意地悪な娘
「グス……グス……」
店の裏でメイは泣きながら、『メム』というイモの皮をむいている。籠には『メム』が山と積まれて、その皮を夕方までにむかないといけないのだ。このイモは手が痒くなる種類のもので、素手でむいているから痒くて仕方がない。メイの小さな手は、かわいそうなくらいかぶれて赤くなっている。
今日の賄いはメイが昨日から一生懸命作った自信作であった。材料費もただでもらった売れ残りのキノコと鶏ガラで作ったから、ほとんどかかっていない。その分、作るのに時間がかかったが、味は悪くない。今日の昼も何人かのお客に勧めて食べてもらったが、かなりの好評であった。
だが、宿屋の子供たちには不評で一口も食べてもらえず、女将にひどく叱られた。鍋はひっくり返され、子供たちのために市場の屋台まで串焼きを買いに行かされた。メイは市場で大きな肉の切り身がついた串を5本買ってきたが、全て宿屋の家族のお腹に収まり、メイには一切れも与えられなかった。
昼ごはんは罰として抜きである。せめて、自分が作ったスープご飯を食べたかったが、捨てられてしまったから食べることもできない。賄い以外は食べさせてもらってないので、メイは1日1食しか食事ができないのだ。空腹が惨めな心をさらに痛めつける。自然と涙がひとつ、ふたつ頬を伝っていく。
「お腹が減ったよ……。ママ、なぜ、死んじゃったんだよ……」
メイは死んでしまった母の顔を思い出した。貧しい生活だったけれど、あの頃はとても幸せだった。メイが優しい母親と死に別れたのは4年前。みすぼらしい部屋の一室であった。母は病気で働くことができず、メイが市場で恵んでもらってくるパンや野菜クズで暮らしていた。お金がないから病院に行くことも薬を買うこともできず、ついには冬の寒い朝。母親は薄っぺらな毛布の中で凍えながら死んでしまったのだった。
母親の死後、メイは教会の孤児院へと引き取られたが、すぐに肉親がいることが分かった。母親が手紙に自分の兄のことを書き残していたのだ。メイにとっての伯父と伯母は最初、引き取ることを断ったそうだが、少し経つと引き取ることを了承したのでメイはこの宿屋に引き取られた。そこからは召使いとしてのこき使われる生活が始まった。最初は引き取らないと言った伯父夫婦がメイを引き取ったのは、それまでなんとかやっていた商売が傾いたから。それまで雇っていた人間が雇えなくなったためにメイを引き取ったのだった。
「メイ……」
イモの皮をむいていたメイの隣に伯父であるこの宿の主人が座った。気の弱そうな小柄な中年の男である。事実、妻の太った女将に逆らうことができず、自分の姪であるメイのことを守ることができないでいたのだ。男はそっとポケットからビスケットを取り出した。
「腹が減ったろう。これを食べなさい」
「伯父さん……」
「すまんな。子供にこんな辛い仕事をさせて」
「いいんです。孤児院よりはマシです。屋根裏部屋だけど、暖かい部屋で寝られるし、1食だけどお腹いっぱいに食べられるし。仕事も楽しいです。料理することも好きだし」
「そうか……」
メイは気弱ながらにも隠れてたまに助けてくれる叔父が少しだけ好きだ。メイが失敗して女将に怒られ、ご飯抜きになったときには、伯父は時折、こうやって食べ物を差し入れてくれるのだ。女将の折檻を止める力はないが。
伯父が立ち去るとメイはもらったビスケットを口に運ぶ。だが、たった1枚ではお腹は満たされない。空腹が余計に辛い。そうこうするとこの家の一番上の娘がやってきた。名前はエミリ。この娘、女将譲りの容姿で性格まで悪かった。
「あらあ、メイ、まだ皮をむいていないの? 早くしなさいよ!」
「は、はい…」
慌ててビスケットを飲み込んで返事をするメイ。エミリはつまらないと時々、こうやってメイに意地悪をしにやってくるのだ。
「そういえば、あなた、これを欲しがっていたわね」
そう言ってエミリが取り出したのは、本である。今、都で評判のレシピ本であった。このレシピ本は、字のあまり読めない者にも理解できるようイラストで記した絵本である。オーソドックスな料理の作り方を記しながらも、独創的で料理をおいしく作るコツや工夫が簡単な言葉で書いてあるのだ。
メイは買い物に出かけた時にこの本の存在を伝え聞いて欲しくなった。料理が好きだったから、そういう本には興味がある。学校へ行かせてもらえず、あまり文字が読めないメイだったが、その本ならなんなく読めるだろう。だが、値段は1ディトラム銀貨。高価なものではないが、今のメイにはとても買えない。それを知ったエミリは、密かに手に入れたのだ。もちろん、メイをからかうためだ。
ヒラヒラとメイの目の前で本を振るエミリ。だが、思ったよりもメイが食いついてこないので腹を立てたようだ。メイはいつものエミリの意地悪だと思って無視したからだ。本当は心の底から欲しいと思っていたが、それが簡単に手に入るわけがないとも理解していた。
「あなたがわたしの言うこと聞いてくれたら、この本あげてもいいわよ」
「エミリさん、ご冗談を……」
メイはそう言いつつ、イモの皮むきする手を止めない。夕方までにこのイモの皮をむかないといけない。わがままお嬢さんの相手をしている暇がないのだ。
「あなたが這いつくばって、わたしの靴にキスをしたらあげてもいいわ。私は王女様ごっこがしたいの。王女様に家来はそうやって忠誠を誓うそうよ」
「……。ボクはそんなことしない……」
「な、なんですって! このわたしがこのレシピ本をあげようと言っているのに!」
ヒラヒラと本を目の前で振るエミリ。メイはそれを見ないように顔を背ける。
「欲しいんでしょ? あなたには買えないでしょう。これ銀貨で1ディトラムもしたんだからね」
「要らないです。邪魔をしないでください」
「な、なんですって!」
エミリの頭に血が昇った。この本はメイが本当に欲しくてたまらないと思っているものだ。それは間違いない。この本をあげると言えば、間違いなくメイは本欲しさに自分の靴を舐めると思ったからだ。いつもペコペコするくせに、肝心なところでは自分を曲げない態度にいつもムカついていたエミリは、本をエサに自分に屈服する姿を見たいと思っていた。自分の前に這いつくばる姿を見て、優越感に浸ろうとしたのに叶わない。そのストレスに我を失ったエミリ。
「キーッ!」
突然、パニックになったように本を破り捨てた、そして、大声で泣き叫ぶ。
「ママーっ。ママ!」
「ど、どうしたんだい、私の可愛いエミリや」
店に中から太った女将が出てくる。見ると最愛の娘がメイの前で泣いている。地面には本のページが破り捨てられている。それだけで女将の頭に憎むべきストーリーが構築されていく。
「メイが、メイちゃんが私の本を破り捨てたの。せっかく、私がおこづかいで買ったのに。メイちゃんが見たいって言うから買ったのに……」
「な、なんて子だろう!」
女将の目は鬼の目になった。慌ててメイは答える。
「違います。破ったのはエミリさんです。ボクじゃありません」
「嘘を言うな!」
ビシッ……。強烈な平手打ちがメイの頬にあたる。激しい一撃で皮をむいたイモごと地面に倒れこむ。さらに女将はゲシゲシと蹴りをいれる。
「本当に性悪な子だこと! 優しいエミリにこんな仕打ちをするなんて、ああ、恐ろしい!」
「ママ、メイちゃんにちゃんと謝らせて。私の前で土下座させて、靴を舐めさせて!」
もう泣き止んだエミリは当初の目的を達しようと、そんなことを要求した。さっきほどまで泣き叫んでいたのに、もう顔はケロッとしている。嘘泣きであったが女将は気づかない。メイを鬼の形相で睨みつける。
「メイ、エミリの前に土下座をしなさい!」
「嫌です」
はっきりと拒否するメイ。驚きの顔でそれを見つめる女将。いつもはおどおどして、謝るメイが土下座を拒否する。
「なんて子だ! お前なんてウチでは面倒見切れない。もう色町に売ってしまおう。今なら土下座してエミリの靴を舐めて謝れば許してやろう。しなければ、売ってしまう。さあ、どうする、メイ!」
「嫌です。ママは昔、ボクに言った。悪いことをしたら謝る。だけど、悪いことをしてないのなら謝ることはないって! そして人間として恥ずかしいことをしてはいけないって。そうしたら、もう人間じゃなくなるって。動物になるって! ボクは人間だ」
「なんて子だろう! 飼い犬が噛み付くとはこの事だ!」
女将はぐいっとメイの右手を掴む。メイは空いた左手をエミリの顔を押し付けた。先程までべったりとついたイモの粘液が顔に付く。特に唇に反応する。
「わーっ! 痒い、痒いよーっ!」
イモの粘液で唇がかぶれる。メイのささやかな仕返しである。
「エミリ! 顔を洗いなさい、すぐに水で!」
慌てて女将はメイの右手を離すとエミリを台所へ連れて行く。水でゴシゴシとエミリの顔を洗う。しかし、粘液の刺激で唇は腫れあがり、まるでタラコのようになっている。これは暫く治らないだろう。
「この性悪が! もう堪忍できん。今日限りでこの家から追い出してやる!」
カンカンに怒る女将。なだめようと近づいた主人は怒鳴られて萎縮した。
カラン……。
その時、ドアが開かれ、店の中に一人の男が入ってきた。