市場暴落
異世界嫁ごはん2巻 好評発売中。小麦も売れまくってますが、2巻も売れるW。
あともう少しで山が消える……?まだの人、早くしないと買えないですよW 初版少ないですから。
(今日も小麦の相場は右肩上がり……順調に価格は上昇中)
ダリオは穀物市場に来ている。買い注文が殺到中で価格は天井知らず。たまにあまりの値上がりにビビって売りに出す商人がいるが、すぐさま買い注文で売れてしまい、慌ててさらに高値で買い戻す始末。
(こういう市場の状況では、ビビった奴が負ける。常に強気でなければ……)
ダリオ・バルフォア。穀物市場に影響を及ぼすこの大商人は、戦争が始まる前から小麦相場に仕込みをしていた。密かに買い漁り、小麦不足の状況を作り出したのだ。後は後追いで儲けようとした商人が殺到し、小麦はどんどんと高値に。
最初に安い値段で大量に仕込んで流れを作ったダリオは、さらに買いましてありえない価格まで値段を吊り上げる。彼が買えば買うほど小麦の価格は2倍、3倍と上がっていく。
買えば買うほど、儲けが出るのでダリオはとどめを差そうと、今日は賭けに出た。信用買いによる破壊的な買いで最高値を更新する。
(そのためのニュースも今日あたりに飛び込んで来る……)
オーデフ市民が立ち上がり、デモ隊を組織し、暴動になればさらに小麦の価格は上昇する。小麦1ゾレム(約1kg)で金貨1ディトラムを突破するだろう。そして、その流れは持続する。ダリオはここで少しずつ売り、利益を確定させるつもりだ。
「人々が熱狂するときに、賢い人間は冷静になって売るものだ。だが、まだ熱狂の度合いは弱い。ここはビビらず、強気で買って、買って買いまくる」
ダリオは本日の小麦取引に最終勝負をかけていた。徹底的に買って値段を上げ、利益を上げるのだ。既にこれまで買いまくった小麦は、バルフォア家の資産を数倍に跳ね上げる利益を含み益として保っていた。
「おや、これはニコール少佐ではないですか」
ダリオは取引所に不似合いな女軍人の姿を見て、ほくそ笑んだ。きっと、小麦相場の行方が心配で見に来たのだろうと思ったのだ。
だが、ニコールの表情には陰りがない。自分が負けつつあることを理解していないかのようである。
(この女、所詮はがさつな軍人。相場の機微なんて分かるわけがない……)
ダリオは、そうタカをくくっていた。そして信じられない光景を目にする。ニコールが市場に参加しているのだ。
「小麦を5万ゾレム売りだ」
「はい、5万ゾレム売り……おっと、すぐに買い。1ゾレム=銀貨9ディトラム」
オーデフの市場では、その場で売りたい者、買いたい者でマッチングして、すぐに売り買いが成立する。まだ買いの勢いが強いから5万ゾレム(5トン)程度の売り注文はすぐに溶ける。
「さらに10万ゾレム売り!」
ニコールはそう注文する。ダリオはニコールが市場に参加していることを不思議に思うと同時に、その無謀な市場介入に女の浅知恵だと決めつけた。
(あの女、どうせ、軍で調達した小麦を売りに出して、価格を下げようと画策しているのだろうが、その程度の売り注文、今の相場では焼け石に水だと分からないのか?)
今朝からの信用買いでダリオは既に30万ゾレムの買い注文を出している。5万や10万程度の売りでは右肩上がりの相場に抵抗はできない。
ついに価格は1ゾレム辺り、金貨1ディトラムに達した。ニコールは小麦を法外な値段で売ることで、莫大な利益を得たことになる。
「ククク……無駄、無駄、無駄!」
ダリオはさらに信用買いで20万ゾレムの小麦を買う。このウェステリア王国の信用買いとは、現在、現物の金がなくても買えるというシステムだ。6ヶ月以内に支払えば問題ない。但し、それまでに価格が下がったとしても現在の値段で買い取らなければいけないのだ。
これは売った方も同じである。現在、売る小麦がなくてもどこからか調達して売らないといけない。もし、価格が今よりも上がったとしてもその値段で買って売らないといけない。信用買いの場合は、損失は現在の価格で決まるが、信用売りは損失が確定しない。よって、場合によっては損失は青天井の莫大な借金を背負うことになる。
「30万ゾレムの信用売り!」
ニコールは叫んだ。市場が一瞬だけ静まり返る。だが、その売る注文もすぐに溶けた。溶けると同時にニコールはさらに売る。
「20万ゾレムの売り!」
(ぐっ……この女、破産する気か?)
ニコールを相場の素人と決めつけ、馬鹿にしていたダリオは少しだけ不審に思った。それでもニコールはウェステリア軍の経済統括官。国の金を扱っているから、大胆なのだと判断した。よって、このときに感じた疑念を心の奥底に沈めてしまった。
「無駄無駄無駄、30万ゾレムの買い!」
ダリオは買う。ニコールは売る。便乗して買っていた商人たちは、冷静になった。今、なりふり構わず売りまくっている人物は、この戦争の英雄なのである。
しかも、『不敗の女神』と呼ばれているのだ。
商人たちの心に不安の風が流れていく。それは小麦の価格がいくらなんでも高すぎるのではないかという不安だ。
「30万ゾレムの売り!」
自信たっぷりにそう宣言するニコール。これまでに彼女が売った小麦は95万ゾレムに達していた。
(馬鹿な……そんな量の小麦を手に入れることなど……)
ダリオまでがついに弱気になった。即、買い注文で売り圧力を一蹴していたのに、少しだけ沈黙してしまった。その弱気が市場の空気をがらりと変える。
そしてニュースが飛び込んでくる。
「市民のデモが沈静化。石焼きイモとポタージュに無我夢中!」
「おい、これじゃあ、小麦の需要がないんじゃないのか?」
「小麦を買おうという気持ちがなくなるぞ……」
「ここが限界だろ……」
あちらこちらで囁かれる小声。みんな売りたいという気持ちになりつつあった。だが、踏ん切れない。小麦の大量在庫を抱えたダリオがまだ強気を取り戻し、先ほどの30万ゾレムを買ったからだ。だが、それはハッタリではないかと思い始めた。
だが、それはニコールの方にもある。95万ゾレム(95トン)の小麦が調達できるかという疑念もある。
そして、市場のドアが開けられ、一人の若い女士官がニコールに駆け寄ってきたところで、その疑念が吹き飛んだ。
「少佐、ただいま、クエール海賊団の商船団、アレンビー武装船団が入港しました。全部で100万ゾレムの小麦が到着しました」
「うむ……ご苦労。次の入港は?」
「1週間後です」
わずかに聞こえる小声。それがリアリティを増す。そして、それを裏付ける情報が各商人の元へ。
「ば、馬鹿な……。ギーズ産の小麦を緊急輸入だと!」
思わず声を上げてしまったダリオ。それが合図となる。
「10万ゾレム売り!」
「7万ゾレム売り!」
「俺も売る、5万ゾレム!」
パニックのように売り注文が殺到する。買い手がないのでずりずりと値段が下がる。1ゾレム、金貨1ディトラムだったのがあっという間に半値。さらに半値と下がっていく。
「売る、売らないと破産する」
ダリオもパニックになる。早く売って信用買い分を精算しないと、損失が膨らむ。だが、暴落中に買いに来るバカはいない。
「そ、そんな~っ」
呆然と床に崩れ落ちたダリオ。どんどんと価格が下がる様子を人形のように見つめるだけになった。
「だから言ったのだ。適当なところでやめておけと……」
ニコールはそう言って笑った。ニコールは緊急輸入したギーズ産の小麦を金貨1ディトラムで売って、実に95万ディトラムという莫大な利益を手にした。これは普通の相場で手に入れたから、100倍の大儲けである。
逆にダリオは買い込んだ小麦が値下がりし、その損失額は莫大なものとなった。何しろ、買い込んだ小麦の価格が100分の1近くまで下がったからだ。
ダリオは部下に担がれ、うなされながら市場を後にした。さすがのバルフォア家もこの日を境に始まった小麦相場の暴落で、大損害を被った。いくつかの事業を売却し、かろうじて破産は免れたものの、かつての勢いは失われてしまうこととなった。
「本当に少佐は心憎いですよね。国境からの陸路の輸入はわざと失敗させて、海路から大量の小麦を持ち込むなんて……」
実はニコールはシャルロットを派遣して、今年、豊作で余ったギーズ産の小麦を買い付けていたのだ。但し、買えたのは100万ゾレムだけ。これを使って壮大なハッタリをかましたのだ。
ニコールの信頼と100万ゾレムの小麦。そして市民の暴動が起きなかったという事実。全てが重なっての市場心理の逆転現象。
既に高値圏であったことは事実なので、市場心理さえ変化させれば、売り一辺倒になることは予想されていた。
信用買いをしていたダリオは大量の売りを浴びせられて、勝利から大敗北へとその行き先が変わってしまったのであった。




