ワーテル会戦 前編
2日後。フランドル、ウェステリア・ギーズ連合軍はワーテル平原で対峙していた。フランドル軍は8万人。ウェステリア・ギーズ連合軍は7万5千。戦力はほぼ拮抗していた。先にワーテル平原に布陣したウェステリア軍総司令官レオンハルト・シュナイゼル大将は、ワーテル平原の中央にある村の領主の館と林が戦いの鍵とにらんでいた。
「我々の戦略はこの地での持久戦である。今、このワーテル平原に向けてセント・フィーリア軍とスパニア軍が向かっている。この両軍と合流できれば、勝利は確実となる」
レオンハルトはこの戦いの目標を示した。防御に徹した持久戦。時間が経てば有利になるのはウェステリア連合軍なのだ。
当然ながら、フランドル軍は短期決戦に打って出るはずだ。ウェステリア・ギーズ連合軍を早々に撃破すれば、あとは各個撃破することができるからだ。
「ニコール准将」
「はい、閣下」
レオンハルトはカテル・ブロで奮戦したニコールに命令をした。ワーテル村にある領主の館サマセット邸の守備をニコールに任せたのだ。
「ここを巡っての両軍の激突は熾烈だ。だが、君ならここを守り通せるだろう。少しでも長く死守するのだ」
「お任せ下さい。この戦いに勝てば、平和になることでしょう。全兵士はそれを願って、この戦いに臨む所存です」
「うむ。それでは諸君、健闘を祈る……」
そう言うとレオンハルトは赤いワインを注いだグラスを片手で持ち上げた。幕僚や師団長、連隊長も同じように高々と上げる。そして一気に飲み干した。
その同時刻。フィードル1世はワーテル平原西方にある建物の中で幕僚たちと朝食を取っていた。軍に帯同してきたシェフに作らせた朝食だ。スープに焼きたてのパン。目玉焼き。贅沢なものではないが、戦場となればこれはかなりのものだ。外に宿営している兵士はうすいパン粥しか口にできないからだ。
「それでスハルト参謀長。貴公の意見は戦闘開始の時間を遅らせよとことだが」
「はい。昨日の雨で道はぬかるんでいます。大砲の移動が間に合いません。こちらの体制を十分に整えた上で戦端を開くべきです」
「くだらんことを言うな!」
スープを口に運び、ナプキンで口を拭ったフィードル1世は、総参謀長を睨みつけた。総参謀長でも、今回の戦いの本質が理解できていない。
「こちらは少しでも早く前面の敵を撃破しないと勝利はないのだ。そんなこともわからないのか!」
前面のウェステリア軍は厄介だが、これを早々に撃破すれば連合軍は怖くない。それぞれを各個撃破してしまえば、終わりである。そのためには、一刻も早い勝利が必要なのだ。
「しかし、陛下。スパニア軍には3万の軍が、セント・フィーリア軍には4万の軍で追撃中です。この戦場に現れるのは明日以降です」
「間違いなく追撃軍は、セント・フィーリア軍を捉えているのだろうな」
フィードル1世はそう確認をする。4時間前に交戦中との伝令があったが、その後は連絡がない。撃破していれば問題ないが、戦いに負けていたり、セント・フィーリア軍が後退して追撃が続いていたりするのなら致命的なことになる。
「ただいま、確認中です」
「すぐに伝令を送れ。追撃軍の3万は追撃を中止し、すぐにこのワーテル平原へ戻れとな」
そう命令を下したフィードル1世であったが、戦況は楽観視していた。同数ならばフランドル兵がウェステリア兵に負けるはずがない。さらに敵は連合軍。ギーズ公国軍との連携に楔を打ち込めば、いかに名将名高いレオンハルトでも打つ手がないだろうと考えていた。
(つまり、敵に援軍が来なければ我々の勝利は確定だ)
「陛下、やはり大砲の移動が厳しいです。少なくとも8時の戦闘開始は無理です。10時にしてもらえませんか」
参謀長の泣き言にフィードル1世は珍しく許可をした。これまでの彼なら絶対に許さないところであるが、有利な状況に確実を期したほうがよいという考えが頭を過ぎったからだ。
「よかろう。本日、10時をもって一斉に攻撃する。この地を奴らの墓場にしてやろうぞ」
そう檄を飛ばすと、フィードル1世は各陣地を回り、兵士の様子を見て回った。彼が兵士に信頼され、高い士気を維持できるのも兵士に対する細やかな接し方ができるところにあった。特に切り札である国王親衛隊は勇猛で知られ、その兵数は5千ほどであるが、その攻撃力は凄まじいものがあった。
*
「いよいよ始まりますね、ニコール連隊長」
ニコールの副官シャルロットは双眼鏡でフランドル軍の動きを眺めながら、この決戦の規模が大変なものであることを思い、少し体を震わせた。そんな副官の華奢な肩に手を置いたニコール。彼女もこの歴史に残るであろう大会戦に自分が参加していることに緊張していた。
村の領主の館に陣取るニコール連隊3千。館は小高い丘の上にあり、戦場を見渡せる。そして高台にあるという地形からここはワーテルの戦いの行方を左右する重要拠点でもあった。狭い場所のために守る兵は3千ほどになるが、巧みに設置された大砲がフランドル軍へと向けられていた。
(願わくば、勝者として名前を刻みつけられたいものだ……)
そうニコールは思っている。この戦いに勝てばしばらく大陸は平和であろう。それは大陸に隣接する島国ウェステリアの平和にもつながる。
そしてここで戦功をあげれば、少将への昇進。そして爵位も与えられるであろう。ニコールが二徹と結婚した時に目標とした貴族に列せられる。平和になれば、二徹の実家であったサヴォイ伯爵家も名誉回復してもらえるかもしれない。
「それにしても……。ニテツはどこへ行ったのだ?」
「さあ……連隊長がカテル・ブロへ残れと命令しましたけど、絶対について行くと言ってましたからね。昨日の夜は姿を見ましたけど、今はいません」
シャルロットはそう報告した。軍人でない二徹がこの戦場に来る必要はないし、それは非常に危険なことである。ただ、彼女は二徹に頼まれて5名の騎兵を護衛に付けたことは黙っていた。二徹からニコールには内緒で兵を貸してくれと頼まれたのだ。
その表情が必死で、これは何かあると考えたシャルロットは黙ってその願いを叶えた。今はその5名の兵士を従えて、どこかへ行っているはずだ。その行き先がどこかはシャルロットにもわからない。
「ニテツのことだ……きっと考えがあるのだろう……それに……」
「連隊長、ニテツさんはニコール連隊長のヒーローですからね」
「ば、バカを言うな!」
「え、ヒーローじゃないんですか?」
「……わ、私だけのヒーロー……」
ちょっと拗ねた感じで視線を右下へ向けたニコール。3千もの兵士を動かす指揮官にしては、あまりにも可愛い仕草。副官のシャルロットでさえ、萌え死にしそうになる。
「みんな、連隊長が愛しの旦那様と再開できるよう、我々はここで奮闘しようじゃないか!」
一人の兵士が叫ぶと全兵士が銃を上げた。ニコール連隊の課せられた役割の重要さは兵士でも理解できた。それは危険度と比例する。だが、兵士たちは一人も恐れていなかった。自分たちの美しい上官とともに戦えることに高揚感を覚えていた。
遠くの方からフランドル軍陣地よりラッパの音がした。いよいよ、進撃が始まったのだ。鼓笛隊の音と共に歩兵軍団が前進をし始める。そして、その行き先に大砲から放たれた砲弾が炸裂する。
*
「レオンハルト閣下、フランドル軍が全面攻勢に出ました」
伝令からの報告を聞いて、レオンハルトは各師団の師団長、連隊長に命令を送る。ワーテル平原の中央部では両軍が激突していた。
(さすがにフランドル軍は強い。ギーズ公国軍は想定どおり押されているな……だが)
押されているギーズ公国軍であるが、それを攻撃しているフランドル第2軍団は側背から猛烈な砲撃に悩まされていた。このおかげでギーズ公国軍も何とか踏ん張っている。
「あれはニコール連隊だな。サマセット邸のあの陣地からの砲撃は、喉に刺さった魚の骨の如く、フランドル軍を追い詰めるだろう」
「さすが、ウェステリアの女将軍。若いのにあの指揮ぶりは感嘆に値します」
レオンハルトの幕僚もニコール連隊の活躍ぶりを褒める。これはフランドル軍にとっては、面白くないことである。
「なんということだ!」
戦況を確認しているフィードル1世は、中央突破を図りギーズ公国軍とウェステリア軍を分断。その後、包囲殲滅するという作戦を立てていたが、その中央突破の攻撃力がわずか1個連隊で守る拠点からの砲撃で奪われていることに気がついた。
「余は不覚であった。このポイント、ここだ」
地図を指揮仗で指し示した。そこにはサマセット邸と記入してある。
「第2師団、1万を投入せよ。ここを奪えば戦いの帰趨は決まる」
太鼓の音を轟かせ、精鋭のフランドル第2師団がニコール連隊の守るサマセット邸へ迫る。だが、ニコール連隊の士気は高い。守る側が有利な場所ということもあり、この第2師団の突撃を4度はね返した。
その知らせを聞いたフィードル1世は、さらに2個連隊6千を投入した。何が何でもここを攻め落とす意思表示。レオンハルトもすぐに対応する。ニコールに援軍4千を送ると共に、騎兵連隊に左右のフランドル軍への突撃を命じたのだ。
この騎兵突撃に対して、フランドル軍も騎兵を繰り出し大激戦となる。騎兵同士の戦いは1時間も続き、次第にフランドル軍が優勢となったがレオンハルトの意図通りに、時間を大いに稼ぐことに成功した。




