絡み合った赤い糸
「猫仮面2号ちゃん、頑張れ!」
戦意喪失して食べるスピードが落ちていた猫仮面2号。突如、観客の中から響いた声に我に返った。声の主は分からない。たくさんの群衆がぐるりと自分を囲んでいるために、シャルロットは視線を動かした。
(この声は……王子様!)
シャルロットの消えかかった闘志に火が付き始める。残り5分を切った。43個目のあんバターを飲み込むと次の苺ジャムサンドを2つに割った。
「秘技、ダブル・イン・噛む!」
要するに交互に噛む。そして次のシュガークリームに手を伸ばす。高速食いで次々と30個台のおやつコッペをクリアすると、最後の難関、揚げ物コッペに突入する。
「奥義、ねずみ食い改!」
シャルロットの高速ちまちま食いが炸裂する。これはちまちま食っているようで、食べ物がみるみる無くなっていくのだ。見ていると不思議なのだ。
「出たあああああっ……」
「猫仮面の十八番!」
「しかも両手に持って交互にねずみ食いしている!」
シャルロットは右手にコロッケコッペ、左手にエビカツコッペを持つと、はむはむはむ……とコロッケコッペを10回食べると次に左手のエビカツコッペへ。同じく10回食べ進めるとまたもやコロッケコッペへ。これを2回繰り返すだけで無くなってしまった。
「なるほど、味を変えることで満腹感を超える食欲を呼び起こすのか!」
「すごい技だ!」
どよめく観客たち。だが、その中で一人冷静なのはニコール。冷めた目でシャルロット扮する猫仮面2号を見ている。
(すごい技なものか……そもそも、ここへ来て胸焼けする揚げ物。コロッケだろうがエビカツだろうが、普通は脂っこさに食は進まないはずだ。それを食べるって、くいしんぼうなだけだ……)
食い尽くしたシャルロットは、43個目のロースカツと44個目のメンチカツを同じようにネズミ食いで葬ると、45個目も鳥のからあげと46個目のハッシュドポテトを掴むと拝むように合わせる。さらに47個目の揚げソーセージも重ねた。
「究極奥義、リス食い!」
リスのように両手で木の実を掴んで、凄まじい勢いでカジカジと合わせた3つのコッペパンを食いまくる。鉛筆が削れるようにどんどんと短くなるコッペパン。
だが、48個目はカロンが苦戦している特厚のハムカツコッペだ。これはさすがに厳しいはずだとみんな思った。残り時間は2分を切った。
「猫仮面2号は負けませんよ、最高奥義、天を喰らう!」
猫仮面2号は立ち上がり、椅子の上に乗った。そして顔を空に向けて喉と体を一直線にする。そこからガジガジとコッペパンを喰らう。
「鬼だ、猫鬼だ~」
「すげえ、手段を選ばねえ……」
周りの観客も思わず、唖然とする猫仮面2号の食事風景。ニコールも声を失った。
(シャルロット~ついに女を捨てたか~)
そっと横の兄を見る。
(ダメだ……)
犬の仮面を被ったまま、兄ニコラスは涙を流している。猫仮面2号のなりふり構わない食べっぷりに、女神さまが降臨したかのような感動を味わっている。自分が放った言葉に、それまで勢いを失っていた猫仮面2号が生き返ったように食べ始めたことも大きい。猫仮面2号に自分の気持ちが伝わったのだと勘違いしてそうだ。
「ま、負けるものか~」
猫仮面2号の凄まじい追い上げに逆転されてしまったカロン。特厚のハムカツの前に心が折れる寸前であったが、この追い上げにアドレナリンが分泌。これが功を奏した。胃袋が動き出し、消化を促進して小腸、大腸へと送り出す。パンパンの胃袋から圧力が抜けて、食べ物が入る空間ができた。
「ベッカ殿、ハムカツコッペ、完食します!」
最後の一口を押し込んだ。これで48個完食。残りは2分を切った。最後の2個はデザート。生クリームに苺をトッピングした苺コッペ。そして栗のクリームをたっぷりとはさみ、蜜に漬け込んだ栗をあしらったモンブランコッペだ。
「フガフガ……」
口に詰め込むカロン。猫仮面2号も詰め込む。猫仮面2号は鼻にクリームを付けつつも、ついに最後の2つを食べきった。残り40秒残して完食だ。
「フガ~」
残り5秒。最後の一つを口に突っ込んだカロンは目を回し、その場に倒れた。完食と同時に目を回し、気を失いそうになる。
「だ、大丈夫ですか、カロンさん」
慌ててベッカが駆けつける。カロンを抱き起こし、そっと頭を膝に乗せる。
「ベ……ベッカ殿……俺は……約束通り……食べ切った……ウグ……」
「しゃべらないでください。吐いてしまいますから」
「ゴクリ……」
ベッカの叱咤にカロンは耐えた。上がってきたものを飲み込んだ。ここで吐いたら、ここまでの努力を全て失ってしまう。
カロンは顔を横に向けて優勝した猫仮面2号を見る。周りの観客から祝福され、スポンサーの犬仮面から賞金の目録をもらっている。
(負けたか……いや、目的は達した。俺の目的は50個の完食……。あんな化物に勝つことではない)
カロンの参戦でこのコンテストが盛り上がったのは間違いないだろう。最後の美味しいところは猫仮面2号にさらわれてしまったが、カロンの目的はベッカと結ばれること。膝枕をして介抱してくれるベッカの表情を見るとこれは達成できたようだ。
そしてもうひと組のカップル。
犬仮面ことニコラスは、優勝した猫仮面2号ことシャルロットに賞金目録を手渡す。観客に祝福され、そしてコッペパンの一般開放が始まった混乱に紛れて、ニコラスは猫仮面2号の右手を掴んだ。
「ちょ、ちょっと、何するんですか!」
「すまない、話があるのだ」
ベッカの店の裏に猫仮面2号を連れ込んだニコラス。犬の仮面をそっと取った。
「僕の名前はニコラス。貴族院議員をしている」
「はあ……そうですか」
突然の自己紹介に冷めた口調で答える猫仮面2号。普通の女子なら、ニコラスの美形と貴族院議員=貴族?という図式で目を輝かせる場面だ。
「あなたのファンなんです」
「そうですか……」
猫仮面2号ことシャルロットは、ポケットからペンを取り出すと犬の仮面にサラサラとサインをする。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう……じゃない!」
「何ですか。わたしは忙しいのです。この場から逃げないと……」
ニコラスは猫仮面2号を壁に追いやる。そして右手で壁に激しく打ち付けた。お兄様の壁ドンである。背の小さな猫仮面2号はビクッとして上目遣いでニコラスを見る。
「猫仮面2号ちゃん、僕と付き合ってください!」
言った。ついに告白してしまったお兄様。
だが、どう考えても状況は悪い。アイドルに迫る危ないファンのような告白である。
「こ、怖いです!」
「あ、いや、怖がらないで、僕は決して怪しいものでは……」
「お断りします」
「そ、そんな~」
「わたしには心に決めた王子様がいるのです。今日もこの会場に来てわたしのことを応援していたのです。あの声は間違いありません」
「王子様……応援って……最後の大声を出したのは僕だけど……」
「はあ……何言ってるのですか。わたしの王子様はあなたのようなストーカーもどきの男じゃないです。酔っ払ったわたしを優しく介抱してくれたのですよ。そしてわたしに指一本触れなかった紳士なのです。あなたとは大違い……」
ドーンと両手でニコラスを突き飛ばす。不意をつかれて壁に激突するニコラス。ずるずると壁に沿って腰を落とすニコラスに、止めの蹴りを入れようとする猫仮面2号。シャルロットも軍人である。しかも顔に似合わず、格闘戦は強いのだ。相手は男で体格に差があるのだが、格闘には素人同然のニコラスがシャルロットに叶うはずがない。
「ちょ、ちょっと待て、シャルロット!」
その場面を目撃したのは兄を捜しに来たニコール。思わず、猫仮面2号にシャルロットと呼びかけてしまった。これにはうっかり者のシャルロットも素で答えてしまう。蹴りはニコラスに当たる寸前で止められた。
「あ、大佐……じゃなかった……」
「もういい。ごまかさなくていいから。兄上の無礼は謝る」
そうニコールはシャルロットに頭を下げる。この状況から猫仮面2号に強引に迫ったのだろうと思ったのだ。
「兄上って、この変態……じゃなかった、この人、大佐のお兄さんなんですか?」
シャルロット、既に自分が猫仮面2号になっていることを忘れてしまっている。地面に腰を落としていたニコラスが立ち上がる。
「ニコール、猫仮面2号ちゃんの正体を知っているのか……シャルロットって……」
「はい、兄上。彼女は私の部下です」
そう言ってニコールはニコラスに近づき、猫仮面2号との間に立つ。もうこのややこしい関係を解消すると決意していた。結果はどうなろうと構わないと思ったのだ。
「シャルロット、この人は私の兄でニコラス・オーガスト。29歳で独身、一応、貴族院議員をしている。で、兄上、この猫仮面2号は私の副官を務めるシャルロット・オードラン中尉です」
「嫌だ、大佐、いつから正体を知っていたのですか?」
シャルロットは猫仮面を脱ぐ。やっぱり正体はシャルロット。
「知ったも何も、お前の隠し方では隠しきれてないぞ。一応、プライベートに関わる部分だから黙って騙された振りをしていただけだが、私の愚兄が関わっているからやむを得ず、告白しただけだ」
「お、お前は……」
猫仮面2号の正体を見たニコラスは驚愕の声を上げた。
「あの酔っ払いゲロ女!」
「酔っ払いゲロ女って……まさか!」
ニコールはニコラスの首を掴んで強引に頭を下げさせる。後ろ髪がめくれて、そこにはあの黒いほくろが見える。
「な、何をする!?」
再びの妹の暴挙に抗議するニコラスだが、目の前で起こっていることが整理がつかない。
「お、王子様!」
シャルロットも同様である。
ニコールはニコラスの首から手を離すと両手をパンパンと叩いて、歩き始めた。
「あとは勝手にやってくれ。憧れの猫仮面2号と憧れの王子様とのご対面だ。妹と上司は明らかに邪魔だろうからな」
そう言ってニコールは二人を残して、殺到するお客にコッペパンの販売を手伝っている愛しい夫の元へと歩いていく。
(うまくいくか、いかないかは神様が決めることだろう……)
ニコールは妹としておよそ考えられる弊害は諦めた。こうなった以上は、二人がうまくいくか行かないかは、神のみぞ知るということだ。
人間の出会いというものは、単純ではないが、絡み合った縁というものは必ず切れないものなのだ。




