思惑
ニコールは週に1度、王宮から遣わされる侍従に秘密の報告をする任務がある。それは上官であるレオンハルト少将のことである。彼の1週間の行動を報告するのだ。これは現国王エドモンドからの勅命という大変な仕事だ。
しかも有能な男であるレオンハルトに悟られないように行う必要がある。上官のことを調べて報告することは、副官のシャルロットにも秘密であり、また、有能なレオンハルトに気取られないようにしないといけないプレッシャーは相当なものだ。
「分かりました。今週の報告は以上ですね」
「はい、侍従殿」
侍従は国王の身の回りをする仕事を束ねる役職の一つであるが、主にプライベートな件で自由に動くことが特徴である。そのために金属でできた仮面を目に付けているので、人相がつかめない。背格好からすると男性であるが、年齢は若そうだということくらいで、よくわからない。ただ、単にパイプ役以上に切れ者であるとニコールは踏んでいた。
「大尉、大尉は少将が裏切っているとお考えですか?」
この日は珍しく、侍従はニコールに意見を聞いた。いつもは報告を聞くだけである。王宮内の数多くある資料庫の一つで毎週接触しているのだが、3分と会わない。しかし、この日は違った。
「私は少将閣下が密かにゼーレ・カッツエとつながっていると考えています。そうでなければ状況証拠の説明がつきません」
「そうでしょうね。国王陛下もそうお考えです」
侍従の声は淡々としている。この結論はニコールに秘密の使命が与えられた時から、決まっていたものだろうと思わせた。
「では、近々、少将を逮捕するということでしょうか?」
ニコールは次の展開はかなり厳しいものになると考えていた。レオンハルト少将はAZK連隊の連隊長であり、総兵力は3000名。この首都ファルス郊外に駐屯している実戦部隊の長である。
もし、この部隊を率いて反乱を起こされたらかなり厄介なことになる。彼自身は戦の天才と呼ばれるだけの優れた戦術、戦略家なのだ。
「そういうことにはならないと思います。これ以上は申せませんが、大尉がこの任務を続けるのもそう長くはないと思います」
「……」
「当然ながら、このことは他言無用ですよ」
ついしゃべり過ぎたようで、侍従は少しだけ慌てた様子でニコールに釘を刺すと倉庫を出て行った。ニコールは、レオンハルトが野望を抱く男であることは薄々感じていたが、彼自身を軽蔑する気にはなれなかった。戦争の天才であり、ウェステリア王国で得難き存在にも関わらず、貴族出身でないというだけで閑職へ回されている点を同情していた。
彼が有力貴族出身でこれまでの功績があれば、既に大将で1軍団を率いていてもおかしくはないだろう。それくらいの能力は十分にある。
それでも彼の若さで既に将軍というのは、現国王による実力主義によるウェステリア軍の改革の恩恵ではある。
ニコールは彼が全権を掌握するAZK連隊の参謀である。軍の法制上、レオンハルトが命令したら、それに従う義務が発生する。それはすなわち、国軍に弓を引くことになりかねない。
(その時、私はどうするべきか……)
拒否すればその場で逮捕されるだろう。だからといって、国王に弓を引くことはできない。
*
「レオ、その話は本当?」
「ああ。裏付けも取った。コンラッド公は既に他界している。ゼーレ・カッツエの存在理由はなくなったわけだ。そして君がゼーレ・カッツエに入った意味も……」
「あら、どうしてそんなことが分かるの?」
アーネルト女侯爵はそう言って口元を扇で隠したまま、黒い瞳だけを若き連隊長へと向けた。ここは首都ファルスにあるホテル。地方の貴族が首都に立ち寄った際に泊まるホテル、『ロンデニオン』である。
アーネルト女侯爵の屋敷はここファルスにあるが、レオンハルトと会う際にはこのホテルを使うことにしている。
彼女もゼーレ・カッツエに加担をしている貴族の一人であるが、どうも心から味方をしているようには思えないとレオンハルトは観察していた。彼女の目的は別のところにあると。それにアーネルト侯爵家は裕福な家であるが、その収入源については不明な点が多い。レオンハルトは密かに調べさせたのだが、ある段階になるとプツンと情報が途切れるのであった。これは不可解なことである。
(普通の貴族ならありえないことだ……それが彼女に対する疑念を増大させる)
アーネルト侯爵家にはある黒い噂がある。それは表向き貿易商を営みながら、裏では暗殺組織を束ねる黒幕であると。アーネルト家は代々、裁判にかけられない特別な悪人を裁く裏の裁判官をしているという恐るべき噂だ。
それは噂の域を出ていなく、証拠は何一つない。証言者も固く口をつぐみ、一切のつながりがない。
(だからこそ、怪しいのだ。こんなにきれいに証拠がないというのも不自然だ)
「それはとても残念だわ。そして、どうやら引き上げ時のようね。コンラッド公がいらっしゃらないのなら、ゼーレ・カッツエには勝ち目は0。レオ、あなたはおだてられて7人衆になったそうだけど、それはあなたにしては致命的な失敗ではなくて?」
アーネルト女侯爵はそう言いながらも、レオンハルトの考えを先読みしている。7人衆に名前を連ねたのは決定的な証拠を掴むため。そして効果的なタイミングで反旗を翻し、決定的な働きをして国王派に貢献する。それを可能とするための軍事力ももっている。
「女侯爵、その点はご心配なく。どちらかといえば、今の立場は私にとって非常に有利な立場と言えますので……これ以上は7人衆にしか言えませんが」
(ゼーレ・カッツエにまだ勝ち目があると思っているようね。それとも彼らを踏み台にして手柄を挙げる手段にするか……。まあいいですわ。彼はともかく、私自身は引き際のようね。コンラッド公が死んだのなら、もう負け犬党には用はないわ)
アーネルト女侯爵は黒い瞳をレオンハルト少将に向ける。それは深い闇の色で見る者を魅了し、深淵に引きずり込む妖しいものでもあった。
(この女のこの雰囲気。まるで最後の審判を行う裁きの女神に睨まれているようだ)
南方の国々に古来より伝わる数多の神が存在するが、その中に死者の国へ誘う女神がいる。それは裁きの女神と言われ、裁きを受ける人間の心臓を取り出し、秤に載せ、片方に無垢な白い鳩の羽を載せるのだ。羽より軽い心臓の持ち主は天に召され、重い心臓の持ち主は地獄へ落とされるという。
その重さは生を受けた世界での罪と同等だと考えられていた。
「いずれにしてもあなたはゼーレ・カッツエと縁を切ったほうがいい」
「忠告に感謝致しますわ、少将閣下。いや、もうすぐ中将に昇進とか。ゼーレ・カッツエを滅ぼせば、軍団長になれるかもしれませんわね。そうすれば、戦争の天才と言われるあなたですもの。私などが近寄れない程の身分におなりでしょう」
「さあ、どうですかね」
レオンハルトはそう言って、アーネルト女侯爵とはこれ以上は関わることはしたくないと考えていた。この女からは危険な匂いしかしない。
*
「死神……そこにいますか?」
アーネルト女侯爵はレオンハルト少将が退室した後、そう誰もいない部屋で言葉を発した。窓から黒い影が素早く侵入し、彼女の前に膝まずく。ゆったりとしたズボンの裾から右足の脛に刻まれた刺青が僅かに見えた。それは2匹のムカデが絡まったもの。
「ハイ……エヴァサマ……ココニ……」
「ターゲットの死亡は間違いないようです。コンラッド公はリストから外します」
「……ショウチ……」
「これでゼーレ・カッツエにターゲットはいません。残った者は悪党とは言えない小物ばかりです」
アーネルト女侯爵の放つ言葉は、その美しい口から発せられたとは思えないほど、感情が込められていない。淡々とした口調が氷のような印象を与える。二千足の死神は頭を深々と下げる。
「エヴァサマ……コレデシバラクハ依頼はナイデショウ……」
「しばらくは休めそうね。でも、この国に悪がなくならない限り、私たちの仕事はなくなりません。死神、あなたは貴族令嬢の下僕をしているようですが、いざという時のためにその腕を鈍らせないようにしておきなさい」
女侯爵の口元が少しだけ緩んだ。忠告というよりも軽い冗談であろう。しかし、そんな女侯爵の顔を見ることなく、死神は決まった言葉を並べる。
「ワカッテオリマス……ビアンカ嬢ニ仕エテイルノハ仮ノ姿。ワレガ真ノ忠誠ヲ誓ウノハ、エヴァサマダケデス」
「フフフ……。そうは言いますが、あなたはあのご令嬢の下僕になってから変わりましたわ。冷酷無比な死神がまるで可愛い忠犬のよう。せいぜい、牙を抜かれないようにね。もちろん、あなたが望めば私の元から去っても良いのですけど」
「……ゴ冗談ヲ……」
少し沈黙した後に死神はそう述べて頭を垂れた。この美しい女侯爵とは単なる主従関係ではないのだ。死神にとってはエヴァンゼリン・アーネルト女侯爵は、命の恩人であり、生きる目標を与えてくれた人であるのだ。




