経済戦争
異世界嫁ごはん2巻 発売中 見たらどうぞ、手に取ってください。
近所の本屋さんではただいま10冊。順調に減ってました。このG.Wが勝負ですな。
「ニコール少佐、デモ隊です。今度はオーデフの町全体で起こりそうです」
「……軍を派遣して止めるしかないが……民衆もいつまでも我慢はできない」
ニコールは立ち上がって、窓の外を見る。ウェステリア軍が駐留して、最初は歓迎ムードだったオーデフ市民も、今は不満が溜まり、爆発しそうな不穏な空気で溢れていた。
報告を終えた兵士が退室すると、思案顔のニコールに二徹は話しかけた。
「民衆の不満って、食べ物のことだよね」
「ああ……。ニテツはオーデフの町にしばらく滞在していたのだよな」
「ニコちゃんたちがやって来る3日前からだけどね。でも、町を歩くと不満の声はいっぱい聞くよ」
「食料がないわけではないのだ……」
ニコールはそう説明する。ウェステリア王国の主要都市であるオーデフは、10万人近い人口である。これは首都ファルスに次ぐ大きな都市だ。
ここへ1万5千を超えるウェステリア軍がやってきたので、食料事情は多少変化があるとは予想していたが、予想以上に小麦不足が起こったのだ。
「小麦不足は異常だよ。町のパン屋からパンが消えたからね」
小麦で作られるパンは、ウェステリア人にとっては主食である。その小麦不足が深刻なのだ。それに便乗してか、ジャガイモや大麦までもが、市場から消えている。
「食料が全くないわけではないが、小麦がないのが致命的だ。パンが食べられない市民がデモ隊を組織して我が軍に抗議をしようとしているのだ」
ウェステリア軍は軍の食料を提供して、市民が飢えないように配慮していたが、軍用のレーションがまずいこともあって、ますます、不満が高まることにつながっていたのだ。
「あれはまずいからね。でも、この非常事態を理解して、しばらく、我慢をすれば食料事情は好転するんじゃないのかな」
オーデフの食料不足は、戦争で主要道路が麻痺したこと。しばらくすれば、ウェステリア各地から物資が流通し、回復すると思われた。だが、ニコールは首を横に振った。
「通常ならな……だが、今回の一件はそんなに単純ではない。これは経済戦争だ」
経済戦争とニコールは口にした。二徹も頷いた。世話になった商人マトーヤから聞いて予想していたことが現実であったからだ。
「一部の大商人が小麦を買い占めているって聞いたけど」
「ああ、バルフォア家だ。戦争を始める前から投機的に買い占めをしていたらしい。今も、オーデフへ入る手前で法外な値段で買うので、入ってこないのだ」
バルフォア家の買い占めで、小麦が記録的な高値になり、それに煽られて他の商人も買うので圧倒的な供給不足に陥っているのだ。
「クエール王国独立宣言当時の小麦の値段が1ゾレム(約1kg)で銅貨30ディトラムだったのが、今は銀貨3ディトラムを超えてさらに値上がる勢いだ」
「10倍……」
これは異常である。投機による意図的な値段の釣り上げによるものだ。
「これは良くないよね。ウェステリア軍の強権で強制的に接収するとかできないの?」
「そんなことはできない。我が国は民主的だからな。国王陛下もそういう強権発動は望まないし、それをすれば正常な経済活動ができなくなる」
経済活動に政治が理不尽に介入すると、信頼が損なわれる。信頼がなければ、誰も投資しない。ウェステリア王国が経済的に豊かなのも自由経済が保証され、国内外の商人が投資を行っているからだ。
これを覆すことは絶対にできない。それは二徹も分かっていたこと。ニコールの返事を聞いて軍の上層部の方針を確認したのだ。現在の最高司令官であるレオンハルト・シュナイゼル中将は、その点においても軍人離れした政治家の思考をもっていた。彼は今回ニコールを経済面での統括官に任命し、この問題にあたらせていたのだ。
(あの男、ニコちゃんをこき使いやがって!)
少しだけ腹立だしくなった二徹。負傷して戦闘に参加できないニコールを休ませるのではなく、今度はその事務処理能力と交渉力を使おうとオーデフ占領軍の経済統括官に任命したのだ。
経済統括官は、オーデフの経済面での統制を監視し、必要な手立てを打つことが仕事だ。今回の食料調達も重要な仕事なのだ。
「今からこの件について、バルフォア家に交渉に行くのだ。ニテツ、ちょうどよい。お前も一緒に来てくれ」
そうニコールに言われて、二徹は小麦不足の状態の元凶である大商人に会うことにした。
*
バルフォア家は首都オーデフの中心に広大な敷地をもつ屋敷を構えている。これは大貴族や王族を凌ぐものであった。バルフォア家は3代前に小さな穀物行商人をしていたのだが、戦争を契機に小麦の取引で大儲けしたことで、この莫大な財産を築いたと言われる。
戦争を利用した投機による利益取得はバルフォア家のお家芸でもあるのだ。今回もそれを狙ったものであろう。
ニコールが二徹を伴い、そのバルフォア家を訪問したのは午後。馬車から降りると、当主のダリオ自身がニコールたちを出迎えた。
「ようこそ、ニコール少佐。オストリッチでの勇姿は聞いております。ケガの具合はどうですか」
ダリオは恰幅のよい犬族の男。刈り上げた短い髪を立てており、犬耳が垂れるタイプなので髪に隠れている。おっとりとした外見に反して目はギラギラとしており、かなりのやり手だと二徹は思った。
この男が交渉相手であり、ニコールの任務に立ちはだかる壁なのだ。
「で、少佐。今日、訪問されたのは勿論、例の件ですかね」
広い屋敷の応接室にニコールたちを通したダリオは、豪華なソファに腰掛けたニコールにそう白々しく話かけた。二徹はニコールの従僕としてその背後に立っている。
「そうだ。あなたが買い占めている小麦を市場に放出してもらいたいのだ」
「ええ、それは勿論ですよ。私も小麦を売らないと儲けられませんので……」
そう答えたダリオはニヤリと笑みを浮かべた。
「しかし、売るタイミングは商人としての判断を優先させてもらいます。商人は慈善事業をする職業ではないですからね。それは戦争が商売の軍人さんなら分かっていただけるはず。我々もプロなのです。あなた方が銃弾で戦うのと同じで、我々商人は金を弾として戦うのですよ」
「商人が金儲けするのは分かる、だが、このままでは暴動になる」
「脅すのですか、スマートな少佐らしくないお言葉ですなあ……」
ククク……と嫌味な笑いを漏らすダリオ。この交渉は最初から、ニコールには勝ち目がないように二徹には思えた。
「その暴動を抑えるのは、治安を守る軍人さんの役目でしょう。それにもし、民衆が押しかけても私の私兵が対応します。暴徒はその場で処刑してもよいというのが、現行の法律でも許されていること。それは少佐もご存知でしょう」
「国家の安全に関わる特別法だな……だが、その適用には賛否両論がある」
「私有財産を犯されそうになった場合、自衛手段として非常時には認められると私どもは解釈しますがね。いずれにしても暴徒を抑えきれないとなれば、ウェステリア軍の信頼は地に堕ちます。そうならないように、打つ手は一つでしょう」
ニコールに迫るダリオ。ここからが交渉なのである。
「どうでしょう。軍が私の確保している小麦を買い取れば、それで危機は回避です。お金で解決するならば安いものです。暴動になって市民と兵士の尊い命に比べればですが」
「いくらだ?」
「小麦1ゾレムに付き、銀貨5ディトラム……いや、今の相場なら7ディトラムでしょう。これも今日、決断しての値段。毎日、価格は上昇していますからな。あと、2,3日もすれば金貨1ディトラムまで到達するでしょう」
(金貨1ディトラムだって!)
二徹は心の中で思わず叫んだ。とんでもない値段である。首都ファルスでは銅貨30ディトラム程度の値段が平均だから、銀貨7ディトラムでも24倍の高さである。
(この男、とんでもない奴だな。足元を見るにも程がある……)
今のウェステリア軍がそれだけのお金を払えるかと言うと、払えなくはない。なぜなら、クエール王国独立に加担した貴族たちの財産を差し押さえているからだ。だが、バルフォア家の買い占めした小麦を買ったら、それは全て吹き飛んでしまうだろう。
「そんな高い値段では払えない。どうだろうか、銀貨1ディトラムでは?」
「少佐、ふざけないでいただきたい。この小麦不足、我々が調達した時の値段はその値段の5倍はかかっているのですよ。そして日に日に、その値段は上がっているのです」
買い占めによって、調達する値段はどんどん上がっている。ここ数日、ダリオも相当な価格で小麦をさらに買い込んでいた。結果的にはその数倍で売ることを見込んでだ。
「それは分かっているが、お前たち穀物商人が買い占めるから、価格が暴走しているのだ。放出すれば価格は安定する」
「だからこそ、このバルフォア家に来たのでしょう。私が動かなければ、価格は上がり続ける。ですが、少佐が決断すれば一挙に解決します。私の持っている小麦はオーデフ全体の6割。これが放出されれば、値段は暴落するでしょうね」
「暴落する前にお主は高値で売り抜けるというわけか……」
「それが商売というものですよ。これで我がバルフォア家は昔、財を成したのです。小麦相場は我が家のお家芸なのです」
ダリオの作戦は巧みだ。投機での勝負はいかに効率よく、スピード感をもって売り抜けるかだ。ダリオが5割もの小麦を放出すれば、この機に便乗して買い占めをしている他の商人も売るしかない。そうなれば供給過多になり、価格の暴落は必至だろう。
大儲けするのは最初に売り出したダリオだけになる。逃げ遅れた商人は破産するかもしれない。そういった商人の利権を買取り、さらに富を積み増すことも計算している。このように投機で儲けるのは一部の人間だけなのだ。
「そんな法外な価格では買い取れない。私は値下げの交渉に来たのだ」
「それでは交渉はこれで終了ですな。私どもは値下げには応じられません。ですが、今、私が提示した価格が割安であることは、2,3日後にわかるでしょう。日に日に価格は上昇しているのです」
ダリオはそう言った。余裕のあるその口調に、その言葉は真実味を帯びている。まだ、この男は価格を吊り上げる手段を持っているのであろう。とことん、儲ける気持ちは貪欲な肉食獣を思わせる。だが、それに立ち向かうニコールもただ食べられるだけのか弱い草食動物ではなかった。
「ダリオ殿、今回来たのは値下げ交渉ではあるが、忠告でもある。お主こそ、今回の件で大きな損失をしないように改めて忠告する」
「それは、それは……経済統括官殿の忠告、痛み入ります」
言葉は丁寧であるが、どこかにニコールを馬鹿にした感じをにじませるダリオ。ニコールは席を立った。交渉は決裂だ。
*
「ダリオ様、あの女、何か仕掛けて来ませんかね」
そう付き人が心配そうにそう話しかけたが、ダリオは笑って首を横に振った。
「あの女に何ができる。ウェステリア軍はあの女を経済統括官にすることで、3割の損失を増大させたと言える」
「しかし、ニコール少佐はかなりの切れ者という話ですが」
「切れ者か……」
全身が入る大きなガラスま窓から庭を見下ろす。ちょうど、ニコールが馬車に乗り、出ていくのが見える。
「あの女は今回の戦争の英雄かもしれんが、所詮は軍人だ。商売では素人。こちらの土俵ではか弱い女に過ぎない。何も出来はしない。まあ、見ているがいい。3日もすれば泣いてわしに会いに来るだろう」
「そのときは……」
「決まっている。小麦1ゾレム、金貨1ディトラムで売りつけるさ。それが今回の最高値だ。今回の取引で我がバルフォア家は財産を10倍にするのだ」
ダリオはそう豪語した。ニコールが3日後にやってくることを予想している。そうなるよう、既に手は打ってあるのだ。




