小麦の種類
「二徹様、何を作るんですか?」
屋敷に帰ると二徹は女中のナミに命じて、メイを風呂に入れてもらった。メイは何日もお風呂に入っておらず、薄汚れていたからだ。ナミにメイの体をピカピカに磨き上げさせると、可愛らしいメイド服をあつらえさせた。頭に乗せた白いプリムが、猫族と犬族のハーフであるメイの耳とよく調和していた。なかなか可愛らしい姿だ。
家令のジョセフにオーガスト家の使用人としての教育をしてもらうのは明日からにして、二徹は今晩の夕御飯の手伝いをさせようとメイを呼んだ。ちなみにメイの仕事は、妻のニコールの身の回りの世話と二徹の料理助手の役。助手をさせることで、メイを料理人として育てていくのだ。二徹はちょうど、人手が欲しいと思っていたのでメイが来てくれてとても助かった。
「パンザだよ」
パンザというのは、この世界でいうピザみたいなものである。ただ、この異世界ではバリエーションはほとんどなく、ピザ生地にニュウズを乗せて焼いたおやつのような存在である。二徹は和食の職人ではあるが、料理修行のために世界中を旅していた。イタリアにも2ヶ月ほど滞在し、本場のピザ作りを体験したことがある。
「メイ、まずは生地作りだ。これがパンザに使う粉」
ピザに使う小麦粉は強力粉だ。この世界は基本小麦社会だから、強力粉は簡単に手に入る。ちなみに強力粉と薄力粉の違いは中に入っているグルテンの量。小麦の種類も違うから、強力粉は粒が粗い。
「ブレド作りに使う粉とお菓子作りに使う粉の違いは分かるか?」
二徹はこんな問いをメイにしてみた。2つの粉を鉄製のボールに入れる。メイは二徹の助手だから、料理ついでにいろいろと教えてやろうと思ったのだ。二徹に言われてメイは小麦粉を見る。ちなみにこの異世界では小麦粉は『フラウ』と言う。メイは二徹が示した2つの粉を比べる。一つは強力粉でもう一つは薄力粉だ。メイは宿屋で料理の手伝いをさせられていたから、食材についてはある程度に知識がある。伯父が揚げ物を作るときに薄力粉を使っていたから、薄力粉については知識があった。
「う~ん。見た目では分からないです」
どちらも白い粉だ。顕微鏡レベルで見れば粒の形状で判別がつくのだろうが、パッと見ただけでは分からない。だが、メイは首をかしげながらも強力粉と薄力粉の入ったボールに片方ずつ手を入れた。そして、粉をギュッと握る。
(なるほど、この子は頭もいい)
二徹が期待したとおりの行動に出たメイ。困難にぶつかっても試行錯誤する探究心がメイにはある。これは料理人として重要な資質である。メイは手を広げる。左手には粉が固まっているが、右手は固まらずにサラサラと崩れていく。
「二徹様、左手が『ミ・フラウ』で、右手が『デ・フラウ』だと思います。『ミ・フラウ』の方は伯父さんが使っていたので」
「うん。正解だ。『デ・フラウ』はタンパク質が多い小麦で粒が粗い。これはブレドやピコッタ、ヌールに使う粉だよ。そして『ミ・フラウ』の方はお菓子や揚げ物の衣に使う」
「なるほど、粒が粗いから固まらなかったんですね」
二徹に言われて頷くメイ。現象を見てそれがなぜかを考えることは非常に大事なことである。『料理は科学である』と教えたのは二徹の父親である岩徹の教えであったが、これは料理修行していた二徹にとっては至言であった。まだ修行の途中で命を落としてしまい、この異世界に生まれ変わった二徹にとっては、もっともっと学ばなければいけない身だが、この『料理は科学である』という教えを礎にして、日々学ぶ姿勢を忘れなかった。
「そうだよ。メイ、料理にはそれに適した材料、調理法があるんだ。それを何故か? と理論付けることは新しい発想につながることになるんだよ」
「はい、二徹様」
「じゃあ、生地作り再開だ。まずは、粉に塩、砂糖を2つまみ混ぜる」
2つのボールに強力粉200gずつ入れる。この世界の重さの単位は『レム』であるが、おおよそ1g=1rと考えていい。要するに200レム分の粉を2つ用意したのだ。メイも二徹の隣で真似をする。
「ここへぬるま湯を少しずつ加えるんだ。いっぺんには入れてはダメだよ。ドロドロになってしまうからね」
「はい、二徹様」
手でさくさくと混ぜるメイ。なかなか手際がいい。やがて、粉っぽさがなくなってきた。
「よし、これで完成だ。少し生地を寝かせる」
本当はラップがあれば、それで包むところだがこの異世界にはないから、紙で包む。これは乾燥を防ぐためだ。
「次に具材の仕込みをする。まずは、先程から茹でているクラズの足とミル、オクトの足を鍋から上げて……」
二徹は生地作りの前に海鮮の下茹でをしていたのだ。3つの寸胴鍋に湯を沸かし、それぞれをぶち込んでいた。
「僕はソース作りをするから、メイはクラズから身を取り出して。こうやって、ハサミで甲羅を切るんだ」
そう言って二徹は鍛冶屋に特注で作らせた調理用のハサミを渡す。カニの脚を巧みに切り取って身を出す。ちょっと難しいかと思ったが、メイは躊躇なく始めた。メイの宿屋では、カニなんて高級食材は使っていなかったので、この作業は初めてであったが器用に作業を行っている。
(よし、じゃあ、こちらはソース作りと……)
ピザソースはこの異世界でもトマトベースだ。というか、その一択しか二徹は目にしたことがない。完熟したトマトのヘタを取り、乱切りにして鍋に入れる。少しだけ塩を加えて、30分ほど煮るとトマトから水分が出てくる。それを裏ごしして皮と種を取り除くのだ。これでトマトピューレの完成。これに香油と香草各種を混ぜれば、香りのよいピザソースの完成だ。
「二徹様、クラズの身は全部出しました。ミルも身だけ取り出しました」
メイは実に手際がいい。これはいい子が来てくれたと二徹は思う。アサリから身を取り出すのも、スプーンを使って丁寧にやってある。
「助手がいるとこういう面倒な料理も手早くできるよ。じゃあ、エビの背わたを取って」
次の作業をメイに指示して、二徹は鶏肉を焼く。5ミリほどの幅に切った鳥のもも肉を焼く。両面に焦げ目が付くくらい。これに香り付けにニンニクの薄切りを加えて焼き、チリパウダーを混ぜる。チリパウダーは市場の香辛料屋へ行けばいろんな種類が手に入る。唐辛子のことをこちらでは『ルコ』というから、『ルコの粉』が通称だが、その中で細かく粉状にして、他の香料もブレンドしてあるのだ。
「すごくいい匂いがします。こんなのあまり見たことがありません。貴族様の家では毎日、こんなものを食べているのですか?」
焼きあがっていく鶏肉を見て感心したように尋ねるメイ。メイの宿屋でも鶏肉は焼くが、大抵は塩か胡椒をまぶして焼いただけでのものだったので、チリを使った香辛料で焼く料理を見たことがなかったからだ。もちろん、ちゃんとした料理屋に行けば、そういった料理はたくさんあるのだが、貧乏暮らしをしていたメイにはそういうものを見る機会はあまりなかった。
「これはごく一般の家庭の食事内容だろうね。まあ、貴族と言っても豪勢な食事はパーティの時くらいで、普段はこんなもんさ。食材が多いのは一般の人とは違うだろうけどね。ただ、今作っているパンザは僕のオリジナルだよ」
二徹はオリジナルと説明したが、正確にはイタリアに行った時にお世話になったおばあさんに教えてもらったレシピだ。




