ニコールの作戦
ニコールは王城から王女ペルージャを乗せた馬車を護衛している。こんな大事な日なのに副官のシャルロット准尉はカゼを引いて休んでいる。それだけでなく、ニコール小隊の第1分隊は、分隊長のカロン軍曹と3名の兵士まで体調不良とかで休んでしまっている。昨日、随分と酒を飲んでいたみたいなので二日酔いなのだろう。帰ったら懲戒ものである。
オズボーン中尉に部下の管理ができていないと嫌味を言われたが仕方がない。戦力的には5名が減ってしまったが、今更補充もできず、45名の騎兵で護衛をする。オズボーン小隊の50名の騎兵は作戦通り、昼食場所であるエフェル平原へ先行している。
王都から友人のミッシェル伯爵令嬢と落ち合う場所まで2時間の道のり。街道は安全で、40名の護衛で十分であった。だが、反国王派がどこで仕掛けてくるか分からない。油断はできない。合流地点は大きな川にかけられた橋のたもと。隣町を守備する竜騎兵連隊の一部の兵に守られてミッシェル伯爵令嬢は待っていた。
旧友を馬車から見た王女ペルージャは、急いでドアを開ける。王女は18歳。美しい金髪をもつ聡明な王女だ。白いドレスに真珠の首飾りとシンプルだが気品に溢れた服装である。美しい顔立ちに泣きぼくろがチャーミングな女の子だ。対するミッシェル伯爵令嬢も長い赤い髪が美しく、おっとりとした性格を思わせる垂れ目が癒し系を思わせる。馬車で本を読んでいたみたいで、それを左脇に抱えている。
「ミッシェル、元気でしたか?」
「殿下、殿下もお変わりなく」
キャッキャと会話を弾ませる2人。王都の学校で一緒に学んでいた間柄だ。卒業して半年ほど会っていなかった。
「ペルージャ姫様、積もるお話はあるとは思いますが、次の予定があります。まずは、馬車にお乗りください」
そうニコールは声をかける。ペルージャはにっこりと微笑み、自分の馬車へとミッシェルを誘う。ミッシェル伯爵令嬢が乗ってきた馬車は都へと回送される。ここから、王女の馬車に乗ってエフェル平原へと向かうのだ。
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「殿下、本当にそんな体験できるんですの?」
「もちろんよ、ミッシェル。近衛隊長さんに頼んだ時には、まさか許されるとは思いませんでした。きっと、面白い経験になると思います。それと二人だけの時は、殿下はだめでしょ」
「は、はい。ペルージャ」
「それでいいわ。ミッシェル」
普段は『殿下』『ミッシェル』と呼び合っている二人であるが、プライベートでは、名前呼びである。小さい時から大の仲良しだったから、堅苦しいことは抜きなのである。
「はい、これがミッシェルの」
「ペルージャのもカワイイですわね」
馬車の中でこれから経験する体験のために着替える二人。今まで着たことのない服装に気持ちが高まる。ニコールの指示で指定の場所までにこっそり服装を着替えなければいけないのだ。馬車の窓にはカーテンがあり、それを閉めてこっそりと着替える。こんな些細なことでも2人は新鮮な行動で心がウキウキしている。窮屈な馬車の中で服を着替えるなんて。そこからは、時間との勝負となる。ペルージャ姫は退屈な城での生活に飽きていたから、この冒険をとても期待していた。
やがて馬車が森に囲まれた道に入った。反対側から、干し草を山と積んだ馬車がやってきた。道が狭いのですれ違うのも一苦労である。仕方がないので近衛騎兵が手伝う。干し草の馬車を脇に誘導し、王女の馬車を通すのだ。だが、道の端はぬかるみで今度は干し草を積んだ荷馬車が動けなくなる。
「やむを得ない、数人の兵で荷馬車を押せ!」
「はっ。ニコール隊長」
「よいしょ」「よいしょ!」
ニコールの命令で近衛兵たちは力を合わせて干し草を積んだ馬車を押す。10分ほどかかって、やっとすれ違うことができた。干し草を積んだ馬車には、父親の農夫と思われる男とその娘が乗っている。
「隊長さん、ありがとうございます」
布で覆った被り物で頭を隠した娘がそうお礼を言った。この辺りの農村の娘がよく身につけている格好である。外仕事で日に焼けないようにしているのだが、顔を男に見られないようにするということもある。地方の農村では、親戚以外の男に顔を見られないようにするという風習が残ったところもあった。他の近衛兵に見られないようにしているのであろう。農夫の男は帽子を目深に被り、会釈をするだけであった。
「うむ。ご苦労をおかけした。娘御はどちらへ行かれる」
「都でございます。都の市場に行くのは生まれて初めてですので、とても興奮します」
「そうか。せいぜい、はしゃいでハメを外さないように」
変な注文をニコールは付けた。その言葉に深々と会釈する娘。茶色の髪がちらりと見えた。すれ違った馬車が再び軽快に走り出すと、ニコールは王女の馬車の出発を命じる。目的地のエフェル平原までは、あと1時間ほどである。
「オズボーン隊長。周辺の偵察、終了しました。特に異常なし」
副官のミゲル少尉にそう報告を受けるオズボーン。もうすぐ王女の馬車が到達する。この平原の花を見ながら昼食会をするというのが、王女の望みだという。まだ、王家を狙う反乱分子が根絶していないというのに呑気な王女様だとオズボーンは思っていた。
「まあ、俺の小隊がこのエリアを守備しているのだ。王女殿下には指一本触らせはしない」
このエッフェル平原は東西に2つの道しかない隔絶された場所だ。後は険しい山に囲まれており、道以外の侵入経路はない。そして、この平原に続く2つの出口はオズボーンが指揮する2個分隊が抑えており、一切の侵入を許さない。この平原も3個分隊、およそ30人の兵士で守備しており、昨日からアリ一匹も侵入させていない。もうすぐニコールの小隊も合流するから、70名ほどの兵士がいることになる。ここに攻めかかるなど、普通ではありえない。
「隊長、間もなく、ニコール小隊が王女殿下、ご友人と共に到着予定です。また、西出口からは厨房車両が到着します」
そう副官のアルディ准尉が報告をする。厨房車両というのは、王宮内の飲食を仕切る宮廷庁所属の馬車で、王が遠征軍を率いる時に帯同する食事を作る設備をもった馬車である。王とその側近、将軍のために戦場でも贅をこらした食事を提供するために大勢の調理人と食材、調理設備を備えた大掛かりなものである。
今回は王女がこの平原で昼食をとりたいという希望で、特別に宮廷庁から派遣されてきたわけであるが、オズボーンを始め、この近衛隊の兵士もそれを見たことがなかった。王女の昼食の割には、大規模で3台の大型馬車が進んでくるのが遠くに見えた。あれだと調理人は50人以上。食事の量も100人以上はできるのではないかと思う食材の量がありそうだ。
(なんだか、ずいぶん想像と違うな。あれほど大掛かりとは……)
ふとオズボーン中尉はおかしいなと感じた。今回、ここで会食するのは王女と友人の2人だけである。
「隊長、もしかしたら、我々にも料理を振舞うのではないでしょうかね」
そう馬を並べて副官のミゲル少尉がオズボーンに囁く。貴族出身でないこの中年の副官は、王女の食事のおこぼれに与れることを単純に喜んでいる様子であった。
(もし、そうだとしても同じ食事をするのは危険だ。それくらい、ニコールの奴は分かっていないのか?)
オズボーンはニコールが食事について、何も言っていなかったことを思い出した。もし、食事に毒が入っていたら、危険であるから護衛役の自分たちは食べるわけにはいかないだろう。いくら王女様が許可しても安全保障上、それはできないとオズボーンは思っていた。




