キノコスープごはん
二徹の午前中の主な仕事は食材集め。それが終わるとちょうど昼になるので、町で外食することが多い。これは料理の研究のためである。町にはこれまで二徹が食べたことのないような料理がたくさんあり、かつて料理人であった彼には大変興味深いのだ。
「ううむ……新しい店を見つけたいと思って来たものの……」
二徹が足を踏み込んだのは、都の北エリア。住居が立て込んだ貧民街だ。貴族の屋敷が立ち並ぶ東エリアとは違い、狭いアパートが立ち並び、日当たりも悪い。治安は他と比べて悪いがさすがは都。昼間ならば、足を踏み込んでも犯罪に巻き込まれる可能性は少なかった。二徹は今までこの北エリアには行ったことがなかった。
こういうところに美味しい店があったりする。そういう期待があったが、散乱するゴミや小汚い格好で歩いている住人を見ると、それは期待できないと二徹は思い始めていた。美食を求めて世界を放浪したこともある二徹には、美味しいものを見つける感覚みたいなものを身につけていた。確かに言えることは、うまい食べ物は環境に左右される。こういう生きることで精一杯なところでは、美味しい食べ物はまずないと言っていい。
(あまり期待できないけど……)
二徹が足を止めたのは一軒の宿屋。下は食堂になっている典型的な庶民の宿だ。入ってみようと思ったのは、客が数名いたから。こんなところでも、他と比べればマシなのだろう。
「旅人さん、ご注文はなんですか?」
木製の粗末な椅子に二徹が腰を下ろすと、小さな子供が注文を取りに来た。見た目は10歳くらい。ひどく痩せている女の子だ。頭に犬の耳があるから犬族の娘だろうとは思うが、毛色がキジで猫族みたいな感じもする。ツギハギが当ててある粗末なエプロンドレスを着ている。髪は無造作に2つに結んでいる。
「お嬢ちゃん、この店は何がお勧めかな」
二徹はそう聞いてみた。ちょっと、オドオドした感じが気になり、少しこの子供と話してみたくなったからだ。するとその子供。二徹の耳に口を近づけて、そっと囁いた。
「旅人さん、ここでは美味しいものなんて期待してはいけないです」
(おや?)
変なことを言う子供である。顔は薄汚れているし、お風呂にも数日入っていない感じであるが、薄汚れた店の雰囲気で気にはならない。だが、食事を提供する店でウェイトレスがこんな格好ではダメであろう。それよりも、こんな小さな子供を働かせている時点で問題がある。この世界でも子供は学校へ行く。12歳までは義務教育で文字や計算を習う。少し余裕のある家庭ならあと3年、上級の学校へ行く。そして15歳で働きに出るのが普通だ。さらに裕福な家庭や優秀な子供は、士官学校や王立の学術院へ行って高度な学問を学ぶことになっている。
(そうやって考えると、この子は学校へ行かせてもらってないのだろうか?)
そんな疑問が浮かんだ。
「腹が減っているからね。お腹が膨れればなんでもいいよ。このブル肉の煮込みなんてどうだ?」
そう小声で二徹は応えた。するとブンブンと首を左右に振る。
「旅人さん、こんなところの肉はクズ肉の寄せ集めですよ。ブルの肉かどうかも分からないです。お腹が膨れるどころか、お腹を壊しちゃうと思います」
「正直な子だな。じゃあ、何がいいんだい?」
「ピルツのスープご飯が、唯一のオススメです」
そう犬族らしき少女が答えた。ピルツとはキノコのことだ。二徹は店を見回す。他のお客が食べているものは、お世辞にもうまそうには見えない。みんな腹を満たすためだけに食事をしている。確かに美味しそうには食べていない。これなら、市場付近の屋台の方がうまい。だが、メニューを見ると値段はかなり安い。一番高い料理でも、銅貨30ディドラムもあれば、十分食事ができてしまうのだが、そんな値段ではかえって怪しい。材料を考えればまともなものは出てこないと思う。
「どうしてピルツのスープご飯がおすすめなんだい?」
「それはボクが作ったからです」
さらに小さい声でそう少女は言った。格好と体付きから明らかに女の子なのに自分のことを『ボク』なんて呼んでいる。犬耳がピクピクと動いている。ちょっと自慢したい感じだ。
「キミが作ったの?」
「そう……。今日の賄い。ピルツは昨日、市場でただで貰ったやつだけど、まだ腐ってないし、スープの鶏がらは、老舗の鳥屋から安く分けてもらったんです。昨日からボクが丁寧に磨いて煮込み、アクもこまめに取ったから、そこそこ食べられると思います」
「ふうん。ここの料理人は腕も下手なんだ」
「旦那さんも女将さんも面倒くさがり屋なんです……それに……」
「おい、メイ、いつまで注文取ってんだい! サボるんじゃないよ!」
厳しい声が厨房から放たれる。その声にビクッと体を震わせる犬族の娘。厨房を見ると料理を作っている初老の男と太った女がいる。二人共、耳からすると犬族である。男の方はフライパンを振って料理をし
ているが、怒鳴った女は椅子に座って何やらむしゃむしゃと食べているようだ。
メイと呼ばれた少女はそそくさと厨房へ戻って、注文を伝える。それを聞いた太った女は何やら怒って、メイの手を小さなムチで打った。もっと高い料理を勧めろとでも言っていたようだ。ちょっと申し訳なくなる二徹。
やがて、メイが粗末な器に鍋からよそったキノコスープご飯を持ってきた。確かにいい匂いだ。ただでもらったというキノコもよいものだけを選んでいれたようだ。鶏ガラのスープもいい匂いである。単純だが丁寧に煮込んだので鳥のエキスが十分に出ている。しかし、ただでもらってきただけあって鮮度に難がある。どうしても臭みは残る。だがその臭みは、一緒に煮込んだ香草によってなんとか気にならない程度まで抑え込んでいる。
「どうぞ、旅人さん」
メイが二徹のことを『旅人さん』というのは、この宿が地方から来た人間の定宿であり、二徹が貧民街に来るにあたって、着古したマントを羽織って如何にも地方から来た人間という格好をしていたからである。二徹はスプーンで一口食べる。
(うん。この子が勧めるだけあってまずくはない。むしろ、美味しい。難のある材料の割には食べられる。この女の子、かなり料理の経験をしているな)
腕は未熟だが、材料をどうすれば上手に調理できるかを経験で知っている仕事だ。これはちょっとやそっとでは身につかないものだ。二徹はこの犬族の少女に興味をもった。
「うむ。君がおすすめというだけあって、旨いな。まあ、すごく美味しいわけじゃないけど。時間をかけて作ったんだろうね」
「いつも賄いはボクが作っているから……」
「そうなの? 君、メイと言ったよね。年はいくつ?」
「12歳……」
「12歳? 学校へは行ってないのかい?」
「学校へは行ったことがないよ。ボクは8歳の頃からここで働いているからね」
「8歳から働いている? 君はこの宿の娘さんじゃないのか?」
「違うよ……」
そうメイが悲しげに言ったと同時に店の扉を開けて、3人の子供が入ってきた。先ほどの不機嫌な顔から満面の笑みに変わった太った女将が奥から出てくる。