保護者失格と二徹のスカウト
「取り込み中、すいません」
店に入ってきたのは二徹である。実はもっと前から店には来ていた。物陰でメイがエミリの要求を断っているところからだ。面白いことになったとじっと隠れて観察していたのだ。
「な、なんだい、今は準備中だよ! 表の看板見なかったのか!」
怒りが収まらない女将。店に入ってきた二徹に食ってかかる。
「見ましたよ。別にここのまず……。料理を食べに来たわけじゃないです」
すました感じで受け流す二徹。大体、状況は掴んでいる。そんな二徹の顔をじっと見る女将。どうやら思い出したようだ。
「誰かと思えば、昼間の客じゃないか。また、メイのことでお節介か!」
女将の怒り口調は収まらない。そこで二徹はテーブルにちゃりんと金貨を10枚ポケットから出して積んだ。その音に思わず黙る女将。
「メイちゃんを僕の屋敷のメイドに雇おうと思うのです。これは支度金」
「な、金貨10枚!」
急に声が裏返る女将。目はテーブルの上の金貨に釘付けである。イモで唇がかぶれた娘のことなど忘れてしまっている。
「僕は二徹・オーガスト。オーガスト准伯爵家のものです。今日からメイちゃんをオーガスト家に引き取ります」
「オ、オーガスト准伯爵家!?」
これには女将も主人も驚く。二徹の頭から足のつま先まで見る。よく見れば、昼間の旅人のような姿から、綺麗な服を着ている。高価そうなシャツ。飾りのついた上着。高級な革でできたブーツ。明らかに貴族様である。すると女将は急に優しい口調に変わり、二徹に対しての口調が媚びた感じになる。犬族なのにネコなで声だ。
「旦那様、どうしてメイなんかを。こんな礼儀を知らない子よりもうちのエミリはどうですか? メイとは違って字も読めますし、教養もあります。お屋敷のメイドなら是非、エミリの方を……」
庶民の娘からすると、貴族の屋敷のメイドは憧れの職だ。うまくいけば、貴族の青年に、見初められて夫人になれるかもしれないし、そうでなくても貴族の家の使用人をしていたことは、それだけでステータスがつくから嫁入り先がグレードアップするのだ。
「いや、その子は無理でしょ。意地悪な子には務まらない仕事だよ」
ククク……と笑う二徹。まだ子供のエミリには可哀想な言葉だが、メイをいじめようとしたところから一部始終見ていた二徹としてはお仕置きみたいなものである。
「僕はメイちゃんをと言っていますが」
「だ、ダメです。この子は大事な子です。さるお方から預かった娘でして……」
女将はそう言って拒否しようとする。明らかに大嘘だ。おそらく、金額を吊り上げるためか、それともメイを幸せにさせないつもりだろう。自分の愛娘を差し置いて貴族の屋敷に仕えるなどもってのほかと考えたに違いない。
(反応は予想通りとはいえ、本当にひどいなあ……)
二徹は悲しくなった。本当はそこまでしたくはなかったが、二徹はさらにポケットに手を突っ込んだ。
チャリン、チャリン……。
さらに5枚の金貨を上乗せする。テーブルの上で魅惑の音を立てる金貨。輝く光がくすんだ店内には似つかわしくない。
「これでどうです?」
「う……うう……。だ、ダメです。保護者として賛成できません」
どうやら、女将はお金の誘惑より、メイを幸せにしたくないという気持ちが勝ったようだ。それを察した二徹は切り札を出す。胸ポケットから紙を取り出した。実は昼間、この店から退去した後に、孤児院と裁判所によって整えた書類なのだ。
「これはあなた方の保護者としての資格が無効であるという証拠の書類です。あなた方、メイちゃんを引き取る時に親権を取れなかったのですよね。その理由は、メイちゃんの母親は、あなた方を信頼していなかったこと。それで親権をあなた方に預けることはダメだと遺言書に書いていましてね。今でも孤児院である教会が書類上はメイちゃんの親権を持っています。孤児院は口減らしのためにメイちゃんをあなた方に預けたようですが、書類上は無効です。そして、これはオーガスト家への親権移譲の裁判所の決定書。サインも入った正式なものですよ」
「な、なんだって!」
二徹の広げた書類を穴に空くくらいじっと見る女将。二徹の説明したとおりのことが書いてある。貴族の家に奉公をするときに、その使用人についての一切の責任を負う契約を結ぶ。だから、貴族に仕える庶民は信用が必要となる。同様に雇う貴族側の信用も絶大だ。メイを使用人として働かせたい、生活の面倒は一切引き受けますという誓約をすれば、孤児院からメイに関する権利を譲り受けることは容易なのだ。
状況が分かり、顔がだんだん青ざめてくる女将。奥歯を噛み締め、唇をへの字にして怒りに耐えている。
「一応、今までメイちゃんの面倒を見てくれたので、挨拶に来ましたが、書類上は、あなた方はもう赤の他人です。メイちゃんの保護者は雇い主である僕ということになります。この支度金はメイちゃんのものだけど……」
二徹は机の上のコインを片手で握る。机の上から3枚だけ取った。
「残りの金貨は一応、今までメイちゃんを保護してくれたお礼。メイちゃん、こっちへ来なさい」
事の急展開にキョトンとしているメイに二徹が声をかける。まだ自分がどうなってしまうのか理解できないようだ。二徹は優しく微笑んだ。
「君は僕の屋敷で働きたいかい? 住み込みで仕事は僕の助手。午前中は学校へ行かせてあげるよ。僕は君の料理人としての腕を磨いてあげたい」
「メ、メイ……」
ここまで黙って聞いていたメイの伯父が口を開いた。
「お、伯父さん」
「行きなさい。お前はこんなところにいちゃいけないよ……」
「あ、あんた……何を言って!」
青ざめた女将が信じられないと言った表情で夫をどやしつけた。だが、男は揺るがない。
「うるさい! お前は黙っていろ!」
いつも何も言わない店の主人が女将を怒鳴りつけた。その言葉は小さな店の中で強烈に響いた。夫のあまりの豹変ぶりに口を閉ざす女将。
「二徹さん。メイをよろしくお願いします」
そう言って男は頭を下げた。その姿を見てメイは安心したように二徹の顔を見た。
「は、はい、行きます。二徹様のところへ」
「じゃあ、決まりだね。これはメイちゃんへの支度金」
チャリンとメイの両手に金貨を3枚手渡す二徹。
「メイちゃん、10分で支度して。表に馬車が待っているから」
「は、はい」
呆気にとられる女将を尻目に、屋根裏部屋に荷物を取りに行ったメイは、かっきり10分で支度を終えた。
「それではご機嫌よう」
メイを連れて店を出る二徹。女将は石のように固まって動かなかった。