オストリッチ会戦 前編
おーい。飯はどこいったw
嫁の勇ましい話が続きます。
4月25日2巻が発売です。よろしくお願いします。
歴史に残る戦いというのは、名将同士が策をぶつけ合い、劇的な展開で勝負が決するものである。しかし、このクエール王国独立戦争と一部の歴史学者が名付け、その失敗を決定づけるオストリッチ会戦は、クエール王国軍の戦術的自滅という形で歴史に名を残した。
クエール王国軍は、侵入してきたウェステリア軍の兵よりも倍の数をもち、自領土で迎え撃つという有利さがありながら、あっけなく敗れ去るのである。
クエール王国軍の撤退により、オストリッチ平原へ侵攻したウェステリア第7師団とAZK連隊は、倍にあたる3万2千と対峙することになった。
クエール王国軍は撤退したことにより、補給を受けられ、士気は若干回復していた。そして圧倒的な数の差で自信も取り戻しつつあった。そして名ばかりの元帥であり、クエール王国軍を率いるのはバーデン侯爵である。
「見ろ。勝ったぞ!」
ウェステリア軍の布陣を見て、この白髭の老侯爵はそう歓喜した。主力である第7師団の後方にレオンハルト率いるAZK連隊の旗が翻っている。
「これで挟み撃ちだ。戦いの途中で背後からあの連隊が襲いかかる。我が軍との挟撃でウェステリア第7師団はこのオストリッチの露と消えるだろう」
そう満足そうに目に当てた望遠鏡を下ろした。この老人は敵軍の将であるレオンハルト中将をゼーレ・カッツエの幹部と頼りにしていた。レオンハルトもそう匂わさせる手紙を送っていたので、疑っていない。
(戦いが始まり、頃合を見てレオンハルトが裏切る。これで劇的な勝利が我が手に入る……わしは英雄として迎えられるだろう。ウェステリア国王に一矢報いることになる)
バーデン侯爵は疑うことを知らない。主力軍同士の戦いの勝利は確定していると信じきっていた。だが、心配な点もある。クエール王国軍の左側に位置するオストリッチ丘陵地帯には、あの3千人を粉砕したニコール連隊が陣取っている。そこからの砲撃は左翼の軍には致命的な攻撃を加えてくるだろう。
(万が一があってはならない……。不安要素は早めに取り除くべきだ)
「オストリッチ丘陵地帯に兵を向けろ。初戦でこれを叩く」
そうバーデン侯爵は命令した。軍人としては全くの素人であるから、この丘陵地帯が重要拠点である理由がわかっていない。しかし、何人かの軍人に密かにレクチャーを受けており、ここを占領することで戦いが有利になるのだと教えられていたから、最初の命令はこの丘陵地帯の奪取であったのだ。
事情を知らない士官はバーデン侯爵がまともな命令をしていることに安心し、思わず頷くものもいて、これがバーデン侯爵を得意げにさせてしまった。
「兵はどれほど向かわせますか?」
そう副官が尋ねた。バーデン侯爵はテーブルに広げられた地図に置かれた木片を動かす。木片1つが1個大隊を表す。木片は10個に達した。
「1万だ……1万で落とせ。1時間もあれば十分だろう」
「い、一万……マジかよ……」
「そんなに向かわせてどうする」
「いや、短時間で落とすにはこれくらいの兵は必要だろう。3千が10分で失われたのだ。兵力の分散は愚の骨頂……」
「全軍の3分の1を向かわせれば、丘陵地帯は占領できても、肝心の本隊が手薄になるぞ。ほぼ互角の戦力のぶつかり合いでは、寄せ集めの我が軍は勝てない……」
地図を遠巻きに見ている各大隊の隊長は小声で話している。バーデン侯爵の判断に賛否両論の様子である。
「1万ですか……確かにあの強固な陣地はかなり手こずるでしょうが、全軍の3分の1をあてるのはどうでしょうか。敵は1500に過ぎません」
副官はそういう声を代表してバーデン侯爵に確認をしたが、バーデン侯爵は揺るぎなかった。これは戦死したケネス子爵への恨みが募っての決定も過分にあったが、その判断の方向性は全て間違っているわけでもなかった。
要するに1時間で落とせば問題ないわけだ。しかし、侯爵には運がなかった。結果的に守っているのが狂乱淑女であったことが誤算となるからだ。
この1万を向かわせたことで、バーデン侯爵は、このオストリッチ会戦でのニコールの名前を輝かせることに貢献してしまったことになる。
「敵の動きが変です」
偵察部隊からの報告書をもってやって来たのは副官のシャルロット。敵の陣容がいびつで当初の予想とは違っていたので、慌ててニコールのところへ来たのだ。
ニコールは報告書に目を通し、丘陵地帯の高台から両軍の様子を観察する。シャルロットの報告のとおりである。
「敵は思い切ったことをする。作戦ならよいが、ただの私怨ならこの戦いは我々の勝利だ。但し、我が連隊が生き残れるかどうかは、これからの働きで決まるようだ……」
この丘陵地帯に向かってくる敵は1万。戦力差は7倍。戦いは負けてもニコールの部隊だけは皆殺しにしようというつもりとしか思えない極端な配置である。
「少佐……どうするのですか?」
さすがのシャルロット少尉も危険を察知した。1万もの兵が波状攻撃を仕掛けてきたらこの陣地は持ちこたえられないかもしれない。
「この戦い、兵の気力にかかってくる……。シャルロット、私は兵の前で演説するぞ……」
一軍を率いる指揮官が兵士に向かって鼓舞することはよくあることだ。それで兵士の士気を高め、少しでも戦闘力を上げるのだ。特に戦力差があり、敵の姿にくじけそうなときに、自分たちの指揮官が事も無げに叱咤激励し、戦えば勝つという意識を植え付けることは重要である。
ニコールは本陣前にある大石の上に立った。ここはかなり目立つ場所だ。狙撃される危険性もあったが、射程内に敵兵はいないと思われるので、堂々と立った。
「兵士諸君!」
ニコールの声が丘陵地帯に響く。何事かと前線の兵士は振り返る。彼らも前面に迫る敵の圧力を肌で感じている。そしてそれが死の匂いを感じさせることも。
「敵が迫ってきている。その数、1万!」
ニコールの少し高い声が空気を切り裂く。夜が明けて2時間。晴天の気持ちの良い空気の中に恐ろしい数字がこだましていく。
「い、一万だと……」
「ここで俺たちは死ぬのか……」
「俺たちはたったの1500だぞ……」
「本軍からの援軍は来ないのか……」
「今のうちに崖を降りて、海から脱出するべきだ……」
兵士たちの動揺が広がる。だが、これはニコールの思惑通りだ。言葉に出させることで、一度冷静にさせ、これから話す言葉に同調させるために必要なことなのだ。敵軍が1万であることは、最前線の兵士なら薄々分かり、正確な情報がなければ恐怖心からパニックに陥る危険性があるのだ。
「敵は3分の1の戦力を我らに向けている。それはこの丘陵地帯が重要拠点であり、ここを保持することで、このオストリッチ会戦の勝敗を決めることができるからだ」
ニコール連隊の兵士は誰ひとり言葉を発しない。大岩に右足を乗せて演説しているニコールを見ている。海風が美しい金髪を舞い上がらせ、その姿が天から降りてきた天使を思い起こさせる。言葉の魔力とその神々しい姿に魅せられているのだ。
「兵士諸君、この会戦が終わった時に人々は狂喜するだろう。これから我々が起こす奇跡は、この戦いの帰趨を決めることになる。そして我々はこれに勝利し、後々まで人々に英雄と讃えられる。今日、ニコール連隊の兵士として、オストリッチで戦ったと言えば、それは勇者であると同じ意味となるのだ。さあ、私とともにその栄光を掴み取ろうでないか!」
(おおお……勇者か……)
(俺たちが勇者か……帰ったらカーチャンに自慢ができる……)
(ニコール様がおっしゃるんだ……俺たちは勇者として生き残るんだ)
「さあ、勇者になる時間だ。諸君らの奮闘に期待する!」
ニコールがそう叫び終えた時、一陣の風がオストリッチ丘陵地帯を流れた。兵士の一人が右手を天に向かって突き出した。
「やるぞ、俺たちはやる!」
「ニコール様、万歳!」
「1万の敵なぞ、怖くないぞ!」
1500人の叫びが戦場に渦を巻く。攻撃態勢をするために移動していたクエール王国軍の兵士は、その凄まじい叫びに思わず歩みを止めた。そして同時に恐怖を覚える。これから戦う相手は、先日、2倍の味方を瞬殺した敵なのだ。
「旗を挙げよ!」
ニコールはそう命じた。敵の第1陣が射程内に侵入してきたのだ。旗の合図と共に、砲声と銃声が鳴り響く。戦闘開始である。
第1陣で突撃してきたクエール王国軍であったが、ニコール隊の最初の斉射でバタバタと倒れた。しかし、1万もの数である。ニコール連隊の猛烈な砲撃をかいくぐり、堡塁に近づく兵も出る。
その反撃でニコールの兵も倒れる。オストリッチ丘陵地帯の守りは、大砲を中心とした20の陣地の相互守備の連携で成り立っている。
それは連携が保たれていれば強固であるが、1つが崩れるとそこから次々と崩れる恐れがあった。
「少佐、第7陣、負傷者10名。戦力が30%に低下しています」
「予備兵を10名補充。負傷者は後方へ。右と左の第6陣地、第8陣地に連絡。援軍が行くまで第7陣地をサポートせよと……」
ニコールは副官のシャルロットから、前線の情報を掴むとすぐに崩れそうになる陣地に予備兵を送るよう命じる。戦闘が始まって1時間。敵が数を頼みに消耗戦を仕掛けて来ている。それを砲撃と射撃の連携で跳ね返すが、徐々にではあるがニコールの兵も削られている。
本隊に待機させてあった予備兵も底を尽きつつある。砲弾や銃弾は十分あるが、兵の数には限りがある。
「少佐、既に敵の半数は失われていますが、敵もしぶといです」
高台に設置した本部で、指揮をするニコールとそれを補佐する副官のシャルロット少尉。伝令が5分おきに各部隊の様子を報告に来る。それを聞きながら、盤面に展開した駒を動かし、部隊に的確な命令を下すニコールである。
「うむ……だが、あと1時間も耐えれば、戦局が変わる。本隊同士の戦いはウェステリア軍が押している」
ニコールの方に3分の1もの兵を差し向けた結果、クエール王国軍は苦戦を強いられている。しかし、敗色が濃厚になってから、猫族の愛国心に火が付いたのか、クエール王国軍の兵士の必死の抵抗で崩れそうで崩れない状況にあった。
よってレオンハルトもニコール連隊へ援軍を出せない状況であった。
「敵も馬鹿ではない。我が方の守備陣の弱点に気がついたようだ」
ニコールは、高台から敵の動きを把握している。初戦で大損害を出した敵軍はいったん、退却するともう一度体制を立て直し、今度はある陣地のみに集中して攻撃をし始めたのだ。
それはオストリッチ丘陵地帯の最も西側にある陣地。第3,4、5小隊が守備する場所だ。ニコールが構築した守備陣は、相互の連携で砲撃、射撃の密度を上げ、多くの敵を撃破することでその破壊力を示している。
しかし、地形や設置場所により、相互の射線軸が薄いところがある。それが第3小隊が守備する場所。ここを落とされると守備にほころびが生じてしまう。
「少佐、ニコール少佐、敵が第3陣地に取り付きました。激しい白兵戦が展開中とのこと。第4小隊長アロン少尉からの伝令です。至急、援軍を請うと……」
少し不安げな様子でシャルロットはそう報告した。ニコールの顔色が変わった。もっとも恐れていたことが起ころうとしているのだ。
「まずい……ここを失うと崩れる可能性が出てくる……だが、援軍といっても……」
最初の1時間の戦闘で失われた兵員の補充の為に、既に予備隊の大半を使ってしまっていた。もはや手元に残る部隊はない。
「ニコール少佐……いよいよ、我らの番ですな」
そう言葉にしたのはミゲル少尉。彼はオズボーン小隊の副官である。選抜された10名を除く40名の兵と共にニコールに託されていたのだ。
「しかし、貴君らは近衛隊だ……オズボーン中尉から預かった最終戦力……」
「ニコール少佐、今、ここで我らを投入せねば、全滅もありえますぞ。我らはオズボーン隊長より、ニコール少佐を助けるよう命じられました。今、ここで使われなければ、なぜ、ここへ来たのかわからなくなります!」
そうミゲル少尉は拳を握った。彼は一兵卒から叩き上げの軍人でベテランである。戦いの経験は、まだ20代前半の女のニコールなど足元にも及ばない。
「分かりました。ミゲル少尉、貴下の兵と共に、第3陣地の再奪取を命じます」
「はっ!」
勇んでいくオズボーン小隊の兵士たち。彼らは勇敢にも修羅場と化した第3陣地に突撃し、占領されつつあったこれを奪還。取り付いた敵兵を追い落とすことに成功した。
しかし、追い落とされた敵も諦めない。再度、犠牲を払いながらも再び、第3陣地に向かって激しい攻撃を加えてきたのであった。




