ビアンカのお仕事
「ニコール・オーガスト大佐。あなたをスパニア和平交渉団の特別護衛隊長に任を命ずる。指揮する兵は1000人。大隊規模だ。戦闘状態は終わったとは言え、首都マスウードは治安が良いとはいえない。交渉団の安全を守る任務は簡単ではないが、あなたならできると期待している」
「はっ。大臣閣下。ニコール・オーガスト、謹んでお受けします」
王宮内にある陸軍省でニコールの次の任務の辞令が下った。ここ15年も続いたスパニアの内戦が終結し、そのための条約が結ばれることになったのだ。その仲介役としてウェステリア王国から全権大使を送る。それを護衛することが任務だ。
内戦が終結したとはいえ、まだ不服で戦闘を継続する勢力もおり、首都マスウードは連日、テロが横行している。重要人物の護衛や重要拠点の守備などに特別に部隊を派遣する必要があった。
その部隊の隊長にニコールが選ばれたのだ。そして、その一行の食事のサポートとして、王宮料理アカデミーからレイジ・ブルーノが料理人として派遣されることになった。現地の料理人と協力して、仕事を行うことになる。
このレイジのサポート役として二徹にも要請があったのだ。妻のニコールが派遣されるスパニアへ同行できるということで、これは二徹にも願ってもない要請であった。
すぐさま、部隊は編成され、交渉使節と一緒に5隻の軍艦に乗り込み、一路、スパニアへと旅立つことになった。
「ニコちゃん、この任務は大変だね」
「ああ……。この和平交渉を潰そうという連中がたくさんいるからな。スパニア軍も治安維持に力を尽くしているが、元々、貴族の雇った傭兵が主体の軍だ。連携が取れていないし、町の守備といった任務に慣れていない」
「スパニア軍はゲリラ戦が得意というからね」
「神出鬼没が彼らの得意技だ。しかし、それ以外のノウハウはない。我ら派遣軍は彼らの軍事訓練もしなければならない。この任務は忙しくなるぞ……」
この1000名もの部隊をニコールが指揮するのだ。この部隊の行動、作戦計画全てがニコールに委ねられており、その権限は絶大なものだ。
「ニテツ……お前のサポートがないと私もやっていけないと思う。頼むよ」
「任せてよ、ニコちゃん。君の能力を100%生かせるよう、全力でサポートするよ」
二徹に与えられた任務も楽ではない。責任者はレイジであるが、使節団の食事を担当するだけでなく、交渉にあたっては各国、各勢力の重要人物を招いてのパーティがたくさん開催される。その時の食事も任されるのだ。
料理によって交渉がうまくいったり、いかなかったりすることも十分にある。交渉する人間同士の心をなごませ、冷静に判断するためにも美味しい料理、リラックスできる料理の果たす役割は大きいのだ。
「この和平条約は絶対に成立させなくてはいけない。15年も内戦に明け暮れていたスパニア国民の一番の願いだろう。だが、それを最も快く思っていないのは隣国のフランドル王国だ」
フランドル王国はスパニアからの撤退を余儀なくされ、しかも西方ではレオンハルト大将が率いるウェステリア大陸派遣軍とセント・フィーリアの連合軍と対峙している。
今は休戦中とはいえ、フランドルの皇帝フィードル1世は領土拡大主義の外交政策を続けている。いつ、戦争が再開されるかはわからない状態であった。
「西部戦線の状況によっては、この和平条約は不利になるからね……」
フランドル王国がスパニアから撤退したのは、兵力を西へ向けたいという思惑があるからだが、下手に東部戦線であるスパニアでの力を失うと、挟み撃ちを受ける可能性もある。
スパニア国民からは、フランドル王国は相当な恨みを買っているからだ。
フランドル王国からすると、スパニアはもう少し乱れてくれた方が都合がいいのだ。
*
ウェステリア王国から船に揺られて3日。東部のマルス軍港に到着し、そこから5日かけて首都マスウードに到着したビアンカ。生まれて初めての外国旅行で、心が躍って毎日ウキウキしていた。
「さる吉、スパニアの山は赤いのですね。木の種類も違うようです。建物も変わっていますね。丸い形の屋根などはウェステリアでは見られませんわ」
そう言って、ビアンカはスパニア生まれだという二千足の死神にいろんな質問をぶつけてくる。死神も久しぶりの故国であるが、スパニア全土を知っているわけでない。
子どもの頃は小さな村の鉱山からで出たことはなかったし、成長してからは暗殺組織の中で日々訓練していたから、一般的なスパニア人としての常識に欠けるところがあったのだ。
だから、ビアンカに質問されるたびに答えられず、その度に『さる吉は本当におばかさんですね……自分の国のことも知らないのですか』と胸に刺さる言葉責めに合っていたのであった。
「ビアンカ様、あれがマスウードの宮殿でございます」
併走する騎兵の将校が指を指した。馬車の行く手に大きな町が見えてきた。ビアンカの一行は30台もの馬車に使節団の人間が乗り、それを1000人の兵で護衛をしている。この兵のおかげでここまで安全に来ることができたのだ。
ビアンカは将校が指で示した方向を見た。戦乱で明け暮れた国の首都とはいえ、活気に満ちた町並みと派手ではないが国としての威厳を示す王宮に心を踊らされた。
そもそも、ただの貴族令嬢であったビアンカがこの交渉団の副大使を命じられるのは異例中の異例であった。それは国王自らの意思であったが、それはビアンカには知らされていない。
ビアンカに代理で辞令を渡した外務大臣は、国王からの言葉として、『あなたらしく振る舞いなさい。それを余は期待している』と伝えられたのだ。難しい交渉は正大使であるクラーク公爵が行うから、ビアンカに求められているのは人心の掌握であることは間違いがないだろう。交渉は会議の場だけでなく、各団体、個人が開くパーティや町での各種イベントへの参加なども重要になってくるのだ。
(オソラク……オ嬢ノ民心ヲ掴ム能力ヲ買ッテノコトトハ思ウガ……)
二千足の死神はビアンカが副大使に選ばれた時に、その意外すぎる人選に驚いた一人であったが、誰よりも彼女の傍にいたこともあって、その選ばれた理由も分かった。ビアンカの不思議と人を惹きつける能力は意外と交渉の武器になるかもしれない。
それに若いのも関わらずしたたかに計画して動ける力もあるし、決断力もある。そして人を惹きつける美貌と知性は男をたぶらかすのにも有効であろう。ウェステリア国王の人選は見事であると死神は考えていた。
(ダガ……コノコトハ、重要ナコトヲ含ンデイルコトニ気ガツイテイル人間ガドレダケイルコトカ……)
二千足の死神がそう考えること。抜擢した国王はビアンカのことをよく知っていたということだ。そうなるとビアンカの傍にいた人物の中に、ウェステリア国王エドモンドがいたということだ。
そして死神はおおよそ、その人物を特定していた。きっと賢いビアンカも同じ答えをもっているはずだと死神は考えていた。
「到着しました……」
使節団の一団は城に到着した。ビアンカは第一歩を踏みしめた。扇で顔を隠しながらも、周りを見る。スパニアの政府高官が出迎えてくれている。これから簡単なウェルカムパーティが開かれるのだ。
(さあ、これからこの私、ビアンカ様のお仕事開始よ)
ウェルカムパーティは、これから始まる長い条約締結に向けての会議の最初の関門。自己紹介をしてお互いの腹を探り合うのだ。




