近衛隊強襲
オズボーン中尉は決して凡庸な士官ではない。むしろ、勇猛さと的確な判断力、そして国王への忠誠心とウェステリア王国を守る使命感は素晴らしい。
ただ、ニコールがあまりに優秀なため、士官学校時代から彼はニコールの引き立て役になっていたところもあったために、どうしても2番手に甘んじているところはある。
彼がエリザベスの護衛任務を任され、50騎の近衛騎兵と共に王宮へ向かったのは15時過ぎ。人も多く行きかう時間帯で、オーガスト邸から20分ほどの道のりを順調に進んでいた。
オズボーンは、エリザベスを誘拐しようとした首謀者はまだ捕まっていないため、警戒はしていたが、さすがに都のど真ん中で仕掛けては来ないだろうと思っていた。
多くの目がある大通りでは、武装すれば目立つ。敵が少人数であるなら配下の兵たちが全力で阻止することになる。
訓練も十分で都を知り尽くしている兵ならば、この任務は楽勝と言えた。
「おや、なんだ、あれは?」
オズボーンは前方で煙が上がっているのを見つけた。すぐさま、馬車を止め、周辺を警戒する。先頭をいく騎兵が偵察に向かう。
「隊長、火事です。右手の建物の1階の料理屋から出火したようです」
「料理屋か?」
オズボーンはそう確認した。この火事がエリザベスの誘拐に絡んだものではないかと疑ったのだ。
「はい。1階の定食屋です。仕込み中の油鍋から出火したようです」
「そうか……」
定食屋が火事と聞いて、オズボーンは偶然の事故だと判断した。火を日常的に使う食べ物屋であれば、火事は起きることは珍しくはない。
但し、火事の規模は大きいようで1階から2階へと燃え広がり、黒い煙をもうもうと上げていた。消火活動にやってきた衛兵警備隊の消防隊と火事を観ようと集まってきた市民で道路はごった返している。
「ルートを変える」
オズボーンはそう短く指示した。それは裏道を使った遠回りの道。こういう時は最短距離を選択するものだが、オズボーンはこの火事が仕組まれたものなら、ルート変更は通常選ばないものを選択した方が安全だと考えたのだ。
「30名をこの場に残す。消火活動を手伝え。指揮は副隊長に任せる」
火事はどんどんと大きくなっている。このままでは、周辺にも広がる危険性がある。ここは近衛兵を動員する必要があると考えたのだ。それに今から向かうルートは裏路地を使うために、迅速に移動するなら兵の数を少なくする方がよい。
オズボーンの命令で20名の兵が進路を変える。先頭に7騎。道が狭いので馬車の両脇には兵が配置できず、後方に13騎が付き従う。オズボーンは自ら馬車に近い場所に位置した。
裏路地に入って5分ほどが経過した。
パンパン……。
「うあっ!」
突然、銃声が響いた。先導していた兵の一人が馬上でうずくまった。左腕の白い制服が赤く染まっている。
「な、なんだ!」
さらに銃撃。馬車が道を塞いでいるので、前の様子が確認できない。オズボーンはすぐに馬から降り、後方の兵士4名を引き連れて、馬車の横をすり抜けた。
兵士が3人撃たれ、乗っていた馬がパニックを起こしている。4人の兵士が応戦していた。前方に武装集団が見えた。
「構え!」
オズボーンは兵に命令する。馬車の両脇からの攻撃である。
「撃て!」
パンパン……。
放たれた銃弾は2名のテロリストに命中した。壊れた人形のように倒れる。オズボーンは素早く敵の陣容を観察する。敵は10名もいない。オズボーン小隊の銃撃で完全にひるんでいる。
「よし、抜刀!」
サーベルを抜く兵士とオズボーン。
「突撃!」
威圧された敵に向かって斬りかかる。近衛兵の勇敢な突撃にテロリストたちは、一目散に逃げ出す。
「ふん、他愛もない……」
オズボーンはそうつぶやいたが、後方で猫姫の叫び声を聞いて自分の考えが甘かったことを思い知る。
「嫌じゃ、行きとうない!」
「しまった!」
馬車の両側は建物。そのドアが開いて馬車からエリザベスを連れ出す光景が目に入ったのだ。
「こっちが陽動か!」
馬車の前方で戦闘を仕掛け、近衛兵の意識を前に向けさせる。そして馬車の側面ががら空きになったところで、建物に隠れた伏兵が馬車からエリザベスを拉致するのだ。
だが、エリザベスを肩に背負ったテロリストは建物の中である。建物を囲ってしまえば逃げられない。
「追うぞ!」
オズボーンは兵に命じて建物の入り口を全て抑える。そして自ら建物の中へ突入した。エリザベスを抱えた男は、真っ赤な鳥の翼を象ったマントを身に付けている。
(ふざけた野郎だ!)
軽々と階段を駆け上がるその男を追いかけるオズボーン。建物は空き家で階段は屋根へと続いている。
「止まれ、おとなしく子供を解放して投降しろ」
「ククク……。近衛のおぼっちゃま。止まれと言われて止まる悪い奴はいないぞ」
鳥男の名前はフェニックス。裏世界では冷酷無比の殺し屋である。
「止まらないなら、貴様はここで死ぬだけだ」
屋上へと出たフェニックス。そこは行き止まりである。もう逃げ道はない。オズボーンの後を追って銃を持った兵が続く。
「チェクメイトだ!」
オズボーンはサーベルを前へ突き出す。背後では3名の兵が銃で狙いをつける。だが、フェニックスは全く動揺していない。フェニックスはエリザベスを肩に背負っている。撃ってこないと見抜いているの
だ。
「ここで貴様らを皆殺しにしてもよいが、お子様に残酷な光景は見せられないからな」
フェニックスがその気になれば、オズボーンたちはここで殉職していたであろう。しかし、幸いにもそのシナリオではなかった。
フェニックスは翼を広げた。そして外へと飛んだ。
「ま、待て、危ないぞ」
高さは6階。落ちれば間違いなく死ぬ。だが、飛んだフェニックスはきれいに滑空している。翼型のマントと思っていたものは、簡易な骨組みで作られたもの。グライダーのように空気を操り、飛んでいくのだ。
「バ、バカな」
狭い路地内の建物密集地ではあったが、フェニックスが飛び立った建物は飛びぬけて高かった。この高低差を利用した滑空である。
「畜生め!」
オズボーンは飛び去った方向を確認すると、すぐさま1階に下りて追跡を開始したが、後の祭りであった。フェニックスはエリザベスをまんまと拉致して、姿を消してしまったのだ。
*
「ですから、まだ奴らと猫姫はこのファルスの都に潜伏しているのです。すぐに町を封鎖して捜索すれば取り返せるはずです」
エリザベスを拉致されたオズボーンは近衛隊本部に戻るとそう主張した。潜伏先はこの都にあるわけで、テロリストたちはまだファルスから脱出するという非常に困難がある。
だが、近衛隊本部の返事は不可解であった。この件は衛兵警備隊が引き継ぐので、そちらに任せろというものであったからだ。
「バカな、俺の小隊の失態をどうして自分で解決できないのだ!」
執務室に戻ったオズボーンは、怒りで壁を拳でなぐった。激しいもので壁にくっきりと跡が残る。副官のアルディ准尉が報告に来る。
「隊長、鳥男が飛び去った方向を捜索しましたが、手がかりはありません。ただ……」
「ただ、何だ?」
「その方向にはバーデン侯爵閣下の屋敷があります」
「パレス・オーデフか……」
バーデン侯爵はオーデフ一帯を治める大貴族。彼の都での滞在先の屋敷は、通常の貴族の屋敷よりも豪華で、『パレス・オーデフ(オーデフノ城)』と密かに呼ばれていたのだ。
彼はファルス政府の中でも重要な地位をもっている。独立運動が起きているオーデフの領主ということで、注目もされていたがそれよりも、彼がゼーレ・カッツエと関わりがあるのではという噂もあった。
地位の高さから決定的な証拠を集めるまで、逮捕することができないでいるという噂もある、曰くつきの人物なのである。
「パレス・オーデフを捜査する。すぐに手続きを申請するのだ」
「ダメですよ、隊長。我が隊にはそんな権限がありませんし、それにあの屋敷の捜査なんて許可が出るなんて100%ありません」
「だが、あの鳥男があの屋敷へ逃げ込んだ可能性は高い。潜伏先としては最高だからな。今、捜査すれば猫姫は取り返せる」
「そうですが……」
アルディ准尉には懸念があった。この事件自体が仕組まれたものではないかという疑念である。そもそも、誘拐されたあとの不手際は不可解だ。誘拐されたのにオズボーン小隊へのお咎めもないのだ。
「確かにそうだが、それでは国王が自分の敵に力を貸しているようなものではないか!」
オズボーンは疑いはしたが、この事件が大きな戦略の元に行われたことまでは想像ができないでいた。
(あの男に合わす顔がない……)
オズボーンは二徹に対して責任を果たすことができなかったことを恥じている。そして、このままでは終われないと強く思った。
「隊長、どちらへ?」
副官のアルディ准尉は自分の隊長が決意に秘めた表情をしているので、そう尋ねてみた。
「決まっている。近衛隊本部にかけあって、この件について関われるように要求するのだ」
「無理ですよ。この件は衛兵警備隊が引き継ぐって……」
「不可解な点を匂わせれば、案外認められるかもしれないぞ」
オズボーンの予想通り、オズボーン小隊はエリザベス奪還作戦の任務を請け負うことになる。




