ。
「なんでこんな仕組みが……」
「水を引き込むところがあるなら、水を抜くとこもあるよ」
引き込み口とは反対側の岸に升が作ってあるところがある。石を組んで丁寧に作ってある。そこには木の楔で止めてある排水口がある。
「メイ、その楔を抜いてごらん」
「はい、二徹様」
メイが楔に手をかける。それはメイの力で簡単に抜けた。勢いよく、沼の水が飛び出てくる。升からパイプを通って近くの沢へ水が排水されていく。
「沼の水が抜けるのに時間がかかる。明日、また来るから木製のくわと腰まである長靴を用意しておいてくれ」
目を真ん丸くしているイーサンに、二徹はそう言い残してこの日はメイと共に帰っていった。
*
次の日。二徹はメイを連れてイーサンの沼へ行く。沼の水はおおよそ抜けて、泥が露出した状態になっていた。沼の水がなくなってあたり一面は泥。不思議な光景だ。
「二徹さん、言われたとおり、木製のくわと長靴を用意しました」
「うむ。じゃあ、それを履いて沼に入ろうか」
「入りますが、何かあるんでしょうか?」
「あるんだよ。メイも入りなさい。そして、泥をくわで優しく掘るんだ」
メイとイーサンは二徹に続いて沼に入る。ズブズブと柔らかい泥の中に足が沈んでいく。二徹はそっとくわで泥を掘る。水を多く含んだ泥は重い。そして掘っても水が染み出て水たまりを作る。それでも構わず泥を掘る。枯れた草の茎が絡まってやがて、その先の塊にいきあたった。
「なんですか? そのつながった塊は?」
イーサンが驚いたのも無理はない。芋のような形のものが繋がったような不思議な塊が出てきたのだ。
「これを折らないように掘り出すんだ。慎重にね」
「何だか、ポキッと折れてしまいそうです」
メイも恐る恐る掘り出した。丁寧に掘り出したので、連結した長い芋のようなものはメイの身長よりも長い。こんなものが沼の泥の中にはこれが無数に埋まっている。
「折れるとそこから腐るし、風味も悪くなる。だから、慎重に掘り出すのが大事だ」
「二徹様、これは何ですか?」
メイは不思議そうに二徹に尋ねる。耳がピクピク動いているのは、未知の食材に出会った時の好奇心の印である。二徹は泥だらけのレンコンをそっと持った。
「うん。この辺りでなんという名前かは知らないけど、これはレンコンと言うんだ」
「レンコン?」
「そうレンコン。シャキシャキとした食感も楽しめるし、じんわり火を通すとほこほこの食感も楽しめる野菜だよ」
「や、野菜ですって!」
「そう野菜。これは根のようだけど、実は茎なんだ」
イーサンは驚いてレンコンを見る。泥がついたそれはとても食べられる代物には見えない。だが、沼の底にはこれが大量に埋まっている。それこそ、そこ一面に埋まっているのだ。もし売れるのだったら、それなりのお金になる可能性はある。イーサンは思わず、ゴクリとつばを飲み込んだ。父は自分に大変な遺産をくれようとしていたことに気がついた。
(オヤジ……これを僕に……)
「泥が軟らかいうちに掘り出すんだ。固くなると取りにくくなるからね」
何やら考え事をしているイーサンに、二徹は掘り方のコツを教える。
レンコンの収穫には「水堀り」と「くわ堀り」がある。実は転生前の二徹は、修行の一環でレンコン農家の農作業を手伝ったことがある。そのときは水堀りであったが、この異世界にはポンプがない。水堀りは水を吸い上げてホースで勢いよく水を噴出させ、それで泥を掘るやり方だから電気のないこの世界では選択の余地がない。そうなると『くわ堀り』となる。これは根気と丁寧さが必要な重労働である。
「しかし、これはたくさんありますよ。とても1日じゃ採りきれない」
「だから、今から君が全部掘り出すんだ。いいかい、全部だよ。全部収穫しないととても目標額に届かないし、来年からの生活の糧の資金も得られない。時間との勝負だ。寝る間も惜しんで頑張れ!」
沼の広さと土の乾き具合を考えれば、三日以内に全部を収穫する必要がある。それをイーサン一人でこなすのだ。
「できなければ、アンヌさんとの結婚はできない。どうするイーサン。ここで頑張って、アンヌさんと一緒になるか、諦めるか。それは君次第だ」
二徹の言葉にイーサンは初めて、自らの意思で自分の生きる道を選択した。両手をギュッと胸のところで握っている。そして、閉じた目を開いた。
「……やります。僕は絶対にアンヌと別れたくない!」
イーサンはそう力強く言い切った。二徹はイーサンの肩をぽんと叩く。
「その意気だ! じゃあ、三日後にまた来るよ」
イーサンは両手で木のくわを握る。ここが踏ん張りどき。男気を見せるときだ。
「やるぞ! アンヌ、僕はやる。絶対にやる。やり遂げて君と結婚するんだ!」