アンヌとイーサン
3/28 部分改稿してイーサンのヘタレ具合の緩和を試みました。
7/16 クララ⇒アンヌに変更
「ああ! 僕はもうだめだ~」
思いつめたように固まっていた相席の青年が急に大声を上げたかと思うと、テーブルに突っ伏した。料理の方はランチBの方を完食している。
「どうしたんですか?」
一応、青年に聞いてみる二徹。その青年の態度がいかにも話を聞いて欲しいようであったから、自然にそう問いかけてみた。
「き、聞いてくれますか?」
待っていましたとばかりに顔を上げる青年。先程まで思いつめたような表情だったのに、都合のいい態度ではある。
「僕の名前はイーサン。実は先日、オヤジが急に亡くなってしまって……」
いきなり、重いことを言う青年である。イーサンは今年で20歳になる農家の生まれ。この都の郊外で暮らしている。痩せているので、実年齢よりも若く見える。
「それはお気の毒に……」
そんなこと言われてもと思った二徹は、型通りの言葉を発するしかない。ところが、イーサンの悩みは父親が亡くなったことではなく、それに伴う遺産相続に関することであった。
「なるほど……。君を含めて3人の兄弟でお父さんの遺産を分けたと……」
「はい。一番目の兄は粉挽き小屋と家と畑を受け継ぎました。2番目の兄には飼っていた家畜です。10頭のブル(豚)と50羽のバド(鶏)が2番目の兄のものになりました」
「そうなんですね」
この世界のしきたりでは、家督は長兄が継ぐ。財産のほとんどは長子が受け継ぐのだ。それでも兄弟があれば、それ相応の財産分けはある。農家を営むイーサンの家なら土地や家畜を分けるのだろう。3番目の末っ子であるイーサンにあてがわれた財産は……。
「沼なんですよ……。なんの役にも立たない沼。売れないし、作物もできない。オヤジ、あんなのを僕に遺してくれてもちっともうれしくないのに!」
イーサンが受け継いだのは、25ノラン(約25m)四方の大きな泥沼。入ると腰まで泥水に浸かるのだそうだ。魚がいるわけでもなく、価値はゼロ。2人の兄と比較するとかなり不公平であるが、遺言だから仕方がない。
「そりゃ、僕はは末っ子ですから、もらえる財産がそんなにないことは分かってましたよ。でも、困るんです。このままじゃ……」
イーサンは頭を抱えている。どうやら、彼の悩みは単純に不公平な遺産分けではないようだ。
「イーサン!」
女の子の声がする。二徹が振り返るとちょっと太めのプニプニな若い女の子である。歳はイーサンと同じくらい。格好からすると農夫の娘のような感じだ。その女の子は豊かな胸を揺らして二徹たちのところに走ってきた。二徹に少し会釈をする。
「アンヌ!」
「イーサン、捜したのよ。お父さんがイーサンよりもカルロさんの方に私を嫁にやるって」
「そ、そんなああ……」
「財産もないような男のところに嫁にはやれないって……」
「もうダメだ~」
「あの……」
二徹はアンヌと呼ばれた女の子に尋ねる。ちょっと太めだが可愛い顔をした娘だ。茶色の髪をポニーテールにしているので活発な印象を受ける。
「イーサンの本当の悩みはあなたとの結婚ですか?」
「そ、そうなんです!」
アンヌが説明をする。アンヌはイーサンの近所に住む農夫の娘。イーサンとは幼馴染である。小さい頃から仲がよく、結婚するならイーサンと決めていたらしい。ところが、遺産分けでほとんどイーサンが財産を貰えず、農夫として働くこともできなくなったので、アンヌの父は農地の大半を受け継いだイーサンの一番上の兄カルロの元に嫁がせる気になったらしい。
「ふ~む。事情はわかったけど、イーサン。要するに君がアンヌさんをちゃんと養っていければいいのだろう? 財産はなくてもちゃんと働いて自立すればいいんじゃない?」
二徹はそう正論を言ってみた。ここまでのイーサンの印象は『頼りない若者』という感じで、自分がアンヌの父親でも娘を任せたくないと思ってしまう。
「そんなこと言っても、僕は農業以外の仕事はやったことないですし……」
「今はどうやって暮らしているんだい?」
「兄のところで手伝いをしたり、港で荷担ぎのアルバイトをしたりしています」
「それじゃ、とてもアンヌさんを養えないだろう」
「そりゃ、アンヌのことが好きだから、彼女を幸せにしたいと思っています。でも、彼女を養うためにはどうしたらいいかわからないのです」
「おいおい、男とか女とか区別するつもりはないけど、ここは腹をくくってどんな仕事でもやらないといけないんじゃないのかい?」
二徹にズバリ言われても自信なさそうなイーサン。そんな情けない姿を見ても、愛想を尽かさないアンヌ。目をキラキラさせてイーサンを励ます。
「いいのよ、イーサンは働かなくても。私が働いてイーサンを養ってあげます!」
クイクイと二徹のシャツを引っ張るメイ。イーサンとアンヌに聞こえないくらいの小さな声でつぶやいた。
「この人、全然ダメだと思います。あの女の人が好きならここは頑張らなきゃ。女の人に養ってもらうなんて情けないです」
「まあ、それに関しては僕もとやかくいえないけどな」
オーガスト家の家計の大半は妻であるニコールの稼ぎとその財産で成り立っている。基本、専業主夫の二徹からすると、妻に養ってもらっていると言えなくはない。
「二徹様は全然違います。なんていうか、あの人みたいに情けない感じは一切ありませんから」
メイはそうきっぱりと否定した。同じ幼馴染同士のカップルとはいえ、ニコールと二徹の関係とはやはり違う。二徹の場合、家事をしてちゃんと妻を支えているし、家計の足しになるような活動もしている。嘆いているだけのイーサンとは志が違う。
「おい、アンヌ。こんなところで何をしている!」
今度は中年のおっさんの声。その隣にはイーサンによく似たマッチョ男が立っている。白いランニングシャツから日焼けした上腕筋がムキムキしている。
「お、お父さん!」
「カルロ兄さん!」
どうやら、アンヌの父親とイーサンの兄カルロのようだ。
「アンヌ、お前の結婚相手はカルロさんにする。お前も知らない仲じゃないだろう。カルロさんなら農地もあるし、粉挽き小屋の収入もある。ゆとりのある生活ができる」
「お父さん、私が好きなのはイーサンです」
「ならん! 結婚は好きとか嫌いではない。ちゃんと養ってくれるかだ。父さんは、貧しい暮らしでお前に苦労をさせたくはない」
「お父さん、このカルロ。お嬢さんを飢えさせるようなことはしません。財産もない弟では、お嬢さんが不幸です」
そう言うと筋肉マッチョ男の歯がきらりと光った。毎日、朝早くから農作業をして鍛えた体である。なんだか生っちょろい体のイーサンと比べても、どっちに嫁に出すかは一目瞭然であろう。
父親は無理やり、アンヌの腕を掴む。力づくで連れ戻すつもりのようだ。この世界の庶民の暮らしからすると、父親の言っていることに反対することはできない。この世界では多くの場合、本人同士の感情よりも家のつながりや、経済状態が第一優先なのだ。まだ、女は男に経済的に頼らなければならないから、娘をもつ父親は嫁入り先に慎重になるのだ。
「お父さんの娘さんを思う気持ちはよくわかります。でも、2人が愛し合っているのは確かです。ここはイーサンに挽回のチャンスを与えてくれませんか?」
部外者ながらそう二徹が尋ねたのは、自分と妻のニコールのことを重ねたからだ。今は事実上の結婚をして幸せな生活を送っているが、家が没落した二徹が伯爵令嬢のニコールと結婚できたのは数々の困難を乗り越えたからだ。もちろん、二徹はニコールと結婚するために、最大限の努力をした。だが、その過程でたくさんの人の力を借りたこともあったのだ。
「なんだ、あんたは?」
アンヌの父親はそう二徹に視線を向けた。犬族の少女を連れた身なりのよい格好だ。羽振りの良い商人か、貴族に仕える従者くらいには認識されたであろう。
「僕は二徹・オーガスト。オーガスト准伯爵家の者です」
「き、貴族様ですか!」
驚いて父親とカルロは急にかしこまった。イーサンもアンヌも驚いて口を開けたままだ。
「どうです?」
「チャンスも何も、イーサンの今の暮らしじゃ無理です」
「では、ちゃんと稼ぐ方法を彼が見つければ考えてくれますか?」
「イーサンがちゃんとアンヌを養える職業に就けば考えないこともない。娘の気持ちも大切にしたいと思います。しかし、イーサンは今、臨時雇いで金を稼いでいる身。一人で暮らせても嫁は養えません」
「そりゃそうですが、それがクリアできればアンヌさんとイーサンの結婚を許してくれるんですか?」
父親は二徹の問いに少し間を置いた。二徹にうまく誘導されているようだから、冷静になろうとしているようだ。そして条件を付け加えた。
「それだけじゃないです。結婚の支度金として、金貨で30……いや、50ディトラムはないと。しかも、1週間で用意してもらう。カルロには娘のためにもう結婚の準備をしてもらっているのだから、待たせるわけにはいかないですから」
そう条件を付けるアンヌの父親。これは特別に酷い条件ではない。支度金を花嫁側に支払うのは、ごく普通のことだし、すぐに用意というのも意地悪で言っているわけではない。父親としては、結婚適齢期の娘を待たせたくないのであろう。イーサンがまっとうな職業についたとしても、支度金が貯まるまで結婚を延期されるのは好ましくないという考えも理解できる。イーサンの兄のカルロも弟がそんなことはできはしないと余裕の表情で、父親の条件に頷いていて聞いていた。
「なるほど。じゃあ、それが達成できればいいんですね」
「もちろん。でも、それはイーサンには無理です」
「では、結論は一週間後で。その時にイーサンが50ディトラム用意して、生活していく基盤がなければ、諦めるということで」
二徹はそうきっぱりと言い放った。絶望的な表情のイーサンとアンヌ。勝ち誇った表情のカルロ。
「では、アンヌ、行くぞ!」
「お父様、嫌です!」
「アンヌ~っ」
娘を連れて行く父親。カルロが頭を抱えるイーサンに近づく。
「イーサン、諦めろ。俺にとってもアンヌは幼馴染だ。昔から、アンヌはいいなと思っていたんだよな。お前には悪いが、俺がアンヌを幸せにしてやる。ああ、一週間後が楽しみだ」
ハハハッ……と笑ってカルロも去る。イーサンは抜け殻のようになっている。ちょんちょんとイーサンの体を突っつくメイ。反応がないのを見てメイはため息をついた。二徹はしきりに何かを考えているようである。
「二徹様、まさか、お金を貸してあげて、この人を雇うとかじゃないですよね」
メイの心配は杞憂であった。二徹も事の本質をちゃんと理解している。50ディトラムは結婚支度金である。それは男が自分の手で稼いで得るものである。結婚の際に支払う支度金は、自立した大人であるという証拠であった。それを借りるとか人の施しで手に入れても相手の親は納得しない。
それにちゃんとした職業をということも、オーガスト家で雇うという選択肢はない。イーサンは貴族の屋敷で働くという能力はない。それはここまで接してきて二徹は分かっている。彼は農夫であって、それ以外の仕事は向いていない。
「そんなことはしない。これはイーサン自身で解決しないといけない問題だよ」
「そ、そんな……。絶対無理です。アンヌ~、アンヌが兄さんのものになってしまうなんて~。嫌だ、絶対嫌だ~」
「ダメですね、この人」
小さな犬族の娘にダメ出しされている。確かに嘆くだけでは解決はしない。
「イーサン、もし、本当にアンヌさんを幸せにしたいなら、君は本気を出さなきゃいけない。そうすれば、一週間でこの条件をクリアすることもできるはず」
「あ……二徹様、何か勝算があったんですね」
「もちろん。何もないのにあんな交渉なんてしないよ。だけど、たぶん、これは君が生まれ変わって愛するアンヌを一生守るという覚悟がないとできないと思う」
「な、何か方法があるんですか?」
二徹の自信あり気な言葉に、小さな光を見出したイーサン。ドン底まで落ちたところから、やっと上を見上げたような顔である。
「イーサン、君のお父さんは君のこと嫌っていたわけじゃないのだろう?」
「どちらかというと、兄さんたちより可愛がられていました。それは私が末っ子ということもありましたし、兄さん達より気弱なところがありましたから」
「その親父さんが君に沼を遺産分けした。俺は意味がないこととは思わない」
「沼は沼ですよ……」
「いいから、その沼へ案内してくれよ」
二徹とメイはイーサンに連れられて遺産でもらったという沼へ出向くことにした。




