武装商船団『銀狼』
王都ファルスには大きな港がいくつかある。東の港はいわゆる漁港で、二徹がよく買うミルルの鮮魚店の魚もこの漁港から水揚げされている。
今、二徹が歩いているのは西の港。ここは商業港でウェステリア王国各地の物資や、大陸各国の品々、遠くは南の国の珍しい物が陸揚げされる。外洋を航海する船は大型の帆船で、キャラック船と呼ばれる15世紀頃のポルトガルが用いたものに似ていた。全長は40mもある大型船で4本のマストを備えている。その巨体は外洋の荒波でも安定を保ち、大三角帆は風上への航行も可能としていた。
「おお、よく来た、二徹」
「アレンビー船長、ご無事の帰還、なによりです」
二徹に向かって片手を挙げる男。上半身は裸でムキムキの筋肉が太陽の光に照らされて、黒く光る。海で焼けたたくましい体だ。身長は190もあるような大男で、くすんだ金色の顎と口ヒゲが立派である。まさに海の男と言った風貌だ。
男の名前はジェム・アレンビー。武装商船『銀狼』の船長であり、商船団を率いる船団長である。歳は50歳。年を感じさせないナイスガイである。
「なんだ、二徹。可愛らしいのを連れているな」
アレンビー船長は、二徹の後ろに隠れるようにぴったりと付いてくるメイに気がついた。メイの方は初めて会う容姿の怖いおじさんに少々ビビっているようだ。
「この子はメイ。最近、うちで雇ったメイドです。僕の助手なんでいつも連れているんです」
「そうかい、そうかい」
船長は腰をかがめて、二徹の後ろに隠れる犬族の娘を見る。その顔は強面だが気味の悪い笑顔になっている。頑固なおじいちゃんが大好きな孫を見た表情だ。
「メ、メイです」
「犬族の子だな。うちの船にも犬族の人間はいっぱい乗っている。みんな働き者だ。メイちゃんも二徹のところで頑張っているのだろう?」
「は、はい。アレンビーさんは、船長さんなんですか?」
「ああ。5隻の商船を率いる船団長さ」
船長はそう言うと後ろを振り返る。『銀狼』船団の船が係留されている。近海の航行は海軍がパトロールしているので安全であるが、外洋に出ると海賊が出没する。よって、外洋に出る商船はそれなりの武装が必要なのである。銀狼船団の船には海賊を追い払う大砲がいくつか積まれているのが見える。
「船長、5ヶ月ぶりですか?」
「ああ、そうなるな。これが約束の品だ」
船長は船員から運び出させた壺を指差す。遠く、東の島国『源の国』と呼ばれる国から持ってきてもらったものだ。その国の噂を聞いた二徹が船長にお願いしていたものだ。
「なに、お安い御用さ。それにお前に教えてもらったことのおかげで、船員誰ひとり病にかかることがなかった。感謝している」
「そうですか。それはよかったです」
外洋に出て何ヶ月か航海をする時には危険がいくつも付きまとうが、一番怖いのは船員病と言われる謎の病気である。乗組員の3分の1が死んでしまう奇病だ。不思議なことに、1週間ほどで港に帰港しながら行く航海では発生せず、2,3ヶ月続けて航海すると船員がかかる奇病であった。話を聞いた時に、二徹には原因が分かった。
『壊血病』である。壊血病とは、ビタミンCの欠乏が原因で起きる病気。最初は疲労や倦怠感に始まり、体の抵抗力が落ちるために風邪を引きやすくなる。そのうち、歯茎から血が出始め、重度になると体の各所から出血して死に至る病気なのだ。この世界でもこれが食事が原因となっていることは分かっていたようで、新鮮な果物や野菜を積んで航海に出発するが、途中でそれらを補給できないことが多々あった。それに対応するために、果汁を絞って加熱したジュースや、麦芽汁を予防食として積むようにしていたが、効果は薄かった。それもそうである。ビタミンCは加熱すると壊れてしまうために、加熱処理したジュースや麦芽汁は効果がないのだ。
そこで二徹が教えたのはキャベツを乳酸菌で発酵させたザワークラウト。酸っぱいキャベツである。酸っぱいから酢で漬けたものと誤解されがちだが、材料はキャベツと塩だけで、後は空気中の乳酸菌の力を借りた発酵食品である。これならビタミンCは失われず、また、乳酸菌のおかげで腐敗もしないために長期保存が可能。船員を壊血病から守ることに成功したのだ。
まあ、二徹にとっては前世の記憶に頼った知識の教授であり、少し、チートな気もしたが、それで人の命が助かるなら悪いことではない。
「本当に助かった。だが、これは贅沢な相談ではあるが、毎日、毎日、酸っぱいキャベツを食べるのは辛い。他にもメニューはないのか?」
「ああ、確かに、それは辛いですよね。でも、病気で死んでしまうよりはマシでしょう」
「そりゃそうだが、1ヶ月、2ヶ月、あれじゃな。まあ、命には代えられんのだが」
「まあ、他に方法がないかは考えてみますよ。この壺のお礼もあるし」
二徹はそうアレンビー船長に約束をした。確かにザワークラウト以外の方法も自分なら考えつくだろう。
「それと、俺の船のシェフになるって話だが」
「それはお断りしますよ」
「そこを何とかならないか? 給料は弾むぜ。毎日、お前の料理が食えるなら航海も楽しくなる」
「結婚したんです。妻をほっといて船には乗れません」
「な、なんだ、お前、あの貴族のお姫様と結婚したのか?」
驚いた表情のアレンビー船長。5ヶ月前なら二徹が結婚したことは知らなくて当然だ。ただ、船長は二徹とニコールの関係をある出来事から知っていた。航海の間に無事に結婚できたのなら、それはめでたい事である。
「今度は、嫁さん見せに来いや」
「そのうちに。船長は結婚しないのですか?」
「バカ言え。どうして棺桶に足を突っこまねばならん。女なんか面倒なだけだ」
「そう言いつつ、今日は色町に行くんでしょう?」
「それとこれとは別だ。燃えたぎるエネルギーを鎮めるには、女を抱かないとな。ガハハハッ」
かなりお下品な会話になってきた。メイの不愉快な表情に気がついた船長は、茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
「これ以上は、お子様の前では封印だな。がはははっ……」
*
「二徹様。あの船長さんがくれた壺には何が入っているのですか?」
船長と別れた後、二徹が長い棒にくくりつけて運ぶ4つの壺のことをメイが尋ねた。4つとも大きな壺でかなり重い。4つも運ぶことは難しいと思えるのに、軽く運んでいる二徹についても不思議であるが、それよりも中身が気になったようだ。
「これはね。遠く、東洋にあるという国から持ってきてもらった食材さ」
「食材?」
「よいしょ」
二徹は壺を下ろす。そして油紙の蓋を取る。一つは黒い液体である。これはメイも知っていた。二徹が酒造りをしているジュラールと一緒に作っている『醤油』と呼ばれる調味料である。
「これを舐めてごらん」
そう言うと二徹は小指にその液体を付けた。ぺろっと舐めるメイ。
「塩辛いですけど……なんとも言えないうまい味ですね」
「ジュラールのところで作っているが、まだ時間がかかるし、最初はここまでの熟成したものはできない。これは3年以上寝かしてあるものなんだ」
「す、すごいです。これで味付けしたら、いろんな料理ができると思います」
「次はこれ」
2つ目の壺には茶色の泥みたいなものが入っている。見た目は汚い感じだが、これもいい匂いがしている。
「これも今、再現して作っているけど、まだうまくできてない調味料なんだ」
「なんですか? 柔らかい泥みたいですが」
「味噌だよ。舐めてごらん」
そう言って二徹は指でちょんと味噌を付ける。それをメイに舐めさせる。
「お、美味しい……これも濃厚な旨味があります」
「日本人のソウルフード、味噌汁には欠かせないものだよ」
「日本人? 何ですか?」
「ああ、いや、こっちの話。3つ目は子供には無理かな」
3つ目の壺には透明な液体。それは匂いを嗅ぐだけで頭がポーッとなってしまう。コメを磨いて作った極上の純米酒である。4つ目は焦げ茶色の固形物がぎっしり入っている。
「これは鰹節」
「かつおぶし? 匂いからすると魚みたいですが」
「カツオという魚を加工したものなんだ。そしてこれは昆布。こちらの世界ではズズだっけ。海の海草を天日で干したもの。すごくいい出汁がでるんだ」
「遠い国には不思議な食材があるんですね。それにしても二徹さん、そんな遠くの外国のことをよく知っていますね」
「ま、まあね」
実のところ、東方の島国にそんな国があり、味噌や醤油、日本酒や鰹節といったものが手に入ると聞いたのは、アレンビー船長からである。その話を聞いた時には、思わず二徹は神様に祈ってしまった。無論、その東方にある島国というのが日本とは違う国であることは理解していたが、風習や生活様式は全く日本そのものであった。
気候と文化が似たようなものであるのなら、食文化もまた同じようなものが発達することは不思議ではない。このウェステリア王国では手に入らない食材が手に入るならありがたいことだ。二徹のもっとも得意な『和食』が作れるからだ。
船で取り寄せるにしても、量は少ないし、場所が遠いだけにいつも手に入るとは限らない。そこでこの国でも醤油作り、味噌作りなどを試している。既に焼酎の製造は成功し、それをベースに味醂も作れるようになった。日本酒も醤油も味噌も製造途中であるが、目指すべき見本があれば、成功に近づける。




