魅惑のポタージュ
あと2日で異世界嫁ごはんは正式発売。とはいっても、もう売ってるところあるんですけどね。もう手にしている人いるようですね。特設サイトも特典情報もオーバーラップさんのサイトで公開中。
作者だけど、特典のSSやカードが欲しいので買いに回ろうかしら。SSの話、結構、いい出来なので。
翌日のディナータイム。サヴォイ家に招待された兵庫はテーブルに腰掛けている。兵庫はこのウェステリア王国に来てから、いろんな貴族の館に客人として滞在させてもらっている。これは兵庫の人間的魅力とこれまでの経験を元にした異国の話を聞きたいからだ。
兵庫自身も貴族との交流は、当初の目的である加賀姫の行方の手がかりになるので、積極的に行っていた。しかし、ウェステリア王国の公爵夫人に異国の姫が迎えられたという話はガゼネタだったようだ。これまで滞在して、数多くの貴族から聞き取った結果、首都ファルスに住む大貴族にそのような女性はいないことが判明した。
(そろそろ、この国を去ろうか……)
兵庫はそんなことも考えていた。だが、ウェステリア王国の人間はみんな優しく、親切であり、居心地がよいことと、加賀姫についての新たな情報がまだ得られていないことが彼をこの国に留まらせていた。
(それにしても世界中を旅していると面白い出会いがあるものだ……)
兵庫は今晩行われる余興が楽しみであった。13歳の少年が1つ上のフィアンセのためにスープを作るという。所詮、子供が作るものであるから味は期待していない。若者が必死になって挑戦するというのは、初老の域に差し掛かった兵庫にとっては何だか嬉しくなるのである。
(それにこの少年。生粋のウェステリア人で貴族の子息だが、拙者のハポンに通じる魂を感じる。相手の女の子も気質は凛として清楚。加賀姫様を思わせる……)
テーブルには兵庫を始め、ニコールと招待された貴族の客が数人招かれていた。本日の余興を知っている客人である。
「それにしても、ルウイ君がヒョウゴ殿のために腕を振るうとはね」
「ルウイ君が作ったスープをヒョウゴ殿に見事に飲ませたら、あの不思議な技をニコール嬢に教えてもらえるとのこと。これは楽しみだ」
(客人たちの会話を聞いていると、ルウイくんの料理の腕は子供ながらもかなりのものらしい。みんな美食に慣れた貴族出身の客人たち。どうやら、彼の料理の腕は子供レベルではないらしい)
兵庫は先ほど、自分に挨拶をしてから厨房に向かったルウイの自信に満ちた顔を思い出した。そして、テーブルの向かいに座ったニコールを見る。彼女の顔には自分のフィアンセに対する絶対的信頼の色がある。まだ、子どもで婚約して日は浅いだろうに大したものだと兵庫は感心した。
(さて、どんなスープを出してくるでござるか……)
まずは運ばれてきたのはオードブル。オードブルとはフランス語で「作品の外」の意。メイン料理の副次的なものという位置づけであるが、現代においては「アントレ」(入口)、プルミエ・ブラ(最初の一品)とも呼ばれて、食事の始まりを告げる重要な役割を担っている。
ウェステリアのコース料理においても、このオードブルにはインパクトが求められる。オードブルは、肉、魚、卵、野菜等、あらゆる素材を使える自由さがある。調理法も自由だ。温かいもの、冷たいもの、色、形の工夫で客人に本日の料理への期待を高めるものなのだ。
運ばれてきたオードブルは、サヴォイ家のシェフが作ったもの。それは『野菜のゼリー寄せ』である。様々な色の野菜が美しく飾られ、これからの料理への期待を深める逸品である。
客人たちはこのオードブルに舌鼓を打った。兵庫も美味しそうに食した。これは好スタート。オードブルの出来がいいだけに、次のスープへのハードルは上がる。
(さて、プロの料理人が渾身の力をこめたオードブルの後に出してくるスープ。下手なものを出せば、その粗さは余計に目立つでござるよ。ルウイくんは、どんなものを出してくるでござるか……)
そして、本日のスープの登場。作ったルウイと共にそれは運ばれてくる。大鍋で作ったものを客の前でサーブするのだ。ルウイ自身が皿に盛り付け、執事が手際よく配る。兵庫にとっての本日のメインが運ばれてくる。
「こ、これは……白いスープ……なんのスープでござるか?」
スープの高貴なまでの白さに驚く兵庫。ルウイは料理の説明をする。
「ヒョウゴさん、これはホワイトアスパラガスのポタージュです。これで勝負させていただきます」
兵庫は執事が目の前に置いた皿を再び見る。白色が実に美しい。中央にウェステリアパセリが置かれ、数滴のオリーブオイルが振りかけてある。見た目も工夫された美しいスープだ。
兵庫はテーブルの対面に座るニコールへと視線を向けた。ニコールも兵庫を見る。その目はルウイを信頼している目。そしてスープを見て勝利を確信している目であった。
(先程も感じたが、この年でこれだけ信頼しあっているとは……感心するでござる)
そう感じた兵庫は無意識にスプーンを手にした。いつもはスープを飲もうとしても手が硬直してしまった。体が拒否するのだ。だが、今は違う。手にとったスプーンを皿へと運ぶ行動が流れるように行われる。白い湖面に波が立ち、兵庫の固い心が溶かされていく。
それを合図に客人たちもスプーンに手をかける。白い魅惑の液体にそっとスプーンを差し込む。ふわっと上に浮いているオリーブオイルが揺らぐ。
(うっ……これは!)
一口、ポタージュを口にした者は舌から染み渡った旨みが、徐々に体を侵食していく感覚にとらわれた。
ホワイトアスパラガスのポタージュは珍しい料理ではない。兵庫も幾度も出されたものは見ている。だが、どれも手に取って口に入れようとは思わなかった。それなのに、これはつい手に取ってしまったのだ。そして口に入れたとたんに体に染み付いた長年の罪が溶かされていくのを感じた。
「美味しい……」
「なんだ、この洗練された味は……」
「ホワイトアスパラガスのポタージュは、何度も食べたことがあるがこれは別物!」
客人たちもつい無我夢中になってしまい、皿にあったポタージュを飲み干してしまった。そして、一息ついて感想を言い合う。それほど、感動する味であった。そしてそれは兵庫も同じであった。
「ふう……」
放心状態の兵庫にルウイはニコニコして話しかけた。
「どうでしたか、ヒョウゴさん」
「……スープものが食べられなかった拙者が、このように思わず食べてしまったでござる……。これは拙者の負けでござるな」
「勝つとか負けるとかじゃありませんよ。僕はヒョウゴさんの心を動かしたかったのです」
13歳の少年とは思えないセリフに思わず兵庫は微笑んでしまった。そして、今食べたポタージュについての疑問を口にした。これは今、食した客人たちが全員感じていることだ。
「拙者は異国のスープについてはよく知らないでござる。今日まで食べたことがなかったでござる。しかし、このスープは素材の味が直接に食べる者へ伝わってきたでござるよ。ルウイ君はどんな工夫をしたでござるか?」
「そうだ。このポタージュはアスパラガスと玉ねぎの旨みが雲一つない青い空のように伝わってくる。何も邪魔をしない。これを食べると体が清められ、身が引き締まる思いがする」
「これを食べると、今まで美味しいと思っていたポタージュが曇った感じになるわね」
招待客もルウイの工夫に興味が湧いてきた。何か特別な食材を加えたに違いない。それを知りたいとみんな思った。
しかし、答えはそんなものではなかった。単純明快であった。
「工夫というか、気をつけたことは1点です。このポタージュの土台を支える鶏のブイヨンを丁寧に作ったのです」
フランス料理の出汁はブイヨンとフォンに分かれるが、ブイヨンはスープやソースに使われる。鶏のブイヨンなら鶏がらと各種の野菜で煮出して作る。基本中の基本だから、そこに美味しくする工夫の入り込める隙などないはずだ。
「作り方は簡単です。余分な脂や内臓を取り除いた鶏がらに玉ねぎの薄切りを入れて煮ます。塩と胡椒で味を整えます。ひと煮立ちしたらアクを取り、ニンジン、セロリ、ローリエなどの香りの強い野菜にパセリの茎、胡椒を入れます。アクは取ります」
ルウイはそう説明するが、それは料理人なら知っている基本的な知識。特別な工夫はない。しかし、兵庫はもうルウイのしたことが分かっていた。
「ルウイ君。君はそれを丁寧に、丁寧に行ったのでござるな」
「はい。僕がやったのは鶏がらを徹底的に磨いたことです。余分な脂や血があると味が濁るのです。例え、わずかでもそれは気になる。あとはアクを徹底的に取り除きました。僕はスープを作るだけですから、やれましたが、料理をたくさん作る人にはここまで徹底できないでしょうね」
「やはりでござるか……」
目の前の少年は、自分が好きな少女のためにここまで誠心誠意を込めてこのポタージュを作った。それは地道な作業。好きな相手を思った愛情の賜物である。
兵庫自身、主君と仰ぐ姫を探して5年以上。地道に捜索をしている。それは愛情ではなく、忠誠心ではあるが、ルウイと通じるものがあった。
「よろしいでござる。そのお嬢さんに拙者の技の極意を教えるでござる」
兵庫はその言葉を聞き、手を取り合って喜ぶ小さなカップルを微笑ましいと思いながらも、自分の中で何かが変わるのではないかと思い始めていた。それはスープが飲めるようになったことと無関係ではなかった。
(思えば、拙者は加賀姫らしき人物がいると聞くと、すぐに飛び出して確かめてきたでござる。ここらで一度、じっくりと腰を落ち着け、捜査してみるのもいいかもしれないでござる。これまで派手な噂に隠れて、小さな手がかりを見失ってきたのかもしれないでござるよ)
ニコールが出場するアルテマの大会は3ヶ月後。それまではこのウェステリア王国に滞在しようと兵庫は心に決めたのであった。




