魅惑のブイヤベース
島に近づいた2隻の船は、パトロールしていた海賊船に捕捉されて港へ曳航された。二徹たちはちゃんと手形を購入しており、正規の訪問許可証まで持っていたが、オズボーンの小隊は、手形を購入していなかった。
しかも武装した兵を乗せていたから、島に着くと100人を超える海賊に取り囲まれ、たちまち武装解除させられてしまったのだ。船酔いで戦意喪失しているオズボーン小隊は、抵抗することなく拘束されてしまった。
ガジラ島の住人はみんな猫族である。猫耳のたくましい体をした海賊たちだ。
「おいおい、どこの馬鹿だ。このガジラに武装して上陸した奴は?」
取り囲まれて座らされ、手首を後ろで縛られたオズボーンたちを見にやって来た人間がいる。片目に眼帯をした銀色の長い髪の女性だ。褐色の肌に上半身はビキニに丈の短い上着を引っかけている。下半身はピチッと体のラインが分かるハーフパンツ。長い足にはショートブーツを履いている。かなり若そうである。
周りがかしこまり、敬意を示しているところを見ると、このガジラ島での地位は高そうだ。
「お頭、こいつらです。そこの二人はちゃんと手形と許可証を持っていたんですが、ウェステリアの軍人たちは持っていなかったので拘束しました」
「ふん……手形を持たずに来たということは、きまりを知らないようだね」
お頭と呼ばれた女性はそう言って猫耳をピクピクと動かした。オズボーンを見る。
「貴様ら、ウェステリア近衛隊にこんなことをしてよいと思っているのか!」
青白い顔のオズボーンはそう女性に怒鳴った。船から降りて少し酔いが解消したのではあるが、まだ気分が悪そうなのは見ただけでわかる。それでも、気力を振り絞って島のリーダーがこの女性だと判断し、威嚇しようと考えたようだ。だが、それは逆効果。船酔いした軍人にビビるはずがない。
「ウェステリアの近衛兵だろうが、おエライ貴族様だろうが、昔から決まっている。我らクエール海賊は取り仕切る海域を通る船は、一人頭、金貨で1ディトラムを支払って手形を買う。もし、所持していない場合は倍の金額を払う。縄を解いて欲しいのなら、まずは金を払ってもらう!」
バンっと右足を前へ出し、腰を落とした女性はそう言ってオズボーンの顎を右手で掴んで上を向かせる。
「あんた名前はなんだ?」
「ウ……ウェステリア軍第1近衛中隊第2小隊長、オズボーン中尉だ……」
「あたいは、クエール海賊団首領イライザ……で、イケメンの中尉さん。金は払えるのかい。兵士50人分で金貨50ディトラム、その倍で100ディトラムだ」
「か、海賊なぞにそんな大金、払えるか!」
それを聞いて無言でパチンと指を鳴らしたイライザ。
部下が3人ほどがこれまた無言でオズボーンを頭上へ抱え上げる。抵抗するが屈強の3人の前に何もできないオズボーン。
「おい、何をするのだ、止めろ!」
「なに、慣例に従って海へ放り込むのさ。あんたは魚の餌だ」
「わあ、待て……払う、払うから……」
慌てて前言を撤回するオズボーン。最初から意地を張らずに払えばよかったのだが、そんな奢りは実利を重んじる海賊には通用しなかったようだ。
払うとは言ったが、オズボーンたちは金貨で100ディトラムも持っていなかった。それで充当分として兵士が所持している銃やら軍服やらを身ぐるみ剥がれてしまう。
「ううう……ウェステリア近衛隊にこのような屈辱を与えるとは……」
お金を払ったので手首を縛った縄を解かれたオズボーン。解放されて少しだけ強気を取り戻したようだ。
「それでイケメンの軍人さん。この島へ観光に来たわけじゃないんだよね?」
イライザはこの海賊の島、ガジラの女頭目。先代の父親から海賊団を引き継いだ女性だ。年齢は27歳。若いが気風がよく、勇敢であるから部下たちに慕われていた。そのイライザは、オズボーンと正規の手続きで島へやってきた二徹を睨む。
どうやら、二徹たちも同類と思われたらしい。二徹たちはちゃんと手形を買って正規の手続きでやってきているから、これはとばっちりである。
(おいおい、オズボーン中尉と同類に思われたら交渉が成立しないじゃないか!)
二徹と現在、ひどい船酔いで戦力外の二千足の死神の目的は、海路からオーデフの城に潜入してエリザベスを救出すること。
この点に関して目的は同じである。ただ、協力してやるというわけではない。あくまでもオズボーンたちとは別行動である。
「ウププ……」
桟橋から身を乗り出して吐いている二千足の死神。上陸しても具合は悪そうだ。だが、彼のおかげで二徹は警戒の目が自分たちには緩んでいると感じていた。
「我々の目的は、オーデフ城への潜入だ。お前たち海賊に協力を要請する」
オズボーンはそう言った。どことなく偉そうなのがいただけない。
「僕たちも同じです。ただ、偶然、一緒になってしまいましたが、近衛隊の皆さんとは関係ありませんので……」
一応、二徹も目的を表明しておく。オズボーンたちとは違うアピールもしてみた。イライザはにやりと笑った。
「潜入して何をするんだい?」
「それは機密事項だ。海賊に話すつもりはない」
オズボーン中尉、ここでも空気を読まない上から目線。イライザは、こいつは馬鹿かと呆れた顔になる。
「じゃあ、あたしらも協力するつもりはない」
「ぐぬぬ……」
「オズボーン中尉、ここはちゃんと話すべきじゃないですかね。もし、イライザさんたちの協力を得られるなら、ちゃんと納得した上じゃないといけないと思います」
そう二徹はオズボーンに忠告した。ただ、協力が得られるという保証はない。そもそも、この海賊団は猫族であり、敵対するクエール王国は猫族中心の国を標榜しているのだ。
「イライザさん……僕はクエール王国の女王に祭り上げられてしまったエリザベスの保護者なのです。僕は彼女を救い出したいのです」
「ふ~ん。そうかい。それであの軍人さんたちは?」
「オズボーン中尉はエリザベスの護衛をしていたのですが、誘拐されてしまったのです」
「ククク……今のあんたを見れば、そういう間抜けな理由だと思ったよ。なんだ、結局、罰でお姫様救出任務というわけかい。はははっ……これはおかしい……」
「う、うるさい! これは俺自身が願い出たことだ。上からの命令ではない」
これは本当だ。どういうわけか、エリザベス救出に本腰を入れない本隊の態度に業を煮やしたオズボーンが、願い出て許可された任務だ。
「それであんたらも救出のためにここまで来たのだが、そこでゲロ吐いている男はともかく、あんたは育ちが良さそうな坊ちゃんだな。あんたの職業はなんだい?」
イライザはそう二徹に聞く。オズボーン中尉たちの動機は分かったが、いくら保護者とはいえ、危険を冒してまで救出をするのは素人ではない。
「僕の名はニテツ・オーガスト。准伯爵の妻をもつ専業主夫です」
「専業主夫!」
「専業主夫だってよ……」
「マジかよ……専業主夫が敵地に乗り込んでお姫様救出かよ……冗談だろ……」
周りの海賊どもがコソコソと話すのが聞こえてくる。こんなのはよくあることだから、二徹は気にしていない。専業主夫だからといって、家にずっとこもっている訳ではない。まあ、お姫様を救出するために海賊のアジトへ乗り込む専業主夫もいないだろうが。
「面白い……あんた面白いね。そこの近衛兵の隊長さんは間抜けだけど」
「ぐぬぬ……間抜けだと!」
悔しがるオズボーン中尉だが、現在の主導権はイライザ側にある。
「その反応だと、協力してもらえそうと思っていいですか?」
イライザが二徹に好感を示したので、ここは交渉の取っ掛りだと判断した。だが、このしたたか海賊は一筋縄ではいかない。
「あたしらは国家から認められた海賊団だ。海賊団は自分たちの利益を優先する」
「金か、金なら十分に払うぞ」
金貨100ディトラムが払えなかったのに、そんなことを言うオズボーン。もし、相当額を要求されたら、パンツ一丁まではがされてしまうだろう。
「金か……それは否定しないよ。なにせ、この何もない島に住む人間を食わせなきゃいけないからね。だが、あたしら海賊は古来より、金だけでなく心意気で動くんだよ。海賊の心を掴むことがあんたらにはできるのかい?」
そうイライザは腕を組んで目を閉じた。二徹には彼女が何を言いたいのか分かった。
(彼女は古来と言った……)
100年前、ガジラを根城にするクエール海賊団は、突然、島に単身で乗り込んだ一人の王子に心を掴まれた。その王子の言葉に心酔した海賊たちは、ウェステリア海軍と連携して、当時、世界最強と言われたスパニア艦隊を壊滅に追い込む大活躍をしたのだ。
「どうでしょうか……。100年前の王子は言葉であなた方を従えました。僕たちは料理であなた方の信頼を得ます」
「料理……さすがは専業主夫を自称するだけあって、こっちの王子様は面白いことを言うね。いいだろう。あたしらを唸らせる料理を作って見せたら、考えようじゃないか」
二徹の提案にイライザが乗る。ちょうど、昼飯時であるし、お腹も空いている。美味しい食べ物は和解には欠かせない。
「では、使える材料を見せてください」
二徹は賄いを作る場所へと移動する。昼は海賊団の賄い係が用意をするので、港にある小屋で調理をするのだ。
「うむ……貝類に玉ねぎ、トマトがある。魚も色々あるね……」
島なので近海で採れた魚が各種、生きた状態で用意されている。二徹の頭の中でその中から材料を選び出し、海賊たちを唸らせるレシピを構築する。
「いいでしょう。今からとびっきり美味しく、みなさんの心を掴む料理を作ります」
具合の悪い二千足の死神は寝かせて、二徹は賄い係の海賊を助手に料理に取り掛かった。
まずは大鍋を用意する。100人分作れる大鍋だ。まずは玉ねぎをみじん切りにする。トマトは半分だ。100人分で玉ねぎ50個にトマト100個だ。
それとは別に鯛やヒラメのあらをよく洗う。あらは朝食で食べた魚の残りだ。これに玉ねぎ、にんじん、セロリの薄切り、ニンニクを皮付きのまま潰す。
よく洗ったアラと野菜に水を加えて、塩をひとつかみ……これで30分煮る。基本となる魚のスープの仕込みはこれで終わりだ。
このスープはフォメ・ド・ポワゾンと呼ばれるフランス料理でよく使う魚のスープだ。あまり煮ると苦味が出るので30分程度に留めるのがコツだ。これを布で漉すとスープの完成。薄茶色をしているが、魚の味が淡白なあっさりとしたスープになるのだ。
次に大鍋でハマグリとムール貝を入れる。特にムール貝は大量に投入。ここへ白ワインを注いで蓋をする。これを火にかけて蒸し焼きにするのだ。
「貝の口が開いたら、貝をすべて取り出して……」
二徹がそう指示すると助手の海賊たちはテキパキと作業をこなす。そんな様子を面白そうに見ているイライザ。
「取り出したら、貝の煮汁に玉ねぎのみじん切り、トマト、香草を入れる。先ほど作った魚のスープもね」
トマトは潰して煮立たせる。アクが出てくるのでこれを取り除いた後に、エビと白身魚の切り身を入れる。魚はたくさんある中から、特に選んだものを入れる。
「まるでプロの料理人みたいだな。専業主夫というのはどうやら本当らしい」
クンクンと匂いを嗅ぎながら、海賊の女頭目が見に来る。美味しそうな匂いにつられたのであろう。猫耳がピクピク動いているのが分かった。
「奥さんにいつも美味しい料理を作っていますからね。毎日、鍛えているからこれくらいはやりますよ」
「ふむ。貝を先に取り出したようだが、これは意味があるのか?」
不思議そうにそう尋ねるイライザ。こういうごった煮的な料理は、海賊鍋と言っていつも食べているのだが、どうやら二徹の作り方は洗練されているらしい。
「貝は口が開いた瞬間が美味しいのです。煮込み過ぎると固くなって美味しくない。だから、ピークのところで取り出すんです。魚とエビも同様です。煮えたら取り出す」
二徹の指示で煮えた魚やエビが取り出される。残ったスープを半分位まで煮詰めてオーリブ油に塩、胡椒で味を整える。
「さあ、スープができたら取り出した具材を元に戻して完成です」
二徹はそう言って鍋の縁をおたまで一発叩いた。くあ~んという音とたまらない匂いでみんな夢遊病者のように小屋の前に集まってくる。
「う……うまそうだ……これはなんという料理だ?」
もう食べたくて口の中がヨダレであふれてたまらない様子のイライザ。そんな彼女に二徹はこう告げた。
「カサゴとムール貝のブイヤベースです」




