ニコール連隊出撃
ニコールと二徹はスパニアの港から、大陸の北側にあるギーズ公国へと船で移動した。そこから陸路でギーズ領ダイエルンへと進む。
そこにはウェステリア派遣軍4万5千が駐屯していた。もうすぐやって来るギーズ公国軍3万と合わせて合計7万5千人の軍団である。
二徹とニコールがダイエルンに800人の兵士と共に到着したのは、スパニアでマスウード条約締結がされてから、3週間が経っていた。
「ニコール准将、よく来てくれた。スパニアはどうだった?」
「はい、レオンハルト閣下。スパニアは我がウェステリア陣営に入ることは間違いがありません」
ニコールはそうレオンハルトに報告する。既に事の成り行きは外務省から知らせているだろうが、実際に交渉の場の雰囲気を知っている人間に聞くことは大きい。レオンハルトは大きく頷いた。スパニアが同盟軍として参加してくれる可能性を軍略に組み込むことができるのだ。選択肢が増えることは戦略を立てる上で大きい。実際にスパニアはウェステリア王国と1ヶ月の休戦協定後に、軍を派遣してくると密約をしていたのだ。
「で、フランドル軍は今、どこに?」
ニコールはテーブルを見ながら、レオンハルトにそんな質問をした。レオンハルトの前に置かれた地図には、斥候から知らされた敵軍の位置が示されている。既に休戦は終わり、フランドルは、ウェステリア、ギーズ、セント・フィーリアに対して宣戦布告をしている。フランドル王フィードル1世は、10万もの大軍を動員し、一気にかたをつけようと自ら指揮して進撃しているのだ。
「現在はここだ。10万の大軍団で我々の分断を図るつもりだ。我らは7万5千。セント・フィーリアは4万。こちらが合流する前に間違いなく、各個撃破を狙っているのだろう……」
それに対して、ウェステリアと各国の連合軍はまだ戦闘準備ができていない。ギーズ公国軍は近くにいるとはいえ、3万の軍勢とはまだ合流していない。ウェステリア王国軍は4万5千。今はギーズ公国軍との合流を急いでいるところだ。
「セント・フィーリア軍が合流するのは5日後。ギーズ公国軍は2日でここへ到着する予定だが、それまでに重要拠点のいくつかは敵の手に落ちるだろう。だが、ここだけは死守しなければならない」
そう言ってレオンハルトが指し示したのは、カテル・ブロと書かれた小さな村であった。これはフランドル、ギーズ、セント・フィーリアを結ぶ交通の要所である。ここには連合軍の物資が保管されてもいた。
「本軍はギーズ公国軍と合流後、カテル・ブロ方面へ進出する。それまでに前線に展開したフリューゲル少将の第3師団を後退させ、カテル・ブロの守備をさせる。ニコール准将は貴下の連隊を率い加わって欲しい」
「分かりました。すぐに出発します」
ニコールはそう答え、レオンハルトに向かって敬礼をした。フランドル軍は強い。よく訓練され、それを指揮する諸将も百戦錬磨だ。敵の総大将であるフィーデル1世自身が戦の天才で、もう20年以上も軍歴を重ねている。
ただ、度重なる戦役でフランドル兵も疲れきり、新兵も多くなったとは言われている。それでも各国の連合軍で連携が鍵となるウェステリアとの同盟軍よりもはるかに有利ではあった。
(おそらく、この戦いが最終決戦となるだろう……)
ニコールはそう思わざるを得ない。両軍の主力がぶつかるだろうこの戦いは、負けた方が全てを失う。フランドルが勝てば、ウェステリアを中心とした同盟は瓦解してしまう。フランドルが負ければ、フィードル1世は求心力を失い、退位へと追い込まれるであろう。
そうなれば、大陸はしばらく平和が訪れる。
(だから、我々は絶対に負けられないのだ……)
ニコールは自分の指揮する連隊本部へ足を運んだ。自分が率いていた800人を加えて編成した連隊は砲兵を中心としたものであった。総兵力3000人。大砲は100門を擁している。
会戦において、砲兵は攻撃力の主力をなす。効果的な砲撃は全体を左右するからだ。レオンハルトが要の砲兵連隊をニコールに預けるのは、信頼の証とも言えた。
「ニコール連隊長、出撃準備は整っています。いつでも出立できます」
そう報告に来たのは副官のシャルロット大尉。彼女はニコールの兄のニコラスに嫁ぐことが決まっている。この戦いが終われば結婚。伯爵夫人になる。
「よし、シャルロット、10分後に出発する」
「はい」
「私は自室で少し用事を済ます」
「は、はい……」
シャルロットは察している。連隊長の部屋には従卒として、二徹がいるはずだからだ。
「ニテツ、出撃命令が出た。カテル・ブロへ進出だ」
「カテル・ブロ……最前線だね」
二徹の顔は曇る。連合軍は後退し、そこが最終防衛ラインであることは二徹でも分かった。そして、そこは要害の地でもなく、守るには不利な土地でもある。
「心配するな。2日間だ。2日守れば、レオンハルト閣下の本軍が駆けつけてくる。そうすれば、敵の本軍と決戦となるだろう。決戦の場所は……」
「ワーテル平原だね……」
双方合わせて20万もの大軍が激突する場所は限られる。カテル・ブロの北西にあるワーテルは格好の場所だろう。
「天候も悪くなる。敵の砲兵の動きも鈍るだろう。たぶん、カテル・ブロに1万もの兵がいることがわかったら、敵は攻撃してこない」
「そうだといいけれど……」
二徹は何だか、胸騒ぎがする。これまで戦場へ向かうニコールを何度も送り出したが、今回は嫌な予感を拭えない。あの3女神の言葉も気になる。
「僕もついて行くよ」
「ダメだ。炊事班はここへ置いていく。たった2日だ。食事は携帯食で十分だからな」
「だけど……」
ニコールは二徹に体を寄せた。自然とニコールの腰に右手を回し、左手は背中へ置く。
「私に勇気をくれ」
「ニコちゃん……無事でね」
合わさる唇と唇。仲良し夫婦の熱い口づけ。
5秒後、ニコールはそっと二徹から体を離した。ニコールのウェーブのかかった金髪が、二徹の指を滑っていく。
「2日後だ……ワーテル平原で美味しい朝食を作ってくれ」
「うん。わかったよ」
連隊の出発を告げるラッパが鳴り響く。しばしの別れである。




