魅惑のぼたん鍋
倒したレドブルは熟練した猟師がその場で解体する。解体の様子は初めて見る者には衝撃的である。それでも腕のいい猟師は手際よく、毛をむしり、皮を剥ぎ、あっという間に枝肉へしていく。
通常は狩りに参加した者は、それぞれに平等に分けられた肉を持ち帰るのだが、今回はビアンカの提案でレドブル肉が美味しいということの証明にするために、より美味しい部分を全部持ち帰り、公開試食会をすることになっていた。
ちなみに死神が使った神経麻痺毒は30分もすると分解されて無害化する。暗殺用で証拠が残らない特別なものである。肉が汚染されることはないので食べても大丈夫だ。
「狩りに参加してよかった。神の遣いであるイノシシをあのように残酷に殺すとは、神をも恐れぬ所業である」
環境保護団体のリーダーは、レドブルに襲われて軽いけがをしたにも関わらず、こんなことを言っている。周りの信奉者は、そんな彼を少し懐疑的に見ている感じがある。
それを肌で感じてか、彼はレドブルは神の使いだから、人は襲わないとか、畑を荒らすことはないと言う主張は引っ込めていた。
実際に襲われたり、明らかに荒らされたりした現場を直に見たことで、説得力がなくなっているのだ。
「それにレドブルの肉はまずい。まずい肉をわざわざ食べる必要はない。必要ないのに殺すなどということは許されぬ行為である」
こういう論法である。他にも人間の食用になる動物はたくさん存在する。それらは食べても美味しいから、許される。レドブルはまずいから殺すことは許されない。この主張を崩すには、レドブル肉の美味しさを証明しないといけない。
「それでは二徹さん。イノシシ肉を美味しく料理してくださいね」
町に戻ったビアンカが向かったのは、ファルスの町の中央広場。町のイベントで使われるこの場所で、公開試食会を行おうというのだ。そして彼女が料理人として指名したのが二徹であった。
二徹は生まれ変わる前の記憶で、ジビエ料理についても勉強していたことがある。イノシシ狩りの猟師に教えを請い、美味しい食べ方もいくつか教えてもらっていた。この世界のレドブルは、イノシシと同じ肉質であり、その経験を生かすことができた。
「メイ、出汁の準備はできている?」
「はい、二徹様。昆布とカツオブシで十分できています」
「それじゃ、野菜を切っていくよ」
「はい」
用意した野菜はネギ、ニンジン、白菜、キノコ。そして忘れてならないのはゴボウである。ゴボウは見た目が木の根のようなので、一般家庭では好まれて食べられている野菜ではない。ウェステリア北部では、カボツと呼ばれて郷土料理には欠かせない野菜だ。
「二徹様、ゴボウはどうやって切るのですか?」
メイはゴボウを料理するのは初めてなので、これはどう下ごしらえしてよいのか迷ったようだ。二徹は順序よくメイに処理の仕方を教える。
「まずは包丁の背で皮をこそぎ取るんだよ」
「こうですか?」
メイは自分の専用の包丁をシュッ、シュッと音を立てて皮を取っていく。
「あまり丁寧にやらなくていいからね」
メイは完璧主義で丁寧に仕事をするので、二徹は注意をした。ゴボウの皮を取りすぎると風味が失われるのだ。二徹はそうやって、皮をこそぎ取ると空気に触れて黒くなった部分を切って捨てると、今度はボウルに水を張った。
「二徹様、それは何に使うんですか?」
「今からゴボウのささがきというのを教えるよ」
二徹はまず細いゴボウを手にとった。それをくるくる回しながら包丁を前へと繰り出し、鉛筆を削る様に薄くそぎ取った。白いゴボウの欠片が水の中に落ちていく。
「わあ、きれい……」
「メイ、やってごらん」
「はい……」
ゴボウは切って空気に触れるとすぐに黒くなってしまうのだ。見た目が悪くなるのでプロはすぐに水に入れて変色を防ぐが、これだと栄養分が失われてしまうのでマイナス面もある。そこもメイに丁寧に説明する。
「太いゴボウだと難しいです」
太いものだと削れる幅が大きくなって形が整わない。
「その場合は、縦に切れ目を入れるといいよ。ゴボウの太さに合わせて切れ目の数を調整するんだよ」
「なるほど……」
縦に切れ目を入れると同じ幅でゴボウが削がれていく。メイにゴボウを任せると二徹はニンジンを薄く輪切りにする。輪切りにしたのは考えのあってのこと。
金属で星型や紅葉をかたどった型を作ったのだ。これを押し当てて抜くのだ。こうやって次々と仕込みがされていく。
やがて、環境保護派と狩猟推進派の陣営の人々も集まってきた。それ以外の野次馬も増えてきた。
二徹は100人前作れる鍋で仕込みをしていたが、量的には足りないくらいに観客が集まっている。このままでは混乱するので、ビアンカを中心にこの魅惑の鍋を食べることのできる人選を行う。
両派の代表が10人ずつ。なぜか審査委員長に収まっているビアンカに加えて、残り80人弱を抽選で決めることとなった。
「よし、それじゃ出汁が煮えたら、まずはしし肉を入れるよ」
二徹は薄切りにしたレドブル肉を入れる。煮立った出汁に入れると薄い肉はピラピラと広がり、まるで花のようになる。鍋に入れる前のしし肉を花びらに見立てて、皿にぐるりと盛り付けてある。
これがシシ肉の赤みと真っ白な脂肪のコンストラストがまるで牡丹の花のようだということで、シシ鍋のことを『ぼたん鍋』というようになったという説もあるくらいだから、この絵は見る者の心を揺り動かす。
肉を入れるとアクが出る。二徹はそれを丁寧に取り除くと今度は野菜を投入する。そして仕上げは味噌。二徹が作った自家製の赤味噌にクルミを砕いて入れたクルミ味噌である。
野性的なシシ肉にはこれが絶望的に合う。そしてウェステリアのレドブル肉も同じであった。
「お待たせしました、完成です」
二徹の合図と共に、深皿に盛られたシシ鍋が配られる。その匂いにみんな心が躍る。見た目もとんでもなく美味しそうだ。
「ふん……鍋で煮てごった煮にしたレドブルなど固くて食えんわ!」
環境保護派のリーダーの男は、この空気を打ち消そうとそう大きな声を発した。だが、それは濁流となって流れる川に向かって小さな船で遡ろうとするくらい無駄な抵抗であった。
この男の言うとおり、豚肉や牛肉は火を通し過ぎると固くなるのが普通だ。しかし、配られると同時に煮られた肉を口にした観客はそんなことは微塵も感じていない。
メイが持ってきた器の肉を食べた男の顔は引きつった。肉が柔らかいのである。
「お肉が軟らかい……」
「この甘味はどうだ……」
「クルミが入った味噌とのことだが、味がまろやかで美味しい。こんなのは初めてだ」
食べた人は思わず唸った。熱々のスープは肉の出汁も加わって、複雑なハーモニーを奏でている。そして肉はなぜか軟らかい。レドブル肉は硬いというイメージを覆す軟らかさだ。
「レドブル肉は煮れば煮るほど柔らかくなるんです。そしてスープに加わった肉の旨みを吸った野菜も格別ですよ」
二徹が説明する間もなく、試食に臨んだ者はみんな夢中で食べている。保護派も推進派も無我夢中である。
「う……うまい……これは……うまいぞ……」
保護派のリーダーは思わずそんなことを言ってしまった。それを聞いた保護派のメンバーたちも食べる手が止まらない。
「どうですか、これでもレドブルはまずいから獲ってはいけないと言うのですか?」
「……うう……これは……これは料理がよかっただけだ」
そう強がりを言う保護派リーダー。彼らの最後の砦である、肉がまずいから獲ってはいけないという理由が崩れた瞬間である。
推進派の人々は勝利に湧いている。うなだれる保護派。彼らの保護に対する理由付けは全て覆されてしまった。狩猟推進派の勝利が確定である。
しかし、ビアンカは両者の様子を見て微笑んだ。
「どうでしょう。保護派の主張は全て崩れましたが、推進派も元はといえば、レドブルが増えて困っていることが発端なわけです。レドブルを根絶やしにするつもりはないのでしょう?」
「それはそうです。我々も好き好んで危険を冒して狩猟しているわけではない」
これは推進派から引き出した意見。ビアンカはこの意見を聞いて微笑んだ。
「では、こうしませんか。狩猟は認めるが、その数は制限する。これは保護派の意見を尊重してですわ。そして、レドブルの殺し方にも配慮する。なるべく、苦しまないようにしてあげることは大切だと思いますわ」
この意外なビアンカの裁定に完敗したと思った保護派も立ち直った。自分たちの主張も本質的なところで認められたのだ。ビアンカの提案はさらに続く。
「ただ、制限するといっても守られているかは、常に監視しないといけないと思います。どうでしょうか。両者が資金と人員を出して組織を作るというのは?」
パチパチ……。
誰ともなく拍手がされる。それはどんどんと広がり、ついには全員の拍手へと変わる。そもそも、両方とも反発するばかりで落ち着いて話し合う場もなかったから、こういう組織を作ることは話し合いで解決することへとつながる。それがあることで、非科学的な主張や強引な行動がなくなることにもなる。これは狩猟派にもメリットがある。
「君の主人、ただの好奇心旺盛なお姫様かと思っていたが、なかなかやるじゃないか」
カインは遠巻きにこの結果を死神と眺めている。対立する二つの勢力の仲を取り持つ場合、どちらかが一方的に負ける結末は絶対に避けないといけない。
なぜなら、負けた方は表面的には納得したようでも不満の火種がくすぶり、必ず引火してまた対立の炎が燃え上がるのだ。例え、10-0でも6-4で手を打つのが上手くいくコツである。
(ビアンカ・オージュロー……面白い娘だ。天然かもしれないが、優れた外交感覚をもっている……)
カインは両陣営の人間と楽しそうに会話をしているビアンカを見ている。この結末に大きく貢献したシシ鍋も、二徹という人物と知り合いだったことが大きい。人脈もまた外交にとって重要なファクターである。
「あれ、君、どうして泣いているのだ?」
先程から話しかけても返答がない死神に、カインは不思議そうな視線を向けた。布で顔半分を隠している不気味な男であるが、ポロポロと泣いているのだ。
(まさか……自分の主人の活躍ぶりに感動しての涙か?)
「うっうっうう……」
声を押し殺して男泣きをしている死神にカインは感動した。
(まさに忠義の士である。こういう人物を下僕にしているのも彼女の人を見る目の確かさの証拠か……)
死神はグイっと右腕で涙を拭った。不覚にも涙を流したことを恥じた。
グウ~ッ。
同時に空腹を告げる音が鳴る。
「あら、100人前用意したのに全然足りないわね。いいでしょう。食べるのは双方の10人と私。あとは抽選にしましょう。なに、さる吉。あなた食べたいの?」
コクコクと頭を振る死神。仕方ないわねという表情をするビアンカ。
「仕方がないわね。特別に抽選に参加することは認めてあげましょう。心がけがよければ食べられるわ」
ビアンカはそう死神に告げた。目の前には大鍋で炊かれた魅惑のシシ鍋。しかも、死神がどうしても食べてみたい二徹の料理だ。
(心ガケガヨケレバダト……ソンナコト、ワレニ求メラレテモ……)
死神はぐっと右の拳を握り締めた。そこには紙が握りつぶされている。
「はずれ」
それには無情にもそう書かれてあった。
あーっ、今回もか……。




