甘いサンドウィッチと嫁
シャルロット准尉が退室したので、二徹は持ってきたバスケットをニコールに見せた。残業で遅くなる妻に差し入れの食事を持っていくのは、専業主夫の務めである。
「ニコちゃん、お腹がすいたでしょ。美味しいものを持ってきたよ。ニコちゃんの小隊の兵士の皆さんにも作ってきたから。今頃はあの准尉さんも喜んでいると思うけど」
「そうか、兵士たちが喜ぶだろう。特にシャルロットは精神的ダメージも受けたようだからな。折角だが私はいい。今食べると健康に悪い」
「大丈夫だよ。遅くなると思って、夕食は軽いものにしたから」
「軽いもの?」
ニコールは二徹の提案に心が動いた。実は空腹は極限に達しており、これがストレスで仕事も効率がわずかだが落ちていると感じたからだ。だからといって、きちんと食事をするのも気が引けた。夜遅くに食べるのは体によくない。
「ジャーン!」
ソファに座ったニコールの隣に腰掛ける二徹。バスケットの中に紙に包まれたものが入っている。乾燥を防ぐためにこんな状態にしていたのだ。さらに水筒も入っている。紙を取ると何かをはさんだ四角いブレドが出てきた。
「ツナと卵、ニュウズとハズのサンドウィッチだよ」
ニコールの目には見たことのない光景が焼き付く。白い軟らかそうなパンに赤や黄色の具材が挟まれている。
「サンドウィッチ?」
聞きなれない言葉に思わず聞き返したニコール。『サンドウィッチ』。食パンに野菜や肉、卵を挟んだ食べ物だ。一説によれば、カードゲーム好きの貴族『サンドウィッチ伯爵』がカードゲームをしながら片手でつまんで食事ができるようにと考え出されたものだという。パンに具材をはさんで食べるという方法は、昔からあってもよかったと思うがそれまでの人間は思いつかなかったらしい。もちろん、厳密にはそうやって食べていた人間もいたのだろうが、サンドウィッチ伯爵ほど有名ではなかったので、後世に伝わらなかっただけだと思われる。
「ニコちゃん、食べてみてよ」
「ど、どうやって食べるのだ?」
「そのまま手づかみで食べられるのが、この食べ物のいいところだよ」
「手づかみで?」
手でつかんで食べるという行為は、貴族の間ではほとんどしない行為だ。庶民ならともかく、一定階級以上の貴族はフォークやナイフを器用に使って食べる。果物ですら、複雑な手順で切り分けて口に運ぶのだ。
「うっ……」
ニコールはそっと手でサンドウィッチに触れる。指先がふわふわの感触を感じ取る。手で食べるという行為は、味覚を鋭敏にさせると言われる。敏感な指先は感触からその食べ物の味を類推し、脳に情報を伝える。(美味しいぞ)という情報が見た目による視覚と感触によって活性化される。そして舌で味を感じると旨みの三重奏が完成するのだ。
ニコールが最初につまんだのは二徹特製のツナサンドである。ツナの油漬けをマヨネーズで和えてある。チーズを細かく切ってアクセントにし、パリパリのレタスで包んでいる。
「はむ……」
シャキシャキのレタスからパリパリと音をさせる。軟らかいパンがしっとりと口に広がり、次に濃厚なツナの旨みが口の中で爆発する。
「ううう……しゃきしゃき感としっとり感、旨みがじっとりと口の中で広がるうううう。美味しいですううう~」
噛めば噛むほど味が出る。それがツナの魅力。さらに空腹で乾ききった体に油と卵の旨みが凝縮したマヨネーズは体に染みていく。ほのかな塩気がニコールの体に活力を取り戻させる。
「このブレドの軟らかさとチュチャの食感の対比がいい。それにこの肉はなんの肉の油漬けだ?」
「これはマグの肉だよ。軽く焼いて油に漬けてみたんだ。これで一週間はもつんだよ」
「一週間? 魚なら腐ってしまわないのか?」
「油漬けだから、大丈夫。それよりも味がこなれていい感じになるんだよ。次はシンプルにこれをどうぞ」
二徹が勧めたのはチーズとハムのサンドウィッチ。レタスではさんだ定番のものだ。少し塩味が効いたハムは、市場で一番旨いと二徹が贔屓にしている店のもの。それを塊で買って、薄くスライスをして使っている。塩味のチーズとよく合っている。
「あっさりしているけど、ニュウズとハズはよく合うんだ」
「美味しい……」
「いくらでも食べられちゃうけど、軽食だから2つだけにしておこうね。もう一つ、不意討ちのものがあるからね。飲み物はホットグランだよ」
ホットグランとは、温めた牛乳のことである。砂糖を入れて甘くした飲み物だ。これはリラックス効果がある。とぽとぽとカップに注いでニコールに手渡す。一口飲んでとろけるような表情をしたニコール。
「そして、これがその不意打ち」
最後に取り出したのもサンドウィッチ。何やら焦げ茶色のソースみたいなものが挟んである。それをゆっくりと噛むニコール。噛んだ瞬間、茶色の中身がどろりと口の中で広がる。目が覚めるような香りと味で脳が活性化される。
「うっ……これは……甘いいいいっ~」
疲れた脳みそに染み込む味。それはチョコレート。カカオ豆から作るチョコレートは疲れた脳に効果がある。書類処理に追われるニコールには嬉しい食べ物だ。
「カカ豆から作るクレオンをはさんでみたんだよ」
この世界ではチョコレートは『クレオン』というが、高級品で貴族が好んで食べるものだ。普通は飲み物として食する。二徹はそれを固めてチョコクリームにしてパンにスプレッドとして塗ってみたのだ。もちろん、愛する嫁のために愛情を込めて練り上げたチョコクリームだ。
「あ、あ……。もうダメ……体がと、とろけてしまいそうだ……」
疲れた体に染み込む甘味の魔力にもうメロメロのニコール。長距離の移動に激しい戦闘。体は疲れきっている。たまらず、そっと二徹の胸に頭を預ける。
「ああ~癒される~」
「どうしたの?」
「今日はいろいろあって疲れた」
「仕事大変だったんだね」
「だけど、作戦通りうまくいったんだ」
「それはよかった」
そう言うと二徹はニコールの頭を撫でなでする。金髪の髪だからツルツルとよく滑る。まるで毛の長い猫が撫でられて気持ちよさそうに目を閉じるような感じ。ニコールも二徹も互いに触れ合うとなんだか、満たされた気持ちになる。だが、そんな至福の時は8秒間。
「ああっ!」
急に我に返ったニコール。先程までのデレデレから、仕事の顔に戻る。
「二徹、お前、今日、町でハンバーガーを売っていただろう?」
「うん。前に話したベッカさんの店の手伝いをしたよ」
「それだけじゃないだろう?」
「うん。町で怪しい奴がさっきの准尉さんとVIPらしきお嬢さん二人を誘拐しようとしていたので、軽く叩きのめしたよ。一人はかなりの腕が立つ奴だったけどね」
二徹はニコールに対して一切の隠し事をしない。これはニコールもそうだ。任務上、守秘義務があることは話さないが、そうではないことは隠し事をしない。
「やっぱり、二徹だったのか……」
「どうしたの?」
「どうしたのではない。お前が戦った奴は『二千足の死神』という名の恐ろしい暗殺者だったのだ。そいつのせいで、捕らえた末端の工作員が殺されている」
「怒っているの? ニコちゃん?」
「当たり前だ!」
ニコールはそう叫んで、隣のソファに座っている二徹の膝に跨り、胸元をグッと掴む。顔がググッと二徹による。その顔は険しい。かなり怒っている時の顔だ。
「二徹が時々強いことを私は知っている。これまでも何度も助けられたことがあったからな。それが不思議な力であることも……。だが、これは戦争なんだ。一歩間違えれば、死んでしまうんだ!」
「僕のことを心配してくれたんだ……。ニコちゃん……」
怒った顔のニコールに微笑む二徹。二徹はこういう時のニコールの対処法を知っている。伊達に幼い時から付き合っている幼馴染ではない。
「あ、当たり前だ! お前は私の愛する……あ、ああ、愛する……」
耳たぶまで真っ赤に変化するニコールの美しい顔。これは既に怒りが羞恥心にとってかわられている証拠だ。
「愛する?」
ニコールの怒った顔がふにゃふにゃと崩れていくのをじっと見つめて、意地悪にも聞き返す二徹。その意地悪に口が勝手に動き出すニコール。もういろんなものが溢れてきて、止まらない。
「あ、愛する私の夫なんだ!」
二徹に上手に誘導されて、叫んでしまったニコール。もう恥ずかしさで涙目になっている。そんな膝上のニコールの両手首を掴むと、二徹は見事までのタイミングでくるりと体を入れ替えて、今度はソファにニコールを押し倒した感じになった。
「それを言うなら、ニコちゃんもだよ。今日の戦い、銃撃する敵に先頭になって突撃したって聞いたけど、本当かな?」
「……ほ、本当だ」
「そんな危ないことして」
「私は小隊長だ。兵士の先頭に立たねば、士気に関わる」
「そうだけどね。僕は君にあまり危ないことして欲しくないなあ。ニコちゃんは、僕の可愛い嫁なんだから。何かあったら困るよ。僕の大切な奥さん」
ニコールの顔が真っ赤を通り越して爆発寸前。湯気が上がりそうな勢いだ。
「……バ、バカああ……。もう好き、好き過ぎるよ~二徹~っ」
二徹の首に両手を回すニコール。もう言葉なんかいらない。が、夫婦の時間はかっきり10秒ほどで中断された。
コンコン……。隊長室のドアがノックされたのだ。慌ててソファから立ち上がるニコールと二徹。もうニコールは隊長モードに戻っている。ニコールが入室を許可すると、ドアを開けたのは副官のシャルロット准尉。
「隊長、司令部から今日はこれで終わりだと……あれ? 隊長、顔が赤いのですが、どうされましたか?」
「な、何でもない。それでは小隊の兵士に帰宅許可を。明日の午前中は休み。午後に集まるように連絡」
「……はい、そのように伝えます」
「うむ。私もあと少ししたら、夫と帰宅する」
「分かりました。隊長、今日はお疲れ様でした」
シャルロットの口元には茶色いチョコレートがこびりついている。二徹の差し入れを兵士たちと食べて、元気になったらしい。シャルロット准尉が退室すると、ニコールはそっとドアを閉めた。後ろでカチャと鍵をかける。
「どうしたの、ニコちゃん」
「帰る前に……さっきの続き……」
「あの続き?」
「もっとして!」
小さな声で下を向いているニコール。もう激かわいい小動物である。
「仕方がないなあ……妻のおねだりに答えるのが夫の務めだけど」
「ば、ばかああ!」
二徹は自分の胸に飛び込んできた妻をそっと抱きしめる。
「ニコちゃん、いつもお仕事ありがとう。でも、危険なことはしないでね。愛しているよ奥さん」
「わ、わたしも……」
今日のオーガスト夫妻の任務は終了である。




