ゲロの王子様
「はああああ……」
執務室で、シャルロットは机に伏せて唸っている。ニコールはいつものことだろうと思ったが、シャルロットが聞いて欲しそうに時折、チラチラとこちらを見るので、仕方なく言葉をかけた。
「聞いてくださいよ~」
ニコールの反応を待っていたかのようにシャルロットは昨日の出来事を伝える。昨日は近衛隊の小隊長アラン中尉にデートに誘われたそうだ。
「ほう……アランか」
ニコールも近衛隊にいたから、その名前は聞いたことがある。近衛隊の有望株の若手士官の一人だ。
「あいつったら、ひどいんですよ。ちょっと美味しい料理を出す店があるから、わたしに行かないかと誘うから、行ってみたのに~」
この話はよく聞く。若い男の士官の中では、シャルロットは食事に誘うと断らないチョロ子と噂されているからだ。ただ、なぜか誘った男はそれ以上のことは言わない。デートに誘うのはチョロ子だが、そこから正式に付き合うのは難しく誰も成功していないからだ。
(シャルロット中尉は相当のグルメに違いない。彼女のおメガネにかなう店に連れて行かないと付き合ってもらえないらしい……)
一度、食事に誘った男たちは一様に口を閉ざし、その後のことを語ろうとしないから、そんな噂が影で流れていたのだ。
(たぶん、彼女はニコール大佐の副官だから、相当にいいものを食べているはずだ。そんな彼女に初デートで満足させる店に連れて行かないから、そういうことになるのだ……)
そういう事になっている。それでついたあだ名は、『グルメちゃん』。可愛い顔して、料理の味をぶった斬り、ついでに誘った男たちをぶった斬る。斬られた男は精神的ダメージでしばらく立ち直れないらしい。
(よくもまあ、そんな間違った噂が立ったものだ……)
それを聞いた時のニコールは苦笑するしかなかった。ニコールには想像がついていた。おそらくそれは真実。そして、部下の名誉を守るために真実を話すわけにもいかない。
「それで……アラン中尉はお前をどこに連れていたのだ?」
「それがですね……。市の中心部にある『ブルバンド・ロワイヤル』ってお店なんですよ」
「ああ、そこは知っている。王宮料理アカデミー出身のシェフが新しく開いた店だろう。かなり美味しくて予約が取れないことで有名だぞ。よく予約が取れたな」
「そうなんですか……それは知らなかったです」
ニコールは頭を抱えた。近衛第4小隊長アラン。たぶん、シャルロットとのデートのために苦労して予約を取ったはずだ。それが全く通じていない。それにニコールはおおよそ把握していた。シャルロットがやらかしたことを。
「確かに料理は美味しいんですよね。でも、わたしには決定的な不満があるのです」
「はいはい、それは分かった。言わなくても分かった」
「大佐、何が分かっているんですよ~」
「アランの奴が途中で逃げ出したんだろ……」
「どうして分かったんですか?」
不思議そうにそう話すシャルロットであるが、アランの立場になってみれば分かる。お決まりのコースではお腹が満足しなかったシャルロットは、アラカルトから追加注文。店で出す作れる料理を全て食べ尽くした。その無限の食いっぷりと、恐らくとんでもない金額に膨らんだ代金にアランは驚いたのであろう。
シャルロットの可愛い顔ととんでもない大食いのギャップに心が折られ、これ以上は無理だと財布を全てはたいて逃げ出したという結末だ。
「大佐、ひどいと思いません?」
「いや、ひどいのはお前だろ。アランの奴、気の毒に。昨日は給料日だったからな。恐らく、全部使ってしまったに違いない。明日から1ヶ月の彼の生活が心配だ」
「そりゃ、奢ってくれたのは感謝してますよ。でも、わたしも誘われた時にちゃんと言いましたよ。わたし、食べるの好きなんです。ちょっと、普通の女の子より食べる量は多いけどって……。そしたら、アランはなんて言ったか知ってます?」
「なんとなく想像はつく……」
「女の子を食べさせるのは男の努め。僕は君を飢えさせることはしないよ……だって!」
ニコールはまたまた頭を抱えた。恐らく泣きながら代金を支払って逃げ出したアランの無念が痛いほど分かる。
(アラン……お前は食の魔王の前でなんと言うことをしゃべったのだ。あの高級店でたかられて1ヶ月分の給料で助かったのは奇跡だ……)
「でも、それが今のわたしの悩みではないのですよ」
「はあ?」
シャルロットの切り返しにニコールは戸惑ったが、確かにその通りだ。今の話でシャルロットが悩むわけがない。どちらかといえば、美味しい料理をお腹いっぱいに食べられたから満足なはずである。途中でデートをすっぽかして逃げたアランを恨むこともないし、そもそも、シャルロットがアランに気があったわけでもなかろう。
「実はアランがいなくなったので、仕方なく、居酒屋へ行ってやけ酒を飲んだのです」
「高級レストランの料理のメニューを端から端まで食べて、そこから居酒屋へ行ったのか?」
「そうなんです。普通は行くでしょ?」
(行くわけないだろ……そもそも、何も入らんわ!)
「そこで王子様に会ったのです!」
「お、王子!?」
意外な展開に思わず身を乗り出したニコール。シャルロットから王子なんて聞くのは新鮮だし、それを話すシャルロットの様子は明らかにおかしい。ポーッと顔が赤くなり、両手を軽く握って胸に置く様は、まるで恋する乙女の表情である。
*
「うい~っ。おじさん……もう一杯、エールをちょうだい!」
「おいおい、お嬢ちゃん、もう止めといたら……」
カウンターでくだを巻いているシャルロット。デートを途中ですっぽかされてヤケ酒を飲んでいる。無論、シャルロットにはデートという認識はないが、親切な男友達がご飯を奢ってくれるといろんなおいしいレストランに連れて行ってくれるので、喜んでついて行くのだが、大抵、結末は今日と同じなのである。
「なんでよ~、なんでみんな逃げだすのよ!」
みんな途中でいなくなる。せっかく、食後のデザートでも付き合うかと思うのに、最後まで付き合った男は今までいなかった。そしてみんな大抵、よそよそしくなる。職場で会っても、何か恐ろしい動物にでも会ったような表情に変わり目を伏せるのだ。
男の側からすれば当然だろう。目の前でとんでもない量を食われたら、普通は引く。そしておごってやると言った手前、支払いをして物質的ダメージを食らう。まるで悪質な美人局に出会った気分で心が折れる。深く反省する。
「うい~っ。おじざん……ゲーヴウ……もういっばい……」
もう酔っ払ってへぼへぼ状態のシャルロット。危険な状態である。こういう酔っ払った女の子は危険である。何しろ、シャルロットは見た目、可愛い。ものを食べなければ可憐な美少女なのだ。
「おい、ねえチャン……それじゃ、歩けないだろ……」
「俺たちが介抱してやるよ……」
人相の良くない2人の男がシャルロットに絡んできた。うまいことを言ってお持ち帰りをしようという下心満載の様子だ。
「ヴルザイ~っ……ワダジにガマウな~」
支離滅裂な言葉で拒否するが、今日はさすがに飲みすぎた。足元がフラフラして力が入らず、振り払う手も力がない。二人の男に両腕を抱えられて、危なく連れ出されそうになる。そこに現れたのが、シャルロットが話す『王子様』。
「おいおい、酔っ払った女の子をどうするのだ?」
「邪魔するなよ」
「スカシた顔して、てめえがこの女をかっさらおうって話じゃないよな」
「生憎、酔っ払った女は好みじゃない。それに私には心の婚約者がいる」
「心の婚約者?」
「何を言っている、このええとこの坊ちゃんが!」
2人のチャラい男たちは、シャルロットの拉致を止めようとする青年に殴りかかったが、その青年はひょいとかわすと強烈な手刀でこの2人を倒す。それこそ、2振りで勝負が決まった。気を失った男たちを店に残すと、迷惑料の金貨を数枚テーブルに置いた。そして、フラフラしているシャルロットに背中を貸した。
「はい、お嬢さん、おぶさって。家まで送りましょう……」
「ふぁ……ふぁたしにかまわ……ないで……」
拒否しつつもシャルロットはその背中に身を預ける。ふわふわといい気持ちになる。店を出ると夜風が髪をなびかせる。少し寒くて、身を震わせた途端に胃からこみ上げてきた。
「うぷ……ぎ……ぎ……もち……悪い!」
「ち、ちょっと、待て!」
「ウゲゲゲゲ……」
惨状が展開した。
*
「お前、おぶってもらってその背中に吐いたのか?」
「はあ……あまり記憶がないのですが。たぶん、頭にいっちゃったかと……」
「救ってくれた白馬の王子様の頭にゲロしたお姫様は、いないと思うのだが」
「はあ……もしそうなら、さすがのわたしも責任を感じてしまいます」
「シャルロット……お前、自覚しているじゃないか。それで、その後、どうしたのだ?」
「はい、目覚めたら、クラーブルホテルの一室でした。その時には王子様はいなくて」
クラーブルホテルは、ファルスの都でも3本指に入る高級ホテルである。状況的にはその王子様にホテルに連れ込まれたともいえるが、おんぶしてゲロを吐かれたら、ホテルに行ってもおかしくはない。
「それで……お前、寝ている間に何かされていたとか?」
「それはないです」
朝起きたら着ていた服は洗濯されており、自分はナイトウェアに着替えさせられていたが、それはホテルのメイドが着替えさせたとのこと。その王子様はシャルロットをホテルの部屋に休ませるとメイドを呼んで着替えを頼み、ベッドに寝かしつけたという。
メイドが言うには、自分はシャワーを浴びた後に馬車で帰ったというのだ。ちなみに宿泊代から服のクリーニング代まで支払っていったそうだ。
「なるほど、世の中、親切な人はいるものだな。そんな人間はまずいないぞ。まあ、私のニテツなら私に対してはそれぐらいやるだろうけど……」
「大佐、わたしの話の中でのろけないでください」
「いや、すまぬ。それにしてもそれは相当の紳士だな。しかも金持ちだ。お前が王子様と言うのも間違ってはいない。それでその青年の名前はわからないのか?」
「それがですね……」
目が覚めたシャルロットは、断片的に思い出される記憶と今の状況を見て、さすがにまずいと思った。お礼を言うために助けてくれた王子様の素性を知りたいと思ったのだが、ホテルに聞いても教えてくれない。その青年はホテルの常連客。顧客の素性をホテルが明かすはずがない。それが一流のホテルというものだ。
(それは相当なVIPだな……大貴族か、政府の権力者……外国の王族という線もある)
ニコールはそう考えたが、そうなると全く分からない。このウェステリア王国の首都ファルスでは、そういうレベルの人間はたくさんいる。
「何とか、その王子様にお礼が言いたいのです」
「シャルロット、その王子様の顔は見ていないのか?」
「それが酔っていたので……よくわからないのです。顔も髪型も髪の色も思い出せないのです」
完全に泥酔していたシャルロット。記憶が飛んで思い出せないらしい。ニコールは部下のマヌケさにため息をついたが、よく考えると自分も似たようなことがあったと反省する。
「まあ、そういうこともあるだろうが、全く覚えていないのか?」
「う~ん……あ、でも、少しだけヒントがあります。その王子様の首の裏。小さなほくろがあるのです。それだけ、妙に覚えていて……」
「……それは役に立たない情報だな……」
ニコールの言うとおりだろう。首の裏、髪の襟足に隠れたところにあるホクロでは、簡単には見られない。捜す時に苦労する。いちいち、町を歩く男にホクロを見せてと首筋を掴むわけにはいかないだろう。
「はあああ……王子様……」
頬杖をついて、思いにふけるシャルロットを見て、ニコールは少しだけ安堵を覚えた。いろいろと画策している兄には悪いが、このカップルは成立しそうもない。猫仮面2号の正体であるシャルロットは、現在、謎の王子様に恋しているようだからだ。
(兄上、お金の無駄遣い、ご苦労様です。でもよかった。この子が私の姉さんにならなくて……)
そうは思ったものの、優しい兄に対して少しだけ罪悪感を覚えるニコール。いっそのこと、兄にシャルロットの正体を告げて盛大に失恋してもらう方がスッキリするかもと思ったが、それは踏ん切れない。
自分だけ好きな相手と結婚しているから、兄にも幸せになって欲しいという気持ちは、妹だからこそあるのだ。
(兄上……兄上にふさわしいお嫁さんはきっとどこかにいますよ……)
そう思わざるを得ない。
「ところでシャルロット。今度の休みだが、ベッカ・ベーカリーで新作のパンの発表イベントがあるらしい」
「えっ……あのベッカさんのお店ですか?」
ベッカのパン屋はシャルロットが好きな店の一つだ。
「何やら、大食いイベントがあるらしい……一緒に行くか?」
「大食い?」
少し考えたシャルロット。これはニコールの予想の範疇。猫仮面2号としての血が騒ぐはずだ。
「いえ、遠慮していきます。その日、ちょっと用事があるので」
予想通りの返事を聞いてニコールは満足した。結果は残念になること間違いがないのだが、それでも二徹と兄の猫仮面2号を誘い出そうという企みは一応、成功しそうである。




