エリンバラ市へ潜入
エリンバラ市へ入る時には簡単な審査がある。エリンバラ市民は黒で塗られた許可証の小さな金属プレート。周辺に住んで町で商売をしたり、労働を提供したりする人は黄色い許可証。観光や訪問でくる人は赤い許可証がいる。
ニコールと二徹とメイは、商談をしに町へやってきた商人を装っている。許可証は黄色いプレートを手に入れた。商人夫婦とそのメイドという設定だ。
エリンバラ衛兵はちらりとニコールの顔を見て、二徹にうらやましそうな表情を一瞬見せたが、無表情に許可証を返した。
(この野郎、こんな美人の嫁さんを連れてうらやましいぜ……)という目をしていたが、次から次へとやってくる町への入場者に追われて、不審に思いはしなかったようだ。
仮にAZK連隊の兵士を疑おうとしても、私服だと軍人には見えないニコールと優しそうな風貌の二徹では、そんな疑念はわかないし、可愛らしいメイドのメイを見たら信じるしかないであろう。
「まずは市場だね。市民の反応を見るには一番だよ」
これは二徹がいつも思っていること。特に家庭を預かる主婦や食材を扱う人間は、世相に敏感だ。いざ、戦争になるとなったら、食べ物の心配が一番だからだ。
エリンバラの市場は他の都市と同じで活気がある。だが、その活気は明るいものではなく、みんな必死に動いている結果である。さらに、普通と違うのは店の品揃えの少なさ。まだ昼間だと言うのに商品が売り切れかかっている。店によっては既に店じまいの準備をしているところもある。
「早いですね。もう店じまいですか?」
店頭に並べたパンがほぼ売れ切れてしまい、片付けをしているパン屋の店主に二徹は話しかけた。
「ここ2ヶ月、こんな調子でさ。戦争が起こるかもしれないって、みんな早めに買ってくんですわ。売れるからたくさん作りたいけど、生産力は限られているし、材料が大量に調達できるわけもなし。まあ、一過性のものと考えているけどね」
ちょっと太ったパン屋の親父さんは、そう二徹に話した。
「あんた旅人さんかね」
「ええ。ちょっと商談にこの町を訪れたのですが」
「商談? この町の人間じゃないから言うけどね。あまり、この町には寄り付かない方がいい」
「寄り付かない方がいいですって?」
店主はちらりと後ろのニコールとメイに目をやる。
「町の外にAZK連隊という、ならず者の寄せ集めの軍が来ているそうだ。今は市長様が全力で阻止してくださっているが、奴らが町に入ってきたら、とんでもないことになる。特に美しい女性は悲惨な目に遭うかも知れない」
「そんな、店主。AZK連隊はそんな軍じゃない!」
思わずニコールが反論したが、なぜ商人の妻がそんなことを言うのか、理解できずにポカンと口を開けている。
「ニコちゃん、ちょっと黙っていようね」
二徹は口元で両方の人差し指をバツにした。どうやら、市長は町中の人間に都から来たAZK連隊のことで嘘情報を流しているようだ。
「まあ、これも市が言っていることで、本当のことはわかりません。噂によれば、市長が王様に対して反旗を翻しているという話も聞きますけどね。ただ、市長もずっとこの町を治めてきたアクトン家の出だし、わたしら市民は逆えんのですよ」
このパン屋の店主の言葉がエリンバラ市民の大半を代弁しているといってよかった。この後も二徹は様々な人に聞いてみたが、みんな疑いつつも長年、このエリンバラを支配してきたアクトン家には、敬意と畏怖があり付き従っているのだ。
そして漠然とした戦争への不安から、自己防衛を少しずつ始めているというのだ。町ゆく人には笑顔もあるが、それが心からのものではなく、どこか不安げな表情を隠すように見えるのも合点がいった。
そしてAZK連隊に対する不利な取り扱いは、徹底していた。肉問屋で肉を調達し、AZK連隊に売るという商売を持ちかけたが、これは拒絶された。
「兄ちゃん、それは誰も考えつくけど、条例に違反する。それさえなければ、俺たちがやってるさ。町の外の軍隊への食料の提供は一切禁じられている。例え、第3者を経由してもだ。商売の許可証剥奪だけでなく、処刑までされるって話だ」
「厳しいのですね。でも、外の軍隊は王国の軍ですよ。市長がそんなことするなんておかしくはないですか……」
二徹の問いに、肉問屋の男は声を小さくした。
「あんたは外の人間だから、ぶっちゃけるが。市長が俺たちを騙しているってことは薄々わかっている人間はいるさ。この町の目端の利く人間はそう感づいている。そうでない人間はお人好しだからな。市長の言うままさ。俺としては保険として外の軍とつながりがあるとありがたいとは思っている。なあ、あんた……」
「なんでしょう?」
「肉は売れないが、力を貸せることがあれば言ってくれ」
そう男は申し出てくれたが、肉を売ってくれなければ肉問屋には用はない。だが、倉庫を眺めていたメイがあるものを見つけた。
「二徹様、あれです。あれが捨てられています」
そう指差す方向には、山と積まれた手羽先があった。
「あれはどうするのですか?」
二徹は肉問屋の男にそう尋ねた。
「ああ……手羽先か。あんなものは捨てるよ。都じゃあれを食べているそうだが、このエリンバラでは人気がなくてね。食べる習慣がないんだよ」
「食べる習慣がない?」
マジかよと二徹は思った。手羽先は確かに食べにくいし、そんなに肉がついているわけではない。凝った料理をする価値がないと思われても仕方がない。ファルスの都でも食べられてはいるが、あくまでも炭火でコショウを振って焼いただけ。それほど、好まれて食べられているわけではない。
「捨てるのでしたら、あれを分けてくれませんか?」
「ゴミをか? ゴミとしての処分費もあるから引き取ってくれるだけでもありがたいが、あれをどうするのだ?」
「食べるのですよ。それに売ったわけじゃないから、あなたにも迷惑がかからないし。どうですか。あれを引き取らせてもらえませんか」
肉問屋の男は少し考えた。条例では売ることは禁止しているが、ゴミとして捨てたものに対して罰則はない。ゴミの行き先まで知ったことではない。
「いいだろう。これを縁に外の軍に恩を売っておくことは損でない」
商人というのはたくましくないと生きてはいけない。二徹は握手をして契約成立。毎朝、馬車で運び出し、外で受け取ることを約束した。
「二徹、手羽先を手に入れたのはいいとして、あんなものを調理して、兵士が喜ぶ料理になるのか?」
ちょっと心配顔のニコール。この世界では手羽先は心をときめかすような食材ではないことは確かだ。
だが、二徹は知っている。手羽先は調理しだいで最高においしいビールのつまみになることを。いくつでも食べたくなる美味しい素材なのだ。
肉問屋を出ると怪しげな男たちが近づいてきた。目つきの悪いチンピラ。人数は10人。その中の一人が二徹に絡んできた。
「ようよう、兄ちゃんよ。可愛い彼女連れてるじゃないかよ」
「彼女、俺たちと遊ぼうぜ」
「こっちのガキはいらねえけどな」
ニコールとメイに失礼なことを言う男たち。だが、このベタな展開が仕組まれていたことをニコールも二徹も分かっていた。近くに衛兵がいるのにただ傍観しているだけだからだ。
「二徹、こいつらどうやら市長の回し者らしい」
「どうもそのようだね」
「おいおい、何、こそこそ喋ってんだよ。兄ちゃん、ブルったのかよ。膝がガクガクしてねえか?」
「メイ、ちょっと危ないから、肉問屋の建物内に隠れていなさい」
「はい、二徹様」
メイがそっと二徹の後ろの扉を開けて、姿を隠すと同時に二徹とニコールが動いた。それは一瞬の出来事。
「うげっ!」
「ぐぼ!」
「げほ!」
「ぐわばあ!」
二徹の加速力とニコールの戦闘力をもってすれば、このようなチンピラ風情は敵ではない。5人が一瞬で殴り倒された。後の5人はビビって腰が引けている。
「どうしたのだ、かかって来い!」
ニコールはそう言って右手の平をクイクイと動かす。ワンピースを着た可憐な若妻の挑発に腰が引けた連中も怒りに任せて襲いかかる。
殴りかかってきた最初の一人の右手首を掴むとその勢いをうまく流して、バランスを崩させ、くるりと回転させて地面へ叩きつけるニコール。その次の男は体を半身にしてかわすと同時に強烈な蹴りを後頭部に。
倒れた男を尻目に次へと視線を移したときには、あとの3人は全て二徹に叩きのめされていた。
「二徹、ひどいじゃないか。もう一人くらい残しておいてくれ」
倒れた男の後頭部を足で押さえつけながら、ニコールはそう文句を言う。二人が完全にチンピラどもを排除したことを確認してから、おもむろに衛兵たちが駆けつける。
「この町の衛士は随分とのんびりしている。一般人が襲われているのに今から仕事とは……」
大きな声でそう嫌味を言うニコール。すると、騎馬の一団が近づいてきた。町を守備する竜騎兵部隊だ。これも騒ぎを聞きつけてやってきた感じだ。
「これはニコール大尉とお見受けしますが」
馬上からそうニコールに問いかける将校。この50騎の小隊長である。
「私は第21竜騎兵連隊所属、第2小隊長アレン中尉であります」
「なんだ、誰かと思えばアレンか!」
ニコールと同期の軍人である。アレン・アバルト中尉。士官学校時代の級友で、同じクラスに1年だけいたような気がする。
「AZK連隊の参謀になったと聞いたけれど、なぜ、こんなところに。観光とは思えないけれど……」
「いや、今はただの観光だ。一般人の夫も連れているからな」
アレンのハチミツ色の短い髪がちらりと竜騎兵の制帽から見える。なかなか精悍な若者である。
先ほどの騒動とこの竜騎兵連隊の登場で、周りはやじうまが集まりつつある。
「ニコール大尉、すぐに立ち去る方が懸命だ。ここの市長はやばい……」
そっとアレンはニコールの傍に近寄り小声で話す。確かにこのチンピラの男たちを使い、ちょっかいをかけるような手法は政治家がやることではない。ならず者集団のリーダーのやり口である。
「駐留軍の上の連中はみんな市長に抱き込まれている。いざ、戦闘になったら駐留軍は全軍、市長側に立つだろうね。みんな冷静な判断力が失われているんだよ。それに市民の連中も半分は市長を盲信しているから。市民の抵抗は厄介だ」
「だが、それはアクトン市長の素顔を知らないからだ。彼の本性が分かれば市民も我々の側につくはず」
「付くはずと君は言うけれど、中央から来た人間は地方のことは分からないだろう。舐めてかかると痛い目にあうぞ。おや、どうやら市長閣下の到着のようだ」
アレンは近づく馬車と私兵の部隊が近づくのを見て、ニコールから離れた。馬車は市長専用の豪華な8頭立てのもの。私兵はアクトン家が召し抱える傭兵だ。30人ほどを従えている。
馬車は見ている市民を追い払い、ニコールの前で止まった。お付の従者がドアをうやうやしく開けると、中からとっつあん坊やが出てきた。
「AZK連隊参謀ニコール大尉、ようこそ我がエリンバラへ。私がこの町の市長。ジョージ・アクトン侯爵だ」
ニコールの美しい眉がピクっと動いた。
「……我がとかおっしゃっていますが、エリンバラは王国の都市。あなたは委任を受けてこの町を治めているに過ぎない。言葉の使い方を誤りますと、反逆罪に問われますよ」
ニコールの言葉は辛辣だ。この男はゼーレ・カッツエの最高幹部に名を連ねる反逆者ということはおおよそ分かっている。近いうちに逮捕することは間違いないのだ。
「これは美しい顔をして厳しい言葉を口にするお方だ。だが、犯罪者はあなたの方だ。このエリンバラ市内にはAZKに属する人間の一切の立ち入りを禁じている。即刻、出て行ってもらいましょう」
パンパンとアクトン市長は手を叩くと、私兵が一斉に銃を構える。また、手を叩いて見ている市民を扇動する。煽られた大半の市民はニコールたちを悪と見なした。
「帰れ! 帰れ!」
「町から出て行け!」
煽られて一斉に騒ぎ立てる市民たち。ニコールはショックで立ち尽くす。
「そ、そんな……私たちは正義のために……国王陛下のために……」
「ニコちゃん、これは分が悪いよ。ここは引き上げよう」
二徹はそうニコールの手を取った。




