ビアンカの助言
「ビアンカ、ビアンカ、君の意見が聞きたい」
会議が終わるたびにエルンスト少年はビアンカを密かに呼び出し、明日の会議のための意見を聞くようになった。既にスパニアの内戦終結のためのマスウード条約の中身は合意に達しつつある。
「何でしょうか、エルンスト様」
「フランドルとの休戦協定だが、その期限をどうすべきか君の考えを聞きたい」
かなり高度な戦略を問う質問である。ただの令嬢に聞くべき問題ではないが、未来の王妃を自称するビアンカには、明確な意見があった。
彼女は毎晩開かれるパーティで、スパニアの貴族や軍人、各国の要人と親交を深めるとともに、その会話から現在の情勢や個々の思惑を的確に把握していた。
「エルンスト様、フランドルの大使は期間をどれだけと言っているかご存知ですか?」
「ああ。3年だ。3年間の休戦協定を結びたいと言っている。我が国としては、その間に復興ができる。よい期間だと思うが……」
「私に相談しにきたということは、エルンスト様には引っかかることがあるということですね」
「さすが、ビアンカ……。この提案は我が国には嬉しい話だが、単純に喜んでいいものではないと考えている」
「そうですね。疑うことができれば、お利口さんですよ」
「ビアンカ、余を馬鹿にするのか?」
「馬鹿にしてはいません。15歳にしてはしたたかだと感心しております。そして、そのしたたかさは君主には絶対に必要な資質だと私は思いますことよ」
ビアンカはそう言って扇で口元を隠した。レディは男の前では笑うことは、公式の場では無作法とされている。エルンストは自分を男扱いしてくれるビアンカに好感をもった。優秀なこの少年は、徐々にビアンカに飼いならされつつあるようだ。
「それで余よりも腹黒い、ウェステリアの副大使殿はどう考えるのだ?」
「あらまあ……私が腹黒いとは失礼な……」
「賢い女性は得てして腹黒いものだ。これは褒め言葉である」
「そういうことにしておきましょう。それでは私の考えを言います。そもそも、フランドル王国が3年も長き間、東方の国境で争いたくない理由を考えればよいのです。おそらく、フランドルは西へ勢力を伸ばすつもりでしょう。現在は2方面作戦を強いられています。このスパニア方面で3年の安心を得られれば、全軍を西へ向けるでしょう」
「なるほど……。西はギーズ公国とセント・フィーリア公国。いずれもウェステリア王国の同盟国で、フランドルとしては早急に叩いておきたいということか……」
「そういうことです」
「だが、ビアンカ。ウェステリアやギーズ、セント・フィーリアには悪いが、スパニアはその間に内戦から復興して国力を高められるという考え方もあるぞ」
フッとビアンカは笑みを浮かべ、すぐに扇で口元を隠した。エルンストの本心を見抜いての笑みである。
「フランドルの国王フィードル1世の人なりを考えれば、その選択は愚かなことですわ。返す刀で3年後、またスパニアはフランドルに侵略されるでしょうね。フランドル国王の本質は『戦い』なのです。彼は戦争で勝って今の地位を築いています。戦い続けなければ、彼は国王の座から追い落とされるでしょう。その焦りが彼を突き動かすのです」
「……余もビアンカと同じ考えだ。休戦期間は3ヶ月だけとする。それでもフランドルは結ぶだろう。我が国にフランドルに挑む力はないと思っているからだ」
「はい、そうでしょう。そしてそれは間違った選択になる」
「うむ。やはりビアンカに相談してよかった」
そう満足そうにエルンスト少年は笑顔になった。その顔を見て、少しだけドキッとしたビアンカ。この変な感情に戸惑う。
(ど、どうして、心臓が早鐘のように……鳴っているなんて……何か悪いものでも食べたのかしら……)
「ビアンカ、明日の午前中は会議が休会となっている。馬車を用意するから、一緒に出かけないか。余がマスウードの都を案内しよう」
ビアンカは心の中で首を横に振った。抱いた不安は打ち砕いて飛び散らせる。そして、いつもの澄ました口調で答える。
「あら、外国人の私とあまり親しくしては、スパニアの方々から非難を浴びますわよ」
「ふん。この2週間でビアンカの悪口をいう貴族はスパニアにはいないよ。どういうわけか、みんなあなたに取り込まれたようだ。フランドルの連中は快く思っていないようだが。では、明日にまた」
そうエルンスト少年は答え、ビアンカの元から去っていた。ビアンカの後ろにいつの間にか、警護役の二千足の死神が控えている。
「オ嬢……。アノガキト、デートスルノカ?」
「さる吉、デートじゃないわ。あの子、たぶん、私に課題を押し付けるつもりでしょうね。彼は国王に推挙されるためには、内政で得点を稼いでおきたいでしょうから、きっと、その方面の課題でしょうね」
ビアンカは涼しそうにそう答えた。それでも課題を押し付ける相手に、外国人の自分を選んでくれた理由に、ビアンカが優秀で得がたい人物ということ以外にあることも感じていた。
「さる吉、ニコール大佐に明日のことを連絡しなさい。あの人に面倒な仕事をさせることになりますが、町に出たエルンストを亡き者にしようとする輩にはチャンスですからね」
「リョウカイシタ……」
「さる吉、明日、あなたは私からは離れていなさい。襲撃に巻き込まれる恐れもあります。護衛はニコール大佐の部隊に任せればよいですから」
「……」
二千足の死神を一般人だと思っているビアンカにとっては、至極当然な命令なのだが、一流の暗殺者である二千足の死神にとっては、少し複雑な心境であった。
翌日、馬車でエルンスト少年とビアンカは町へと出かけた。馬車は粗末なもので、護衛はわずか。一応、遠巻きにニコールが派遣した護衛が後を付けている。
ニコール大佐の護衛部隊は、ビアンカの身辺警護が任務であるが、同盟国になるスパニアの重要人物であるエルンスト少年も護衛の対象であった。
本当は厳重な警護計画を立案したニコールであったが、それはエルンスト少年に拒否されてしまった。どうやら、エルンスト少年は次期国王として、庶民の生活をそのまま知りたいと考えたようだ。
おかげでニコールの心労は増える。また、二徹もビアンカに急遽頼まれて、ある食べ物のメニューを考え、ビアンカの指定した場所で屋台を出してデモンストレーションをすることになっていた。
「ビアンカ、目的地に到着するまで君の意見を聞きたい。やっと、このスパニアも内戦が終わり、国を立て直すことができるようになった。この国の経済を立ち直らせるために、君ならどんなことを考える?」
「あら、私のような外国人の貴族の娘に難しいことを聞くのですね?」
「とか言って、君の口は意見を言いたそうに余には見えるぞ」
「それはご明察ですわ。さすがは次期、国王陛下でいらっしゃる。それでは私の考えを言いましょう。小娘の戯言とお聞き流し遊ばせ」
ビアンカは3つの政策を述べた。一つは庶民の所得を倍増する政策。収入を増やすためには、仕事を与えることである。そのために、道路のインフラ整備を行うことを提案した。
長年の内戦でスパニアの各地を結ぶ道はかなり傷んでいた。これを石で舗装した道路で結ぶというのだ。
「工事の仕事に従事した人に賃金を支払います。やがて、その人たち目当てに飲食店が繁盛するでしょう。お金はみんなに行き渡ることになります。それに国を豊かにするのに流通経路を整備することは重要です。道の建設は100年後、200年後のスパニアの発展の礎となります」
「なるほど……確かにその通りだ。だが、我がスパニアにはその資金がない」
「心配することはありません。ウェステリア王国陣営に参加するのであれば、ギーズ、セント・フィーリア、ウェステリアから利子なしの融資が受けられます」
「なるほど……で、あと2つは?」
「産業の振興……。このスパニアには良好な鉄鉱石が産出します。また、リジンオイルの生産も昔から有名です。鉱業と農業に投資して、各国に輸出します。これで外貨稼ぎもできますし、人々にも仕事が与えられます」
「うむ。なるほど……」
「それで3つ目ですが……」
「あ、それは言わなくていい。3つ目は余でも分かる。そして、今日、君を連れてきた目的でもあるのだ」
話しているうちに馬車が到着したようだ。着いた先は学校である。エルンスト少年は教育が国の力の元であると考え、各地に学校を開校していたのだ。
だが、内戦が終わったばかりのスパニアでは、子供を学校へ行かせるという発想がなかった。戦乱に巻き込まれ、逃げ惑って暮らしていた庶民にとっては、子供は重要な働き手なのである。親自身が学校に通ったことがなく、字が読めない者が多いのだ。
「おそらく、スパニア人で字が読めないものは6割以上だろう。これでは国の力を弱める。余は識字率を100%にしたいのだ」
「ですが、学校がこの様子じゃ、それも難しいですね」
エルンスト少年とビアンカが視察した学校は、生徒がまばら。教室の4分の1も埋まっていないのだ。
「どの学校も同じような状況だという。ビアンカ、子供が学校へ来る妙案はないか?」
エルンスト少年はそうビアンカに尋ねた。今日の外出はこれが目的であったのだ。そして、ビアンカは憎らしいほどに先が読めていた。
「簡単ですわ」
「簡単だと?」
「はい。その答えをすぐに示しましょう。ここからなら、近いと思いますので……」
ビアンカはそう言うとエルンスト少年と少し離れた繁華街へ歩き出した。
10分ほど歩くと、その場所に到着した。
「はい、いらっしゃい。何本にしますか?」
「あんちゃん、3本くれ」
「こっちは2本」
「はい、少しお待ちください……」
黒山の人だかりができている屋台が1軒ある。そこで声を張り上げている青年は二徹。二徹は王宮料理アカデミーの派遣隊と一緒に行動していたが、ビアンカに頼まれてある料理の試作を行い、その効果を屋台での販売で試していたのだ。
「ビアンカ、これは何だ?」
「チュロスというものだそうですよ……」
「チュロス?」
ビアンカは2つ注文して受け取ると、一つをエルンスト少年に手渡した。それは油で揚げたてで熱く、砂糖とシナモンがたっぷりとまぶしてあるお菓子だ。
「熱つつつ……」
「エルンスト様、気をつけて、お召し上りください」
エルンストは星型にかたどられた長い棒のようなものの先にかぶりついた。カリカリのサクサクの食感に砂糖の甘さがクセになる。
「美味しいな……揚げ菓子だが、形が面白い」
「このような形にしないと油ハネをしてしまうそうですよ」
「うむ。見た感じ、材料はそんなに高価ではなさそうだ」
「はい。小麦粉と砂糖、卵だそうです。シナモンも砂糖もこのスパニアには大陸から大量に入ってきますから、安く手に入ります」
「ビアンカがやろうとしていることが分かったぞ」
「おわかりになりました?」
ビアンカの提案は、このチュロスを学校のおやつとして出すというのだ。授業後にこれを配る。本当は給食を出したかったが、作る手間と場所などを考えると時間も資金もかかる。おやつだったら、それほどかからない。
「このおやつが出るのだったら、子供は学校に来る。親も送り出すだろう」
「学校へ行けない小さな弟や妹の分までもらえるようにしましょう。これがきっかけで学校へ足が向くようになりますわ」
ビアンカのこのアイデアは、チュロスというお菓子とともに、あっという間にスパニア全土に広がり、学校へ行く子供の数を100%近くまで押し上げた。それに貧しい子供にとっては、このおやつは魅力的なものであった。おやつ欲しさに学校へ来た子供たちは、学ぶ楽しさを経験し、やがて学校へ自主的に来るようになったのだ。




