西の塔へ
異世界嫁ごはん2巻 4月25日発売。既に店によっては店頭に並んでいるかと思います。買ってくださるとニコちゃんもニコニコになります。
「今日の一粒……」
エリザベスはそう小さな声でつぶやきながら、チョコレートをコーティングしたアーモンドを袋からつまんだ。二徹と一緒に作ったお菓子だ。別れる時に『寂しくなったら、これを食べて僕たちのことを思い出して……』と言われたものだ。
エリザベスは毎日、それを一粒だけ食べてこれまで生活してきた。クエール王国の女王に担がれたものの、それはお飾りの女王。城の一室にずっと閉じ込められ、見張りを付けられているのだ。世話をする大人はみんな、義務以上のことはしない。
だから、エリザベスは一日中、部屋で過ごす。イスとベッドしかない殺風景な部屋で小さな窓から外を見ることしか楽しみがない。
(このバハム・クレオンがなくなる前には、きっとニテツさんが助けに来てくれる……ここから逃げられたら、また、メイちゃんと遊びたいのじゃ……)
アーモンドチョコレートは、エリザベスの心の支えである。それもあと三粒しか残っていない。
ポロっと涙が思わずこぼれた。これまでも辛いことはたくさんあった。それでも小さなレディは泣かずに耐えてきた。しかし、これまでは傍に居てくれた人がいた。今はただ一人だ。小さな女の子には耐えられない孤独である。
「おや……なんだか城の様子が変じゃ……」
小さな窓から得られる情報はたかがしれている。だが、毎日代わり映えしない景色を見ていたからこそ、違いが空気から感じられるのだ。
(何かが起きるのじゃ……)
エリザベスの心がざわつく。彼女の目に南の方から煙が一筋登っていくのが見えた。それは希望の煙。
エリザベスは袋に手を突っ込んで、残り3粒のアーモンドチョコレートを握った。そしてそれを口に入れる。甘いチョコレートの味が口に広がり、噛むと香ばしいアーモンドが砕け散っていく。
(我慢も今日でおしまいのようじゃ!)
*
「おい、こっちの方でいいのか?」
オズボーン中尉は不信そうに先頭を行く二千足の死神に尋ねた。ここへ来て、この船酔いしていた貧相な小男が、ただ者ではないと感じたようだ。
2番目を行く二徹もオズボーンに言わせれば、(なんで民間人の、しかも専業主夫が敵地に潜入しているのだ?)と疑問を抱かせるのに十分な活躍だ。この二人があのどでかいシャチを倒してくれなかったら、オズボーンたちは間違いなく命を失っていたであろう。
また、地下から地上に出るまでには、いくつも分かれ道があり、海賊から渡された簡単な地図があるとはいえ、難なく外への道を選択してこられたのは、二千足の死神の優れた感覚によるものだ。おかげでオズボーン以下の4人の兵士たちは、ここまで死傷者なしで侵入してこれた。
「ヤット、地上ニ出タ……」
そう言うと二千足の死神は立ち止まった。どうやらオーデフ城の中庭に出たようだ。地下へと続く道は中庭にある小さな礼拝所につながっていた。中庭と言っても広大な敷地の中にある庭である。警備兵が遠くに巡回してるのが見えるが、森の中には入ってこないようだ。
「エリザベスはどこにいると思う?」
クエール海賊団からもらった城の見取り図を広げて、作戦を立てる二徹たち。二徹はそう二千足の死神に聞いてみた。プロの暗殺者である彼なら、ある程度しぼり込めるはずだ。
「タブン……ココダロウ……」
そう死神は指を指した。それは西側の塔の最上階。中央の建物から少し離れた場所だ。二徹もそこが怪しいと思っていたので、プロの洞察力と同じ意見で安心感を抱いた。
「どうしてそこだと思うのだ。猫姫はクエール王国の女王だぞ。城の中心にいるのではないか?」
そうオズボーンは聞いた。この貴族の男の思考は一般人と変わらない。
「エリザベスは飾りの女王として誘拐されたのですよ。彼女はクエール王国の象徴であり、国の正当性を示すためにどうしても必要な子なのです。だから、彼女を狙う人間は多いと思います。広くて警備を行いにくい王宮よりも、この西の塔に置いておくのは理にかなっていると思います」
「……ううむ……なるほど。物事は多面的に考えないといけないということだな」
そうオズボーンは自分の考えが浅いことを反省した。民間人ながら、ここまでの勇気と洞察力に抜きん出た二徹と二千足の死神を感心して見る。
(ニコールの旦那の方はともかく、こっちの男は不気味な奴だな)
死神はガジラ島では体調が悪くて臥せっていたので、オズボーンは彼のことをじっくりとは見ていない。改めて見るとただものではない。エリザベスの下僕という二徹の説明には納得ができないものを感じさせる。
「西ノ塔ヘノ進入路ハ、一箇所シカナイ……」
二千足の死神はそう言って、見取り図を差し示す。確かにそこへ行くには、中央の王宮の3階から長い外廊下1本である。塔に入ると典型的な螺旋階段で屋上まで何もない。
「守る方は楽で、攻める方はとてつもなく困難だな……」
オズボーンはそう呟いた。外廊下は人が横に5人も並べばいっぱいになる幅しかなく、ここに兵士を数十人でも配置されたら、今の人数ではとても西の塔の屋上まではたどり着けないだろう。
「我ト、ニテツハ、塔ノ外壁ヲ登ル……」
塔の外壁には水道管とメンテナンス用に打ち込まれた鉄製の杭がある。これを使って登るのだが、命綱なしに登るのは大変危険である。だが、忍びの術に長けた二千足の死神や時間を操作できる二徹なら可能だ。二千足の死神は二徹の能力を知らないから、単純にこれまで見た二徹のずば抜けた戦闘力からついて来られると判断したようだが。
「そんなところを俺たちも登れというのか?」
オズボーンを始めとする近衛兵たちの目に動揺が走る。心情ではついていきたいが、もし、本当に行く事になると自信がない。というより、不可能だと思っている。塔は高く、上に行けば風も強い。
「オマエタチハ、無理ダ」
「な、なんだと!」
無理だと言われて他の兵士たちの表情には安堵の色が浮かんだが、オズボーンは安堵よりも怒りが優った。思わず、二千足の死神の腕を掴んだ。すると、長い袖からチラリと見えた刺青。
それは2匹のムカデが絡み合ったデザインのもの。これを見たオズボーンの顔色がさっと変わった。
「お、お前は!」
「オズボーン中尉、ここは敵地の真ん中ですよ……」
そう二徹はたしなめた。以前の堅物将校から成長しつつあったオズボーンは、二徹の言葉に声のトーンを落として尋ねた。
「わ、わかっている……ここで逮捕とかはありえん。だが、二徹、お前はこの男の仲間なのか?」
「この件に関してだけの協力関係ですよ」
「ソノ通リダ……猫姫ノ救出任務ニ関シテ、ソノ男モ、貴様モ、我レノ同志ト言ウワケダ」
「くっ……仕方がない。今はその刺青を見なかったことにする。だが、終わったら、貴様を逮捕するからな」
「……コノ件ガ終ワレバ、敵同士ダ……勝手ニスレバイイ」
「……ふん。勝手にさせてもらう。ところで、お前たちが塔を登るとしても、昼間には目立ちすぎる。確かに死角になっているとはいえ、見つかることもあるだろう。俺たちが反対側で火を付けて騒ぎを起こそう」
「そのアイデアはいいですね。さすが、近衛隊でも切れる隊長さんだけのことはある」
そう二徹は話を合わせた。実はこの後、二千足の死神がそのような要求をオズボーン中尉につきつけるだろうと思っていたので、これは便乗しておこうと思ったのだ。言われるよりも自分から言い出したほうが気分良く仕事がやれる。特にオズボーン中尉のような人柄なら、おだてれば100%以上の仕事をするだろう。
「よせ、そのようなおべんちゃらはいい」
そう言いつつ、オズボーン中尉の顔がわずかにニヤついたことを二徹は見逃さない。さらに付け加えて士気を高めておく。何しろ、この役は危険で重要だ。見つかれば、オズボーンたちは全員、無事では済まされないだろう。
「妻のニコールは、いつもオズボーン中尉のことを褒めていました。同期に切れる人がいて、励みになると」
「ニ、ニコールがか……ふん。貴様の嫁は女の癖に仕事ができるからムカつくが、同期の出世頭であることは認める。まあ、俺の実力を認めているというのなら、それを証明しないとな」
明らかにやる気がみなぎり始めたので、オズボーン中尉には火付け騒ぎを起こした後、城の通用門から運搬業者を装って脱出する手はずもお願いした。これは二千足の死神と城からの脱出方法を検討して出したプランだ。
オーデフ城には3つの大きな門があるが、実はもう一つある。それは城に生活物資を運び込むための通用口だ。町から出入りを許された業者が許可証を見せるだけで、簡単に通過できることを情報として知っていたのだ。
オズボーンたちの仕事は、ここにやって来る業者の馬車を確保することだ。火事騒ぎは通用口の反対側で起こすので、いつもよりも手薄になることも利点だ。ここを通過して町へ逃げれば、追跡も難しくなる。
「分かった。お前たち、失敗するなよ。時間は今から10分後。火事騒ぎを起こした後、通用口で馬車を奪う。20分で猫姫を救出してこい」
「はい。オズボーン中尉も気をつけて」
そう言って二徹は森を出て、二千足の死神と西の塔へ向かったのであった。




