間違った方向
ウェステリア王国の反国王派貴族の集まり、ゼーレ・カッツエ。かつては王国を2分していた勢力も今は衰退の一途をたどっている。
メンバーが集まる秘密の会合も時を重ねるにつれて参加人数が減っていた。
「今日はこれだけか……」
ゼーレ・カッツエを率いる総統と呼ばれるリーダーはそう小さな声で両隣に聞いた。聞かれた方も首をかしげるばかりだ。
「先日のエリンバラの領主、アクトン卿が討たれたのが大きい。あれで組織の力の半分が失われたと言っていい」
「だが、アクトン卿は勝手気ままに動かれていたので、滅びてせいせいした」
「経済的な面での損失が大きい。エリンバラは大都市であったからな。あそこからの収入がなくなるのは致命的だぞ……」
口々にそう懸念を示すゼーレ・カッツエの幹部たち。ゼーレ・カッツエに属するメンバーのうち、7人衆と呼ばれる最高幹部の集まりである。この7人衆のうちの1人。アクトン卿は反乱が露呈し、先日、国王軍によって敗死させられている。
「それで今回、欠員となった1人を決めることになったわけだが……」
メンバー全員を集めての秘密の定例会を終えた後の幹部会。6人の最高幹部たちの目は1人の若者へと注がれている。AZK連隊の連隊長。レオンハルト・シュナイゼル少将。先日のエリンバラ討伐の功績により、近々中将へと昇進が確定している若者である。
「私は反対だ。ゼーレ・カッツエの最高幹部7人については、爵位は伯爵以上もしくは教会ならば枢機卿か大司教と決まっている」
「私も反対する。レオンハルト少将はそのどれにも当てはまらない」
2人が異を唱える。いつもレオンハルトの意見に反対している男たちだ。だが、レオンハルトを強く推薦したのは、7人衆の中でも筆頭格。この組織のトップに据えられている老人であった。メンバーからは『総統』と呼ばれている白いヒゲを蓄えた品の良い老人だ。
「レオンハルト君は我らゼーレ・カッツエを討伐するAZK連隊のトップを務めている。その彼が我が組織の最高幹部になるのだ。これはもはや勝ったも同然ではないか」
「しかし、総統。彼は我々の仲間でありながら、その職権を行使せず、アクトン卿を殲滅したのですぞ。これは裏切り行為ではありませんか!」
3人目の男も総統に異を唱える。これまで総統の意見には基本賛成してきた7人衆であったから、これはその結束に亀裂が入っていると言えるだろう。
「お言葉ながら……」
レオンハルト少将は反対意見が先行する中、タイミングを見計らっていた。彼らの反対意見は予想されていたことであり、それがただ単に自分への反発心、家柄にこだわる旧体制の悪しき行いの域を出ていないことを見抜いていた。
レオンハルトを推挙しないことは、戦略的な理由からではなく、ただ単に若くて生意気で身分が低いからということなのだ。
(この組織を乗っ取って踏み台にしようと思ったが、踏み台にもならない。いっそのこと、こいつらを滅ぼすか……)
踏み台にならないとレオンハルトは言ったが、彼らを追い詰めることで踏み台にしていることにつながっているのは皮肉だ。中将への昇進も組織のNo.2を討伐したことへの功績だったからだ。
「アクトン卿を滅ぼして良いとの判断は総統閣下が下したこと。私はその命令に従ったまでです」
「そうだ。アクトン卿は少し我侭であった。彼が組織に居てはゼーレ・カッツエが危ないとの判断だ。彼は我らを差し置いてエリンバラに独立国家を築こうと画策しておったのだ」
そう総統は説明する。無論、これはここにいる幹部は知っていた。2,3人は裏でアクトン卿に通じていたかもしれない。
「彼は滅びた。痛手であるが、わがゼーレ・カッツエにとっても組織の純化が進んだと思えばよい。それにレオンハルト君を迎え入れれば、本格的に我が組織も強くなる。何しろ、我々を滅ぼす組織が実は我々の盾となり、矛となるのだからな」
そう総統は白いヒゲを撫でながら、採決を求めた。反対しそうな3名にはじろりと厳しい視線をぶつける。やむを得ず、3人は挙手をする。
「全会一致だ。今日からレオンハルト君を我がゼーレ・カッツエの7人衆とする」
パチパチと散発的な拍手が鳴る。これだけでこの組織が長くないという予感が漂う。レオンハルトは努めて笑顔を作り、そして椅子から立ち上がり深々と頭を下げた。態度は謙虚であったが、頭の中は別のことを考えていた。
(こいつらは見限るか……そして踏み台として我が野望の糧とする)
最高幹部になったことで、レオンハルトは重要な秘密を知ることになる。それは組織のトップであるコンラッド公爵の所在である。組織のメンバーには外国へ亡命しており、ウェステリアの反国王派に国外から支援していると伝えられていた。
だが、レオンハルトの知人であるアーネルト女侯爵は国内に潜伏している可能性があると、一度、レオンハルトに漏らしたことがある。彼女はゼーレ・カッツエに入っている女貴族であるが、色々と謎を秘めている油断ならない存在だ。その彼女の目的はどうやら、組織の実質上のトップであるコンラッド公爵の行方を知ることであることは、レオンハルトのこれまでの調査で分かっている。
(油断がならない女だが、これでコンラッド公爵の情報が手に入る。これを使って彼女の真の狙いを知ることができるだろう)
「晴れて私のようなものに最高幹部たる7人衆の末席に座る栄誉を与えていただき、感謝したします。それで早速ですが、コンラッド公についてお聞きしたいです。我らが真の主君。コンラッド公爵閣下は今何処におられるのでしょうか?」
「レオンハルト、厚かましいぞ」
「7人衆に入った途端にそれを聞くか!」
「まあ、待て」
未だレオンハルトをよく思っていない幹部を総統が制する。
「彼も7人衆だ。最も重要な秘密を知る権利がある」
ゼーレ・カッツエは反国王派の武闘組織。その旗頭は前国王の弟であるコンラッド・アルベルト・ウェステリア公爵である。
「実は公爵閣下は亡くなられた。潜伏先のオーディフで一昨年、病で身罷られた。我らに後を託してな」
「左様でしたか……」
(なんだと……既にゼーレ・カッツエは重要なリーダーを失っているのか……)
平静を装うレオンハルトであったが、これは衝撃であった。反国王派の主張は現国王よりもコンラッド公爵が王にふさわしいとするもの。後継者争いの資格者が既にいないなら、勝負にならない。
「それでは……コンラッド公爵のお子様を旗頭に頂くので?」
レオンハルトは一応聞いてみた。コンラッド公爵の子供は何人かいるが、この後継者争いで有力な後継者は既に命を落とすか、国王派に寝返っている。もしかしたら、好色な公爵の落胤を確保してるのかと思ったのだ。だが、総統は首を振った。
(馬鹿な……それでは現国王を倒して擁立する王がいないではないか……)
このことが公になれば、反国王派は完全に瓦解する。レオンハルトはいよいよ、この組織が沈没寸前の船であることを知る。
「無論、我々は手をこまねいているわけではない。本日の最高幹部会はその件についての進捗があったのでその報告のために集まってもらったのだ」
そう総統は告げて、かねてから計画していたゼーレ・カッツエの作戦案を説明したのであった。
*
(奴らにしては画期的な案だ。恐らく、その案でいかねば自然崩壊だろう……。間違った方向ではないが、それが正解とも限らない。さて、自分は今後どうするべきか……)
レオンハルトの目標は『成り上がること』。貴族階級にない自分の出自を思えば、出世するには国が乱れることが必要等という考えだ。一時は反国王派に加担して、現国王を倒し、国の乱れを起こしてあわよくば、この国の王になろうという野望を持っていた。
だが、ゼーレ・カッツエの勢いは失われ、その方針は頓挫しそうにある。このままでは、反乱分子として全てを失いかねない危険がある。
(早めに奴らを売って出世の糧にしようと思ったが、奴らの最後の悪あがきも利用できそうだ。もう少し様子を見るか……ん?)
秘密の会合からの帰り道。足がつかないように変装して町裏を歩いていたレオンハルトは、既視感を感じた。目の前には歩いている人間。犬族、猫族、人族の群れ。子供と戯れている吟遊詩人……。
(あの男……)
ゼーレ・カッツエの会合の帰りに見た風景に必ず共通するもの。それは吟遊詩人。
(いつも同じ吟遊詩人……これは偶然ではない……)
レオンハルトはマントのフードで顔を隠したまま、吟遊詩人に近づく。彼はリュートを鳴らしながら子供たちに歌を教えている。怪しいところはなさそうだが、彼の勘は怪しいと警告している。
「君、いつもこの辺りで商売をしているのか?」
レオンハルトはそう語りかけた。吟遊詩人は子供に向けていた視線を少し上げて、レオンハルトへ向ける。
「はい。吟遊詩人ですから、街中を回っていますよ」
「……それもそうだな……が、私は君をどこかで見たことがある。街ではないどこか……」
「ご冗談を。町以外に軍人さんに会うことなんてありませんよ」
「そうだな……」
(うっ……)
レオンハルトは改めて吟遊詩人を見る。
(この男は自分を軍人と言った……確かにマントの下は軍服だが見えていないはず)
マントは全身を覆うタイプ。自分を軍人と見抜くには相当な観察眼がいるはずだ。レオンハルトの表情から不審を感じたのか吟遊詩人はさっと立ち上がると子供たちに話しかけて、動き始める。
「君、名前は何という?」
「カイン……吟遊詩人のカインですよ。また、近いうちに会いましょう。あ、軍人さん、間違った方向は修正が可能ですよ」
「は?」
最後に意味深なことを言われ、何を言っているのだとレオンハルトは混乱した。その隙に消えていく吟遊詩人。レオンハルトは後ろ姿をしばらく見送ったが、意を決し、後を追うことを決めた。
だが、裏通りを左に曲がったはずの吟遊詩人は忽然と消えていた。普通に歩いていれば、決してそういうことはないはずなのに。閑散とする通り、近くの小道には見当たらなかった。
(間違った方向か……近いうちに会いそうだな、奴とは……)
*
「な、何だと……」
ニコールは副官のシャルロットから衝撃的なことを聞いて、思わずスプーンを落とした。今は王宮内にある食堂で彼女とのランチ中だ。食べるはずだったAランチのスープの中にスプーンが飛び込み、小さな雫が飛び散った。
「間違いありませんよ。近衛隊第4小隊長、マックニール中尉が離婚の危機だそうです」
「な、なぜだ……マックニール夫婦はオシドリ夫婦で有名だったのに。原因はなんだ、マックニール先輩は浮気でもしたのか?」
ニコールはそんなことを言ったが、この近衛隊第4小隊長は真面目な人物で、浮気をするような男ではない。ニコールの2歳上の先輩で尊敬に値する男である。
「それがですね。奥様がマックニール先輩のことを飽きたと言って実家に帰ってしまったそうですよ」
「あ、飽きた?」
「はい。噂ですが、マックニール先輩って、職場では堅物で有名ですけど、家庭では奥様にいつも『好き、好き、大好き、奥さん大好きでちゅううう……』と言って甘えまくっていたらしいのです」
「……あの先輩が?」
「はい。奥様に毎日、昼も夜も四六時中だったそうで。でも、この話って女から聞けば、そんな旦那さん素敵だなっと思うんですけど」
ニコールはじわっと汗が出てくる自分に気が付く。
「そ、そうだよな……。好きって言わないと伝わらないものだ」
「ですよね~。でも、言い過ぎるとそれはくどかったり、逆にわざとらしくって信ぴょう性に欠けたりするってこともあります」
「そ、そうなのか?」
じとっと汗がにじみ出てくるニコール。
「言い過ぎると価値がなくなるのはそうかなとも思いますよ。でも、女性の方からあまり、好き好きなんていうのははしたないですから、わたしは旦那様にそう言ってもらえるのは嬉しいですけどね」
「は……はしたない!?」
ニコールの声が裏返る。
「どうしたのですか、大尉。先程から反応がおかしいですよ」
「いや、別に普通だ。好きだと毎日言うのは、私は普通だと思うけどな。特に結婚したばかりならばな」
ニコールはそう自分に言い聞かせる。だが、シャルロット、ここでニコールにとどめをさす。
「マックニール夫妻、幼馴染で付き合いは10年以上ですから、さすがにそれで毎日、好き好きでは飽きたと言われても仕方ないかもしれません。あれ、どうしたのですか、大尉」
ニコール、意識を失ったようにボーゼンとしている。シャルロットは気づいていない。この天然娘はニコールがこの話題に自分を重ねていることなど、全く意識していない。それで話を更に広げていく。
「まあ、夫婦の問題はいろいろありますから、きっと他の原因だと思いますけど」
「そ、そうだな……。夫婦喧嘩の原因は様々だ……ははは……」
一度フリーズした機械が気まぐれで少し動き出した感じでニコールは動き出した。
「どうしたのですか、大尉」
きょとんとするシャルロット少尉。スプーンでスープをすくい直すニコールの手が小刻みに震えている。
「何でもない」
「そうですか……でも、わたしは思うんですよ。マックニール中尉って、働き過ぎなんですよね。毎日、あんなに遅かったら、きっと奥様も怒りますよ」
「ははは……そうだな……。早く帰るべきだよな」
更に傷口に塩を塗るシャルロット。
・いつも食後に『好き、好き、大好き二徹』と言っている。
・酔っ払うと更に『好き、好き、二徹、大好きでちゅううう……』と言っている。
・最近、帰りが遅い。
(な、なんとかせねば……)
*
「へくしゅ!」
「二徹様、風邪ですか?」
「いや、メイ、なんか急に寒くなって……」
洗濯物を干しながら、今晩の夕食メニューを考えていた二徹。
ニコールのこの何とかが間違った方向に行くことを彼女の愛する専業主夫は知らない。




