エバンスの危機
「お姉さん、フィッシュ&チップスを1ついただこう」
猫族の可愛いウェイトレスにそう注文したのは、ちょっと渋い雰囲気の中年男。昼の日差しを避けるように帽子を目深にかぶり、目にはサングラスをかけている。半袖シャツに半ズボンと暑さを避けるラフな格好だが、洒落た感じがどこなく気品を醸し出す。
猫族のウェイトレスのお姉さんは、片目を閉じて了解のサインを送る。ちょっとダンディな男にハートをくすぐられたようだ。すぐに厨房へオーダーを通す。
この渋い中年男。正体は王宮料理アカデミーの総料理長。この国に3名しかいないA級厨士のエバンス・ブルーノである。
エバンスは、ここ数日、都で食べられるフィッシュ&チップスの屋台やレストランをはしごしている。このウェステリア王国で料理に関する一番の権威をもつ人物は、現場主義者で王宮内の研究施設にこもることを良しとせず、活動の場は町中のレストランにあった。
今日は最近、美味しいと評判のシーフードレストランに来ている。海沿いの道路までテーブルを出したオープンレストランである。新鮮な海の幸を売り物にした人気のレストランである。昼のランチ目当てに多くの客がテーブルを占領していた。お目当ては『フィッシュ&チップス』である。
「はい、おじさん、フィッシュ&チップスです」
猫族のおねえさんが両手に持ったお盆の一つをテーブルに置いた。それには揚げたてのフィッシュ&チップスがてんこ盛りになっていた。エバンスは料金の銅貨40ディトラムをお盆に置き、さらに銀貨1枚をチップとしてお姉さんに渡した。
「ちょ、ちょっと、おじさん、これは多いわ」
こういう店ではチップを払う習慣があるにはあるが、せいぜい料理の5%~10%程度。料理より多くチップを払うことはない。だが、エバンスは微笑んだ。
「これは君の笑顔の対価だよ」
さらっと言ってのけるエバンス。その下心を微塵にも感じさせない態度はまさに紳士。同じことを普通のおっさんがやったら、カッコ悪いし、気持ち悪がられるに違いない。
「あ、ありがとうございます!」
褒められた猫族のお姉さんはエバンスにお礼を言って、次のテーブルへ100%増しの笑顔で料理を運ぶ。美味しい料理には、それにふさわしいサービスが必要なのだ。銀貨1枚でこの店の料理は、さらに美味しさが増すというものだ。
だが、既にエバンスの意識は運ばれた皿に集中していた。
「ううむ、ここのフィッシュ&チップスは、人気だと聞いたが……なるほど」
エバンスは皿に盛られたフィッシュ&チップスをフォークでツンツンと突っついた。それは、カラッと香ばしく揚がっている。
「屋台のものよりは洗練されているが……」
エバンスは一口食べて、この店の人気の秘密を理解した。人気のある店というのは、やはりいろいろと工夫をしている。そして、食べて美味しいと感じさせなければ客は来ないものだ。
そういった意味ではこのシーフードレストランは、フィッシュ&チップスの可能性を感じさせるものをもっていた。エバンスは食べに来てよかったと満足した。
「まずは魚のフィレ。肉厚で歯ごたえがある。骨取りも丁寧にやっている」
魚はタラの切り身。タラはウェステリア沖合でたくさん取れる魚で、よく食べられている魚である。そしてフィッシュ&チップスといえば、このタラが定番であった。
新鮮なタラは美味しいが、料理の素材としては扱いの難しい魚である。タラは鮮度が落ちると臭みがでる。これがフィッシュ&チップスの悪評につながっている1つの理由である。多くのフィッシュ&チップスを出す店は、安く提供するためにどうしても鮮度が悪くなる。この臭みを取る工夫をしないままに、調理している店が多いのだ。
「この店は臭みを取る下ごしらえを丁寧にしている」
タラの臭みを取る方法はいくつかある。まずは塩を振ってそのまま置き、にじみ出た汁を洗い流す方法。酒で洗う方法もある。エバンスなら牛乳を使って洗う。いずれにしろ、この臭みを取る手段を講じる必要がある。
「確かに丁寧に臭いの処理はしてある。しかし、味わってみるとほんのわずかにツンとくる匂いがある」
匂いとは味と一体になって人間の感覚を刺激する。魚の味の濁りとわずかな臭みが重なり、エバンスに違和感を与えるのだ。これは普通の人なら気がつかなかったかもしれない。だが、エバンスの鋭利な味覚をごまかすには至っていない。
(これでは、3週間後にもてなす人物の舌を満足させることできない……)
「そして、これは全てのフィッシュ&チップスの弱点であるが……」
エバンスは衣に着目する。水と卵と小麦粉で溶いた衣は、べカッと固まり、魚の身をコーティングしている。それは香ばしいが美味しいものではない。どちらかといえば……。
「クドイ……。人気店ほど大量に揚げるので油の質がすぐに悪くなる。そしてこの衣。今まで食べた店はどれも固かった。この店も工夫はしてパリパリする食感が人気のようだが、これ自体の味は魚の身と合っていない」
人気店とはいえ、この弱点は克服できていないようであった。もちろん、人気店だけに普通の店とは違う良い点もまだある。この店が人気な理由は、揚げたフィッシュ&チップスを付けて食べるソースに工夫があること。柑橘系の果物の汁を使ってさっぱりと仕上げている。
「うむ。油と衣の工夫は考える余地はあるな。それといっそ、揚げる具材は魚のフィレやジャガイモに限ることはない……」
エバンスは、テーブルで腕組みをし、目を閉じる。3週間後にやってくる賓客は、ウェステリアの郷土料理としてフィッシュ&チップスを所望しているが、普通に出したらとても満足はしてはもらえないことはわかっている。
そしてその賓客の狙いも、この難題をいかにして解決するかであろうことは見抜いていた。かの客は料理を通して、ウェステリア王国という国を値踏みするつもりなのだ。
「魚は臭みの少ない白身がいい……。新鮮さならこのウェステリアは島国だ。いくらでも手に入る……。それに魚と限る必要もない。フィッシュという名前ではあるが、これには海鮮という意味もある……む……なんだ、このプレッシャーは?」
ブツブツと喋りながらメモを取るエバンスは、急に嫌な気配を感じた。それは自分を殺そうという殺意。エバンスはその嫌なプレッシャーを感じる方向に顔を向けた。
(銃だと!)
昼の食事でごった返す数々のテーブル。食事をしようと空いたテーブルを探す家族連れ。そして多くの通行人。そんな人混みの中で自分に狙いをつける銃口を見つけた。それは真っ直ぐにエバンスに向けられている。
「皆さん、伏せてください!」
エバンスがそう叫んでテーブルの下へ身をかがめた瞬間。
パン、パン、パン……。乾いた音と銃口から発する煙が上がった。同時に右肩が熱くなる。
「うっ……」
(肩を撃たれたか……)
右肩を抑えながらも、さらに身を低くするエバンス。これによって、別方向からの銃弾を避けることができた。座っていた椅子に命中し、テーブルの上の皿を破壊する。
「きゃあ~っ」
「人が撃たれたぞ!」
周りが大騒ぎし、パニックになる。エバンスは銃弾の放たれた数から、襲ってきたのは3人だと判断した。肩からは出血が止まらない。シャツを脱ぎ、それで傷口を圧迫する。
(狙いは……この私のようだな……。しかし、王宮の料理人まで狙うとは……)
ふと、エバンスは顔を上げるとテーブル近くの道路で泣いている猫族の子どもがいる。騒ぎで人々が逃げ惑い、迷子になったのであろう。3歳くらいの男の子が母親を探して泣いている。
「うあ~ん、ママ~。ママ~っ!」
「坊や、危ない!」
まだエバンスを狙う銃撃は収まっていない。何発も着弾してテーブルや建物のガラスに当たって破壊している。このままでは子供に流れ弾が当たってもおかしくはない。
エバンスは子供に飛びかかって道へ押し倒した。頭を打たないように抱き抱える。その背中に1発の銃弾が貫通する。さらに左の腿にも命中した。
「うっ……」
気が遠くなるのを感じたエバンス。遠くで救援に駆けつける衛兵警備隊の緊急の笛の音が聞こえた。




