船酔いの原因と誓い
これでニコールとの交渉が終わり、クエール海賊団との同盟が成立した。沖に待たせてあった1500人の兵士を乗せた艦隊がガジラ島に入港する。海賊たちが慌ただしく受け入れの準備を進める。
二徹とオズボーン中尉はオーデフ城への潜入の打ち合わせを行う。オーデフ港への入港はいくらクエール海賊団でも難しい。そこで近くまでは船で近づき、夜に海賊団の所有する特殊船で潜入するという。
エリザベスが幽閉されているオーデフ城は海に面しており、その海からの侵入路があるというのだ。
「但し、潜入できるのは10人までだ。ニテツとその連れを入れると、中尉さんの小隊からは8人だけとなる」
「うっ……」
不満げな表情を一瞬だけ見せたオズボーン中尉だったが、潜入に海賊団が協力的になったのは二徹のおかげだから、これは了承するしかない。選抜した7人の兵士と自分が行くことになった。残りの人数は副隊長に任せ、ニコールに総指揮を任せた。
オズボーン小隊の任務はエリザベス救出であったが、ニコールに協力することは間接的にそれを成しえることにつながるし、ニコールの立てた作戦があまりにも見事で、それに協力したいというオズボーンの判断でもあった。
少しでも兵力が欲しいニコールには嬉しい申し出となる。
交渉が終わり、ニコールは自分の部隊をガジラ島に上陸させるために船に戻った。やがて、沖合の軍船が続々と入港してくる。今日1日はガジラ島で宿泊し、英気を養うのだ。
オズボーン中尉は準備に追われる海賊たちの様子や、上陸してきたニコール率いるAZK連隊の兵士の士気の高さぶりを目の当たりにして、隣にいる二徹にポツリと話しかけた。
「俺はニコールとはライバルと思っていた。だが、今日の件で彼女にはあって、俺には欠けている部分があることをはっきりと自覚した」
「……そ、そうなんですか?」
唐突な言葉に二徹はそう答えるしかない。だが、これは二徹にも十分理解できることであった。いつも傍にいてニコールのことをよく知っているからこそ、最初から愛嫁のことは尊敬できるのだ。
「妻はですね……軍という女性にとってはハンディキャップがある組織で働くからこそ、人を使うという面できめ細かで丁寧な対応をすることができると思うのです。それはきっと、士官学校時代から日々、磨かれてきたことだと思います。人に信頼されない限り、仕事は回っていかないものです」
「……俺は貴族であること、男であることに胡座をかいていたようだ。深く反省して、必ず、猫姫を救い出す。そのためには……」
オズボーンは潔く、二徹に頭を下げた。
「頼む。俺にこれからも協力してくれ!」
「オズボーン中尉、民間人の僕に頭など下げないでください。一応、僕たちもエリザベスの救出をしたいので、中尉と勇敢な近衛兵の皆さんの助けはありがたいです」
二徹はそう言って右手を出した。オズボーンもそれに応える。
がっしりと握り合う手。クエール王国を名乗る反乱軍も、その象徴であるエリザベスを失えば致命的である。だからこそ、その守りは厳重であるはずだ。
(だけど、協力するのはいいけど、二千足の死神の正体がバレるのはまずいよなあ……)
協力を申し出たとはいえ、オズボーンの本質は堅物の軍人。指名手配犯である二千足の死神の正体を知ったら、一体、どんな行動に出るかは想像ができた。
(できるだけ、正体がバレないようにしないと……)
とりあえず、一緒に来た男はエリザベスの下僕で、どうしてもついてきたいと懇願するので連れてきたと答えておいた。
オズボーンは主人に忠実な家臣だと感心して、疑ってはいないようだが、あの不気味な刺青を見られないようにしないといけない。
*
その頃の死神……。
めまいと吐き気。船酔いのはずなのに、船を降りてもこの症状が治まらない。
(ウウウ……オカシイ……我レの体ハ……一体……ドウナッテシマッタノダ……)
そもそも、船酔いというのがおかしい。これまでも船に乗ったことはあるし、それで酔ったことは一度もない。それでも用意周到な二千足の死神は、オーデフ周辺の海域は、この季節は荒れており、酔う可能性もあったために秘伝の酔い止めの薬を飲んだのだ。
だが、その効果もなく、体調不良の状況は治まらない。未だに胃がひっくり返りそうな吐き気とめまいに悩んでいる。
「おい、体は大丈夫か?」
海賊の一人が様子を見に来てくれた。二徹の交渉が成立して、死神も客人として迎えられている。今は部屋があてがわれて、その部屋のベッドに横たわっている。
海賊は湯気が立つ出来立てほやほやのブイヤベースを深皿に入れて持ってきてくれた。美味しそうな海の幸の香りが部屋に広がる。
だが、その香りは今の死神には毒煙でしかない。吐き気がしてきて、思わずシーツを掴んで鼻を抑えた。
「ぐっ……」
「その様子じゃ、これは食べられないようなあ。まあ、船酔いはじっとしていれば治るよ。このブイヤベース、あの二徹さんが作ったオリジナル。もったいないから、俺が食べてもいいか?」
「……」
死神は心の中で葛藤した。
(タ、食ベタイ……ダガ……今ハ……無理ダ……)
食べれば間違いなく吐く。
仕方なしに同意する死神。
「実に残念だ。こんな美味しい料理が食べられないとは……ハフ……う~ん、うまい!」
ブイヤベースを持ってきた海賊は、本日2杯目のそれを平らげた。シーツで鼻を押さえ、恨めしそうにそれを見ている二千足の死神。
(グ……グググ……ウッ……)
「まあ、治ったらいつでも言え。今、炊き出しをやっているから、ブイヤベースは食べ放題だからな。ウェステリアからやって来た兵士さんたちも大喜びだぜ」
(我ガ食イタイノハ……アノ……男ガ作ッタ料理ダ……今、貴様ガ食ッタ方ダ……)
「ふい~っ。全く、旨い料理だ。レシピを教えてもらったから、この料理はこのガジラ島名物になるのはまちがいないだろうね。それじゃ、しばらくは何も食べられないかもしれないが、水分補給はしておくことだな」
そう言って海賊は水差しとコップを置いていった。死神はのろのろと動いて、コップに水を注ぐ。まだ、胃がひっくり返る感覚があるが、水をゆっくりと流し込む。水が胃に染み込んでいく。
「ウウウ……ドウヤラ……水ハ受ケ付ケルヨウニナッタラシイ……」
二千足の死神はようやく、一息ついた。そして腰に付けていた小さなカバンに手をやる。そこには任務遂行のために過酷な状況に追い込まれた時に飲む各種の薬が入っている。薬草を調合した粉薬である。
水が飲めるようになったので、特製の栄養剤を飲もうと思ったのだ。
(ウッ……ナンダ?)
死神は違和感をもった。カバンには様々な薬が入っているが、その中に小さな紙が入っていたのだ。
それを開くとこんなことが書かれてあった。
『サル吉。あなたがまた有休を取って親戚とやらに会いに行くというので、主人である私が秘伝の薬を与えますわ。船に乗るというので強力な酔い止めの薬です。これを飲めば、絶対に酔いませんことよ』
「オ……オ嬢メ……」
いつの間にすり替えていたのであろう。死神が携帯していた酔い止めの薬と見た目はまったく違わないこげ茶色の丸粒。ビアンカの実家であるオージュロー家特製の薬である。オージュロー家の親戚に薬の研究者がいるために、いろんな薬が手に入るのだ。
『追伸。この薬はつい最近開発されたものだそうです。1粒で効くので、1粒以上飲んではいけませんことよ。オーホホホ……。飲むと副作用で大変なことになるとのことですから』
「ぐああああああっ!」
1粒どころではない。元々、死神が持っていた酔い止めの薬は3粒飲むことになっていた。だから、この強力な酔い止めを3粒も飲んでしまったのだ。
「オ嬢ノセイジャナイカー!」
よく効く薬というのは、一歩間違えば毒薬となるケースがある。分量によって薬となるし、量を間違えれば劇薬にもなる。
「薬ガ抜ケルマデ……動ケナイデハナイカ……」
薬の有効成分が威力を発揮するのは、およそ24時間。あと数時間もすれば効力も切れるであろう。
*
「ニテツ、なんでお前がこんなところにいるのだ?」
自分の部隊が無事に上陸し、本日の野営地も整ったので指揮官のニコールは、海賊団の頭領のイライザの屋敷に招かれている。それは港を一望できる高台に作られた屋敷で、AZK連隊の兵士が、熱々のブイヤベースでもてなされている様子を見ることができた。
「誘拐されたエリザベスを取り戻す途中なんだよ」
二徹はこれまでのことを包み隠さず話した。ニコールは出征してから、そのまま戦場へ赴いたので、二徹の話は全く知らなかった。知っていたのは、オズボーン小隊が襲われてエリザベスが誘拐されてしまったこと。そして、クエール王国の女王に祭り上げられてしまったことだ。
無論、不審な点がいくつもあり、司令官であるレオンハルトがこの件に絡んでいるとにらんでいる。それは彼が裏切っているということではなく、わざとエリザベスを誘拐させて、この事態を起こさせるということではないかと推測していた。
「おそらく、挙兵させたことでエリザベスの利用価値はなくなったのであろう。私にも王宮攻略の折には、彼女の救出を第一優先だと命令が下っている。戦略的には正しい判断かもしれないが、小さな子供を利用するとは卑劣で汚いと私は思う……」
「……きっと、これは苦渋の判断だと思うよ。政治は綺麗事では進まないということは、よくあることだからね」
バルコニーに出て兵士たちの様子をニコールと一緒に眺めながら、二徹はそう答えた。ニコールの真っ直ぐで正義を愛する性格は、戦略的な判断で正しいとは分かっていても、許せないと考えてしまうのであろう。
「大丈夫。絶対にエリザベスは僕が救うよ。強力な助っ人もいるしね」
「……二千足の死神は強力な助っ人だとは思うが、体調が悪そうだし、オズボーンは融通がきかない奴だ。無能ではないが、少数の兵で敵地に潜入するような泥臭い作戦には向いていないと私は思うのだが」
「そうでもないよ。オズボーン中尉は中尉なりに成長していると思うよ」
「まあ、そうかもしれないな」
オズボーンは選抜した兵士以外をニコールに託している。40人ほどであるが、優秀な近衛兵である。これが自由に使える予備として、あるのは心強い。
「それよりも、私はお前の方が心配だ。敵の城に潜入するなんて、そんな危ないことをして欲しくはないのだ」
そっと二徹に寄り添うニコール。これは心から思っていることだ。だが、それは二徹も思うこと。聞けば、ニコールはわずか1500人の兵で3万を超える敵軍の後方に上陸するのだ。こちらの方が危険である。
「ニコちゃん、それは僕も心配なんだよ。激しい戦闘になるなら、ニコちゃんも危ないよね……。それを考えると僕の心は張り裂けそうになるよ……」
「私のことは心配するな、大丈夫だ。これでも勝算はあるのだ。必ず、必ず生きて帰る」
「信じてるよ。君は必ず、約束を守る人だから。それじゃ、景気づけに……」
そう言うと二徹は部屋に入って、テーブルに用意した鍋からブイヤベースを深皿によそう。いい匂いが部屋に立ち込める。
「うっ……兵士たちも食べていたが、随分とうまそうな料理だな」
「僕が作った特製のブイヤベースだよ。材料を毎日、クエール海賊団が運んでくれるから、上陸したら毎日食べられるよ。レシピも教えておいたから」
ニコールはスプーンで具だくさんのスープをすくう。カサゴの白身はホロッと崩れて口の中で溶け、エビは噛むと特上のスープを飛び散らす。
「う……うまいなあ……体に染み込む美味しさ……む?」
二徹が付け合せで出したのはパン。固く焼かれたバケットタイプのパンだ。だが、普通のパンではない。これに白いソースのようなものが付けてある。
「これはアイオリソースだよ。ブイヤベースの付け合せにはこれを塗ったパンが一番だからね。ニコちゃんの部隊だけにこれを教えておくよ」
アイオリソース。卵黄と油を乳化させて作ったソース(ぶっちゃけマヨネーズ)にすりろしたニンニクを混ぜて、塩、コショウで味を整えたものだ。二徹は柑橘類の汁を加えて風味に爽やかさを加えている。
「お……美味しい……これは絶品だ」
「これを食べて頑張ってね」
「うむ。これを食べれば100人力だ。ウェステリア王国のために私は頑張る……それと……」
ニコールは急に顔を赤める。二徹が見ると耳まで真っ赤である。
「お、お前のために……頑張る……」
「ん?」
よく聞こえなかったので、聞き返した二徹。
「お前のために頑張ると言ったのだ……だけど、ちょっと怖い気持ちもある……」
「ニコちゃん……」
ニコールはそっと両手を上にあげた。
「勇気が欲しいのだ……ギュッとして……ギュッと……」
「ニコちゃん!」
二徹はギュッとニコールを抱きしめた。お互いの体のぬくもりが伝わる。そして、心の中に火を付ける。
(絶対に生きて帰ってくる……)
そう固く心に刻みつけたのであった。




