ベッカベーカリーとコッペパン
話は昨日に遡る。
猫仮面2号に一目惚れしてしまったニコールの兄、ニコラスはどうしても猫仮面2号に会いたいと相談にきたのだ。
「ニテツ君はあの子に料理を提供したのだろう?」
「はい。ウェステリア風お好み焼きを食べてもらいました。信じられない食べっぷりでしたね」
「ニコールもそばで見ていただろう?」
「はい、見ていましたが……」
「お前たちは彼女の正体を知らないのか?」
ズバリ切り込んでくるお兄様にニコールは心臓を掴まれた気分になった。これは二徹も同じこと。猫仮面はニコールの副官シャルロット中尉とその父親アドニス大佐であることは分かっている。だが、それは自分たちの心の中だけに収めることで、シャルロットが表向き隠しているのなら、喩え身内でも話すべきではないだろう。
「いえ、接していたのは少しだけですから……正体なんて分かりませんよ」
「兄上、私も同様です」
「そうか……僕の調査ではどうやら猫仮面2号ちゃんの正体はウェステリアの軍人らしいというところまではわかったのだが、そうか……ニコールには心当たりがないか……」
(あ、これは正体が明かされるの時間の問題か……)
(あ、兄上~、そこまで調べたのですか~。そしてシャルロット~、お前、ガードが甘すぎるぞ~)
タラタラと汗が流れるような気持ちなるニコールと二徹。この兄が本格的に調査をすれば、ボロが出まくっているシャルロットのこと。いつかバレてしまうに違いない。
「それでは正体のことはともかく、ここ最近、猫仮面2号ちゃんが町に出没していないのだ。自分としては彼女に登場してもらって、直接、会って話がしたいのだ」
「直接ですか?」
「そうなんだ。それで、ニテツ君への相談なのだ。猫仮面2号ちゃんを誘い出すために、君の力を借りたいのだ」
そういうとニコラスは、新たな大食いメニューを二徹に開発してくれという。費用は全部ニコラス持ち。町で大食いイベントを企画して、そこに猫仮面を誘い出すというのだ。大掛かりな作戦である。
「兄上、馬鹿なことを……」
これにはニコールも少々呆れたが、ニコラスの顔は真剣そのものである。なんとしてでも猫仮面2号に会って、思いを告げたい決意がある。これには妹として情が出てしまい、反対する気持ちが弱くなってしまった。
一方、二徹の方は反対する気持ちはない。義兄が好きでアプローチすることだし、やり方もお金の無駄遣いではあるが、好きな女性に注ぎ込むのは男としては理解できる。
「分かりました。実は今、相談されている店があるので、そのプロジェクトと合わせて猫仮面を登場させることができるかもしれません」
「そ、そうか……それはありがたい。是非、よろしく頼む」
ニコラスはそうお礼を述べた。二徹としても思わぬスポンサーがついてありがたいと思った。こんな回りくどいことをしなくても、シャルロットと会わせば済む話ではあるが、ニコラスは猫仮面の正体を知らないし、いきなりシャルロットと会わせても信じてもらえないだろう。猫仮面に変身している時に会わせるのが手っ取り早い。
「ニテツ、その相談されている店って……」
ニコールがそう言いかけたのは、その店にはニコールも別件で関わっていたからだ。その店はファルスの都で王家御用達の称号をもらっているパンの店。
「そうだよ、ベッカさんの店だよ」
ベッカ・ベーカリー。いつぞや、ペルージャ王女を唸らせたふわふわ生地のパンを使ったハンバーガーの店である。
*
「ベッカさん、用意はできました?」
翌日、ニテツはニコールを伴って町中にあるベッカの店にやってきた。店では既に新作のパンが焼かれて、窯から取り出されたところである。
「ニテツさん、言われたとおりの大きさで作ってみました。粉の配合や発酵時間を試行錯誤したのですが、やっといい感じに仕上がりましたよ」
そう言ってベッカは取り出したパンを見せる。ベッカは30代の女性で未亡人。夫から受け継いだパン屋を切り盛りしている元気な女性だ。二徹はベッカの真面目な仕事とパンの味に惚れ込み、これまでいろいろと相談に乗ってきたのだ。
二徹が教えた柔らかいパンの製法で商売繁盛をしていたが、パン屋はこの世界ではメジャーな商売。競争も激しい。常に新しい商品を開発しないと競争に勝てない。
そこで二徹が教えたのが『コッペパン』。紡錘形の形をした片手で持てる小ぶりなパンである。これだけで食べても美味しいが、やはり魅力は挟む具材の豊富さ。今日はその中身の具を考えるために来たのだ。
「あれ、どうしてカロンさんがここに?」
二徹は店の奥でコッペパンの窯出しをしている大男を見て驚いた。筋肉ムキムキの肩と腕を露出し、なんだか可愛いエプロンを付けている。
「お、お前は大佐殿の旦那……」
「おう、カロン、今日も手伝いをしているのか?」
ニコールがひょっこりと顔を出してそう話しかけた。カロン准尉は先のクエール事変でニコールを守って重傷を負った男である。実はニコールに膝枕をしてもらったカロンは、その時の約束で結婚相手を紹介してもらったのである。
お見合い相手はベッカ。パン屋を切り盛りして2人の子供を育てているベッカは、これまで忙しくて再婚などは考えていなかった。しかし、二徹のおかげで店の経営が軌道に乗ってきたことと、お得意様で恩もあるニコールと二徹夫妻の紹介でカロンに会ってみたのだ。
最初は軍人として戦争に明け暮れ、年も40後半のカロンは、『今更、この儂が結婚なんて冗談じゃない!』と拒否した。しかし、上官のニコールに言われては無下にもできず、渋々とベッカと会ったのだが、このおじさん、会った瞬間にベッカに心を奪われてしまった。
(小さな子供を2人も抱えて、女の細腕で店を切り盛りするなんて……こんな健気な女性がいるのか!)
これまでまともな女性と出会ったことのないカロンは、ベッカのひたむきさに心を奪われたようで、それから毎日、ベッカの店にパンを買いに行くようになり、しまいには今日のように手伝いをするようになった。
ベッカの方は荒くれ軍人の容貌のカロンを最初は『怖い』と思ったのだが、話してみると優しく、そしてユーモアもあるので好ましく思い始めた。
ただ、結婚するまでに思いが行っているかというと、そこまではない。これは両人とも同じである。ある程度の年を取ると結婚というものを軽々しくできなくなる。カロンには軍人として数十年生きてきたという人生があるし、ベッカは2人の子供と夫から受け継いだ店がある。ずっと変わらない人生に変化を求めるのは勇気がいるのだ。
ただ、カロンはそろそろ50になる。ウェステリア軍の兵士の定年は48歳だ。カロンは戦功で例外的に一般兵士から准尉に位を上げていたから、50歳まで勤められるが、多くの場合は退役して予備役になるのが普通なのだ。
軍を辞めたあと、何か商売でもしてのんびり暮らしたいと思っていたから、このベッカの店での手伝いは願ってもないことであった。結婚はともかく、パン作りの修行をしてパン職人になるのも悪くないとカロンは思っていた。
「ニテツさん、指示通り、コッペパンは完成ですが、これをどうするのですか?」
ベッカは不思議そうにそうニテツに尋ねた。コッペパンはそのまま食べても美味しいのではあるが、これだけではインパクトはない。
「このパンは挟むもので、いろんな種類の味が楽しめるのです。まずは定番の焼きそばを挟みましょう」
そう言ってニテツは焼きそばを作る。キャベツと豚肉を炒め、麺を投入。ウスターソースをたっぷりとかければ香ばしい焼きそばの出来上がり。これを焼きたてコッペパンにはさむ。購買で人気の焼きそばパンの完成だ
「ふほーっ……これはうまい」
「これは美味しいな」
さっそく試食をするとカロンもニコールも太鼓判を押す美味しさである。
「ニテツさん、これは色々と応用がききますね」
ベッカは思案顔である。なかにはさむ具はそれこそ、無限大に思い浮かぶ。まずは揚げ物。定番のコロッケ。これはコロッケの種類の数だけコッペパンの種類が増える。ノーマルなジャガイモだけのコロッケ、カレーコロッケ、ミートコロッケ、コーンをたっぷり入れたコーンコロッケ。蟹肉の入ったクリームコロッケ。
さらに鳥のささ身をチーズで包んだフライ。大葉で包んで揚げたもの。辛いスパイス生地をまとわせて揚げたもの。そして単純なもも肉の唐揚げ。
肉だけではない。魚を使った揚げ物も続く。白身のフィッシュフライ。赤身の魚のフライ。タコのフライにイカのフライ等。海鮮を使った具材が考えられる。
さらに野菜をたっぷり使ったサラダの具。これも野菜の種類でいろんなものが考えられる。ポテトサラダ、グリーンサラダ、豆のサラダ。ドレッシングを変えれば味も変わる。さらにクリームやあんこ、フルーツをはさんだデザート系のコッペパンも考案する。
ニコールやカロンの知恵も借りて、ついに50種類のコッペパンを考え出したのであった。
「ニテツさん、すごい種類のコッペパンができましたね。しかし、これを売るとなると、またお客さんに宣伝しないといけませんね」
ベッカはこの商品は確実に売れると思ったが、保守的なウェステリア人に浸透するには時間がかかると考えた。これは商売人の感触。いずれ口コミでヒットするだろうという読みである。しかし、二徹としては一気に売りたいと考えていた。
「そうですね。その件に関しては、僕にアイデアがあるのです。この50種類のコッペパンを使って、大食い選手権をしませんか?」
「大食いだって!」
びっくりしたように素っ頓狂な声を上げたのはニコール。二徹は兄のニコラスと相談していたから、この提案は当然、自分の兄の要望を汲んだものであることを承知している。
「そうだよ。大食い選手権。ちょっと、スポンサーを見つけたのです。このコッペパン50種類を一斉に食べて、優勝者を決めるのです」
「大食いというより、早食いというわけですか?」
ベッカは腕組みをして思案した。こういうイベントはウェステリアでは聞いたことがない。インパクトという点では、かなりのものであろう。
「いや、50個自体も厳しいですよ。大食い+タイムを競うというわけです」
二徹はそう提案を続ける。きっと大勢の観客が集まり、この新作コッペパンの宣伝になること間違いない。しかもスポンサーはニコールの兄のニコラス。彼はオーガスト伯爵を将来名乗るし、現在は貴族院議員の若手実力者である。
彼にパンの材料費、優勝賞金、イベントの宣伝費に会場設営費を出してもらう。おかげで、タダでコッペパンの宣伝ができる。ニコラスも大金を払うだけの価値はある。何しろ、その大掛かりな大会なら、あの猫仮面2号も参加するのは間違いがない。
「では、コッペパンの中身をもう少し検討しましょう。どうせなら、至高の50品を選抜しましょう。どれを食べても最高と言えるものにしないといけませんからね」
そう言って二徹は妻のニコールにそっとウィンクした。義兄の相談を見事に達成したことになる。




