けんちんうどんを作ろう!
ジャンの猛勉強が始まった。午前中の学校が終わったら、まずは鍛冶屋の手伝い。夕方の5時に切り上げてオーガスト家に行く。メイもその頃はメイドの仕事が終わって勉強タイムである。
二徹はジャンのことをよく知っていて、メイの頼みを快く引き受けた。それで1日目にジャンの現在の学力を確かめたのだが、基礎的なことからできていない。ただ、飲み込みが早いのはメイの言ったとおり。一度教えると、すぐに理解する頭の良さがある。
「うん。ジャン君なら奇跡が起こるかもしれないね。ここで基礎を学び直して、応用問題は帰ってからこなすんだ。語学は語彙が足りないだけだね。ウェステリア語とフランドル語の単語を1日20個覚えれば、1ヶ月で1500。受験問題に絞った単語だけにすれば、なんとかなるかもだよ」
「お、お願いします……」
ジャンはそう頭を下げた。メイと机を並べて勉強するというシュチュエーションに当初はドキドキしたが、メイの真剣な勉強の様子や、二徹の教え方や合格へのビジョンの明快さがジャンを本気にさせた。
2日に1回、オーガスト家で基礎を学び、課題を持ち帰って家で仕事をしながら勉強をする。夜は12時までロウソクを灯して勉強。翌朝は5時に起きて鍛冶屋の仕事を1時間で行い、学校へ行くまでの2時間を勉強にあてる。
「おっ……ジャン君、すごいな。単語テスト全問正解じゃないか」
3日後にやってくるとまずは確認テストを行う。ウェステリア語とフランドル語の語彙はかなり習得している。1日20個と課題を設けたが、ジャンはそれ以上にやっており、1日50個のペースである。
「数学もかなりいいね。あとは応用問題だけど……」
これだけは慣れしかない。数多くの問題を解くとともに、解答へ導く思考力を育てないといけない。
「ニテツさん、俺、なんか、最近、勉強が面白くなってきたんだ」
「そう。確かに君は砂に水をまいたかのように吸収していくからね。知識に飢えていたのだよ。君は真面目に勉強していたら、いい成績を取れるよ」
「そ、そうなんですかね?」
二徹にそう誉められ、満更でもない表情を浮かべたジャンの横目で鋭く睨めつけたのはメイ。すぐに釘を刺す。
「ニテツ様。あまり誉めるとジャンが調子に乗ってしまいますよ。根はバカなので」
「う、うるせー」
メイに注意されたが、ジャンの心は踊っていた。メイと勉強できるのも楽しかったが、どんどんと勉強が分かっていく快感は捨てがたいものがある。確かに仕事と勉強は大変だが、毎日の充実感はかなりのものだ。そして、応用させると日頃から疑問に思っていたことが知りたくなる。
(鉄を熱すると軟らかくなって叩くと延びるけど、どのくらいの熱だとそうなるのか……)
(鍛冶屋の仕事は鉄具の修理が主だけど、鍬の修理も一律じゃなくて、かかった時間や使った材料で計算すると適正な工賃は……)
(ウェステリア人のお客だけでなく、スパニア人やフランドル人もお客に来てもらえれば、商売もうまくいく。そうなると言葉が話せると有利だよな……)
子供心にいろんなことが思い浮かび、勉強へのモチベーションが上がるのだ。それは親方が中等学校に行けと言ったことに繋がる。昔気質の親方であるが、時代の変化をちゃんと感じ取り、子供には教育が大切だと信じているのだ。そしてそれは正しい考えであった。
それが理解できず、学校を軽視する親はどこかおかしい。そして結果的に子供を不幸にするのだ。
「はい、ジャン、これを持って行って」
夜の9時過ぎ。オーガスト家での勉強が終わり、ジャンは家に帰ろうとした時にメイに金属製の弁当箱を持たせられた。丸い筒状のもので、蓋がねじ込みしきになっている。スープのような液体でもこぼれない仕組みだ。
「あ、これ親方の?」
「ああ。君の親方に作ってもらった弁当箱だよ。スープを運ぶのに便利でね」
そう二徹は説明した。鉄だと重くなるので、これは銅でできている。表面を錫でコーティングしたもので、二徹のアイデアを親方の優れた技術で作り出されたものなのだ。
「これはボクがニテツ様に教えてもらって作った食べ物だよ。お腹がすいたでしょ。帰ったら夜食で食べてよ」
そうメイが説明した。中身は『けんちんうどん』という食べ物で、ウェステリアでは珍しいものらしい。中に入っている料理は熱々らしく、熱伝導がよい銅製の器は持てないくらいであったから、綿の入った布製のカバーで覆われている。
*
家に帰ったジャンは弁当箱を開ける。湯気が立って美味しそうな匂いが立ち込める。
「なんだ、これはスープか?」
野菜がゴロゴロ入ったスープのようだが、下には白い細長いものが入っている。それを木のフォークを使って食べる。
「うおおおっ……これは美味い!」
まずは煮られた根菜類。大根、人参、サツマイモがほこほこしている。そして白くて長いもの。これをフォークでたぐり、口へ運ぶ。
「ズズズ……」
「あ、アツツ……」
思わず火傷しそうだと思ったが、この白いものは弾力があり噛むとプチンと切れて心地がいい。コクのあるスープとよく合う。
「こ、これはうまいぜ……夜に食べるのに重くなくて体にいいし……」
うどんというのは、小麦粉を練って細長く切ったものだそうだが、このウェステリアでは見たことがない食べ物だ。
(こんなうまい夜食をメイが俺のためだけに作ってくれるなんて……)
(あいつ、絶対に俺に気があるよな……これは間違いない。そうか……メイの奴、何とも思っていないフリして、実は俺にベタ惚れか……意外と可愛いじゃないか……まあ、見てくれは元から可愛いけど)
ゴクゴクとけんちんうどんの汁を飲み干す。器をドンとテーブルに置いた。
(仕方がない。惚れさせた男の責任を取らなくちゃいけないなあ。何が何でも、合格するしかない!)
「うおおおおっ!」
ジャンは雄叫びを上げて勉強に打ち込む。メイのけんちんうどんを食べたこのわんぱく男子は、それこそ死ぬ思いで勉強に打ち込んだのであった。
*
メイが夜食を作った日の昼ごろに時間は遡る。
「ニテツ様、うどんというものを作るそうですけど……」
「うん。今日はニコちゃんの仕事が遅いからね。夕食は何か軽いものをつまむそうだから、家では夜食にうどんを作ろうと思ってね。それに今日はジャンくんが来るだろ。メイとジャンくんの夜食になるからね」
そう言って二徹はうどん作りの準備をしている。まずは小麦粉。うどんを作るには小麦粉は中力粉がよい。中力粉とは、中に含まれるグルテンの量が強力粉と薄力粉の中間の小麦粉である。パンを作るのに必要な強力粉にはグルテンが多く含まれ、粘り気があるのでケーキなどのふんわりした生地はできない。
薄力粉も同様で、こちらはグルテンが少ないから粘性が低い。よって、サクッとした食感やふんわりした柔らかい食べ物を作ることができる。
中力粉はグルテンの量は中間。よってパンのように固くならず、かといってモチモチ感も失われていない生地ができる。よって、うどんやお好み焼き、たこ焼きを作るのに適している。
ところがウェステリア王国ではこの中力粉があまり手に入らない。そこで二徹が行ったのは強力粉と薄力粉のブレンドである。混ぜ方は二徹の研究で得られたデータを基にしている。
「このブレンドした粉は、あのお好み焼きを作った時に使った奴ですね」
メイは思い出したようだ。少し前にフランドル王国からきた大食い3人衆が来た時に作った巨大お好み焼きで使ったことがあるからだ。
「そうだよ。それじゃ、まずはうどんの生地を作るよ」
うどんの生地作りの手順はそれほど難しくはない。まずは食塩水を作る。これは夏なら冷水で、冬なら少し温めた水を使う。よく溶かしたら、まずは水回しという作業を行う。
二徹は木でできた大きな鉢を二つ用意し、メイも行えるように準備をした。まずはブレンドした小麦粉に食塩水を3分の2ほど回しがけする。
「食塩水を入れたら、手で勢いよくかき混ぜるんだ。水分が均一になるようにね」
そう言って見本を見せる。メイもそれを見て真似る。ただ、手が小さいから二徹ほど素早く均一化ができない。くっついて大きなダマになってしまう。
「それができたら、指でつまんでほぐしてしまえばいいよ」
そう二徹のアドバイスで丁寧にほぐす。やがて、全体がしっとりとしてきた。色も黄色がかり、そぼろ状の生地ができる。
「ニテツ様、水で練るのではなくて、食塩水にしたのは味付けのためですか?」
何でも疑問に感じるとすぐに確かめたくなるメイはそう二徹に尋ねた。ここがメイの優れた資質である。ちゃんと納得した上で知識を習得し、それを技術と融合させていくのだ。
「味付けではなくて、小麦粉に含まれる粘り気を含む成分を活性化させるためだよ。食塩水で練ると生地にコシが生まれるんだ」
「そうなると、塩を入れれば、固い生地になりますが、塩辛くなりますよね」
「メイ、いいところに気づくね。入れすぎると固くなり過ぎるから、食塩の量は気を付けないといけない。塩辛さは後でこの生地はお湯で茹でるから、ほとんど溶けだすから心配ないよ」
二徹はそぼろ状になった生地を一つにまとめだした。大きな塊になる。メイもなんとかここまではやれた。だが、ここからはこねる作業だ。片手で体重をかけてぐいと押す。これを2,30回繰り返す。平たくなった生地を三つに畳んでこれを繰り返すのだ。
「ニテツ様、これはボクには難しいです。ボクにはニテツ様のような力がないので……」
両手を使って真似ようとしたメイであったが、12歳の女の子では腕力が足りず、しかも体重が軽くてうまくこねられない。
「その場合はこういう方法があるよ」
二徹は丸めた生地を布で丁寧に包むと、メイに靴を脱ぐように指示した。そして生地を足で小刻みに踏んでごらんとアドバイスした。
「足で踏むのですか?」
「これならメイでもできるでしょ?」
「確かにそうですが……なんだか足で踏むなんて……」
食べ物を足で踏むことはタブーに触れることであるから、ちょっとだけメイには抵抗がある。だが、料理技術は科学的な見地で考えるべきだ。
「足を使うのは汚いというイメージがあるけど、ちゃんと洗えば衛生上は問題ないよね。それに今はきれいな靴下で布越しに食べ物に触れるのだから、汚くはない。むしろ、足を使うことで手ではできない力を注げる。料理技術にはこういう発想の転換ができないとだめだよ。もちろん、手よりも力を加えられる方法があれば、それでも構わないけどね」
足を使わないで強くこねられる方法は他にないわけではない。食の歴史3千年を超える中国では、大きな青竹を使って全体重をかけて麺を打つ技術があるくらいなのだ。世界が変われば、やり方はいくらでもある。
「確かにこれならボクでもニテツ様と同じようにできます」
メイは要領を掴んだようで、つま先を使ってグイグイと麺を伸ばしていく。平たくなったら3つに畳んで同じことを繰り返す。
「よく練れたら、生地を休ませる。丸めた状態で乾燥させないように油紙で包もう」
「どれくらい寝かすのですか?」
「気温に左右されるからね、30分から1時間。生地の様子を見て決めるんだよ」
生地を寝かすのはこねて発生したグルテンを弱めるため。グルテンの結束が強過ぎるとこの後、延ばした時にブチブチとグルテンが切れてしまいコシが無くなってしまうからだ。少し寝かすことで柔らかさを引き出すのだ。だからといって、寝しすぎると緩みすぎてこれもよくない。
「メイ、良い状態の生地はこういう感じだね」
二徹は指でズボッと生地を押す。指を離すとじわじわと元に戻ろうとするが、生地に柔らかさが出ているから完全には戻らない。
「3分の1ってところですか?」
「そうだね。これくらいの戻りがある柔らかさがベストだよ」
休ませた生地をもう一度軽くこね直す。再び10分ほど寝かすと、いよいよのばして切る作業だ。打粉として片栗粉を使用する。
打粉を軽く振り、麺棒を使ってのばしていく。メイも見よう見まねでのばす。麺棒に巻きつけ、回転させながらのばしていくとやがて、四角く広がっていく。最初のうちは生地が均一にのばせず、端が薄くなってしまうことがあるが、二徹にところどころ助けてもらって、メイもなんとかのばすことができた。
「ふう~なんとかのばせました。次はたたむのですか?」
「そうだね。打粉をしてたたんだら、包丁で均一に切っていくよ。これを茹でれば完成だ」
こうやってメイは手打ちうどんを完成させた。作り方は簡単であるが、時間はかかる。初めて作ったうどんは、少し太さが違うやつが混じっているけど、茹でるとコシのあるうどんとなる。
ここまでできたら、夜食用のけんちんうどんは手軽にできる。ニンジン、ダイコン、サツマイモなどの根菜類を薄く切る。これをゴマ油で軽く炒め、煮干で取っただし汁を注ぐ。
ここから具材が柔らかくなるまで煮るのだ。
手打ちで作ったうどんは茹でて水洗い。そして十分煮えた具材と汁に投入して、少しだけ煮る。仕上げに水溶き片栗粉でとろみをつけて銅製の器に入れれば完成だ。
持って帰る時に煮込まれるのを想定して、具材もうどんも少し固めに茹でておくのがコツだ。ジャンが蓋を開けた時には、ちょうどいい具合に出来上がっているのだ。
これがジャン少年をやる気にさせた『けんちんうどん』の作り方である。
メイが一生懸命作った『けんちんうどん』は奇跡を起こせるか。
盛大な勘違いとともに、試験の日は近づいてくる。




