ニコールのイメージ
異世界嫁ごはん いよいよ、発売は4日後に迫りました。
今晩は特設サイト開設に伴う、特別投稿です。特別サイトはover-lap.co.jp より。
兵庫が守っていた姫は、船が難破した時に行方不明になってしまった。その姫が作ってくれたのが味噌汁。兵庫はその味噌汁の味が忘れられない。姫を失った兵庫の贖罪の気持ちがスープを受け付けない体になったのだとルウイは推測していた。
「では、ルウイ。その味噌汁というものを作ればいいのだな?」
兵庫から別れてパーティ会場の片隅で相談する二人。ここまでのルウイと兵庫のやりとりを聞いていたニコールはそう質問した。無論、彼女には味噌汁というのがどういうものかは分かってはいない。
「違うよ、ニコちゃん」
ルウイはそんな単純なものではないと考えている。同じ味噌汁ではその生き別れになったお姫様が作ったものには絶対に勝てない。現実的にもウェステリアには味噌がないし、今から味噌を作る時間も取り寄せる暇もない。
「兵庫さんの呪縛を打ち破るのは、とびっきり美味しいスープしかないよ。僕たちが考えられる最高のスープを作ろうよ。それできっと心が動くはず」
「うん……そうだな。それがいい」
「じゃあ、まず材料だね。明日、一緒に町の市場へ行かない?」
ルウイはそうニコールを誘った。貴族の令嬢でありながら、庶民の活気付いた場所が好きなニコールは二つ返事で答える。もちろん、家の者には内緒である。
次の日。
ルウイとニコールは市場で一緒に歩いていた。スープと言ってもいろんなタイプがある。鳥を使ったものや肉のスープ。魚や貝を使ったスープ。それこそ、国によっても違うし、地域によっても違う。スープは人間が住んでいる場所でそれぞれ特徴のある郷土の味があるからだ。
「ルウイ、材料だけでもこんなに沢山あるんだ。ヒョウゴさんを納得させるだけのスープはどういうものにするのだ?」
市場は活気がある。露天に並べられた野菜は種類も多く、それを使ったスープはいろいろと考えられる。兵庫に美味しいと思わせるものは、色々と考えられるだろうが、それには明確な根拠が必要だ。
「そうだね。僕はヒョウゴさんが探しているという加賀姫様という人をイメージしたものを作ろうと思うんだよ」
「加賀姫様……それは無理だろう。お前はそのお姫様に会ったことはないのだろう?」
「ないけどね。でも、ヒョウゴさんはニコちゃんを見て、ちょっと驚いた顔をしていたよね。たぶん、ニコちゃんから、そのお姫様を思い出したのかもしれない」
「私をか?」
「イメージはね」
そう言ってルウイは露天で並んでいる野菜を見る。実はもうルウイは方向性を決めていた。ニコールを誘って市場へ来たのは、ニコールをイメージした野菜は何かを考えたかったから。本人と一緒に行けば、その感覚はさらに鋭くなる。
「ニンジンは違うし、カボチャでもないし。黒いゴボウなんか泥臭いから正反対だし」
ニコールは清々しい、清廉なイメージである。そういう野菜はないかとキョロキョロしていると、ルウイの目にある野菜が飛び込んできた。
それはアスパラガス。春から夏にかけて旬の野菜だ。煮ても美味しいし、茹でても美味しい。いろんな料理に合う野菜だ。茹でると緑色が鮮やかになり、料理にも素敵な色合いを付けることができる使い勝手の良い野菜だ
しかし、今、目の前にあるのは真っ白なホワイトアスパラガスである。真っ白なそれはまるでニコールの清廉さをイメージさせる。
それにその味はまさにフレッシュな自然の息吹を感じさせてくれる。ビタミンCも豊富で栄養価も高い優れた野菜だ。
その見た目とシャキシャキした食感とほのかな甘さは、ニコールとイメージがぴったりだ。ちなみにアスパラガスには緑色と白色があるが、これは栽培法が違うだけ。太陽の光を浴びさせた方が緑になり、浴びさせないと白くなるのだ。
ルウイは山と積まれたアスパラガスからよいものを選ぶ。アスパラガスの目利きは、まず太くて真っ直ぐに伸びているもの。穂先がほどよく締まったものがいい。
「なあ、ルウイ。なぜ、穂先が開いたのはダメなのだ?」
「アスパラガスは、成長しすぎると穂先が開くんだよ。あと鮮度の悪いものも。食感が悪くなるからね。まあ、今回はスープにするから、食感は関係ないけどね」
そう言うと、ルウイは店のおじさんに頼んで一本だけ茎を切ってもらい、切り口を確認した。切り口が黒ずんでいると鮮度が悪いのだ。この店のアスパラガスはみんな鮮度が良さそうだ。おじさんが朝に収穫したものをここへ運んできたという話は、信じてよさそうだ。
ルウイはこの極上のホワイトアスパラガスを買い、さらに玉ねぎも仕入れた。これを持ち帰って屋敷で試作をするのだ。
「さて、それでは取り掛かるよ」
「野菜のスープか。何だか地味なスープになりそうだな」
「そんなことないよ。僕が作るのはポタージュだよ」
「ポタージュ?」
ポタージュという言葉はフランス語で、このウェステリア語にはない。転生者であるルウイの記憶の中にある知識の一つだ。
ポタージュはフランス語で広くスープ全体を指す言葉だ。スープがボタージュの中の一種であり、どちらかと言えば、野暮ったい田舎の料理という意味合いがある。ポタージュは壺に入っているものという意味があるのだ。
「まあ、見ていてよ」
ルウイはまずホワイトアスパラガスの根元の硬い部分の3分の1切り落とし、さらに6ク・ノラン(約3cm)の長さに切る。さらに玉ねぎを1/2ク・ノラン(約2.5mm)の薄さに切った。
「まずは鍋にバターを入れて、玉ねぎをしんなりするまで炒める。ポタージュの色合いは純白だからね。ここで絶対に焦がさない」
玉ねぎがしんなりしたら、次にホワイトアスパラガスを投入。さらに焦がさないように炒めていく。その手際の良さにニコールは思わずうっとりとしてしまう。
「炒め終わったら、ここで鳥のブイヨンを入れて煮込む」
ブイヨンはあらかじめルウイが作りおいたものだ。これを投入して15分ほど。今度はそれをハンドミキサーにかける。ドロドロに潰す、いわゆるピューレ状にする。
「すごい手間がかかっているな」
スープをわざわざ潰してドロドロにするなんて、なかなか思いつかない技法だ。見ていたニコールはルウイのアイデアに驚いている。これには、ルウイも少々照れくさい。何しろ、自分で考えたというより、チートな類のものであるからだ。
ルウイの前世は料理人だったのでその時の知識だ。日本食の料理人だったから、今、作っているポタージュのような技法はあまり詳しくないが、これはフランス料理の基本中の基本なので、世界の料理の研修をして旅をしていた生前の記憶をもつルウイには、これくらいの知識はある。
そして仕上げ。牛乳と生クリームを加えて温め、塩と黒ソルズで味を整えれば完成だ。
「どう、ニコちゃん、飲んでみて」
皿に盛って隣で一部始終を見ていたニコールの前に置く。ニコールは思わず、ゴクリと喉を鳴らした。
「お、美味しそうだな……」
「どうぞ、召しませ」
「う、うん……」
スプーンでどろりとした液体をすくう。アスパラガスと玉ねぎが溶け込んだ濃厚なスープはとろみでねっとりとしている。まさに旨さの凝縮。それを口に運ぶ。
「はむ……うううう……」
スプーンが口に入った瞬間。ニコールはうっとりとした表情になった。
「こ、こんなの……初めて……」
「美味しい?」
「美味しいというレベルじゃない!」
そう言うとニコールはスプーンですくって、2口目、3口目と動作を繰り返す。それこそ、無我夢中である。
「ニコちゃん、慌てなくてもいいよ」
「止まらない、止まらないぞ、ルウイ」
最後の一口がニコールの形のよい口に収まると、思わず顔を上気させてほのかにピンク色に変化していた。
「こんな美味しいスープは食べたことがないぞ。ギュっと凝縮した旨みが素晴らしい」
「うん……でも、まだこれだけじゃヒョウゴさんは納得させられないかな」
ルウイも味見をした。ニコールが言うように濃厚な味がたまらなく美味しい。これはいけると思ったが、繊細な味覚の持ち主であるルウイは、旨みの中にわずかな生臭さとえぐみを感じていた。
(理由はわかる……やっぱり、もっと徹底して下ごしらえしないとダメだな……)
「これでも十分美味しいのにな」
「ニコちゃん、あとは僕に任せて。どうすればいいのかは分かっているから。明日はとびっきりのポタージュを作って、ヒョウゴさんの心を溶かすよ」
「ルウイ……私のために……」
「当たり前だよ。大好きなニコちゃんのためだからね」
その言葉を聞いてニコールは思わず、台所に立つルウイのシャツの後ろを掴んだ。下を向いてモジモジする。
(ニコちゃん、可愛いなあ……)
(ルウイの背中、なんか大きく見える……)
「あ、あの……」
「あ、あの……」
同時に言葉を発して思わず二人は笑った。




