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異世界嫁ごはん ~最強の専業主夫に転職しました~  作者: 九重七六八
第20話 嫁ごはん レシピ20 ふわふわ卵の親子丼とハムカツコッペ
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コッペ祭りと犬仮面

ああ……どんどん壊れていく痛い兄。ニコールはどうしたらよいのだ?

 ベッカの店でコッペパン(ブレド・オブ・コッペ)のお披露目。50種類のコッペパンを食べる大食い&早食い選手権が開催の日となった。出場者は広く一般から公募されたが、食べる予定の50種類のコッペパンを見てみんな尻込みをしてしまっていた。


 受付終了時間の午前10時の5分前。出場者は5人。5人とも都では有名な大食いファイターである。この5人の参加でイベント自体は盛り上がっている。だが、見に来ていた観客は誰もが真打の参加を期待していた。


「ううう……まだ猫仮面2号ちゃんは来ないのか~」


 会場で待ちわびているのがニコールの兄ニコラス。このイベントのスポンサーで、経費から優勝賞金まで全て出している。それも愛しの猫仮面2号に会うため。それなのに猫仮面2号が現れなければ、徒労に終わる。


「ニコラス義兄さん、大丈夫ですよ。猫仮面はいつも参加するのはギリギリですから……」


 そう言って励ます二徹。前日の夜にニコールからシャルロットの動向を聞いていたから、参加は間違いないと思っているから余裕だ。


「だがな……もしかしたら、このイベントのことを聞いてなくてとか……ああ……会えなかったらどうしよう……」


「兄上、そんな弱気でどうするのですか……」


 傍らで聞いていたニコールも兄の情けない態度に恋というのは人間をこうまで変えるのかと感心している。変わるという点では兄妹一緒なのであるが、自分のことは客観的には見られないものだ。


 ザワザワザワ……。


 ぎっしりとイベント会場を囲む観客の集団に変化が起きる。それは2つに割れていく。その中心を切り裂くように現れたのは、黒いキャットスーツに身を包んだ猫仮面2号。顔の下半分が露出した猫の仮面である。


「来たあああああ~」

「久しぶりに猫仮面2号ちゃんの勇姿が見られるぞ!」

「やっぱ、大食いは猫仮面が出場しないと面白くない」


 観客の中から大歓声が湧き上がる。ファルスの町では猫仮面は大人気キャラクターなのだ。


「猫仮面2号ちゃんって、絶対かわいい女の子だよな」

「あのちょっとドジぽいところがいいよなあ……」

「彼女にしたいぜ……」

「お前、それマジかよ。いくら何でもあの食いっぷりは、半端ねえぞ」

「彼女にしたら、確実に破産する……」

「俺たち庶民の経済力じゃ、絶対に養えない。あれは傍に居て欲しいタイプじゃない。遠くで眺めて愛でるタイプだ」


 そんな若い男たちの会話を聞いて、ニコールは苦笑するしかない。確かにあの神がかり的な食いっぷりは、見るものを魅了するが、それは大食い勝負のファイターとしての姿。これを自分の彼女がやったら、普通の男は引くに違いない。ある意味、猫仮面という偽りの姿だからこそ、存在が非現実的な印象を受けて、大食いが受け入れられるのだ。


 素の姿のシャルロットがうっかり大食いを披露し、軍の若い男たちが驚いて逃げ出すのは普通の反応と言っていいだろう。


(だが……兄上は……)


 ニコールはやって来た猫仮面を見ている兄を見る。放心状態で我を失っている。その2つの目にはハートマークが浮き出ているかのようだ。


「ああ……来てくれた……僕の子猫ちゃん」

「あ、兄上……こっちの世界に戻って来てください!」 


 ニコールは兄の肩を揺する。その振動で意識が戻るニコラス。もう待ちに待ち焦がれて、今回のイベントに大金を支払ったこの青年の心内はやり遂げた感でいっぱいである。隣にいるニコールは、この兄の心臓の音がバクバクと聞こえてきそうな錯覚に陥っている。


(兄上~っ……冷静になって考えてくれ~。それに……)


 兄が猫仮面2号を連れて、母親であるオーガスト伯爵夫人に『この娘と結婚します!』なんて言ったら、家柄や権威にこだわる母親は気絶するに違いない。


(それはそれで面白いが……。残念ながらシャルロットは別の男に心を奪われている。兄上の入り込む余地などありはせぬ……)


 ニコールには結末が分かっているだけに、兄がかわいそうになってきた。シャルロットは最近であった『王子様』に夢中だから、今日、兄が告白したところで振られるに決まっている。シャルロットもその父親のアドニス大佐も伯爵夫人などという地位には、全く固執しないし、そんなの道端の石ころ程度にしか思っていない。


 猫仮面1号に扮して、娘のシャルロットと一緒に大食い大会に出場することもあるアドニス大佐ではあるが、軍では勇猛な指揮官で有名であり、部下思いで間違ったことには屈しない高潔な人物なのだ。


(シャルロットもそういった意味では、権威に惑わされないしっかりしたお嬢さんといえるが……)


 ニコールは兄の横顔を見て、ふとある予感が頭の中をよぎった。あろうことか、風が吹いて兄の金髪をなびかせる。うしろ髪が揺れて、そこに見えてはならないものが……。


「あ、兄上!」


 ニコールは兄の後ろ首をがっしりと右手で掴む。


「な、何をする……ニコール……痛い、痛い……」


 兄の抵抗にひるむことなくグイっとかがませる。そして左手で長い後ろ髪をまくりあげた。


「マジですか、これ……」


 そこにあったのは小さなホクロ。妹のニコールですら知らなかったもの。


「何をするんだ、ニコール。急に!」


 妹に変なことをされて怒るニコラス。そりゃそうだろう。猫でもないのに、急に首を掴まれて毛並みを見られるのは屈辱的だ。


「あ、兄上、ここ最近、クラーブルホテルへ行ったことは?」

「ニコール、急になんだ?」

「クラーブルホテルです!」


 妹の真剣な表情に芽生えそうになった怒りも沈静化するニコラス。


「クラーブルホテルはよく利用する。あそこはお気に入りの場所だからな。仕事で遅くなった時や極秘の打ち合わせに使うのだ」


「それで最近、女の子を連れ込んだことは?」

「おいおい、人聞き悪いことを大きな声で言うなよ。僕がそんな事する訳無いだろう。まあ、2日前に酔っ払った女の子を介抱したけど。やましいことはしていない。何しろ、助けてやったのにゲロを吐かれて……」


 ニコールは天を仰いだ。


(これはまずい……。赤い糸というのがあるのなら、思いっきりつながっているではないか!)


 ゲロが結ぶかもしれないとんでもない出会いである。全く脈がないと思われた兄が運命を手繰り寄せたとも言えなくもないが、まさか『ゲロ』とは……。


(しかし、どうする……こんな複雑な関係はわけが分からない……)


 悩むニコール。兄のニコラスは正体不明の猫仮面2号に恋焦がれている。そのために決まった許嫁と別れてしまったくらいだ。もう正体を知ったら求婚する気満々である。周囲の反対なんか押しのけるだろう。この点においては、ニコールは自信がある。何しろ、自分が周囲の反対を押し切ったのだから、血のつながった兄も同じだろうと思う。


 そしてシャルロット。この色恋沙汰には興味がなく、食い気オンリーだったドジっ娘副官。今は助けてもらった正体不明の王子に恋焦がれている。そしてその正体が兄。


(猫仮面の正体がシャルロットで、シャルロットも兄が好き。もう、これって……)


 ニコールの脳裏にウェディングドレス姿のシャルロットを抱き抱える兄の映像が浮かぶ。


「うああああああ~っ!」


 頭を抱えて転げまわるニコール。


「どうしたの、ニコちゃん?」


 愛妻の変化に驚く二徹。どうやら、相当の精神的なダメージを受けたらしい。そんなニコールを尻目にニコラスは、ポケットから布のようなものを取り出した。


「ニコラス義兄さん、そ、それは?」


 二徹が尋ねるとニコラスはにっこり笑って、その布を広げた。それは顔の上半分を隠すマスク。猫仮面と同じ仕様である。違うのはデザイン。猫ではなく、犬をデザインしたものであった。


「犬仮面だよ。これを付けて、猫仮面ちゃんの隣で大食いにチャレンジするのだ」

「ニコラス義兄さん……本気ですか?」

「ああ……本気だとも!」

「だって、義兄さんは少食じゃなかったですか?」


 二徹はこの兄とそんなに食事を一緒にしたことはないが、それでも大食いのイメージは全くない。今回のコッペパン勝負。10個食べられるか怪しいくらいだ。


「心配するな、二徹くん。愛は男に超人的な力をもたらすものだ」

「兄上……痛いですよ……さすがに……」


 ヘンな犬のマスクを被った自分の兄に、そうニコールは忠告したが、ニコラスには届かない。

 愛というのは、時に男を狂わす。


 そして、黒歴史を紡ぎ出すものなのだ。



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