ニコールのピンチ
異世界嫁ごはん 11/25 1巻発売
まもなく、特設サイト公開します。オーバーラップのブログへ。
「おい。油断するなと言ったはずだが……」
戻ってくるダミアンにそう凍りつくような声を発するサイラス。負けても余裕のあったダミアンが怯えたような表情を見せた。
「主将、お許しを……。あのお姫様があんな隠し球を持っていたなんて知らなかっただけなんだよ……」
「あとで制裁を加える。覚悟しておけ……副将としてあるまじき態度、許せん」
「や、やめてくれ……副将は降りるから。降格だけで許してくれ……。それに俺が負けたことで主将は試合ができるだろ。1回くらいは主将の強さを会場の奴らに見せつけてやった方がいい」
サイラスは不機嫌そうにダミアンの肩を叩いた。
「こんなチンケな試合に私を出させたことが一番の罪だ」
へなへなとその場に腰を落とすダミアン。そんな彼を置いて試合場へと進むサイラス。そして、勝負は見る者を驚愕させる結末で終わった。
剣を2回振っただけ。
それだけでウィンザー学院の主将アレックスを退けた。しかも、アレックスは肋骨を数本折る重傷。使ったものが折れやすい木剣で、アレックスが防具を付けていたのでこれくらいで済んだのだ。
「やはりウェステリア剣術など、貴族様のお遊びでしかない」
「な、なんだと……痛……」
担架に乗せられて運ばれるアレックスは、そうつまらなそうに呟いたサイラスに声を振り絞って抗議する。
「我らの本当の競技は、総合格闘技アルテマ。ウェステリア剣術は始めて3ヶ月に過ぎぬ」
「さ、3ヶ月だと……」
「木剣など使っているから弱くなるのだ。使うなら真剣か身一つ。我ら全員、体術だけで武器をもったものに立ち向かえる。悔しかったら、3ヶ月後の大会に出てくるがいい。といっても、お前も中堅の男も重傷。戦えそうなのはあのお姫様だけか。無理だな。ははは……少ししゃべりすぎた。忘れてくれ……」
「……畜生……借りは絶対返す……からな……」
「主将、もうしゃべらないで……」
ニコールはそうアレックスの手をそっと取り、サイラスを睨みつけた。だが、その姿は肉食獣に追い詰められ、覚悟を決めて立ち向かおうとするネズミの目だ。
サイラスは無表情でニコールを視界に入れたが、すぐに踵を返して去っていった。
お腹いっぱいの肉食動物が見逃してやるといった感じに……。
*
「ニコちゃん、残念だったね」
試合が終わり、すぐにルウイはニコールの元に駆けつけた。一応、新聞部の取材の一環で来ていたのだが、予想外の結末にどう記事をまとめていいのか悩むところだ。
ニコールはあまりのショックにふさぎこんでいる。試合場の裏。人目につかない場所だ。ニコールが塞ぎ込むのも仕方がない。ウィンザー学院は3対2で敗北。念願のジークフリードカップの優勝を逃した。
それだけでなく、中堅のアーロン。主将のアレックスが負傷してチームは惨敗。2勝したとはいえ、相手がわざとくれた勝利でもあり、力の差に打ちのめされた格好だ。
「おや、こんなところに居たんだな。お姫様」
「お……お前は……ダミアン……」
ふさぎこんだニコールが顔を上げると先ほど戦ったダミアンが立っている。試合場の建物の裏。建物と建物の間の狭い通路。通路を塞ぐようにダミアンは立っている。奥の通路は行き止まりになっており、ニコールが座っている階段に続くドアは施錠されている。
ダミアンの顔は何発か殴られた跡があり、青いあざがいくつか見られた。その異様な姿にニコールは恐怖を覚える。
「あんたのせいでこのザマだ。あんたには埋め合わせをしてもらわないとな。俺の気持ちが収まらないんだよ!」
「ニコール先輩に何のようだ!」
ルウイは恐れることなく、ダミアンにそう問う。まるでルウイのことなど視界に入っていなかったように意外な顔をしたダミアン。通りすがりの野良猫がしゃべったくらいの呆気に取られた表情をしたのだ。
「坊主、さっさと去れ。ここからはこのお姫様と俺との時間だ。くれぐれも助けを呼びに行くなんてことするなよ。そんなことしたら、てめえは殺す」
そう凄むダミアン。ルウイは全く動じない。恐れのない一歩を踏み出し、ニコールの前に壁を作った。
「先輩に手を出すな!」
「1年坊主が引っ込め!」
大きな手のひらが振られた。ルウイは両腕でガードしたが、体ごと壁に叩きつけられる。
「ルウイ!」
「さあ、お姫様、ちょっと付き合ってもらおうか」
「くそ、触るな!」
ニコールはパンチを繰り出したが、ダミアンはその手を難なく掴む。そしてもう片方の手も合わせて、頭の上で拘束する。
「あんたみたいな気丈なお姫様を泣かせるのは得意でね。どんなに強くても女は女。男には敵わないということをその綺麗な身に刻みつけてやるよ」
「や、やめろ~っ……私に触るな……」
ニコールは力いっぱい抵抗するが、両腕は全く動かせない。壁に縫い止められた蝶のごとく、何もできない自分が悔しくて両目から涙があふれて頬に流れていく。
「泣いたお姫様は実にそそるなあ……こりゃ、いじめるだけでなく頂くとするか」
「おい!」
ダミアンは不意に肩を叩かれてゆっくりと顔を横に向けた。先ほど、叩き飛ばしたルウイである。
「ニコちゃんを泣かせたな!」
ダミアンは一瞬だけ驚いた。目の前の小僧は先ほど手で払い除け、視界から消えたはずである。地面に這いつくばっているか、この場から逃げ出したか。いずれにしても取るに足らない人間のはずであった。
「はあん?」
そう答えたのは、心の底に芽生えた恐怖を消し去るため。自分を偽り、いきがってみせた。
「ニコちゃんを離せ!」
「ガキがあっちへ行ってろ……うっ!」
高速の蹴りでダミアンは横へ吹き飛ばされた。通路の行き止まりになっている木箱の山に体ごと突っ込む。恐怖は現実のものとなった。
「う……う……馬鹿な……なんて力だ」
ガラガラと破片を地面に落とし、壊れた木箱から立ち上がるダミアン。まだ余力が残っているようだ。
「ニコちゃん、ちょっと待っててね」
「ルウイ……」
ルウイはゆっくりとダミアンに向かって歩いていく。ダミアンは腰を落として構えた。目の前の普通の少年に対する恐れがそうさせたのであろう。そしてもう一つ。先ほどの蹴りは自分が油断していたからであって、目の前の少年の強さではないと思い込みたい気持ち。
(どう見ても強そうなガキじゃない。何かの間違いだ)
間違いでも自分が数メートルも蹴り飛ばされたのは事実なのだが、それを考えるゆとりがダミアンにはない。
「このガキ、ぶっ殺してやる!」
「加速せよ」
大人になった時のルウイの能力ほどではないが、この時にルウイも時間操作能力があった。加速もできる。自分の体ごと加速したルウイは、防御体制に入ったダミアンを軽々と無効化し、そのでかい体に体当りした。
再び、数メートル木箱を飛び散らし、そのまま気を失ったダミアン。ルウイはスタスタとニコールの元に戻る。
「はい、ニコちゃん、帰ろう」
「あ……あ、うん」
だが、ニコールは腰が抜けたのかなかなか立ち上がれない。ダミアンの行為とルウイの強さにショックで体が動かせないのだ。
「じゃあ、おんぶするよ」
ルウイはニコールを背負う。おとなしく従うニコール。やがて、冷静になってくるとニコールは悲しさから涙が一つ、二つと溢れる。それはルウイの肩を濡らす。
「ニコちゃん、どうしたの?」
「私は悔しいのだ。女に生まれたばかりにこの非力。あんな奴らのパワーに勝てず、馬鹿にされる。私が男だったらよかったのに……」
「それは困るよ。ニコちゃんが男だったら、僕のお嫁さんになれないじゃない」
「私が男ならルウイは女に決まっているじゃないか。そうすれば一緒にいられる」
めちゃめちゃなことを言うニコール。だが、現実のニコールは女の子で非力は体の特性上仕方ない。それはこれまでのウェステリア剣術でも薄々感じていたこと。スピードと技で非力さを補っていたが、今日のようなレベルの高い戦いでは全く通用しなかった。
「僕としては、ニコちゃんは女の子の方がいいなあ。それにね。女の子のままでも強くなれる方法があるよ」
「……そんなものあるのか?」
「うん。明後日、ベンジャミン伯爵様の園遊会があるだろう。ニコちゃんの家にも招待状来ているよね」
「ああ、来ているが……」
「そこでその方法を教えるよ」
「園遊会でか?」
「そう。だから、泣かないでね」
ニコールはルウイの首に回した手を軽くキュッと締めた。そして顔を寄せてルウイの頬に自分の頬を合わせる。
「お前はいつも優しい……そして強い……だから好き……大好き……」
「僕もだよ……」
夕日が落ちていく時間。重なった二人の影が伸びていく。




