アーモンドチョコレート
近衛隊から1個小隊が派遣されてきたのは、次の日の夕方。指揮するのはかつてのニコールの同僚のオズボーン中尉であった。
「近衛隊本部よりの命令書だ。ここで保護しているエリザベス・バクルー伯爵令嬢を移送する。王宮内で手厚く保護するので心配するな」
応対しに出てきた二徹に、そうオズボーンは機械的に告げた。上下に開いた命令書は正式なもので、近衛連隊長のサインがある。
「そんな、エリザベスはまだ小さい女の子です。この屋敷で温かく守ってあげたいのです。ここで警備をしてもらうことはできませんか?」
そう二徹は懇願した。エリザベスはオーガスト家の屋敷で過ごすことで、落ち着きを取り戻し、笑顔も見せるようになってきた。子供のメイがいることも大きい。屋敷はAZK連隊の2個小隊が昼夜を問わず護衛についているので、今のところは安全だ。
「ダメだ。2個小隊は引き上げる予定だ。もうすぐ、AZK連隊には出陣命令が出るからな」
そうオズボーンは忌々しそうに重要なことを漏らした。二徹の顔に緊張が走る。ニコールは昨日から帰っていない。AZK連隊本部で参謀を務めるニコールは、激務に追われているらしい。
「それは戦争が始まるということですか?」
「民間人には話せない。ただ、すぐに君の奥さんからも連絡があるだろう。君の奥さんは運がいい。常に手柄が立てられる場所にいるからな」
オズボーンの不機嫌そうな顔の原因はこれらしい。確かに同期なのにニコールは早々に大尉へと昇進している。オズボーンも通常は早くても3年以上かかる大尉への昇進をニコールと行ったペルージャ王女の護衛任務での活躍によって、来年には昇進する予定ではある。だが、その時はきっとニコールは少佐になっているだろう。
だが、そんなことは二徹には関係がない。妻が危険な戦場に行くことの方が重要な関心事であった。
(ニコちゃんが戦場へ行く……)
心がざわつく。しかし、妻のニコールの職業は軍人である。戦場に行くことは止められないだろう。
「オズボーン中尉。せめて、あと1時間だけ待ってもらえませんか?」
そう二徹はオズボーンに願い出る。王宮の方が安全であるという彼の主張は間違ってはいない。ただ、いくら身の安全のためとはいえ、このまま連れて行かれてはエリザベスが可愛そうだと思ったのだ。
「わかった。準備とかもあろう。1時間だけだぞ」
オズボーン中尉はそう二徹の要求を受け入れた。
(この人、意外と話が分かるじゃないか……)
最初は機械的な対応をしていたので、あまり好きになれないタイプだと二徹は思ったが、オズボーン中尉に関する好感度が少しだけ上がった。
「うむ。わかったのじゃ」
1時間だけ待ってもらったので、二徹はエリザベスとメイを呼んだ。事情を説明すると賢いエリザベスは健気にも頷いた。
「大丈夫だよ。王宮はここよりも安全だし、僕もメイも遊びにいくからね」
そう言いながら、二徹はお菓子づくりの準備をする。オズボーン中尉にもらった1時間で、エリザベスに持たせるおやつを作ろうと考えたのだ。
使う材料はチョコレートとアーモンドである。
「ニテツ様、チョコレートを湯煎して、何を作るのですか?」
「手作りの|アーモンドチョコレート《バハム・クレオン》だよ」
メイにはアーモンドをフライパンに入れて、軽く炒るように指示をしつつ、二徹は大きなチョコレートの塊を削り、湯煎にかけて溶かす。使うチョコレートは高級品なので、34度くらいで徐々に溶けていく。
いわゆるテンパリングという作業であるが、これは非常に繊細で難しい。1,2度単位で温度管理をしないと、チョコレートの質がよいだけにうまく固まらなくなるのだ。
また水分は厳禁。湯煎をした湯気が入らないように、小さめの鍋に金属のボウルを置いてゆっくりと溶かしていく。34度で溶けたところで、チョコレートの入ったボウルごと水で少し冷やす。
「なかなか根気のいる仕事じゃの……」
エリザベスは二徹の作業を手伝っている。時折、チョコレートをかき回す仕事だ。
「これをテンパリングというんだけど、温度の管理がとても難しいんだよ」
再び、湯煎にかけて20度台に落ちた温度を再び、34度近くまで上げる。これを上げすぎると失敗となるから慎重な作業が必要となる。
やがて褐色に光るキラキラした液体が完成する。見るからに美味しそうだが、このまま食べるわけではない。
「メイ、炒ったアーモンドに砂糖を入れるんだ」
「はい」
メイはあらかじめ用意しておいた砂糖をフライパンへ回しがけする。白い砂糖がみるみる熱で溶けていく。それをアーモンドにからめるのだ。
「ブクブクして色が変わってきたのじゃ」
ピクピクとエリザベスの猫耳が動く。見ていて飽きないのだろう。目はメイがもつフライパンを食い入るように見つめている。
「カラメル状になったら、火を弱火にして砂糖が均一になるようにフライパンを振るんだよ」
「よいしょ、よいしょ」
メイはフライパンを揺らして、アーモンド全体に砂糖をコーティングしていく。
「う~ん。香ばしくなってきたのじゃ」
「ここでバターを入れて、香りづけとコーティングの膜を張るんだ」
アーモンドの表面にまずは砂糖の膜。次にバターの脂分の膜を張るのだ。
「よし、ここからはエリザベスにもやってもらうよ」
フライパンからアーモンドを紙に広げて冷ます。ここで注意するのはアーモンドをバラバラにすること。固まったまま冷やすとくっついてしまうのだ。
エリザベスの仕事はアーモンドにチョコレートをまぶしてかき混ぜる仕事だ。熱が取れたアーモンドを再び、ボウルに移し、ここへチョコレートをかける。
「ボウルを回しながら、下から持ち上げるようにね」
二徹はエリザベスの後ろに立って、最初に見本を見せる。そしてエリザベスの手を添えて作業。やっているうちにエリザベスも慣れてきた。
「よし、うまくいった。これを4,5回繰り返してチョコレートのコーティングを厚くして太らせるんだよ」
「面白いけど、なかなか手間がかかるのう……」
最初は薄くコーティングされたチョコレートが、重なることでコロコロしたアーモンドチョコレートへと変身していく。
「よし、そろそろいいね」
ボウルから広げた紙へと移す。仕上げにココアパウダーをかける。
「ううん。これは美味しそうじゃ」
「一つ食べてもいいよ」
エリザベスとメイは1粒つまんで口に入れる。
「うう~ん」
二人共、ほっぺたに両手をあててうっとりとしている。やがて口の中で溶け始めた瞬間に歯で噛むと、香ばしいアーモンドの香りが口から鼻へと抜けていく。
「おいしい!」
できたアーモンドチョコレートを袋に入れて、エリザベスに持たせる。王宮で食べるおやつにするのだ。
「エリザベス。寂しくなったらこのアーモンドチョコレートを1つ食べるんだ。そうしたら、僕やメイのことを思い出せるから……」
「うん……ニテツさん、メイさん、ありがとうなのじゃ。リズは感謝するのじゃ」
「きっと、ニコちゃんたちが悪い奴らをやっつけて、お父さん、お母さんの敵を取ってくれるからね。そうしたら、また一緒に料理をしよう」
ポロッっとエリザベスの目から涙が落ちる。両親を突然殺され、誘拐されそうになっても気丈に振舞っていたエリザベスであったが、不安と孤独感が襲ってきたのであろう。
二徹はそっとエリザベスを抱きしめた。エリザベスの猫耳がキュっと垂れていく。
「そろそろ時間だ」
1時間待ってくれたオズボーン中尉。この光景を見て涙を浮かべている。官僚的な性格ではあるが、根本は熱い心をもっているのであろう。時間切れを告げながらも、ポケットからハンカチを取り出すと目元を拭った。そしてエリザベスを馬車へと誘った。二徹とメイは着替えの入ったカバンを積み込む。
「それじゃ、エリザベス、元気でね」
「うむ。爺やのことを頼むぞ」
エリザベスの老執事は大怪我をしてまだ寝ている。しばらくは動けないであろう。
「あとは任せておけ。俺の隊でちゃんと護衛をする」
オズボーンはそう言って、馬車の傍らに馬で近づき、配下の兵に出発の合図を送った。
「オズボーン中尉、道中、気をつけてください。奴ら、まだエリザベスの誘拐を諦めていないと思うので……」
「わかっている」
エリザベスを誘拐しようとした奴は、相当の手練であると思われる。だが、昼間のファルスの都で近衛隊の1個小隊を襲ってエリザベスを誘拐するなどということは到底考えられないことである。
*
「フェニックス様。近衛隊の奴ら、屋敷から出ました。猫姫を乗せた馬車と騎兵が50騎です」
フェニックスと呼ばれた男は部下から、その報告を受けて、ククク……と笑った。それは予定通りの行動であり、既に猫姫がオーガスト家から王宮へ移されることを知っていた。
「警戒はしているようだが、護衛方法がまとも過ぎる。恐らく、戦闘力に自信があるのだろうが、近衛兵ごときに我は防げぬ。準備が出来ているのだろうな」
「はい」
「それでは我が軍のシンボルを奪い取りに行こうではないか……」
命令された数人は無言で町の中に散っていったのであった。




