勝利と2発の銃弾
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「オストリッチ丘陵地帯から激しい砲撃が開始されました」
命令を出してから30分後。ウェステリア軍の本陣からはっきりと砲煙が確認できた。丘陵地帯の陣地から前進させた大砲による砲撃。攻略に失敗し、逃げ帰った反乱軍の左翼は、この攻勢に耐えられず大混乱状態に陥っている。
その後から指揮官を先頭にした突撃部隊の突進が始まるだろう。最後のとどめとなる攻撃が展開されるはずだ。
「楔が打ち込まれる。こちらも突撃準備だ。敵の左翼にニコール隊が突入する。敵の混乱に乗じて、総攻撃を開始する」
そうレオンハルトは命じた。オストリッチ会戦の最終局面である。完全な勝利に向けて、最後の駒を動かした。
ウェステリア軍の兵士は高揚感に包まれる。勝ったという気持ちが行動を大胆にさせる。銃弾が飛び交う戦場を恐れることなく、足を踏み入れる。
「左翼軍、崩壊中。オストリッチ丘陵地帯からの突撃隊の猛攻に耐えられません!」
「もはや、これまでです」
「敵の突撃隊は少数だろうが、なぜ撃退できない!」
「300程度の敵、皆殺しにしてしまえばいいだろうが!」
クエール王国軍の本陣は大混乱に陥っていた。飛び交う情報に翻弄され、勇ましい言葉だけが飛び交うが、それを実行しようとするものはいない。本陣に集う士官たちは、どうやってこの死地から逃げ出すかを考えているだけであり、前線で兵士たちが恐怖におののき、殺されていくことを無視していた。
誰もが敗北を悟り、ここからどう逃げ出すかを模索している。だが、一人だけ、まだ勝利を信じている男がいる。このクエール王国軍の元帥に祭り上げられたバーデン候爵である。かつて、ウェステリア王国
の主流派であったコンラッド公爵の側近として権力を振るい、このオーデフ一帯を領地にもつ大貴族。
コンラッド公爵が権力争いに敗れた後、ゼーレ・カッツエという反国王派の組織を作り、今回の反乱を起こした老人。
それなりに有能で財力もあったが、ここでその運命は潰えようとしている。だが、本人はその絶望的な状況を理解できないでいた。
「まだだ。レオンハルトが裏切る。彼は約束を守る男だ。もう一度、裏切りを促す狼煙を上げろ。すぐに上げるのだ。ここで裏切れば起死回生となるのじゃ」
老人は叫び、この日、5度目の狼煙を上げた。猛攻に転じた第7師団の後方に控えるAZK連隊が動けば、逆転できると信じて疑わない。
「動く、動くはずじゃ!」
旗が動いた。
いよいよ、最終局面。
レオンハルト率いる本隊が動く。
「あれを見ろ!」
バーデン侯爵はそう叫び、小躍りした。白い顎ひげをさすり、そして手を叩いて何度も叫ぶ。
「それ見ろ、わしの言うとおりだったではないか。あの男は劇的な展開が好きなのだ。ここで大逆転の手をうってきた。これで我が方の勝利……だが、わしをヒヤヒヤさせた罪は後で罰せねば……おい、違うぞ!」
侯爵は指を指した。ありえない光景が展開される。レオンハルトの本隊はクエール王国軍の最終防衛ラインに攻撃を加え、そこを突破していく。もう全軍にわたって崩壊していくのを呆然と見守るだけになる。
「違うぞ、そこじゃない。攻撃する相手が違うぞ……」
もう泣きそうになるくらい声が震えている。
「元帥閣下、馬車の用意ができました」
そう側近がバーデン侯爵に報告した。小さな馬車が目の前につけられる。もう70近い老人の侯爵は馬に乗って戦場を離れることはできない。
「嫌じゃ、わしが逃げたら、兵士はどうなる?」
バーデン侯爵はここへ来て、おのれの無能さを知った。知ったからこそ、ここで逃げることの恥に気がついた。10分前であったら、何も感じず馬車に乗り込んだであろう。
「わしは無能だが、ここで逃げる卑怯ものにはならない」
「いえ、元帥閣下。ここで逃げるのは卑怯ではありません。一度、敗れても次で勝てばいいのです」
「そうですぞ、元帥閣下。オーデフに戻れば再起できます」
「今度は我らの猫姫を先頭に戦いましょう。さすれば挽回できるはず……」
そう側近たちは進言するが、悲しいことにそれを実現できるとはほとんどの人間が思っていない。特に目端の利く優秀な人間ほど、これで終わったと思っている。
独立宣言したクエール王国の体制は磐石ではない。未だに都には反対勢力がいるし、市民の大半は反対している。今回の敗北はそれらを活性化させるだろう。捲土重来など起こせる下地は皆無だ。
側近たちの目論見は、この老元帥をネタにこの戦場から逃げ出すこと。安全さえ確保できれば、あとは自力で逃げるつもりだ。元帥を逃がすのは合法的に離脱することができるからだ。
無論、この地で戦った兵士たち全てが臆病で情けない男たちではない。ウェステリア軍の強さに心を折られて逃げ惑うものも、勇気を振り絞って戦うものもクエール王国という国を建国するのだという意思を持っている。特に猫族出身の兵士は、その気持ちが強かった。強いだけに踏みとどまり、抵抗して次々と命を失う者が多かった。
ニコール率いる突撃部隊300の突進に、勇敢にも立向い、友人が倒れてもその屍を越えて戦う兵もいる。そんな個々の抵抗に左翼軍を突破し、中央軍の中に突貫したニコール隊も次々と兵士を失っていく。
「はあ……はあ……みんなついてきているか?」
ニコールはそう言って後ろを振り返った。同じように膝に手をついて息を整えている兵士たちが目に入る。すぐ後ろには連隊旗を握り締めたシャルロットもいる。足に自信があると言っていたことは本当のようだ。
ここまで20分、走りに走り、銃撃をしながら敵陣を突破してきた。修羅と化した300人の前に左翼軍は中央をえぐられ、全面のウェステリア軍の攻撃にも晒されて、崩壊していく。その混乱の中を逃げる兵には目もくれないで、中央軍の横腹に突入。これも次々と突破していった。
「少佐、兵士の持つ銃弾はあと1発だけとなりました」
「そうか……。では、目の前の500の守りを突破してバーデン侯爵を捕らえるだけだな」
ニコールは兵士たちに向かって、右手にもった刀を突き出した。300いた兵士も傷つき、倒れて100人弱に減っていた。
「あれを見ろ、ついに敵の本陣だ!」
地面に顔を向けていた兵士たちは、荒い呼吸をしながら何とか顔を上げた。目には青地のクエールの旗が見える。そして恐らくは指揮官が脱出する用の馬車まで見えた。
「敵の大将があそこにいる。あれを捕らえれば、我々の完全勝利だ!」
おおおおおっ!
みなぎる勇気。兵士たちは姿勢を正した。最後の1発の銃弾を銃にセットする。そして隊列を横隊へ組み直す。
「斉射!」
銃声と共に前面の敵兵が薙ぎ払われる。そしてニコールは刀を振りかざして、命令する。
「抜刀!」
ウェステリア歩兵は主要武器である銃を投げ捨てると、白兵戦用の剣を抜く。それは140ク・ノラン(約70センチ)ほどの長さのショートソード。士官用のサーベルよりも短いが、白兵戦では役に立つショートソードである。
「突撃!」
指揮官であるニコール自ら切り込む。刀の戦闘力は他を圧倒する。既に銃弾が尽きたクエール王国軍兵士も剣を抜いて抵抗するが、ニコールの剣撃に次々と倒れる。それに続く兵士。もはや、抵抗する気も起きない。本陣に向かうニコール隊を避けるように道ができる。その中を一直線に向かうニコール隊。
やがてゴールであるバーデン侯爵の馬車までたどり着いた。まさに侯爵は馬車に押し込められて、戦場から脱出する場面であった。
「バーデン侯爵様とお見受けする!」
敵兵を切り倒し、返り血を浴びたニコールの姿は、不思議と気品に満ち溢れていた。それは壮絶ながらも美しいと誰もが思った。地面に向けられた刃先からは血が滴り落ちていく。それさえも恐怖ではなく魅了させる。
「あわわわっ……」
バーデン侯爵は馬車の中で頭を抱えた。御者も護衛の兵士も凍りついたように動けない。いつの間にか周りはウェステリア軍の兵士でいっぱいであった。本軍が到着し、包囲を完成させたのだ。
「参った、降伏する……命だけは助けてくれ……」
バーデン侯爵はそう叫び、馬車から転げ落ちるように降りてきた。地面に這いつくばり、ひれ伏す。総大将の姿にまだ立っていたクエール王国軍の兵士は武器を放し、その場で膝まづいた。
「勝ったぞ!」
ニコールはそう空に向かって叫んだ。
「我々は勝利したのだ!」
今度は自分の後に従ってここまで戦い続け、生き残った兵士たちを見る。連隊旗をもってついてきた副官のシャルロット。ニコールの護衛をしているカロン曹長も生き残っている。ニコール隊の全兵士が雄叫びを上げる。
「勝ったぞ!」
「ニコール隊万歳!」
「ニコール様、万歳!」
歓喜の声はニコール隊の兵士から、ウェステリア全軍へと広がっていく。この地にいる生存者は全員、この歴史的な大会戦の結末を知ったのだ。
(女が……いい気になるなっちゃ!)
死んだ戦友の死体の下敷きになり、一命を取り止めた猫族の男は兵士を鼓舞する女士官に憎悪の目を向けた。男にはこの戦争が何を意味するのか、自分たちがここで死ぬ意味が何なのか分かっていない。オーデフ北方の貧しい農村地帯に暮らしていた男だ。金欲しさに兵士に志願した友人に誘われて、この戦場にやってきた。その友人は先ほど、銃弾に倒れて動かない人形になっている。
(女神だと……女神なものか……あれは魔女だ……人間を殺す魔女だ……)
男はニコールの神々しさに魅了されることなく、力を振り絞って戦友の遺体を払い除けた。
既に弾が込められた旧式のマスケット銃。それを構えた。
「ここで死ぬっちゃ、魔女!」
乾いた音が鳴り響いた。AZK連隊の黒地の制服が裂けた。銃弾はニコールの右腕に当たった。
「うっ……」
着弾の衝撃でバランスを崩すニコール。だが、倒れない。とっさに左手で傷口を押さえる。猫族の男はすぐに護衛の兵士から銃弾を受ける。だが、受けながらも戦友が持っていた銃を構えた。自分の銃と戦友の銃。2段構えの攻撃。
「魔女、死ぬっちゃ!」
2発目は真っ直ぐの軌道でニコールの体の中心に向かう。
「うおおおおっ、ニコール少佐!」
「いやあああっ!」
カロン曹長とシャルロット少尉の叫びが戦いの終わった戦場に鳴り響いた。
「あれっ……」
クエール海賊団の母船から特殊な潜航艇に乗り移るとき、二徹は首にかけていたネックレスがちぎれて外れたのを手で受け止めた。銀の細い鎖だったので、何かに引っかかったのであろうか。
「ドウシタノダ……」
二千足の死神が二徹の不審な様子にそう問いかけた。彼はビアンカがこっそり替えた強力な船酔い止めの薬の効力が抜けて、やっと健康を取り戻している。船の揺れにも全然平気の表情だ。
「いや、妻からの贈りものでね。銀のプレートのペンダントなんだ。婚約する時にもらった大切なものなんだ。落とさなくてよかったよ……」
「何モナイノニ切レタノカ……不吉ナ……」
二千足の死神のような不気味ななりの男にそう言われる方が不吉なのであるが、二徹はペンダントを右手で握り締めた。
(ニコちゃん……無事で帰ってきてね……)
今からオーデフ城へ海から潜入する二徹は、戦いが行われているであろう南の空を心配そうに見たのであった。
まさかのシリアス展開……ヒロインが……嘘だろ、ありえねえ……。
どうなるのか……続きに悶々 作者、性格悪し。




