ニコール連隊到着
原稿もあがり、今は挿絵のチェック。
4月25日 異世界嫁ごはん2巻発売。
「ブイヤベースだと……ごった煮とどう違うんだ?」
二徹が深皿に具とスープをよそってイライザに渡す。トマトによってオレンジ色に変わった魅惑のスープから、とんでもなく美味しい匂いが立ち込めて、イライザの顔が自然に緩んでいる。
さらに言うなら、猫耳がふにゃと垂れている。部下の海賊たちも完全に耳がふにゃ。匂いに釣られてやって来る者はみんな耳が垂れて言葉を失う。
ゴルスチというのは、ウェステリアの港町を中心に食べられている郷土料理。とりあえず、地元の野菜と海の幸を煮込んだ鍋料理だ。
入れる海の幸によって、味は変わってくるが多くの場合、ただ単にまとめて煮るから、味が濁り、美味しくないのだ。素材一つ一つがいい味を出しているのに、それが生かせていない残念な料理の代表格だ。
二徹は素材からよい出汁を見事に抽出し、ここに煮ることで具材の品質に配慮し、味を調和させることに成功していた。
匂いを嗅いで舌が活性化したイライザは、スプーンで一口目を流し込んだ。目が見開き、そしてため息をつく。
「な、なんて……洗練された味だ……美味しいという言葉では語り尽くせない……」
後ろではもう部下たちが争うように食べている。100人分用意したが、とても足りないので追加の鍋を用意し、急遽、港で炊き出しへと発展している。
ざっと2000人前を作る勢いだ。これなら残っている島中の人間も食べられるだろう。イライザもつい我を忘れて深皿のブイヤベースに没頭する。
貝から出たスープの深み。そしてムール貝の身の軟らかさ。噛むと濃厚なスープがピュっと口に破裂する。
「うううう……エビがプリプリ……噛むとスープがにじみ出る。これは貝とは違った快感……これに玉ねぎの甘味とトマトの酸味が加わって……もはや……心が鷲掴みに……」
イライザはうっとりとした目で深皿にある白身の魚をスプーンで突く。身がほろりと崩れ、その身を口に入れる。とろけていく食感。いろんなスープの旨みが染み込んだ身。それだけではない。魚の身が持つ複雑な旨みまでがくっきりと舌に残る。それは際立っており、舌の上に海賊船のメインマストにシンボルである海賊旗が翻る、そんなイメージである。
「うまい……これは脱帽だ……専業主夫って嘘だろ。お前、都でも有名な料理人じゃないのか?」
「ただの専業主夫ですよ。専業主夫は家事全般についてはプロフェッショナルなんです。まあ、自分は料理には特化していますが」
コトンと深皿をテーブルに置いたイライザ。その目は真剣だ。ここからが本番だと二徹は気を引き締めた。
「質問があるのだが、いいか?」
「はい、どうぞ」
「この料理の具材についてだが、貝はハマグリとムール貝が入っていたが、ムール貝が多めに使われていた。そして魚。数ある魚のうち、お前はカサゴだけを使った。これには何か考えがあってのことか?」
やはり、それを聞いてきたと二徹は思った。これは予想通りというより、こう聞かれるのを狙っていたのだ。
「もちろんです。今回は料理で心意気を示すのが目的です。だから、ムール貝とカサゴをあえて使いました。貝はよく出汁が出るので、ハマグリも使いましたが、メインの具はムール貝です。魚も色々使った方が味が深まるのですが、これは1種類だけにしました」
「ククク……お前はなかなか優秀だな。そして、この心意気にあたしを始め、海賊たちは感動するだろう」
そう言ってイライザは島にたなびくクエール海賊団の旗を見る。真紅に染められた旗に描かれた絵。これが関係しているのだ。
「おい、ニテツ……どういうことだ。俺に説明をしろよ」
料理が激ウマでかなりの好評を得ただけでなく、海賊の頭を感動させた理由をオズボーンは理解できないでいた。これが普通の反応であろう。ただ、二徹はこの島へ来るにあたって、クエール海賊団のことや、この島についてよく調べていたのだ。
「あの旗に描かれているのは貝と魚の背びれ。貝は盾を意味し、背びれは剣を意味しているのです。そして貝はこの島で取れるムール貝、背びれはカサゴの背びれなんですよ」
「……なるほど……」
海賊団の象徴である貝と魚を使った絶品料理でもてなす。これほど嬉しいおもてなしはないだろう。
「それにカサゴはこの辺りでは、ガジラとも呼ばれているのですよね?」
「その通りだ」
イライザは説明する。このガジラ島の名前の由来は、この島周辺でカサゴがよく採れたこと。そして、これはあまり知られていなかったことだが、100年前にこの島を訪れた王子が料理して振舞った料理はカサゴの石蒸し料理。焼くことしか知らなかった島民は、白ワインで蒸されたカサゴに舌鼓を打ったこと。
二徹が今回行ったことは、100年前の再現であった。このブイヤベースのレシピは今後も島で伝えられて行くことだろう。
「うむ。あたしも島の連中もお前の料理に感激した。お前の心意気を感じる。そして我らクエール海賊団を尊重する心の表れである。いいだろう、協力しようじゃないか。元々、クエール王国などというまやかしの独立国には我々は反対なのだ」
「ありがとうございます……」
二徹は素直に礼を述べた。オズボーンが(反対なら、最初から協力すればいいのに……)と言いかけたので、すぐに二徹は彼の足を踏んで中断させた。せっかく、うまく言っているのにぶち壊されたらたまらない。
「なあ、坊ちゃん隊長さんよ」
イライザは二徹の後ろで足を抱えて痛みをこらえているオズボーンにこう言った。
「あんたはまだケツが青いが、こうやって周りが助けてくれるところを見ると、あんたにも見所はあるよ。猫姫様をどうか救ってくれ」
「も、もちろんだとも……。このオズボーン、命にかけて無事に救出する」
そう胸を張ったオズボーン中尉であった。島にやってきたときはカッコ悪く、交渉も失敗するところであったが、二徹のおかげで挽回できた。これはオズボーンにもまだ運があったということにほかならない。
(まあ、運も実力のうち。それにニテツはウェステリア人だ。ウェステリア人が近衛隊に協力するのは当たり前である。そう考えれば、海賊どもの協力を取り付けたのは俺の手柄でもある……)
冷静に考えれば、そんなわけないのだが、オズボーン中尉はどこまでも自己中心的な思考の持ち主であった。
だが、そのポジティブシンキングもすぐに崩れる。
「お頭、沖合にウェステリア海軍の船がやって来ています。その数、20隻はいますぜ」
伝令が慌ててそう告げる。遠くの方に確かに軍船らしきものが近づいている。イライザは望遠鏡で確認をする。そして笑みを浮かべた。
「心配ない。あれは正式な儀礼に従っている。ウェステリア軍には礼儀正しい奴もいるんだな」
そう言ってイライザは、ちょっとだけオズボーンを見た。これはオズボーン中尉に対する嫌味。オズボーンはそれを聞いて小さく舌打ちした。ウェステリア海軍の軍船は、通常、メインマストにウェステリア国旗を掲げているが、代わりに白い旗を上げている。その下にはクエール海賊団のシンボルである旗の基調色である赤い布が結ばれているのだ。
これはガジラ島を訪れる正式な使者が行う礼儀に従ったものである。但し、これは最近形骸化されており、行うものは少なくなっていた。
やがて、1隻の船だけが接岸し、二人の軍人が降りてくる。2人とも女性である。
「あ、ニコちゃん……」
思わず小さく声を上げてしまった二徹。降りてきたのは最愛の妻のニコールとその副官のシャルロット少尉である。
「ニ、ニコールじゃないか!」
こちらは大きな声のオズボーン中尉。思わぬところで士官学校時代からのライバルに出会う。ライバルと言ってもニコールは既に少佐。2階級も上であるが。
「ニテツ……オズボーン……なんでここに?」
二徹とオズボーン中尉を見て少し驚いたニコールであったが、イライザを見つけるとすぐに敬礼をした。
「AZK連隊別働隊を指揮するニコール・オーガスト少佐です。クエール海賊団のリーダー、イライザ殿とお見受けする」
「ああ、丁寧な挨拶、痛み入る……。貴殿を正式な使者としてお迎えいたそう」
「ありがとうございます。そして、今回、この島に来たのはお願いがあってのことです」
「ククク……今日は来客が多い。そして、最後の客は実に気持ちのよい軍人さんじゃないか。そして軍人さんなのに武器は所持していない……」
ニコールもシャルロットも武器を携帯していない。愛用の刀も船に置いてきたようだ。
「クエール海賊団は、我らウェステリアの同胞。海を守る盾です。なぜ、会うのに武器がいるのでしょう。我らは友人であり、戦友ではありませんか」
「同じ軍人さんでも、随分と違うなあ」
イライザはそう言ってオズボーンを見る。悔しそうなオズボーン。ニコールはすぐに正式な使者としてイライザの屋敷に通される。
二徹とオズボーンも連れて行かれる。オーデフへの潜入作戦の打ち合わせをするのだ。
「それでニコール少佐。あんたの要求と報酬は?」
テーブルにつくと単刀直入にイライザはそう尋ねた。20隻もの軍船を率いてのお願いだ。今、オーデフでにらみ合っている討伐軍絡みの仕事だと察しはついている。但し、それはイライザの予想を超えるものであった。
ニコールは躊躇せず、包み隠さず作戦内容を説明する。これには2つの意味でイライザは驚いた。1つは自分たち海賊に作戦内容を話してしまうこと。これには感激して胸がいっぱいになる。強固な信頼関係がなければできないことだ。
そしてもう一つはその作戦内容だ。
「な、なんだって……。オストリッチの丘陵地帯に陣地を作るって!」
「そうです。海から砲兵を上陸させて、この丘陵地帯に陣を敷きます。ここを押さえれば、反乱軍は補給路を絶たれて、壊滅することでしょう」
「確かにそうだが……。たった1500で持ちこたえられるのか?」
イライザはそう心配する。大胆な作戦であるが、上陸部隊は少数なので、敵の大部隊に攻撃されたらひとたまりもないだろう。だが、それに関してニコールには勝算があった。
「オストリッチの丘陵地帯は自然の要塞です。ここに大砲を中心とした防御陣を敷けば、十分に持ちこたえるでしょう。ただ、それには切れ目のない砲弾、銃弾の補給が不可欠です……」
「なるほど……兵の少なさを火力で補うというわけか……」
問題は1500もの兵士と大砲を上陸させ、補給路を確保できるかである。それが不可能と思われるだけに、成功した時の反乱軍の精神的ダメージは大きい。
補給路を絶たれる危険性に加え、切通しを突破して会戦をするときに、この丘陵地帯に陣を置く部隊はこの戦いにおいて決定的な役割を果たせるだろう。
「上陸地点は断崖絶壁で海からは近づけず、海域は潮の流れが複雑で渦を巻いており、船も近づくことができないと言われていますが、この海域を知り尽くしたクエール海賊団なら、できると思います。いかがですか?」
地図を示されてそう尋ねるニコールに、イライザは深く頷く。
「あんたの作戦はよく考えてあるよ。そして、我々についてもよく調べている。確かにこの海域は危険地帯だが、我々には近づくノウハウがある。それにオストリッチ丘陵地帯への上陸ポイントも我々なら把握している……」
「それはよかった……」
ニコールは部下に命じて大きな袋を運ばせた。中には金貨がぎっしり入っている。
「これは前金です。金貨で3000ディトラムあります」
「さ、3000ディトラム!」
ジャラジャラと流れ出る黄金にイライザも海賊たちも目が釘付けである。さらにニコールは続ける。
「我々1500の兵と30門の大砲の上陸の手助け。そして毎日、砲弾と食料の補給をお願いしたいのです。報酬は金貨1万ディトラム。そして、この戦いにおける勝者の地位。勇敢で精強なクエール海賊団の名を一層高めるでどうですか……」
そう言ってニコールが取り出したのは、司令官のレオンハルト中将のサインがされた支払い証明書である。これがあればウェステリア軍が間違いなく支払うという保証となる。
「……交渉成立だ。何よりも我らをここまで信用している貴殿に感激した。そして報酬も十分だ」
「感謝します……」
「それにしても……」
イライザはニコールに疑問を投げかけた。いくら相手を納得させるためとはいえ、作戦内容まで正直に話してしまったことだ。これはニコールのイチかバチかの賭けのようには感じなかったからだ。
「賭けではありません。私はクエール海賊団、そして頭領のあなたがウェステリアの味方であると確信していました」
「ニコール、そんな大金、ちゃんと払えるのか?」
ニコールにそう小声で聞いたオズボーン。金貨1万ディトラムなどという大金を海賊にポンと出せることが不思議なのだ。
「なに、この戦争に勝利すれば反国王派の貴族の財産は没収だろう。バーデン侯爵の財産だけでも十分な額だ。金貨1万ディトラムなんて安いくらいだぞ」
事も無げにそう答えるニコールであった。




